Obsession



目的地についてまず思ったのは、異様に女性客が多いということだった。このクラスの出店は教室内で食べるかテイクアウトか選べるようなのだが、店内も店外も女性客で溢れかえっていた。フルーツポンチが特別女性に人気な食べ物というわけではないはずだが…。異様な光景に唖然としていると、泉田くんと黒田くんは口を揃えて「あの人のせいだな」と言っていた。

あの人って誰だと思っていると、入り口から一人の生徒が出てきてこちらへ寄ってきた。

「よぅ、来てたのか」
「新開さん!」
「お疲れ様です」

泉田くんと黒田くんが背筋を伸ばして挨拶をしている相手を見る。茶色い髪に垂れ目のその人は他の出店で買ってきたのかフランクフルトを食べながら二人と会話している。その顔は確かに自転車競技部の練習中に見たことがあるものだった。

「折角来てくれたのに悪いな。この調子だと少し待つことになるぜ」
「それは大丈夫ですが、この行列って…」

泉田くんがそう聞くと、新開先輩はヒュウと口笛を吹き教室を指さした。

「尽八だな」
「やっぱり」

尽八って誰だと思いながら、教室の窓から新開先輩が指をさしたほうを見る。そこには前髪をカチューシャで纏めた男子生徒がおり、フルーツポンチを紙コップに注いでは女子生徒と握手をして手渡していた。その度に教室からは女子生徒の黄色い声が上がっている。私は彼を知っている。

「東堂様じゃん」

そう呟くと、新開先輩と楽し気に話していた二人がばっとこちらを向いた。その表情は驚愕の色に染まっている。そんなに驚かれるとは露とも思わず私は狼狽えた。

「みょうじさん、東堂さんを知ってるの?」
「というか、東堂"様"って…。お前、まさかファンクラブに入ってんのか?」
「東堂様は女子の間では有名人だし。ファンクラブがあるのは知らなかったけど、みんなが様付けで呼んでるから私もそう呼んでる」

もう一度窓から東堂様を見る。確かに綺麗な顔をしているが、ファンクラブがあるほどだとは知らなかった。彼は女子から黄色い声が上がるたびにわっはっはと高らかに笑っている。

「なんだ、おめさんは尽八目当てで来たんじゃないのか」

新開先輩に声をかけられ、そちらを見る。話している間にフランクフルトは食べ終わったのだろう、市販のお菓子のようなものをもぐもぐと食べている。よく食べる人だ。

「泉田くんと黒田くんが新開先輩に会いに行くっていうからフルポン目当てに一緒に来ました」
「なるほどな」

新開先輩は「ちょっと待ってろよ」と言い教室の中へ入って行った。東堂様の人気は凄いねと三人で話していると、紙コップを三つ持って先輩は戻ってきた。一つずつ渡された紙コップを覗き込むと、それにはなみなみとフルーツポンチが注がれていた。

「やるよ」

そう言ってなにかを打ち落とすような仕草をしウィンクをする先輩にお金を渡そうとすると、彼は必要ないと言わんばかりにかぶりを振った。

「折角来てくれた後輩とその彼女から金は取れないからな」
「彼女…?」
「ん?おめさん、どっちかの彼女じゃないのか?」

そう言って新開先輩は黒田くんと泉田くんを交互に指でさしたので、私は驚いて二人の顔を見る。二人とも同じように驚いており、黒田くんに関しては嫌そうに口元を歪めている。否定しようと新開先輩に向き直ると、私がなにか言うより先に泉田くんが口を開いた。

「ち、違いますよ! 彼女は僕のクラスメイトです。休憩時間が被ったので、三人で見てまわってるんですよ」
「お、そうなのか」

あまりの否定っぷりに内心ショックを覚える。動揺を誤魔化すように貰ったフルーツポンチをスプーンで無意味にかき混ぜていると、横にいる黒田くんから憐みの視線を感じたため無視をした。彼から憐れまれるのは本日だけで何回目だろうか。

