想耀に憑依し、扉の下の隙間から中に入っていく。次の瞬間中から少女のような絶叫が響き渡り、全員がびくりと体を硬直させた。
ぐしゃりと、耳を覆いたくなる酷い音が
想耀が中から這い出てきた。憑依を解き、広がった闇の衣の前を開けて、姿を出す千理は涼しい顔。
「しゅうりょー……どうしたんすか皆揃って」
「……鬼……」
「
「えっ、ひど!?」
誰が名付けたのかは知らないが、いいネーミングセンスだ。隻は目を
千理はむっとした顔で「放送室の悪霊滅しただけでしょ」と不満げだ。悟子が苦い顔になった。
「夜中に聞こえる放送室の放送を聞いたら、っていうあれですか」
「そうそう。その放送聞いて殺されたら目も当てられないっしょ。まさに今やろうとしてたっぽいですし。種は残らず取っておかないとね」
仕事とはいえ、抜かりない性格になったのはそういうところからなのだろうか。 ……序盤は抜かっているけれど。
いつきが微妙そうな顔をしている。
「お前元々は
「一番はやっぱり、天兄探すのに効率いいからでしたけど。当時のやり口的にそっちかなって。あと呪いの関係とか探れるし、アンデッドの召喚や使役の方法とかも教われるんで、タメになるって思ったんすよ」
呼び出してどうする。なんになる。タメどころか呪われるとしか思えないのにと、隻は半歩退いた。
こいつの考えはどこか人から離れていると思っていたが、余程を超えているようだ。
千理は想耀に礼を言って還し、廊下をぐるりと見渡して苦い顔になった。
「けどやっぱりオレだけじゃまずかったかな……本当は学校の怪談系って、
「ならなんでそっちにいかなかったんだよ」
「確かめらんないっしょ。天兄が万が一死んでたら」
ああと納得した。
以前千理から教わった話だけれど、死んだ人物が
千理は苦い顔で指を折っている。
「翅たち宵のメンバー。響基は元
「悲しくなるっていうか……ぼくの場合は
「それが人生なんすよきっと。諦めて。で、いつき兄は最初から宵で、今五神でしたっけ。名家の当主、大抵五神所属でしょ?」
「ああ」
いつきが面倒くさそうに首肯していた。はたと、響基が隻を指す。
「あれ、じゃあ隻は?」
「まだ実力ないから無所属だよ……」
生温かい空気が辺りを包んだ。一人悔しくなって拳を震わせるも、隼が渋面を作って手を上げてきた。
「なあ、要するに学校の怪談と戦える奴が極端に少ないってことでいいんだよな? まずくねえ?」
「まずいっていうか、出られるかなーって感じなんすけど」
「はい!?」
「だって鏡」
職員室近くの壁に貼られた等身大の鏡を指す千理。夜中とはいえ、廊下の向こうでぼんやり外光を跳ね返す姿見に、翅がはっとした顔で青ざめた。
「等身大の鏡って、吸い込まれなかったっけ!?」
「うん、そういう怪談あるんすよ。あとね、それ鏡だけが限定じゃないんすよね。鏡になれる奴ならなんでも、そういう存在になれるんで」
「おーけーおーけー……要はガラス、水、金属。そういうことだな?」
隼が強張った声で締め
「唯一の幸いは、床が石造りでワックスピカピカじゃなかったことっすよね。そうなってたら間違いなく」
「鏡ですね」
「うん」
「うんじゃねえええええっ!!」
叫んだ。隼がいくつか怪談を数え始めて青ざめている。
「か、鏡に関する怪談ってかなりなかったか?」
「東京ですからねー。地方の怪談までえらい具合に集まってそうですし、相当でしょ。ってわけでみんな姿見避けましょっか。あと水回り。水場に関する怪談とトイレの怪談と、特定の教室の怪談は面倒なのがいるんで」
「ちょっと待ったどうやって外に出るんだよ!? 帰りは!?」
よくよく考えれば生徒用玄関に戻る前に、この廊下だけで相当な窓ガラスがある。出るまでの間に引きずり込まれたら洒落にならない気がするのだ。悟子は顔が真っ青になっており、今までなんとか平常心に近かったはずの響基やいつきまで表情が固い。
千理は弱ったように頭を掻いて――困り顔で見上げてきた。
「どうしましょっか」
「てめえええええええええっ!!」
「あ、あんまり騒がないほうがいいっすよ、お客さんって勘違いされて」
「先に言って!?」
「だから石膏像とか人体模型とかが動き出しそうなんすけど……あ、でも今は校庭の八占兄妹に
「俺死亡フラグ!? 悟子も体質的に危ないだろ!?」
響基は泣きそうだ。悟子は心臓を悪くしたように青白い顔で目を擦っている。
とりあえず眠いのか。
