寒さが身に染みる冬。秋の色はすっかり身を潜め、実りが付いていた木々や草花も枯れて白い雪化粧が施されている。

名無しに全てバレてしまった。そう北さんから聞いた時、俺は何も言わずにただ無言で目を伏せた。生贄に捧げる巫女が逃げ出さぬように見張る。そして、次に生贄にする巫女を作る為、その巫女に子を宿しなさい。それが、俺たちに命じられた義務。何が儀式や、何が生贄や。村の為ならば一人の女の命を容易く捨てられる村の連中が、ただただ気持ち悪かった。そして、それを受け入れている代々の巫女たちにも嫌悪感しか抱いていなかった。

なんでそんな簡単に命を捨てられるのか。村の為なんて言われたって、死ねと言われたら俺は拒む。当たり前だ、俺の命は俺のもの。勝手に重たいもん背負わせるなと言うだろう。だから、初めて名無しに会った時、俺は絶対に儀式などやるもんかと思っていた。運命だと諦めて自ら命を捧げようとする女の子供なんていらん。そう、思っていた。

だが彼女は、俺が想像していたような人物ではなかった。巫女という立場に縛られて、何も自由が無かった今までの人生を退屈だと思っていたようで、俺たちに対して、『そういう肩書を抜きにして接してくれないか』と持ち掛けてきたのだ。儀式のことも、何も考えなくていい。ただの女として接してほしい。初めての友達になってくれないかと。

コイツと過ごす時間はそれなりに楽しくて、気付けば俺は名無しに友情とかそういった感情以上のものを抱いていた。2年という月日は、初めの頃は長いと感じていたが、今となってはあっという間の短い時間に感じている。きっとすぐに、その時が来てしまうだろう。それまで俺たちは、名無しとの間に子を作らなければならない。

「名無し」
「……、どうしたの侑。こんな夜遅くに」

振り向いた女は、その目を真っ赤に腫らしていた。知っている。こうして夜中、一人部屋に篭って泣いていることなど、俺はとっくに知っていた。だけどコイツは、決して俺たちの前では弱音を吐かない。いつもと変わらぬ彼女であり続ける。その心の強さには感心する程だ。

儚く笑う名無しの問いを無視して、俺は部屋に踏み入った。弱弱しく光る灯篭の火を消す。真っ暗になった部屋に驚く名無しの細い体を、そのままぎゅっと強く抱きしめた。出会った頃より随分と痩せた。ろくに食べれていないのだろう。分かっているのに…、名無しの悲しみが分かっているのに、何もしてやることが出来ない。そんな自分に、腹が立つ。

「あ…、あつむ……?」
「もう一人で強がんな」
「…………」
「部屋の明かりは消した。今なら何も見えへん。全部曝け出せ」

ひっく、としゃくりあげる声が、耳元で聞こえた。震える肩を力強く抱く。聞こえてくるのは、彼女の儚い願いと本音。


死にたくない。
生きたいよ。
私だって、もっと行きたい。
怖い。
死ぬのが怖いんだ。
巫女失格なのかな。
死ぬ時って、どんな感じなんだろうね。
痛いのかな、怖いのかな、一瞬なのかな。
お母様は、どんな気持ちで受け入れたんだろう。
私にはとても、受け入れることなんてできない。


次々に紡がれていく、名無しの思い。自分の頬に何か冷たいものが流れて、その時初めて、俺も泣いていることに気付いた。そっと体を離した名無しは、俺の泣き顔を見て驚いた後、優しく頬を撫でてくれた。二人で子供みたいに泣きながら、運命を呪っていく。二人で痛みを分け合えば、少しだけ楽になれるような気がした。

「…情けないでしょう?今までの巫女様たちは、みんな村の為にその命を散らしていったというのに。私は、怖くて堪らないの…。死ぬのが、怖い」
「当たり前や…。人間なら誰だって、死ぬのは怖いもんやろ…」
「人間…か…。みんなが初めてだよ…。私のこと、巫女じゃなくて一人の人間として見てくれている人」
「俺は、お前が巫女だから、ここにいるんやない。自分の責務の為にいる訳でもない…!」
「侑……」
「好きや、名無し」

一人の女として、初めて惚れた人なんだ。頬を撫でる手を取って、ぐっと顔を近づける。重なる温もりが愛おしくて、切ない。交わした口付けは、お互いの涙の味がした。その夜、俺は、何度も名無しを求めた。布団も敷かずに、畳の上で愛しい女を抱く。それは、決して子を作る為なんかじゃない。コイツが生きている証を体に刻む為に。お前は今ここに生きている、一人の女として愛されているということを、感じ取ってもらうために。

「侑」
「ん」
「ありがとう」
「何がや」
「…生きている証をくれて、ありがとう」
「…………」

全てを終えた後、名無しは裸のままで俺の隣に寄り添った。月の光だけが差し込む部屋で、二つの影が引っ付き合う。その重みが幸せで、儚い。

「馬鹿なこと言うなや。これからも生きるんや」
「侑………」
「ずっと、ずっと俺と一緒に生きるんや」
「…生きたかったな」
「生きるんや。村のことなんか知らん。お前は生きることだけを考えればええ。他のことは、俺たちが何とかしたる」

必死になる俺を見て、名無しはまた嬉しそうに笑った。「うん、何とかしてね」と言う名無しは、本当は心の奥底では、何とか出来るなんて思っていないことが丸わかりだ。それが悔しくて腹が立つのに、実際今はまだ何とかできるような手立てがないことは事実なので、何も言い返せない。今はただ、お前の隣にいることしか、出来ない。

でも待っててくれ。必ず、お前を助けてやる。巫女とかいうくだらない立場から。村の為とかいうくだらない運命から。必ずお前を助け出して、ずっと一緒に、今のように暮らすんだ。

冬が明けたら、2度目の春が来る。残された時間は、もう僅かだった。