Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第07話「怪談、蔓延はびこる」01
*前しおり次#

 閉まっている門を潜り抜けるなど造作もないことだ。そもそも隻たち幻術使いは、常人より肉体の能力を高める暗示をかければ、飛び越えることなど容易なのだから。
 ただし、幻術使いでない隼の手助けをしようと目を向けた隻は、双子の兄が自力で門を軽々乗り越える様を見て真顔になった。
「お前何回やってた?」
「そりゃあ両手がいくつあっても足りない数?」
 ……気を取り直そう。
 砂利を踏みしめる音が響く中、響基が全員に立ち止まるよう頼んで耳を済ませた。
「――今のところは変な音はしないな」
「そりゃあ、大抵の怪談は校舎の中だろ」
 翅が固い声で笑っている。悟子が退き、いつきは周辺を見渡しつつ視線を鋭くした。着物の懐に手を入れ、札を確かめているようだ。
「気配はするな」
「いますね。確実に。校舎よりも先に中確かめたほうがいいか……」
 千理がざっと見渡し、校舎の中へとじっと目を向けた。隼が「中に入るか?」と親指で指したのを見て、千理がほんの少し渋る。
「……確認取るの忘れてましたね。えっと、今回プールと……警備員? それから七時半以降に入るな、でしょ。七時半以降っていうのは多分ガセとは思いますけど……あの八占兄妹、ほぼ毎回入って幻生倒してるっぽいですし」
 隻も隼も、響基もなんとも言えずに夜空を見上げた。
「うん、慣れてる音だったなあ……母校なら管轄区だろうしなあ……」
「ですよねー。多分ですけど七時半以降入るなっつーのは警告でしょ。怪談じゃなくて。幻術使いが意図的に流した、夜学校に近づくなっていうものじゃないんすかね」
 いつきも頷いて同意している。悟子は周辺を見やり、苦い顔になった。
「あまり夜の学校は……妖精たちの姿がありませんね」
「――そうだな。まあ学校って」
「戦場跡とか城跡とか元墓場とか、とりあえず土地が安かったり広かったりする場所に建てられるんだろ」
 隻が真顔で言ったせいか、翅がうんと元気よく頷いて視線をらしている。
 門のほうに。
「ねえやっぱりあいつらに押しつけない? ダメ? 押しつけない?」
「ダメ」
「ですよねー」
「けどどうしますかね。どこから当たります? プール方面に行ったら多分兄妹と鉢合はちあわせっしょ。……あと十二時前でしょ。確認するにしたってどう転んでも危険」
 一同、思わず沈黙した。
 素人しろうと考えだが、十二時の学校の時点で不吉だと思う。
「夏場だし星が映り込むぐらいに綺麗きれいなんだろうけどね」
「知ってます? 星が映り込む水面って、鏡みたいになるでしょ。黄泉よみに通じるって話もあるんすよ。昔の話ですけど」
 ぴたりと、皆固まった。いつきだけは真剣な顔で聞いていた。
「死者と水の関係性はそこから来ているのか?」
「かもしれないっすね。まあ夏場のプールや川は自殺者が多いっつーのと、水遊びしてそのままおぼれて帰ってこない人が多いからってのが定説っすけど」
 全員、沈黙した。いつきだけは真剣な顔で「そうなのか」と学んでいた。
 翅がいつきに信じられないものを見る目を向けていた。
「……プール、後回しにするか。な?」
「そのほうがいいかもしれませんよ。どう転んだってプールで戦闘したら、水の中に引きずり込まれた時洒落になりませんしね。あとアヤカリ、下手したら暴走するでしょ」
「え? なんで?」
 翅自身が聞き返している。悟子がああと、遠い顔。
「アヤカリ、設定的にアンデッド系ですよね」
「あーうん、海水の体だもんなー。未來と話した時に死者の魂が宿った海水にした」
「知ってます。だから、水が大量にあって、死の関係に近い場所で、怪談が豊富で……多分、怪談にかれて暴走するかも」
「アヤカリばかあああああああああああああああっ!!」
つくったのはお前だろうが」
 いつきの容赦ない一言に打ちひしがれる時間があるだけ、まだ余裕だなと隻は感じた。
 自分の心の余裕はなかった。
 ひとまず、警備員関連を調べてみるかと、一同学生用の下駄箱へと向かった。
 しんと静まり返った学校に明かりはない。警備員が移動する気配もなく、職員室にもそれらしいものはない。
 大体この時間だと見回りはないと、隼が昔つるんでいた同級生の情報を記憶から引っ張り出して教えてくれた。
 主に見回りが入るのは、九時、十一時、やや飛んで二時、そして五時。
