他人の家のお風呂は新鮮

結局、その晩は転がり込んだスナックで一晩を過ごした。
風呂に入らなくていいのかと聞かれたがとにかく体力の限界であった。ここでいいです、と勝手にお店のソファと適当な寝間着をお借りしてそのまま眠ってしまった。


「……」

案の定、ものすごくベタベタする。


「あらおはよう。ちゃんと眠れたかい」

外で水撒きをしていたのか桶を小脇に抱えながら女将さんが店に入ってきた。ちらっと時計に目をやるともう9時30分。

「…おはようございます えっと」
「あァ、私のことはお登勢って呼んでくんな アンタは?」
「吉乃です。齋藤吉乃」
「吉乃ね。悪いんだけど、私ゃ普段ここいらの銭湯にお世話になっててね。ちいと遠いから二階の店で風呂借りてきてくんな」
「お二階…お登勢さんとは別の方が住んでいらっしゃるのですか?」
「ああ、悪い奴じゃないから安心しな。ほら、これタオルと着替え」

すでに用意してくれていたのか真っ白なタオルと少し年期の入った橙色の綺麗な着物を手渡される。

「かわいい着物…お借りして良いのですか」
「私が若い頃に来てた着物だからちと古臭いかもしれないけどね。アンタ似合いそうだし着てくんな」
「本当に何から何までありがとうございます…」

気にしなくて良いからさっさと湯浴みしてきな、とお店から追い出される。本当に良い人の元に転がり込んだものだ。
スナックの戸を開けると通りにはすでにちらほらと人が行き交っていた。しかし、やはりこの通りにも覚えがなかった。どこから来たのかも依然思い出せないまま。
左手にある階段を上がりお二階のお店のインターホンを鳴らす。

…反応がない。

申し訳ないと思いつつもう一度鳴らしてみたがやはり反応がなかった。お留守なのだろうか。もう一度だけ鳴らして出なかったら戻ろうと思い、最後のインターホンを鳴らす。

すると奥からドタドタと足音が聞こえ勢い良く目の前の戸が開いた。

「うるせェェェ!!!今何時だと思ってんの!?まだ9時35分!!!良い子はまだ寝る時間なんだよクソババア…!?」
「…す、すみません……!?」

ク、クソババアはこの歳で言われたくなかった!!サッと戸を閉めようとするとハッとした様子で家主さんがそれを止めた。

「ま、待て待て!下のババアと勘違いしてたわ、悪い アンタ依頼人?」

もう一度戸を開け目を合せたその人は真っ白でふわふわの銀髪とだるそうな瞼の奥には赤い綺麗な目。風変わりなその容姿に少しだけ戸惑いつつ、経緯を話すとそういうことか、と二つ返事で中へ通してくれた。

いや、お登勢さん。悪い奴じゃないってまさか男性だったのね。見知らぬ男性のお宅のお風呂を借りるって結構緊張するぞ。

とてとてとその人の後についていくとちゃんと整頓されたお風呂場へ案内された。
使い方やボトルの中身やらを教えてもらってちゃっかり「これ使ってない奴だから」、と歯ブラシまで用意してくれた。ここの人はなぜここまで皆空気が読めるのか。気の回し方が素晴らしい。


勿体ないのでお湯は溜めずにシャワーだけ拝借する。あったかいお湯が心地いい。
自分の身体を見ると膝や腕など所々に擦り傷やら傷跡が残っていて石鹸がぴりりと染みた。優しく汚れを落としつつ、私の中にはますます様々な疑念がぐるぐる渦巻いていた。