人は人 吾はわれ也@

「婦女連続殺人事件?」

まだ日も高い昼間のカフェーにて、私はその物騒な単語を繰り返した。珍しくこの時間からみんな揃ってやって来た黒尾分隊の方々が、珈琲を啜りながら小さく頷く。彼らは今、大きな事件を追っているという話だった。

「最近この辺りで女性が次々と殺される事件が起きてる。犯人の行方を調べてるけど、未だに見つかってない」
「お…恐ろしいですね……」
「犯行時刻はいずれも夜中から明け方にかけてだから、お前もあんまり一人で出歩くなよ」

事件の大雑把な概要を教えてくれた研磨様に続けて、黒尾様が私に忠告する。確かに、その話を聞く限りでは、一人で行動するのは宜しく無さそうだ。とは言っても、カフェーの仕事から上がるのはいつも夜。仕込み等で遅くなれば、夜中になってしまう事も多々ある。帰り道はどうしても一人になってしまうので、どう防いだらいいものか。『事件が怖いので解決するまで休みます』なんて事が通るわけ無いし、そんな事をしていたら家計が大ダメージを受けてしまう。私は困り果てたような顔を浮かべて彼らを見た。

「で、でも…仕事終わりはいつも夜になってしまいます…。どうしよう…」
「だったら俺たちが順番に送ってくよ。丁度この事件を受けて、夜中の見回り業務をする事になってるんだ」

赤葦様の提案は、夜見回り当番になっている人が、業務も兼ねて私を家まで送り届けてくれるというもの。仕事中の軍人様にそんな事を頼んでもいいものかという気持ちはあったが、是非そうして頂ければ心強い。我儘を百も承知で、お願いしますと頭を下げた。しかし、申し訳なさそうにする私とは反対に、みんなの顔はどこか嬉しそうで。

「何気に店以外で会うのって初めてじゃない?逢瀬とか凄い興奮するんだけど」
「はしゃいでんじゃねぇよ太一。あくまでも見回りついでだ。仕事中だって事を忘れんなよ」
「相変わらず真面目だな白布。だからお前尉官から嫌われんだよ。この間女遊び誘われて断っただろ、噂で聞いたぞ」
「うるせぇなほっとけ!」

太一様が発した、逢瀬という言葉。白布様に叱られてしまっているが、確かに私たちは、ほぼ毎日会っているというのに、店の外では時間を共にした事が無かった。いつもここで、数時間、短ければ数十分くらいの時間を共に談笑して過ごすだけ。改めて考えてみると、何だか少しだけ緊張してきた。俯いてうっすらと頬を赤らめていれば、そんな私を覗き込む悪戯気味な笑顔。

「なに、意識しちゃった?」
「く、黒尾様……」

言葉にされると益々恥ずかしくなって、かああ、と一気に血が上っていく。皆さんは仕事の最中に来てくださると言うのに、私は何を期待しているのだろう。その邪心を振り払うように、慌てて手を左右に振って否定しつつ、話題をすり替えた。

「は、犯人は!犯人は、どんな方なのですか?行方を追っている、ということは、ある程度絞れているという事でしょうか!」
「いや、」

私の言葉を否定して、難しい顔を浮かべる赤葦様。どうやらこの事件、捜査はかなり難航しているようである。

「犯行時間が夜中なのもあって、目撃者もいないんだ。被害に遭った人たちも全員殺されちゃってるから証言なんて取れないし。正直犯人像ははっきりとは分かってない」
「そうなんですか……」
「ただ、今までの事件の情報を纏めて、こんな奴じゃないかっていうのはある程度絞りつつあるよ」

研磨様の目が、闇夜に光る猫の目の様に鋭さを帯びている。そういえば、カフェーに来た皆さんと、ここまでがっつりと仕事絡みのお話をするのは初めてだったかも。いつもは笑ったり他愛の無い話をして、柔らかい表情を浮かべている皆さんの横顔が、今日は真剣に仕事に打ち込む軍人様の顔をしている。大変な事件を追っているのだから、こんな事を思ってはいけないのかもしれないけど、少しだけ、そんな皆さんの横顔がカッコいいなと感じていた。仕事をしている時、皆さんはこんな風に真面目な男の表情をなさるんだ…。そんな姿に触れられる事が嬉しい。

「まず、狙われた被害者が全員女って事や、最初に必ず後ろから抱きつかれて体を触られるっていう話から、犯人は男性だろうって話だよ」
「とんだ変態野郎だな」
「まあどっかの女給にチップ貢いで尻触ってる太一も変わんねぇけどな」
「俺は合意の元だから。ね、名無しちゃん」
「え!?あ、あの、えっと……」

確かにこのお尻、もう何度太一様に撫でられた事か……、なんて、今はそんな話ではなく事件の犯人についてだ。横で騒ぐ太一様たちを無視して、研磨様は続ける。

「犯人は、怯える女性に突然ナイフで切りつけようとするのが、お決まりの手口みたいだね。しかもそれこそ、顔や胸や臀部といった、女性的な部分を狙ってる」
「相当女に飢えてんのか?」
「理由は俺には分かんないけど、普通じゃないことは確かだよ。殺害された人の死体は、胸の部分や尻の部分がごっそり切り取られて、持って行かれてるのもある」
「研磨の口から尻って単語が出てくるとは」
「…なに」
「いいえなんでも」