 それぞれ零時を境に、二人ずつ、計四人ぐらいで見回りをしているという細かい情報に、隻たちは苦い顔になった。
「……警備員、出ないといいな」
「多分噂したら出てきますよ」
「なんでそんなこと言えるんだよ千理!!」
「だってオレそういう系専門だもん。所属、対アンデッドディモナモルスですよ。プロが怪談系にビビってどーすんの」
 飄々ひょうひょうと言ってのける千理に、翅が笑顔で「あはは殴り飛ばしてえー」と自棄やけ気味だ。悟子がうつらうつらとしながら、下駄箱げたばこから校舎を見やってはっと顔を引きつらせている。
 響基がどうしたのかと見下ろす。悟子が手を掴んできて、笑顔で固まっている。
「う、うん、そっか!」
「は? どうし――」
「……さ、先に校庭、確かめませんか?」
「え?」
 隼が奥へと目を向け、コイン顔負けにまん丸に見開いた。
 ガラスの中。
 誰かの長い髪が、廊下のガラスの中を緩やかにけていった。
 千理がほんの少し溜息をつき、「あれは大丈夫っすよ」と声をかけてくれる。
「地縛型の幽霊ゴーストでしょ。刺激しなきゃ問題ないっすね。ラップ音起こしたりポルターガイスト現象起こす連中は、場合によっちゃ危険ですけど」
「校舎後にしない!?」
「じゃあどこ行くんすか。体育館? プール? 校庭? どこにでも怪談あるんすよ学校。諦めて」
「うわおれやばいかもトイレ行き忘れた」
「今はやめとけよートイレはやめとけよー」
「……お前ら、そんなにおびえてなんになるんだ」
「学校の怪談真面目に聞いたことあったらビビるよわかんないだろいつき!!」
 翅が力いっぱい叫ぶ。いつきは至極平然と考えて、頷いた。
「わからないな。で?」
「何お前超ムカつく!!」
 らちが明かない。隻は溜息をつきつつ、足をもぞもぞと擦り合わせる。
 ……背筋が、寒い。暗いはずの校舎の中がうっすら見えるのもそら寒く感じる原因だろうか。昔から嫌いな学び舎をさらに嫌いになれそうだ。
「校庭、プール、体育館は一通り八占に任せましょうか。校舎の怪談は二人だけじゃ手に終えねーでしょ。この人数ならある程度は校舎側も対応できますし――行きたくねぇー」
「おい!!」
 盛大に突っ込んで。下駄箱に靴を入れようとした隻は、しばらく悩んだ。
 上履うわばき、ないよな。ついでに言うなら下駄箱、もう俺の場所ないし……。
 悩んだ末、結局履き直す。卒業生は部外者という方程式がむなしく心に響いた。
「あれ、隻さん知ってるんすか?」
「何を? ってか、走ることになったら靴下でも素足でも危ないだろ」
「ああー、うん。そうですよねー。上履き持ってないし」
 いや、千理。なんで靴箱に手を勢いよく突っ込んだ。しかもぐしゃりと酷い音が聞こえたのは気のせいか? 気のせいでいいのか?
 ……聞きたくない。気のせいにしよう。
「さあ行きましょっか。あ、翅。今回はできるだけ金属以外の鈍器使ってくださいね。神木でできた木刀とか」
「うんそうする! レッツそうする!」
 翅の状態を見て、響基が痛々しい顔で校舎を見上げていた。
 隻も無言で見上げる。
 校庭で響く盛大な大声が、反響して校舎から自分たちに威嚇いかくしてきた。


 一階は下駄箱から順に給食室、放送室、職員準備室、職員室、校長室。さらに事務室、職員更衣室、家庭科室。芸術棟のほうには今回行かないと前提で決まったが、千理は微妙そうな顔だった。
「芸術棟の怪談潰したほうが手っ取り早いんすけど」
 それはお前だけだ。
 二階は配置が変わっていないなら、理科室と三年の教室とパソコン室があったはず。三階は二年の教室と、学習室が三つほど。四階は図書室と一年の教室。美術室や音楽室、技術室は纏めて芸術棟のほうにあったはずだ。
 学校内を靴で歩くことに罪悪感を覚えた悟子のため、全員靴底の泥をきちんとマットで落として中に入った。千理だけやたら遊ぶように蹴飛ばしながら靴底を拭いていて、悟子が「行儀悪い!」と吠えたりもしたけれど。
 ただ、最後にそうやって靴を拭いた千理が、扉でできた死角の向こうで、何かを殴り飛ばしたのは、隻も隼も見抜いていた。
 もう、いるんだとしか思えない。
 最前線を響基と隻が。最後衛は千理が。中堅は残りで構成したものの、千理のやたらとオーバーすぎる行動が、後ろでラップ音以上に迷惑なほど響き渡る。隼がそれに反応しかけては生温かい顔をし、悟子は苛立ちも注意も堪えているようだ。翅はというと、隼のすぐ後ろをぴったりとついて歩いている始末。翅のほうが身長高いはずなのに。
