夏のうだるような暑さも落ち着いてきた秋。夜になると、少し肌寒く感じる。私は、そんな静かな夜の闇の中で、一人社の中を歩いていた。眠っているだろう皆を起こさぬように、そっと静かに一歩一歩を踏みしめていく。やがて、奥深くに位置する目的の場所に辿り着くと、手にあった灯りがぼんやりと私の影をそこに映し出した。

「ほんとにあった……」

そこには、確かに母からの手紙にあった通り、大きな扉が存在していた。まるで何か悪いものを閉じ込めているかのように、無数のお札が貼られている。ここに神様が祀られているんだ、間違いない。そう確信した私だったが、流石にその扉を開ける勇気は無かった。

禍々しい、異様な空気を纏ったここは、立っているだけでも気が遠くなりそうな感覚がした。生きた心地がしない。私は2年後、この扉の向こう側に行かなければならない。そう改めて考えると、じわりと涙が浮かんでくる。…戻ろう。ここに居ては、悪い事ばかり考えてしまう。踵を返した私の前に、立ち塞がった1つの影。

「……っ、北さん……」
「何してるんや、こんな遅くに」

見下ろすその目は妖しく光り、私の持つ灯りがユラユラと北さんを照らす。ぼんやりと浮かび上がった彼の姿には影が落とされていて、初めて私は北さんが怖いと思った。

「ご、ごめんなさ、」
「見たんか、その扉の向こう」

その問いを聞いた時、私は確信した。やっぱり、彼らは私の監視者としてここにやってきたんだ。威圧的な雰囲気を醸し出す北さんは、普段の優し気な北さんではない。監視者としてその務めを全うする、恐ろしい男の人。

「こ、来ないで」
「この場所を何で知った?」
「……言わない」
「………悪い子や」

腕を捕まれて、持っていた灯りは床に落ちて消えた。相変わらず無表情のままの北さんは、私をお札が貼られた扉に押さえつけて、ぐっと顔を近づけた。目と鼻の先には、北さんの顔。吐息がかかる距離に息を飲み、固く口を噤んだ。

「白状せぇ。何で知った?」
「………………」
「だんまりか。よう分かったわ。言う気が無いなら、」

吐かせたる、そう低く呟くのと同時に、北さんは私の唇に食らいついた。生まれて初めての接吻は、荒々しくて強引で。抵抗するように顔を背けようとすると、彼の手がそんな私の顎を掴んだ。固く閉じている唇に、北さんの舌が這って、開けろと訴えかけてくるが、私にだって意地がある。そうはいくかとより口を真一文字に結んでいた。すると、顎を掴んでいた筈の北さんの手が、私の鼻をぎゅっと摘んだ。口も鼻も塞がれて酸欠状態になっていき、やがて酸素を求めて口を開けた瞬間、ぬるりとした感触が待ってましたと言わんばかりに中に入ってきた。

「ん、ふっ……、んんっ…!」

くちくちと響く粘着質な音。犯される口内、痺れていく思考回路。私の抵抗の力は徐々に弱まっていき、自分の体を支えることすら困難になっていった。必死に北さんにしがみ付いて、この行為が終わる事を待つ。どの位の時間をそうして過ごしただろう。ようやく唇が離れた頃には、お互いに息が上がっていた。

「……言う気になったか」
「北さん、」

わたしをだましていたのですか。私が問いかけたその言葉は、思っていた以上にか弱く、震えていた。ツー、と静かに頬を伝う涙を見て、北さんが微かに目を見開く。貴方は、私を騙していたのですか。そして貴方も、私に死ねというのですか。村の為、そして自分自身の命の為に。

「…全部知ってもうたんやな」
「…………」
「俺らは、お前との子を作るという名目の他に、監視者としての役割を持ってここに来た。お前を見張る為に、ここで一緒に生活していた」
「私が逃げ出すかもしれないからですか」
「……そうや」

そんなのあんまりだ。自分たちが生き長らえる為に、私を騙してここに閉じ込めるなんて。村の為といえば聞こえは良いかもしれない。だがここで、今まで沢山の巫女たちが死んでいる。死んだ巫女たちの命は、果たして本当に報われているのだろうか。

「…貴方も、私に死ねと言うのですね」
「違う」

強く否定するその言葉に、私はゆっくり顔を上げた。目の前には、真剣な顔をした北さんがいる。彼に押さえつけられたままの手が熱い。

「逃げ出した者は、裏切り者としてどのみち殺される。村の連中に」
「え………」
「今まで居なかった訳やない。真実を知って、逃れようとした巫女様も、何人かおった。その人らは全員……」

村の人たち大勢に殴られ、蹴られ、暴行を加えられた後、殺されて死体をこの扉の向こうに放り込まれたそうだ。生贄は生きた状態ではなくてもいいようで、死体を生贄として捧げて、村の安寧を守ったのだという。酷い話に込み上げてくる嫌悪感。幼い頃、私に向けられていた村の人たちの優しさは、全て自分たちが生きる為の、偽りの優しさだったんだ。

「まだ少ししかお前とは一緒に暮らしとらんが、情が湧くには十分過ぎるくらいやった。…お前をこのまま、生贄にしてええのか…分からんくなっとる」
「北さん………」
「ばあちゃんは俺に言った。アンタの信じる道を選びなさい、と。どの道を選んでも、私だけは味方やと」

迷い揺れる北さんの瞳。何が正しいのか分からなくなっているのだろう。いつもは真っ直ぐな彼の背中も、心なしか丸まっているように見えた。苦しんでいたんだ、北さんも。本当のことを知っていたからこそ、迷い苦しんでいる。

「果たして本当に…、村の為に一人を殺すのが正しいんか…。俺にはまだ分からん…」
「…北さんは…、私の命を重んじてくれているのですね…」
「当たり前や。お前の命も、村の命も、どっちも変わらない重たい命や」
「……ありがとう。今は、その言葉が聞けただけで十分です」

涙が止まらない。私の命も平等に扱ってくれる人が、目の前にいる。それが嬉しくて堪らないのだ。北さんは、そんな私の涙を指で優しく拭ってくれた。どれだけ拭いても溢れ出てくる涙は、北さんの指を濡らしていく。扉に縫い付けられていた私の手は、北さんに引き寄せられて、きつく抱き締められた。温かい温もりと北さんの匂いに包まれていく。ああ、人肌というのはこんなにも安心するものなのか。

「まだ時間はある。怖いかもしれんが、ここにおってくれ。答えを探す時間が欲しい」
「分かっています。どうせ逃げ出したところで殺されてしまうのなら、ここにいる他無い」

私を救おうとしてくれてるんだ。背中に腕を回して温もりに身を預けながら、北さんの言葉を信じることにした。勿論、死への恐怖が無くなった訳ではない。だけど、真実を知り足掻こうとしている人がいると知った今、少しだけ心が軽くなった気がするのも確かだ。

時間は無限ではない。限られた時間までに答えが見つからなければ、私は生贄として死ぬ。その日が来るまで…。私と、彼らは、悩み考え、必死に生きていく。これは、そんな私たちの生きた証を綴ったお話。