目の前は正面玄関付近。窓ガラスには下手に近づかなければそうそう厄介な連中に引きずり込まれることはないという、千理の当てにならない情報を信じていざ全員、そろそろと動き出す。
けれど隻も隼も動けない。翅と響基が早く来いと手招きしているも、顔が無表情のまま固定されてしまう。
「ごめん、俺それ以上行きたくない」
「はい!?」
「正面玄関、等身大以上のでかいガラスだらけだろ」
しばし、翅たちが固まった。千理がおもむろに覗き込んで、「ああ」と納得の声を上げたと単に響基に引き戻されている。
ジャージの襟首が笑えるほどに伸びた。
「危ないだろ理科の実験でも直接臭い
「理科始まる頃には不登校だったんすけど。痛い、ひび兄マジ痛い」
あまりにも怯える一同の中、平静を装っているいつきはともかくとして、
「ぼく、鏡の中に引きずり込まれたら即死ですよ……体質的に!」
「うーん……あ、ちょい全員一箇所に固まって」
千理の言葉に
想耀を再び呼び出し、職員室からチョークを持ってきてもらった千理は、想耀に耳打ちされて苦い顔をしている。
すぐさま床に、白いチョークが音を立てて線を引く。
カッ、カカッ、カツ、カッ、カー……
カツッ、カ、ひた、カツカツ、カンッ、ひた、カ、ひたひた、カカッ、ひた、カッ
カカッ……カッ、ぴちゃっ
「……な、あ。なあ……あの、せ……千理……」
チョークが床に白いいたずらを始めている。それ以外の音が、周辺から静かに耳に届く。誰が言うでもなく、全員千理が描く円陣を睨みつけた。目を動かせない。
窓も見れない、廊下の先も見たくない。正面玄関どころか職員室に至るまで
隼が青い顔でぼそぼそと呟いている。
「ふ、振り返るなよ……振り返ったら……廊下だけで、知ってるの……十個……!」
言うなって――!
カンッ
「いつき兄、結界と退魔札!」
「ああ!」
いつきが札を渡す。千理がすぐさま「みんな入って!」と鋭く声を上げた。
勢いよくエレベーターに乗り込むように、押し競饅頭になる一同の中央。千理が札に呪文らしい言葉を呟いている。
ひたひた、ひたひたひた
ひた、ひたひたひたひた、ひたひた、ぴちゃんっ
ひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひた
「結べ、
札が、円陣の中央でバツ印に
近くで響く足音が、絶叫に変わる。
びくりと怯えた一同の目の前、円陣の縁から青い光が漏電したようにばっと弾けて漏れる。自分たち以外誰もいないはずの廊下に走り去る音が幾重にも
縁に残る青白い光が完全に消え、穏やかな青い光に包まれた。
千理が冷や汗を拭っている。
「うーわーびびった……いつき兄、あざっす」
「あ、ああ……今のあれ、怪談の連中か?」
千理が頷いて立ち上がった。狭い円陣の中、千理一人に注目が集まる。そうしなければ、周りを見渡した
「怪談も怪談。どんだけこの学校怪談話で盛り上がったんでしょうね。想像以上に面倒くさいのいるみたいっすよ」
「どうしてわかるんだよ!?」
翅の涙声に、千理は苦い顔をしている。
「鏡に注意してたんすよ。大体、廊下のほうはみんなが注意してくれてるから大丈夫と思ってたんで。そうしたら鏡ごしにわんさか視えるのなんの。極めつけで姿見に
沈黙。
千理が困り顔で「どうしましょっかねー」などと言って頭を掻いているけれど、笑えない。
翅が、ただでさえ狭い円陣の中で蹲った。
「帰りたい……!」
「……なあ、千理。万が一だけど、一般人が鏡の中に引きずり込まれたら、どうなるんだ?」
渋面を作る千理は、ほんの少しだけ呻いた。
「場合によっては……夜が明けたら、日数によってはアウトっすね。霊能力者は怪談を半端に引き寄せちまいますから、まず言って隼さんは夜が一回明けるだけで完全に向こう側に取り込まれちまうと思います。隻さんもまだ怪談そのものに対しては、霊能力者以上に中途半端に
隼の腕が強張った。丁度真隣だった隻も苦い顔になる。
千理がジャージのポケットに手を突っ込み、何も描いていない無地の短冊をいくつか取り出した。万年筆を出して、床と同じ紋様を計七枚、丹念に描いている。
それぞれを全員に渡して、千理は自分の分の短冊を指で摘んで見せてくる。
「これ、各自素肌に貼りつけてくださいね。オレたちも弱体化しますけど、使わないよりはマシなんで。連中が寄り付けなくなる効果がある陣を直接貼って、しばらくは
「えっ」
悟子がぎょっとしている。翅が病的なまでに
「簡単に言うとね、オレだったら腕消えちゃう」