雑誌の中にいるキャッチャー。
この人なら僕の球を受けてくれるかもしれない。
そのミットを求めて僕は東京に行くことを決めた。
絶対言わないだろうけど、もしもの話で、例えばの話。
「行かないで」って言われても僕は東京に行くし、
何とかならないかとたくさん考えたけど、
志保ちゃんをこっそり鞄に詰めて行くことも出来ない。
僕も志保ちゃんも大人だったら
鞄に詰め込んだりしなくても一緒に行けるのに。
僕は早く大人になりたい。
僕が高架下で1人で練習を始めた時、
心配してくれた志保ちゃんに僕は何も言えなかった。
それなのに、それ以上は何も聞かずに、
毎日暗くなる頃に「暁、帰ろ」って迎えに来てくれた。
雑誌の事ばかり考えて、ぼんやりしていても
何も言わず鼻歌を歌いながら、手を繋いで歩いてくれた。
あのミットに向かって走ると決めたのに、
何故か心がザワザワしていた頃、夏祭りの帰り道で
志保ちゃんは、何回も大丈夫だよって笑ってくれた。
小学生の頃、僕が「志保ちゃん」と呼ぶたびに
振り返ってくれた時と同じ、優しい顔をしてた。
2人でバッティングセンターに行った時、
僕が打ってるのを後ろで見ていた志保ちゃんが
知らないおじさんと話しているのが聞こえた。
「すごいな、高校生か?」
「中3です。投げる球も速いんですよ」
「へえ、そりゃあ将来有望だ。
格好良いし、自慢の彼氏だろう?」
「あはは、そうですね」
ちらっと見た志保ちゃんの顔は
自分が褒められたみたいに、嬉しそうだった。
帰り道、志保ちゃんに東京に行くことを話した。
志保ちゃんは変な顔で笑ってた。
本当は寂しがりで泣き虫で怖がりで人見知りなのに
僕の前ではしっかりしなきゃってお姉さんぶるのは
志保ちゃんの悪い癖だと思う。
「明日だよね、出発。気を付けて」
ぎりぎりまで一緒にいられると思っていたのに
志保ちゃんは見送りには来てくれないらしい。
それに、今日の志保ちゃんは口数が少ない。
「頑張れ」とか「風邪ひかないように」とか
そんなことばっかりだ。
そんな様子のまま随分と時間が過ぎて、
志保ちゃんはこっちを見ずに「先に帰って」と言った。
その表情が、ただの“お別れ”じゃないと語っていた。
それでもせめて、暗いし送っていきたかったのに
志保ちゃんは断固として譲らなかった。
いつもお姉さんぶる志保ちゃんの我儘
それを聞けるのがこんな時だなんて思わなかった。
それに、一生懸命に笑顔を作ろうとしているけど
先に帰って、なんて言ってるけど
ねえ、繋いだままの手が小さく震えてるよ。
この手を離したくない、離すのがつらい、
でも、きっとそれは志保ちゃんも一緒だと思うから。
だから、僕から離すことにした。
ずっと一緒だって言ってくれたのに、
ずっと傍にいてくれたのに、
寂しがりで泣き虫なのにそんな顔させて、
大好きなのに、
ごめんね
最後まで「行ってらっしゃい」の言葉は聞けなかった。
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