Obsession



昼休憩。
昼食を食べ終えた私は自販機に飲み物を買いに行くため、友人たちと別れ一人中庭を歩いていた。梅雨が明け七月に入ってからというもの、日差しがきつくてかなわない。日に焼ける前に早く校舎の中に戻ろうと早足で歩いていると、中庭の一角に見知った姿を見つけた。

そこは花壇がある場所だった。園芸部がない代わりに環境委員が週毎に担当を変え、様々な草花を育て、色とりどりの綺麗な花畑をそこに作っている。見たところ、今の季節はひまわりを育てているようだ。黄色い花が少し開きつつあり、太陽に顔を向けようとしていた。
環境委員に自ら立候補した彼が今週の当番のようで、こちらに背を向けて花に水をやっている。

その背中を見ているとむくむくと悪戯心が膨れ上がった私は、足音を立てないように彼の背後へと近付く。そして「わっ」と大きな声をかけた。

「うわぁ!」

と大層驚いたであろう彼は飛び跳ねる勢いで大きく肩を揺らし、大声の発生源を確認するため身体ごと勢いよくこちらを振り返った。水の出るホースを持ったまま。
頭から水がかかった私が呆然としていると、彼も水をかけてしまうとは微塵も思っていなかったようで、一瞬間惚けてからはっとしたようにホースを持ったまま私に駆け寄ろうとする。

「ご、ごめんみょうじさんっ」
「泉田くん待って、まずはその水を止めて」

「あぁ、本当だ」と言いながらわたわたと蛇口まで走る姿を横目で見ながら、私は常に財布の中に入れている小さな鏡で化粧が落ちていないか確認した。



「水がかかっただけだし、脅かした私が悪いんだからそんなに謝らないでよ」
「だけど…」

と口籠る彼に小さく笑いながら、私は目に付いた棚を物色する。すると彼もそれに倣って適当な棚を物色し始めた。
とにかく何か拭くものを、と泉田くんに連れられて保健室へやってきたのだが、生憎先生は不在にしているようだ。開けた棚の中には真新しいベッドのシーツが綺麗に畳んで入れられており、お目当てはこれじゃないと小さく息を吐いたところで後ろから「あったよ」と声がかけられた。手渡された真っ白いタオルを受け取り髪の水気を取っていく。洗濯されているはずなのに、タオルからは微かに消毒液のような匂いがする。

「みょうじさん、着替えは持ってるかい?」
「今日体育ないから持ってないんだよね」
「…流石に替えの服なんて保健室に置いてないよな」
「夏だし、放っとけばそのうち乾くよ」

下着まで浸透してはいないがシャツの全面はかなり濡れており肌に張り付いている。キャミソールを着ていて良かったが、さすがにこのまま教室に戻るのはいただけない。本当に自分ごと天日干しでもするかと考えていると、泉田くんは少し考えこんだ後「待ってて」と言い保健室を後にした。少しでも乾くようにと陽の当たる窓際で待っていると、廊下を走ったのか軽く息を切らして彼が戻ってきた。その手には学校指定のジャージを持っている。

「これ、良かったら」
「これって泉田くんの…。いいの?」
「うん。あ、ちゃんと洗ってあるから安心して!」

これは所謂"彼ジャー"というものではなかろうか。そう思い彼とジャージを交互に見る。多分彼はそんなことには気付いておらず、水をかけてしまった申し訳なさから善意で貸してくれると言っているのだろう。
じゃあ、と私はジャージを受け取りそのままベッドへと移動しカーテンを閉めて着替える。外で泉田くんが待っていると思うとなんだか気恥ずかしい気持ちなり、シャツのボタンを外す指がもつれる。キャミソールの上から借りたジャージを羽織ると、サイズが大きくかなり袖が余ってしまった。当たり前のことだが泉田くんも男の子なんだなと漠然と考え、顔に熱が集まっていくのがわかる。濡れたシャツを畳みながら大きく息を吐き平常心を取り戻すと、私はカーテンを開けた。ジャージ姿の私を見ると、泉田くんは小さく「あ」と声を出した。

「サイズ、やっぱり少し大きいね」
「あ、でも大きい方がゆったり着れる方し全然大丈夫。ありがとう」

お礼を言って笑いかけるが、私たちの間にどことなくぎこちない空気が流れる。なにか言わなければと考えていると、かちっと時計の長針が動く音がやけに大きく聞こえた。時計に目をやると昼休憩は残り僅かとなっていた。

「…そろそろ教室に戻らないと」
「そうだね」

保健室を後にし、無言のまま一緒に教室へ向かう。
ふと、着ている服から自分のものではない匂いがした。主張の控えめな、優しい柔軟剤の香りだ。私はこの香りを知っている。泉田くんの匂いだ。
そんなことを考えていると、彼は勢いよくこちらを向いた。

「そんな、ちゃんと洗濯してるのに…」
「え?」
「におう…?」
「やば、声に出てた?」

わなわなと長いまつ毛を震わせて狼狽える彼がおもしろくてつい笑ってしまうと、「笑うなよ…」と眉を下げた。

「ごめん、ごめん。寧ろいい匂いだよ。柔軟剤なに使ってるの?」
「普通のだよ。お日様の香りってやつ」
「もしかして、自分で洗濯してる?えらいね」
「寮暮らしだからね」
「え、そうなんだ。初めて聞いた。ねぇ、寮ってさぁ…」

先ほどのぎこちない空気はどこかへ行き、他愛のない話をしながら教室まで歩く。少しでも長く彼と話していたくて、気付かれないように歩幅を狭めた。廊下の開け放たれた窓から吹き込む風がジャージから彼の香りを舞い上げ、私はその都度こそばゆい気持ちになった。







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