教室から顔を出したクラスメイトに「いつまでサボってるんだ」を声を掛けられた新開先輩は「じゃあな」とその場から去り、私たち三人の間には若干の気まずさだけが残った。泉田くんの顔をうまく見ることができずどうしたものかとソーダに浮かぶ丸いアイスを眺めていると、黒田くんがフルーツポンチを口に入れ、「うめぇな」とわざとらしく大きな声で感想を述べた。
それに倣って私もフルーツポンチを口に運ぶ。甘いサイダーの中にカラフルな丸いアイスと果物が沈んでいる。口に入れるとぱちぱちとした刺激の後にアイスがとろりと崩れ、よくあるフルーツポンチではあるがとても美味しく感じた。

「ほんとだ、冷たくてめっちゃ美味しい」
「サイダーなんて久しぶりに飲んだよ」
「あんまし飲まないの?」
「ジュースは糖質の塊だからね」

先ほどまでの気まずい空気もどこかへ消え去り、フルーツポンチを食べ終えた私たちは再び雑談をしながら校舎内を見て回る。もうすぐグラウンドで軽音部のライブが始まるから見に行くか等と話していると、廊下ですれ違った男子生徒に黒田くんが呼び止められた。その場で二言三言会話し、彼は私たちを振り返って「悪い、ちょっとこいつらとストラックアウトしに行ってくるわ」と告げた。
元々運動が好きな人だし、私たちとじゃ行きにくいだろうしなと納得し了承を伝えようとすると、「え」と泉田くんが声を出した。

「戻ってくるのかい?」
「あー、どうだろうな。まぁ俺のことは気にせず二人でまわってろよ」
「…わかったよ」

友人と連れ立って去っていく黒田くんの背中を見ながら考える。露骨に黒田くんがこの場から離れるのを惜しんだ泉田くんは、もしかすると私と二人でいたくないのだろうか?それならなぜ最初に一緒にまわることを了承したのだろうか。もしかして、優しい彼は私からの申し出を断ることができなかっただけなのだろうか。一頻り考えたがもちろん答えは出ず、意を決して本人に聞こうと泉田くんに向き直ると彼は「ごめん」と一言発した。

「みょうじさん、ユキと文化祭をまわりたかったんだよね。どうにかして引き止めたかったんだけど、駄目だった」

彼が何を言っているのか全くわからず閉口する。泉田くんは吊り上がり気味の眉を八の字に下げて申し訳なさそうに私を見ている。

「途中で僕だけ抜けようかとも考えてたんだけど、タイミングが見つからなくて」
「ちょ、ちょっと待って」

泉田くんの言葉を遮る。一体どうしてそうなったのかはわからないが、彼はどうやら大きな勘違いをしているようだ。理由を聞こうとしたが、どこか近くで友人たちの笑い声が聞こえた。ここは人が多すぎる。私は「ちょっと来て」と彼の手を掴んで引いた。

窓がなく薄暗い屋上への扉の前で私は掴んでいた手を離した。普段は解放されている屋上だが、一般の人が来ている今日は事故防止のため閉鎖されている。そのため、この踊り場は人気が一切なく話をするにはちょうどいい場所だった。
泉田くんはなぜここに連れてこられたかわからないといったような困惑した表情をしている。

「私が黒田くんと文化祭をまわりたいって、どういうこと?」
「違うの?」
「全然違うよ…」

彼はなにかを思い出すように考え込み、口を開く。

「この前ユキと一緒に寮で夕飯を食べてるときに、机の上に置いてたユキの携帯にみょうじさんからメッセージが来てたからそうなのかなって」
「うん?」
「ごめん、見るつもりはなかったんだけど画面が上を向いてたから目に入ってしまって…」
「なんて書いてあったの?」
「"一緒に文化祭をまわりたい"って」

黒田くんと自分のメッセージを思い出す。文化祭準備の買い出しの時に彼と連絡先を交換してから度々相談に乗って貰っているので、その中のどれかだろうと自分の携帯を取り出して確認する。すると、確かに何日か前に同じ文面を黒田くんに送っているのを見つけた。「あ」と声を出すと泉田くんはほら、と言いたそうな顔で私を見た。

