Obsession



空は雲一つない晴天で、そよそよと吹く風が頬にあたって気持ちいい。
私は着ているオリジナルクラスTシャツの皺を伸ばし、窓の外を見た。校門の外側では来場客が開門を今か今かと待っている。それと同時に、学園中の生徒も全体的にそわそわとした空気を纏っている。
私たちクラスは委員長の号令で教室の真ん中へと集まり、「今日一日楽しんでいくぞ」という掛け声のもとこぶしを天に突き上げ気合を入れた。

『只今より箱根学園文化祭、三日目を開催いたします。』

アナウンスが流れ、門が開かれる。待ちに待った文化祭の最終日が始まった。



文化祭一日目は一般の方の出し物など、二日目は学園の生徒のみでの開催、三日目は校内を開放して一般の来場者が参加できるようになっている。
一日目は一般の演劇サークルや吹奏楽サークルの催しを全校生徒で鑑賞した。個人的に演劇サークルの"銀河鉄道の夜"がとても感動的で大泣きだったのだが、隣の席で鑑賞していた山田には響かなかったらしく、途中からずっと居眠りをしていた。
二日目は学園の生徒のみでの開催だ。予想以上に多くお客さんが来たため作っていたホイップクリームが足りなくなるアクシデントも発生したが、急遽近くのドラッグストアに買い出しへ行き、追加で泡立てるなどしてどうにか無事終えることができた。

そして今日三日目、次々に来る一般のお客さんを捌きながら、私は交代の時間が来るのを待っていた。先日こっそり根回しをして、泉田くんと休憩時間が被るようにしていたのだ。
休憩に入ったらすぐ彼を誘って文化祭を一緒にまわろうと心に決め、新しく席に案内されたお客さんの所へ注文を取りに行く。

「ご注文はお決まりですか?」

そう言いながら卓上に個包装にされたおしぼりを置くと、二人組で来ていた男性客の一人が私の手を掴んだ。

「お姉さん、爪めっちゃ可愛いね」
「お前、そんな急に触ったら失礼だろ。ごめんね?」

そう言ってにやにやと悪びれた様子もなく笑う男性二人の顔を見る。歳は私とさほど変わらなさそうだ。その態度の悪い様子に、近くの治安が悪いと有名な高校の生徒だろうと予想する。こういうやついるよな、と心の中でため息を吐きながら、離してもらおうと手を引っ張る。

「離してください」
「女子って爪塗るの好きだよなぁ」
「え、こういうの自分でやってんの?」

一向に離さない男性客にどうしたものかと思案する。大声を出して周りの空気を壊すことは避けたい。教室の三分の一にカーテンを引きその奥を簡易的な厨房にしているのだが、そちらに目を向けると友人の数名が心配そうにこちらを見ていた。
何度か離してと手を引くが一向に離す気配がない。どころか手を掴んだまま連絡先まで聞いてくる始末である。イライラしてきた頃、もう一人の男性客もこちらに手を伸ばそうとしてきたため、さすがに我慢の限界だと声を上げようとした。

「いい加減に…」

すると誰かが後ろから私の腕を取り、無理やり男性客の手から剝ぎ取った。驚いて振り返ると険しい顔をした泉田くんがそこにいた。彼は私と目が合うとぱっと笑顔を浮かべ、「みょうじさん、交代」と言い私の背をカーテンの方へと押した。
そこに向かいながら振り向くと、泉田くんは不服そうに悪態をつく男性客に対してにっこりと笑みを作り、悪態など聞かぬ存ぜぬで「ご注文は?」と繰り返していた。


「なまえ、大丈夫だった?」

カーテンの中へ入ると、友人の数名が声をかけてくる。

「全然大丈夫! でも接客と厨房の交代なんてあったっけ?」
「いや、それはないけど。私たちがここでなまえが客に絡まれててやばいって話してたら、泉田が血相変えて出てったんだよ」
「そうそう。どうすんのかと思ったけど交代って言ってたんだね。ちょうナイスじゃん」
「まじ…?」

友人たちの話を聞いて驚いた。彼は適当な理由をつけて私を迷惑な客から助けてくれたようだ。一瞬見えた険しい顔を思い出して納得すると同時に、助けに来てくれたことが嬉しくて堪らなかった。
すると、泉田くんがカーテンからひょっこり顔を出して、厨房に「ケーキとアイスコーヒー二つずつだって」と声をかけた。

「コーヒー了解。泉田ナイス」
「絡まれてるの助けるなんてめっちゃカッコいいじゃん」

複数の生徒から口々に賞賛の言葉をかけられて「え、え?」と戸惑っている泉田くんに近付く。

「泉田くん」
「あ、みょうじさん。大丈夫だった?」
「泉田くんが助けてくれたから大丈夫だよ。ほんとにありがとう」
「それならよかった」

ほっとしたように笑う彼を見て、私は胸が詰まるようだった。彼はどうして私を助けに来てくれたのだろう。誰が絡まれてても助けに行くのだろうか?真面目な彼ならきっとそうに違いない。そう考えて勝手に落胆する自分に気付き、私はなんて可愛くないのだろうと小さく自嘲した。


