遠くから、複数の声と足音、それから機械の電子音が聞こえてきた。
それらが徐々に明瞭になってくる頃には、身体の感触も肌を通して伝わってくるようにもなった。
両足―冷たい、硬い感触。これは、床だ。
両腕、両手―服の感触。左上腕あたりに固定されているような圧力。
完全に覚醒していないからか、全身気だるげで動かせないようだ。
重い瞼をあける。
…どうやら、私は生きているらしい。
開けた視界には、床、何人かの背中、機械の群れが映った。
見慣れた制服だ。人理継続保障機関フィニス・カルデアの職員の証。
生きて、いたのか。ぼんやり心の中で呟いた。
あんな地獄を、よく…。幸か不幸か。
「…ところでマシュ。その格好はどういうコトなんだい!?」
慌ただしい音の中でも際立って、よく聞き馴染みのある声が思考の渦に飛び込んできた。
「ドクター、これは…」と高い声が応答する。若干ノイズ音が混ざっている。
そう、ドクター。彼の声の主はロマニ・アーキマン。通称ドクターロマン。医療部トップであり、厄介な魔術回路を持つ私はよくお世話になった。
こんな異常事態にありながらも、あのふにゃふにゃとした、どこか緊張感の抜けた雰囲気は変わらないことに安心する。
思わず口元も緩んで―
「おや、お目覚めかい?」
近くで、ガシャと金属同士の重い音が聞こえた。
一瞬思考回路が止まる。
―ちがう…
これは、この声は、
―ちがう…!
自分にかけられたものでは…
―ちがう、違う!
「マスター」
篭手に覆われた硬い指が、頬に迫る。触れる。
―違うのに!!
私はマスターでは…そう、契約すらしていないはず!そんな覚えはない!
否定に否定を重ね、もはや何をどう否定しているのか、したいのか、分からなくなってきた。
頭が混乱に陥る。
ただ、沸き立つ思考の中で、何度も、何度も何度も、「違う」と叫んでいる。何かが何かを否定しようとしている。
頬に触れていた指に力を込められ、仰向きに向かされる。
「マスター。ななし」
反動で、瞬きすら忘れた眼から雫が零れ落ちた。
視界いっぱいに映る。
星の輝きを秘めた美しい金髪が。
彼の故郷を思わせるような、深き森の緑瞳が。
「あ…」
掠れた声。
わたしの、なんて、醜い。
記憶が今頃走馬灯のように過ぎる。
薔薇、青いバラ。なんて美しく、なんて清く。なんて凛々しい、少女―
私は到底及ばない。
私は彼女の養分となるための、そのためだけに生かされた存在。
―違う!!!!
マスターとなるべきは、
「今度こそ、君を守ろう。僕の、今生のマスター、ななし」
私では、なかったのに