「だからユキとみょうじさんが一緒にまわれるようにしようと思ってたんだ」
「違う、確かに送ってるけどこれは違くて」
「?」
「その、泉田くんと文化祭を見てまわりたいんだけどどうしたらいいかなって相談してたの」
「えっ」

泉田くんは心底驚いたと言わんばかりに目を見開き、「だってみょうじさん、ユキのことが好きなんじゃないの?」と言った。
その言葉に今度は私が目を見開く番だった。

「な、なんでそうなるの!?」
「だってユキと頻繁に連絡を取ってるみたいだし、話してるときだって凄く楽しそうじゃないか」

頻繁に連絡を取っているのは彼との関係を進展させたいという相談のためだし、話している内容も全部泉田くんに関する話題だ。もちろん私は黒田くんに一切特別な感情は抱いていないし、黒田くんもそれをわかった上で接してくれている。

「でも私、夏祭りだって泉田くんしか誘ってないし!」
「それは期末テストとIHのお疲れ様会って言ってたからそうなんだろうと」
「はぁ!?」

自分の気持ちを言っていないとはいえ、まさかここまで伝わっていないとは。真面目な彼は恋愛事に疎そうだと思ってはいた。だが自分からしたら結構大胆にアピールしているはずだったので、気付いて貰えないどころか勘違いまでされるだなんて一周まわって腹が立ってきた。

「確かにそう言ったかも知れないけど、全然違うから! 泉田くんの鈍感!」
「なっ、なんだよ」
「夏祭りに誘ったのも文化祭を一緒にまわりたいのも、好きだからに決まってんじゃん!」
「それはどういう…」
「だから、私が好きなのは黒田くんじゃなくて泉田くんだって言ってんの!」


息をのむ音が聞こえた。見る間に真っ赤に染まっていく彼の顔を見て、やってしまったと後悔する。まだ言うつもりではなかったのに勢いに任せて、しかも押し付けるように告白のようなことをしてしまった。
自分の顔にも熱が集まっていくのを感じ、居た堪れなくなって逃げるようにその場を後にしようと踵を返す。階段を下りようとしたが、直前で「待って」と手首を掴まれた。これからなにを言われるんだろうと思うと振り返ることができない。

「みょうじさん」
「…離して」
「こっちを向いて」
「……」

なにも言わないでいると、泉田くんは階段を下り目線を合わせるように私より二つ下の段で足を止めた。その顔を見ることができず、私は足元を睨めつける。
下の廊下から文化祭を楽しむ生徒たちの楽しそうな声が聞こえてくるのにも拘らず、私たちの間だけ時間がゆっくり流れているかのようだった。

「さっきの話だけど」
「ごめん、言うつもりじゃなかったの」

赤い顔を見られたくなくて両手で自分の顔を覆う。

「…みょうじさんとユキが仲良くなってくれて最初は嬉しかったんだけど、段々嫌だと思うようになっていったんだ」

彼はそう言うと私の両手を取り、覆っていた顔から外させた。その時に見えた彼の顔は、とても真剣な表情して私を真っ直ぐに見つめていた。

「僕のほうが先に仲良くなったのにって」
「……」
「今日だって、一緒にまわろうと誘ってもらえた時は凄く嬉しかった。でも、ユキに断られたから僕を誘ってくれたのかとか考えてしまって」
「それは違う」

間髪入れずに私が否定すると、泉田くんは「うん、わかってる」と優しく微笑んだ。

「気付かなくてごめん」
「……ううん」
「言わせてごめん」
「…うん」

私の手を取ったままそう話す泉田くんの顔を見る。真剣なその表情は教室の窓から何度も見た自転車に乗っている彼の表情と同じで、胸がつまるようだった。

「僕は今、来年のIH出場を目指してる」
「うん」
「その為に先輩方からいろいろ教えていただいて、それを形にしようとしているところなんだ」
「……」
「だから今はまだ、恋人を作っている余裕はない」
「…っ」

