いざ、尋常に

「ほら、走って、走って!」

エウリュアレの急かす美しい声が薄暗い地下の通路に響く。

その後ろからは猛獣のようなバーサーカー・ヘラクレスの吠え声が続く。

筋力強化の魔術を使える私がエウリュアレを抱えて、もう必死に、それは必死に走っている。
隣ではマシュに指示を飛ばしつつ適度にヘラクレスを撃退する立香。
彼女も必死の形相だ。

走らなければ、
ヘラクレスに追いつかれれば、
文字通り私たちは必死の運命だ。

喉からはゼーゼーと息が行ったり来たりする音が聞こえる。
足はもう棒のようで、感覚はない。
ただ脳の命令通り、魔術の行使する通り神経が動いてくれることがありがたい。

全身から汗が吹き出て、額に張り付く髪が鬱陶しく感じるほどだ。

《ーーーーーーーー!!!》

ついにヘラクレスの姿が目視で確認できた。

―近い。

「来たわよ。もう逃げ道はないわね。
怖い?」

女神がヘラクレスを睨みつけながら、私たちに問うた。

…怖くはない。

死そのものを迎えることは怖くない。
昔からそうだった。
どんな危険なことを命令されても、自分の死をあれこれ感じることはなかった。

しかし今は、死ねない。
『彼女』のため、『彼女』からの命令を遂行するため、死ぬわけにはいかないのだ。

エウリュアレの問いに立香は、震える声で「怖くない」と答えていた。

「そう。
………無理しちゃって」

その声を聞いたエウリュアレは、厳しい表情を少し和らげて小さな声で言った。

「止まったら追いつかれるわね。
しょうがないわ、"アレ"を飛び越えなさい!」

私たちの前には三方を壁に囲まれた大きな空間がぽっかり口を開けて待っていた。

そこに例の"アレ"―アーク。

それに近づくということは…

「触れたら死ぬのに!?」

立香は目を白黒させて彼女に聞き返した。

「いいから跳びなさい!
私を信じて!」

その女神の言葉にハッとする。

そうだ。
神霊としてサーヴァント化したエウリュアレのステータス…。
その幸運値はAレベル。
この賭けは、神から祝福されている…!

獣の咆哮がすぐ後ろから聞こえる。
背中がその音の大きさでビリビリと痛むようだ。

このままでは間に合わない。
追いつかれる!

気が動転して踏みとどまりそうになっている立香の首元の襟をぐっと掴む。

「女神様を頼んだわ、――よッ!!!」

筋力強化の呪文を呟いて、踏み込む左足に力を込める。
走る勢いは止めずに、そのまま全体重を左足に乗せて―

「行けえええ!!」

箱の向こうに立香とエウリュアレを放り投げた。

「うああああああ!?」

立香は絶叫しながら、宙を舞う。
エウリュアレはそんな立香の腕を掴むと、自分の体勢を整えて綺麗に足から着地する。
立香もエウリュアレのリードに従って、上手く着地した。

箱は飛び越えた。

《ーーーーーー!!》

背後から重い鉄を引きずる音がする。
振り向くのとほぼ同時に、ヘラクレスが轟音と共に床を削ってその破片を跳ね上げた。

その破片の大きさたるや。
まともに喰らえば頭一つ簡単に潰れる。

「ななしさん!!」

立香の叫び声が後ろから聞こえた。

それもヘラクレスを間近にしたせいで上手く聞き取れない。

舞い上がる土埃と塊の向こうで、ヘラクレスの赤く光る目が見えた。

頭は処理能力を超えて現状を正確に捉えることができなくなっている。
やけにスローモーションに見える景色を私は茫然と目に写しているだけ。


「そこまでだ」

声が聞こえた。

それと同時に、硬い手が私の腰を力強く抱えて後ろに引く。

「ストライク・エアッ!」

風が唸る。
豪風が耳元で低い音を立てながら巻き起こり、直進する。
今までスローで流れていた土煙と残骸だらけの視界が、暴風に巻かれてクリアになる。

「セイバー…」

隣を見上げると、そこには火に照らされて輝く金髪。

その呼び声に応えてこちらを見る太陽に透かされた葉のようなライトグリーンの瞳。

「今度は間に合ったようだね」

戦場に在って、それに見合わぬ柔和な笑みを浮かべる顔。

間違いなくセイバーだった。

《ーーーーーーーー!!!》

バーサーカーの咆哮。

弾かれるようにそちらを見ると、
ストライク・エアをもろに受けたにも関わらず、元気な様子のヘラクレスの姿があった。

「なるほど。流石は大英雄。
貴殿との戦いが再び叶うとは今生の極み」

そう声を張るセイバーの顔は、もう戦場の騎士そのものだった。

清廉な騎士の、その真摯な視線を受け止めるかのように、バーサーカー・ヘラクレスは暫し体の動きを止めた。

そしてゆっくり床を踏み締めてこちらに近づく。

唸り声1つ上げず、その巨体を剣の間合いから少し離れたところで止めた。

その理性的な様子に、やはり彼には狂化されてもし切れないものがあることを確信する。

セイバーが3歩、前に出る。

「マスター、下がって」

「セイバー、分かってるよね?
今回の作戦は…」

「ああ、主命は受託している。
必ず、彼を"アレ"に押し込むとも」

一応確認して、安心する。

『彼女』が度々気にかかっていた事を思い出したのだ。
セイバーは戦いとなるとかなり張り切って前のめりになってしまう、と。
「それ自体は別に構わないのだけどね?」と困った顔をして笑っていた。

本来であればヘラクレスと1対1で戦いたいとは思っているだろうが、ここは特異点。
世界の命運をかけた戦いの最中だ。
少し我慢してもらわねば。

セイバーを前に残して、私は立香達のところに下がった。

ヘラクレスの後ろからダビデやアタランテも集い、戦端は開かれた。
2018 11 17
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