「こら侑!!待ちなさい!!」

どたどたと慌ただしく駆け回る、二つの足音。私の怒号を聞き付けて、治が部屋からひょっこりと顔を出した。またアイツは何かしたんか、と言いたげな表情で、追いかけっこをする二人を眺める。本当に懲りない片割れだと、小さくため息をついた。

暑い夏。庭にある木は雄々しく緑の葉を付けて、照りつける日差しを浴びている。出会った春の日から数か月の時を経て、私たちはすっかり打ち解けていた。村にいた頃は、道を通れば巫女様だと頭を下げられ、誰一人こうして気さくに接してくれる人がいなかったから、私にとっては新鮮な毎日の連続で。まるで家族のように、5人で共にこの小さな社で共同生活を送り続けている。

血筋とか立場とか、そんなものに縛られずに自由に生きたい。そんな私の思いを受け入れてくれたこの4人といると、色々な事を忘れそうになる。私が巫女であるということや、自分課せられた使命、儀式のことも。彼らも、一緒に過ごしている間、決してそういうような事を口にしたり、襲い掛かってくるような事はしない。むしろ、寝室はきっちり別に分けられていたり、私の湯浴みの時間を配慮してくれたりと、逆にしっかり線引きをされていた。

「侑、お前また何悪さしたんや」
「俺は何もしてません!コイツが勝手に!」
「北さん聞いてください!侑ってばまた私のこと馬鹿にして、」

北さんに告げ口されて、お説教を喰らう侑。それを腕を組んで聞いている私と、離れたところで静かに見ている治と角名。この光景も、最早今では見慣れた景色。毎日毎日騒々しくて、楽しくて、最初のうちはお互い警戒して会話すら無かったのが信じられない程である。みんなといれば、余計なことを考えずに済む。だから居心地が良かった。初めて、巫女という肩書きを無くして、只の一人の人間として過ごせている。そんな毎日が幸せだったのだ。

私は軽く考えていた。儀式のことも、巫女のことも、その使命のことも。世継ぎだって、上手くいかなければその時はその時だ、と。だから私はこの日、自分の部屋の押入れの奥に、隠されるようにしてしまわれた手紙を拾って、頭が真っ白になったのだ。名無しへ、と書かれた便箋。綺麗な文字でツラツラと綴られた文字に、一体誰からだと疑問を抱く。差出人の名前を確認すると、そこには確かに『母より』と書かれていた。

「お母様……?」

私を産んですぐ死んでしまった母。私は、その顔すら知らない。村の人も、立派な巫女だったというだけで、母がどんな人物なのかを教えてくれた人はいなかった。緊張で震える手で、便箋を広げ1つ1つ文字を追っていく。始まりは、お決まりの挨拶、そして、私への気遣いの言葉が並べられている。だが読み進めていくにつれて、そこには、衝撃的な事実が記されていた。

『巫女の使命、儀式の本当の意味。貴女はそれを全て知った上で、今ここにいるのでしょうか。私は、知らぬままそこで時を過ごし、貴女を宿しました。明かされたのは、殺される直前。村の為に死んでくれ、それが儀式の本当の意味だ、と言われました。私は明日、死に行きます。その前に、次にここに来るであろう貴女に手紙を残さねばならぬと思いました。』

嫌に高鳴る鼓動と、吹き出す汗。恐ろしい事実が、迷いない字で書かれている。

『この社の奥の奥に、封印された間があります。そこには、恐ろしい神様が祀られていて、神様は20年に一度、腹を空かせてそこに舞い降りるそうです。空腹の神様は、その怒りを鎮めなければ村を荒らし、食い尽くし、全ての命を奪うと言われてきました。我々巫女は、その怒りを鎮めるのが務め。つまり、生贄として神に喰われなければならない。村の為に死んでくれというのは、そういう事だったのです。そして、次の20年後。私と同じように生贄にする巫女を作る為、子を作らせているのです。全ては村の人たちが生き抜く為。その為に私たちは先祖代々、犠牲になってきました。』

その後に続く記述はこうだ。代々の巫女たちは、母の顔を知らぬ孤児であり、今まで一度も生贄を逃れた人はいないということ。選ばれた男たちは、巫女が逃げ出さぬように見張る、監視者としての役目も担っているということ。世継ぎの儀式を終えた男たちは、たくさんの金と食料を報酬で貰って帰って行くということ。子を作っても作らなくても、生贄として捧げられる運命は恐らく変わらないだろうということ。出来れば私に…生き延びて欲しいということ。母は亡くなる寸前、急いでこの手紙を書いて、私に全てを伝えようとしてくれたのだった。

全てを読み終えた後、震える手で手紙を抱きしめた。私、死ぬんだ。村の為に、生贄として。巫女としてこの世に生を受けた瞬間から、私の運命は決まっていたのだ。逃げ延びて欲しい、なんて、そんな事言われたって逃げられる筈がない。私が逃げれば、村に住む沢山の人達が死ぬ。ちっぽけな私の命1つと、村に住むたくさんの人の命。どっちが大事かなんて、比べるまでもないのだろう。

「名無し、そんな所で突っ立って何しとるん」
「………治……」

掛けられた声に、びくりと肩を跳ね上げた。咄嗟に後ろ手に手紙を隠しながら振り返る。そこに立っていた治は、じっと私を見つめたまま動かない。彼らは、私を見張る為にやってきたんだ。私が逃げ出したりしないように監視する為、ここにいるだけなんだ。みんなとの日々を楽しんでいた私にとって、その事実が悲しくて苦しくて。

「…な、何でもない」
「…………、そうか」

怪しさ満点の私を、治はそれ以上特に追求してくる事は無かった。言えない。言ったら、彼らがどう変化するのかが怖いから。自分の命欲しさに儀式を強行しようとするかもしれない。そう思うと、恐ろしくて言えないのだ。せっかく打ち解けて、日々仲良く楽しく過ごしているというのに、それをわざわざ壊す勇気が出ない。

手紙の最後には、こう書かれていた。全てを知った上で母は命を差し出すと。騙されていたことは許せないが、だからと言って自分の命欲しさに沢山の人を殺すことはできない、と。村の人は私の母を立派な巫女だと言っていたが、潔く命を差し出すことが、立派な巫女なのだろうか。私には分からない。一体どうするべきなのか。ただ一つ言えることは、…死にたく、ない。私だって、生きていたい。

「名無し、どうした。箸が進んでないな」

夕飯の時、北さんにそう心配されて顔を上げた。みんなが私を不思議そうに見ている。手紙を読んでからすっかり調子が狂ってしまった私は、何とか空元気でその場をやり過ごす。あんなに美味しかった北さんの料理から、味がしなくなった。お腹も空いていないから、無理矢理詰めようとすると吐き気がする。それでもみんなにこの不安を悟られたくなくて、必死にご飯を胃に押し込んだ。食事の後、北さんに心の中で謝りながら、便所で全て吐き出した。ジワリと浮かぶ涙は、ぽたぽたと頬を伝って着物に落ちる。死にたくない。私はただそこに項垂れて、ひたすらにそう思っていたのだった。