Obsession



紙の上をシャープペンシルが走る音が聞こえる。それはいたる所から聞こえており、たまに極々小さな声でぼそぼそと会話する声が聞こえるが、基本的にはとても静かな空間だ。

放課後、普段あまり来ることのない図書室で私は教科書とノートを開き、きたる期末テストに向けて勉強をしていた。
もう七月も半ば。外では蝉の声が響き渡りアスファルトから反射した熱がゆらゆらと陽炎を作っている。それに引き換えここはなんて涼しいのだろう。常に冷房がかかっており、教室から図書室への短い移動だけでじんわりとかいていた汗は今やもう跡形もなく引いている。設定温度は若干高めにしてあるようだが、長時間いるなら寒くなりすぎなくて丁度いい。
などと考えている私は集中力が切れてしまっており、持っていたペンを置いて机に頬杖をつき、もう数分ほど向かいの席に座る彼を眺めている。

期末テスト前の一週間はテスト対策期間のため、全ての部活動が停止になる。それは彼の所属する自転車競技部も例外ではないようだった。その話を聞いたときに一か八か放課後一緒に勉強をしようと申し出ると、彼は快く承諾してくれた。

ふと、伏せられていた長いまつ毛が持ち上がり、黒目がちな大きな瞳と目が合う。

「みょうじさん、僕を見てても問題は解けないよ」

そう言って少し照れたように苦笑いを浮かべる彼に小さい声で「集中力が切れちゃって」と伝えると、彼は「少し休憩しようか」とペンを筆箱に戻した。
周りは勉強している人が大半のため、邪魔にならないように小さな声で話しかける。

「今回の期末テスト、泉田くんのおかげで赤点は免れそう。…数学以外は」
「僕はなにもしてないよ。みょうじさんがちゃんと勉強してるから」
「そもそも一緒じゃなかったら勉強なんてしないから」
「それは一人でもしようよ…。みょうじさん、地頭は悪くないんだからちゃんと勉強したらできるようになると思うよ」

その"ちゃんと勉強する"のが難しいんだと思いながらなんとなく窓の外へ目を向けると、一人の生徒が自転車にまたがって学校から出ていくのが見えた。学校外で勉強をするのか、はたまた部活がないのをいいことに遊びに行くのか…まぁそんなことはどちらでもいいのだが。

「そういえば、今って部停期間でしょ。自転車に乗れないと泉田くん暇なんじゃないの?」
「いや、そうでもないよ」
「そうなの?」
「もうすぐIHがあるからね。その準備でどちらかというとやることは多いかな」
「IH、泉田くんも出るの!?」

驚いてつい大きな声を出してしまい、図書室の静かな空間に私の声が響いた。はっと両手で口をふさぐが、何事だと言わんばかりの周りの目が突き刺さりばつの悪い気分になる。焦ったように自身の口に人差し指を当て「静かに」と注意をする彼に、「ごめん」と小声で謝った。周りの目が私たちに興味をなくして離れてから、一つ息を吐いて彼は口を開く。

「僕は出ないよ。でも、メンバーのサポートのために一緒に会場に行くんだ」
「あぁ、なるほどね。ちなみに会場ってどこ?」
「毎年開催場所は違うんだけど、今年は広島だよ」
「広島!? そ、そんな遠くまで行くんだ。え、それっていつなの?」
「夏休みに入ってすぐだよ」
「……もうすぐじゃん」

そうだ、もうすぐ夏休みだ。
目先の期末テストに気を取られてすっかり忘れていたが、もうすぐ一か月と少しの長い休みが始まる。その間、泉田くんと会えないのではないだろうか。そう思うと、楽しいはずの夏休みが億劫に感じた。
彼によると、この部活停止期間もIHに選ばれたメンバーは特別に練習を続けているらしく、サポート含む他メンバーは部活外で当日の段取り確認や個人練習などをしているらしい。帰宅部の私と違って放課後いつも忙しそうにしている彼を、部活のないこの期間でどこか息抜きに誘おうと思っていたが、この調子だと無理だろう。
どうしたものかと机に目を落とすと、開いたままにしていた問題集や教科書の一つに神社が写っているのが目に入った。「神社…」とぽつりと漏らすと、彼は「え?」と私に聞き返した。

「IHが終わったら、少し時間ができたりする?」
「うん、夏休み中は部活もないし、時間はあるよ。どうかした?」
「じゃあ、一緒に夏祭り行かない?」

誘われると思っていなかったのか驚いた顔をする彼に私は続ける。

「夏祭りって言っても大きいのじゃなくて、学校から十五分くらい行ったところに神社があるの知ってる?小さい神社だけど、屋台も出るんだよ」
「も、もちろんいいけど、どうして僕と…?」

困惑した様子の彼になんと伝えようか顎に手を当て考える。そもそもの理由が"夏休み中も会いたいから"なのだがそれをそのまま伝える訳にはいかない。暫く考えたが上手い理由など見つかるわけもなく、結局とってつけたような適当な理由を言うことにした。

「えーっと、こうやってテス勉に付き合ってくれてるお礼と、来る期末テストとIHのお疲れ様会…的な?」
「どうして疑問形なんだ」

私の的を射ない発言にくすりと小さく笑った彼は、筆箱からペンを出して持ち直した。なんだろうとその動作を見ていると、彼は私の手元で閉じられている数学の問題集をとんとんと指で叩いた。

「だったら、ちゃんと勉強しないとだね。赤点を取って補習、なんてことになったら、折角の祭りに行けないよ」
「う、確かに…。お祭り絶対行きたいし、ちょっと私本気出すわ」

彼の言葉にやる気を出し、問題集を開き直す。目前に現れた数字と記号の羅列に一瞬怯むが、ここでがんばったら泉田くんとお祭りに行けるんだと自分を鼓舞し問題を解きにかかる。そんな私を彼がどんな表情で見ていたか、数字と睨めっこしていた私に知る由はなかった。





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