わかっていたことだった。彼が自転車のことで悩んでいたのも知っているし、早くなるために努力していたことも知っている。真っ直ぐに前を向いて努力している彼が余所見なんてする筈がないのは、それを見ていた私がよく知っている。
知っていた筈なのに、いざ口にされるととても辛かった。出そうになる涙を堪えるため、下を向いて唇を嚙む。優しい彼はきっと責任を感じると思うので、泣いているところなんて見せたくない。

「だから」

これ以上は聞きたくない。そう思ったとき、彼は取ったままだった私の両手を強く握った。

「もう少しだけ待っててくれるかい?」
「……え?」

予想していなかった言葉に驚いて顔を上げる。彼は今なんと言っただろうか。都合のいい聞き間違いをしたのもしれないと思い聞き返すと、彼はもう一度口を開いた。

「僕はきっと来年のIHメンバーに選ばれて、この箱根学園を王者として優勝に導くよ」
「う、ん」
「都合がいい話だとは思う。だけどみょうじさんさえ良ければ、もう少しだけ待っていてほしい」

泉田くんは尚も手を強く握ったまま、私の目を真っ直ぐと見てそう言った。
断られると思っていたし、彼の邪魔になるならこの気持ちに蓋をすることも致し方がないと思っていた。だが、私はこれからも彼のことを好きでいてもいいらしい。堪えきれずに、目に溜まっていた涙が一粒零れ落ちる。

「待つよ。いくらだって待てるよ」

そう言って泉田くんの手を握り返す。私の言葉を聞くと、彼は安心したかのように深く息を吐いた。そしてポケットからハンカチを取り出すと私の涙をそれで拭った。きちんとハンカチまで持っているとは、やっぱり真面目だなと心の中で思う。

「よかった…」
「それはこっちのセリフなんだけど…」
「でも、本当によかったのかい?自分で言ったはいいけど、凄く自分勝手なお願いだ」

先ほどの真剣な表情とは打って変わって不安そうに眉を下げる泉田くんがなんだか可愛く見えて、私はつい小さく笑ってしまう

「がんばってる泉田くんが好きだから、待つのなんて全然余裕」

その言葉を聞くと、彼ははっとしたような表情をして目を泳がせる。どうしたのかと小首を傾げて自言葉を待っていると、意を決したように口を開いた。

「ぼ、僕もみょうじさんが好きだよ」
「!」

思いがけない言葉にやっと温度が下がった顔に熱が戻ってくるのがわかる。私がなにも言えないでいると、泉田くんは片手で口元を隠し顔を背けた。

「自分の気持ちを伝えるのって、凄く勇気がいるよね。みょうじさん、凄いな」
「いや、あれは勢いだったっていうかそんな感じだから…」

まだ片手を繋いだままだったことに気が付き、どちらともなく離す。なんとも言えない生ぬるい空気が私たちの間に広がりどうしたものかと考えていると、突然泉田くんの携帯が鳴った。ディスプレイを確認すると、「ユキからメッセージだ」と声を上げた。

「黒田くん、なんて?」
「えぇ、と。"もうすぐクラスに戻るけど、今どこにいる?"だって」

自分の携帯で時間を確認すると、休憩時間は残り三十分ほどになっていた。この時間ならあと一つくらいは見て回ることができるだろう。

「泉田くん、お化け屋敷に行こう」
「え?」
「黒田くんのクラスの」
「あぁ、いいね。そうしよう」

私たちは二人で人込みへと戻る。薄暗く静かだった場所から楽し気な人の声が聞こえる階に下りると、なんだか先ほどの出来事は夢だったのではないかと思えた。ちらりと泉田くんの顔を見遣る。私の視線に気が付いたのか「どうしたんだい?」と問いかける彼を見て夢なんかじゃなかったと再認識し、私は顔がほころぶのを隠すように「なんでもない」と答え目を逸らした。





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