「見て、治。綺麗な桜」
「今年も立派に咲いたなあ」

一緒に見上げる桜は、心なしか、去年に見た桜よりも立派で、儚げに見えた。こうして治と見上げる桜は、これで最後になってしまうのだろうか。ここ最近、どんな事をしていても、そればかりを考えてしまってダメだ。また鼻の奥がツンと痛んで、ぐっと唇を噛み締めて涙をこらえた。

彼らと出会ってから、二度目の春。縁側で座りながら、二人で夜桜を楽しむ私たちの手には、昼間村の人たちがお供えしてくれたお酒がある。程よく酔い始めていた治は、甘えるように私にすり寄ってきた。

「酔ってるの?治」
「…んー…、少し」

ほんのり香る、お酒の匂いに小さく笑みをこぼす。本当に静かで綺麗な夜だ。心地よい風が私の膝の上に桜の花びらを運んでくれて、それを手に取りながら治に差し出す。「見て、これ」と言った私の腕を掴んで、治はいきなり接吻を落とした。唐突に重なった二人の唇は、何か言葉を紡ぐ訳でもなく、そのままお互いを求めあうように何度も何度も重ねられていく。

「…どうしたの、治」
「なんだか、口付けたいと思った。綺麗やったから」
「私が?」
「うん」
「相当酔ってるね、治」
「…かもしれへんな」

小さく笑う私に、治はまた顔を近づけてきた。…治の嘘付き。本当は酔ってなんかない癖に。私は知ってるよ。治は、侑よりもお酒が強いこと。これくらい飲んだ程度じゃ、決して酔ったりなんかしないこと。でも、その嘘に乗ってあげたいと思った。貴方があまりにも寂しそうな顔をしていたから。

もしかしたら、治も私と同じことを考えていたのかもしれない。こうして二人一緒に見る桜が、今年で最後になってしまうのではないかと。お互いその寂しさを誤魔化すように指を絡めて、唇を重ねて、温もりを求めあう。やがて治の手は、私の着物に伸びてきて、するすると帯を解いていった。はらりと着物が肌蹴て、私の肌は治の前に曝け出される。恥ずかしそうに腕で隠す私を、彼は優しく押し倒した。

「…してもええ?」
「今さら聞くなんて狡いよ」
「それもそうやな。痛かったら言うてな」

どこまでも優しい彼は、壊れ物に触れるかのような手つきで、私を抱いた。彼らしい情事。私をいたわるようなその行為は、大切にされていることを改めて実感させられて、幸せで涙が出てくる。私の涙を舌で舐めとる治の表情も、どこか悲し気で、泣いているように見えた。治。普段はおとなしい貴方だけど、私の為にそんな顔をしてくれるんだね。それだけで私は、もう十分すぎるくらいに幸せだよ。

「治はすごく優しいね」
「……それ誰と比べてるん」
「ふふ、秘密」
「…優しくしたの失敗やったな」

ムッとした顔をする治も新鮮で可愛らしい。私の前だけで見せてくれる彼の表情は、きっと双子の侑ですら知らない顔なのかもしれない。刻一刻と迫りくる命の時。それは確かに、足音無く私の元まで静かに近づいてきていて、それに対しての恐怖心も消えた訳ではない。でも私は、今が一番幸せなような気もしていた。私のことを愛してくれている人が、傍にいる。私の死を悲しみ嘆いてくれる人がいる。それは、何よりも幸せなことなんじゃないだろうか。

「ねえ治」
「なに」
「1つだけ我儘を言ってもいい?」

治は、少しだけ嫌な予感がしたのだろう。その眉を顰めて、聞きたくない、と言うように顔を背けた。だけど優しい彼は、決して拒むような言葉を口にする事はない。火照った体を夜風で冷やしながら、私は桜を見上げて告げた。

「私が死んでも、私のこと、忘れないでね」
「……………」

無言のまま、彼は俯いている。泣いているのだろうか、それともこんなお願いをした私に怒っているのだろうか。その表情は私の方からでは窺えない。代わりに、ぎゅっと握られた手。指と指を絡めて、決して離れぬように固く力強く握られたその手が、全てを私に伝えてくれていた。私の存在は、これから先いつまでも、貴方の中で生き続ける。それが分かったから、死への恐怖が少し消えた。

「……お前は死なないから、その約束を果たす事はできん」
「…そうだね」
「じじばばになっても、ずっと一緒や」
「うん。約束ね」
「………約束やで」

消え入りそうな声は、闇に溶けていく。ぽろぽろと流れる涙に気付かぬふりをして、私は桜に笑いかけた。一緒に、居たかったな。おじいちゃんおばあちゃんになっても、優しい貴方の隣で、こうしてお酒を飲みながら。

来年も、桜が見れたなら良かったのに。