軽口を言い合う黒尾様と研磨様とは対照的に、思っていた以上に残酷な話を聞いて思わず「ひっ…」と小さく悲鳴を上げた。胸をごっそり切り取るなんて、普通の人がやる事じゃない…。ただ女性に飢えて犯行に及んでいるにしては、その行為はあまりにも常軌を逸している。顔を青くする私を見て、赤葦様は「ごめんね、気分悪くなったでしょ」と心配してくれた。大丈夫です、と首を振ると、安心させるかのように優しく頭を撫でてくれる。その手つきが温かくて、不安で騒ついていた心が一気に穏やかになった。

「そういった部分から、上の人たちは男の犯行だろうって思ってるみたいだね」

説明を終えた研磨様が、珈琲を啜る。その隣で頬杖をついていた黒尾様が、「で、」と切り出した。

「研磨は」
「……」
「お前はどう思ってんの」

ムッとした表情を浮かべた研磨様。今聞かせてくれた推理は、研磨様のものではなくて、上の人たちから聞いた、という話だ。研磨様は、違った見解を持っているのだろうか。彼の言葉の続きを待つ。

「……俺は、犯人が男とは言い切れないと思う」
「ほぉ」
「女性の象徴的な部分を切り取るって、相当な執着心が無きゃできないよ。…例えば、」
「強い劣等感を持っている女性の嫉妬が動機、とか?」

研磨様の続きを、赤葦様が口にする。コクリと頷いた研磨様を見ながら、私も考え込んだ。美しくなりたい、こうでありたいという願望は、私にもある。もっと美人だったら、とか、もっと胸があったら、とか。悩みの種は違えど、誰でもそういった願望は抱えているだろう。その思いが強烈に歪んで、この様な凶行に出ているというのか。確かにあり得なくはない、のかもしれない。

「まああくまでも可能性の一つとしてね。男と決めつけて視野が狭くなってたら、見えるものも見えなくなりそうだし」
「確かにな。今じゃ上の連中も、犯人取っ捕まえて自分の手柄にしようって血眼になってる。何としても、俺たちが犯人捕まえて、悔しがる尉官たちの顔を拝もうぜ」
「当たり前だ。金の力でのし上がった連中とは鍛え方が違うんだよ」

気合が入っているみんなの姿が頼もしい。事件は怖いけど、きっと黒尾様たちが何とかしてくれる、そう確信していた。彼らには、そう思わせてしまうような力を持っているから。みんなのそんな会話をにこにこと見守っていると、打って変わって突然机に出された5人分のチップ。え、と驚いているうちに黒尾様に腕を引かれて。

「仕事の話は終わり。…いい?」
「えっ…、ま、まだこんな明るいのに…!」
「誰も見てないから」
「そ、そういう問題では…!」

あれよあれよという間に、黒尾様の膝の上に乗せられて。慌てふためく私の体を、五人の手が好き勝手弄る。擽ったいような恥ずかしいような変な感覚に、思考回路は停止してしまう。結局いつものこの流れになってしまった。腕を後ろで抑えられて碌に抵抗できないまま、私は彼らに存分に遊ばれてしまったのだった。

「ひゃ!?た、太一様どこ触って…!」
「んー、太腿」
「あ、あああ赤葦様擽ったいです!」
「耳弱いんだ。真っ赤になってる」
「黒尾様そんなところに手を入れないで下さい!」
「えーいいじゃんちょっとだけ」
「白布様…っ、そこ捲られると脚が…」
「男と違って白くて柔らかいな。癖になりそう」
「研磨様!助けて!」
「ごめん俺も止まんない」

ワラワラと大きな男五人が群がる一角。小さな角砂糖のカケラに集まる蟻のよう。彼らの強引な行為に、どれだけ耐え続けたか。やっと終わったご奉仕に、黒尾様の膝の上でぐったりしていると、器用に私を乗せたまま軍帽を被り直して帰り支度をする彼が、頭上から低い声を降らせてきた。

「名無し、あの女給は?」

黒尾様の視線の先には、最近この店に給仕として入ったばかりの女性が立っていた。別のテーブルで注文を受けている彼女の顔や手には、赤い火傷のような大きな痕が残っていて、その傷跡に目を引かれる。

「彼女は、最近この店に入った新入りの方です。まだ仕事に慣れていませんが、一生懸命でとても良い子なのですよ」
「ふーん……」
「顔の痣…、何かあったの」

太一様の問い。あれだけ大きな痕だ、気になってしまうのも無理はないかもしれない。実際、彼女がお客様の元へ出向くと、必ずその顔の痕に好奇の目を向けられる。今の太一様の様に、どうしたんだと触れてくるお客様も少なくない。だけど彼女は、いつもめげること無く明るく答えるのだった。

「幼い頃に火事に遭われて、両親を失っているのです。その時に、彼女自身も全身に火傷を負って…」
「なるほど」

皆さんの視線の先には、笑顔を撒く火傷の少女の姿。何かが気になるのだろうか。その気持ちも分からなくはないが、余りにもみんながじっと見ているものだから、「ほら!そんなにジロジロ見たら失礼ですよ!」と、大きな背中をぐいぐい押してやった。ぞろぞろ帰っていく軍人五名を見送る背中に、その火傷の彼女の視線が刺さっていたことなど、その時の私は全く気づかなかったのだ。