校内を回っていたクラスメイトが戻ってきたのかがやがやと数人がカーテンの中へ入ってきた。すると友人の一人が「泉田となまえ、休憩行ってきていいよ」と声をかけてくる。携帯と財布だけを手に取り、二人揃って教室から出る。

「泉田くん、これから予定あるの?」
「いや、特に考えてないよ」

その言葉に私は心の中でガッツポーズをする。

「良かったら、一緒に文化祭まわらない?」

そう伝えると、彼は一瞬考えるように顎に手を寄せた。まさか断られるのかと身構えたが、少し間を開けて「もちろん、いいよ」と答えた。



生徒会お手製のパンフレットを見ながら校内を歩く。至る所にカラフルな飾り付けがしてあり、セーラー服を着た男子生徒や『3-A フランクフルト』と書いてある看板を持ったクマの着ぐるみとすれ違う。普段の学校とは違う賑やかな雰囲気に、心が躍るようだ。

まずは一年生のクラスを見て回ろうということになり、廊下を歩く。
あるクラスは郷土資料の展示をしており、ぴんと来ない私に泉田くんがいろいろと説明してくれた。
そしてあるクラスはワッフルを売っており、テイストは少し違うが内容は私たちのクラスと同じカフェスタイルだった。食べながら「これならうちのクラスの方が上じゃない?」と言うと、意外にも泉田くんが「紙皿やコップもうちのクラスの方が雰囲気に合ってるしね」と同意してくれて、それがとてもおかしかった。


「次はどこに行こっか?」

歩きながらそう聞くと、泉田くんがパンフレットの一部を指さす。

「ここに行きたいんだけど、いいかな?」

そこには二年生の出店が書いてあり、品目はフルーツポンチだった。

「部活の先輩のクラスなんだ。顔を出しときたいと思って」
「そうなんだ。フルポン好きだし全然いいよ、行こう。」

目的地に向かって歩いていると、ある教室の前で見知った顔を見つけた。銀髪の彼は頭に矢を刺し、血に濡れた格好で「お化け屋敷どうスか」と道行く人に声をかけている。チープな仮装が実に滑稽で、声をかける前にその姿を携帯で写真に収めた。シャッター音に気が付いたのか、彼はこちらに顔を向ける。

「やぁ、ユキ」
「黒田くんやっほ」
「お前らかよ」

黒田くんは私たちを交互に見遣ると、なにか言いたそうに口元を片方上げてにやりと笑った。そして教室の入り口に指をさす。そこは黒い垂れ幕でカーテンがしてあり、中を見ることはできない。だが奥から小さく叫び声が聞こえてくるので、客が入っているのだろう。

「どうだ?お化け屋敷」
「全然怖くなさそう」

黒田くんの姿を見ながらそう言うとわかってないなと言いたげに彼は首を振った。

「結構本格的なんだぜ?どうだ、塔一郎。お前こういうの好きだろ」
「ごめん、ユキ。今から新開さんの教室に行くんだ」
「新開さんの?そりゃいいな」

"新開さん"が泉田くんの言っていた部活の先輩だろう。そういえばクラスの女子がカッコいいと噂をしていたのを聞いたことがある気がする。
ふと泉田くんの顔を見ると、彼はまたなにかを考えるような仕草をし、そして口を開いた。

「よかったらユキも一緒に行かないか?」
「は?」
「えっ」

驚いてつい口をぽかんと開けてしまう。黒田くんを見ると、彼もまた私を見ていた。確かに私は泉田くんに一緒にまわろうと言ったが、"二人で"とは言っていない。同じ部活の先輩の所へ行くのに、これまた同じ部活の黒田くんを誘うのは至極当然だろう。だが、できれば二人でまわりたい。そう思い未だ私を見ている黒田くんに小さく首を振って見せた。

「あー、悪い。見ての通りまだ店番なんだよ」

私の意図を察してくれたのか、彼は断りの言葉を泉田くんにかける。今度ジュース奢るね、と心の中で黒田くんに謝りながら私はほっと息を吐いた。
すると垂れ幕から顔を出した血濡れの生徒が、「黒田、休憩行っていいぞ」とタイミング悪く声をかけてきた。

「休憩だって。丁度よかった」

笑顔でそう言う泉田くんと黒田くんを交互に見る。黒田くんは諦めろというふうに憐れみを込めた視線で私を見る。
二人じゃなかったとしても一緒にまわれるのだからと自分を無理やり納得させ、私たちは三人で二年生の教室へと向かう。





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