 響基は少々涙目だった。廊下の反響音が延々響いて、拾いたくない情報まで拾ってしまっているようだ。
 角の給食室を懐かしいと思って、扉だけ見やった隻はすぐに前へと視線を向け、首を捻った。響基もぽかんとしている。
「さっきの、いないな」
「ああ……そのほうが嬉しいけど」
 何が楽しくて、この暑い中窓も開けられない蒸し暑い廊下で肝試しをする羽目になっているのだろう。
 カツ、カツ……
 足音は全て、自分たちのものだけ。そう信じたいのに、どうしても数を数えてしまう。
 意識するなと自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、冗談にならないぐらい冷や汗が背中を湿らせてきた。
「……なあ、誰かジュース買ってきた?」
「忘れてた」
「だよな」
 ……会話が続かない。
 響基が苦い顔で「学校の怪談って何があったっけ」と呟き、隻と隼が遠い顔。
「花子さんだろ、兄貴の太郎さんだろ。てけてけさんとか、レイコさんとか……体育館で独りで勝手に跳ねるボールとか、校庭百週回ったら肩を叩かれるとか、十三怪談とか、夜勝手に動き出す石膏像せっこうぞうに人体模型に、勝手に鳴るピアノとか、肖像画の目が動くとか……」
「俺さ、思ったんだ。皆笑って?」
「なんだ」
 いつきが親切にも聞き返している。翅がうんと頷いた。
「その体育館で勝手に跳ねるボール、衣着た隻さんがやってたって思ったら凄く納得できるんだよ」
「ほんとだ!!」
「おい!!」
 響基の同意に隻は間髪入れず突っ込む。一方の隼はぶっと噴出して笑い飛ばした。千理まで笑いながら「あー、隼さん大声控えてくださいね」と注意を送るだけ。なんだか納得できない。
 確かにやりたい。久々に中学の感覚でバスケを思いっきり堪能たんのうしたい。したいがそんな怪談に載せられるような真似、自分からやってたまるか。
 廊下中央の正面玄関付近に向かう途中、放送室近くで千理がふと立ち止まった。
 その後、ころもを確かめ、想耀ソウヨウを呼び出している。
「どうした?」
「うん、響基ー、翅ー。二人とも耳と目、ふさいでおいて」
 言われた通りにした千理の兄貴分たち。何に気づいたのか、はっとした隼の顔がひきつっている。
「ははっ……おい嘘だろちょっと待てって!!」
「レッツ!」
「ブロードバ○ド回線!!」
「違う! ネタに走るな!」
 想耀に憑依し、扉の下の隙間から中に入っていく。次の瞬間中から少女のような絶叫が響き渡り、全員がびくりと体を硬直させた。
 ぐしゃりと、耳を覆いたくなる酷い音がれてくる。
 想耀が中から這い出てきた。憑依を解き、広がった闇の衣の前を開けて、姿を出す千理は涼しい顔。
「しゅうりょー……どうしたんすか皆揃って」
「……鬼……」
宣戦狸せんせんり、納得いったよ」
「えっ、ひど!?」
 誰が名付けたのかは知らないが、いいネーミングセンスだ。隻は目をらした。
 千理はむっとした顔で「放送室の悪霊滅しただけでしょ」と不満げだ。悟子が苦い顔になった。
「夜中に聞こえる放送室の放送を聞いたら、っていうあれですか」
「そうそう。その放送聞いて殺されたら目も当てられないっしょ。まさに今やろうとしてたっぽいですし。種は残らず取っておかないとね」
 仕事とはいえ、抜かりない性格になったのはそういうところからなのだろうか。 ……序盤は抜かっているけれど。
 いつきが微妙そうな顔をしている。
「お前元々は対幻獣・聖獣イリュジオンだろ。なんで担当を変えたんだ」
「一番はやっぱり、天兄探すのに効率いいからでしたけど。当時のやり口的にそっちかなって。あと呪いの関係とか探れるし、アンデッドの召喚や使役の方法とかも教われるんで、タメになるって思ったんすよ」
 呼び出してどうする。なんになる。タメどころか呪われるとしか思えないのにと、隻は半歩退いた。
 こいつの考えはどこか人から離れていると思っていたが、余程を超えているようだ。
 千理は想耀に礼を言って還し、廊下をぐるりと見渡して苦い顔になった。
「けどやっぱりオレだけじゃまずかったかな……本当は学校の怪談系って、対アンデッドディモナモルス以外にも、もう一つ別の部隊から人ほしいんすよね。対悪魔・魔獣ロキヤとか。こっくりさんとか、本格的に呪いを中心に対処できるのってあっちなんで」
「ならなんでそっちにいかなかったんだよ」
「確かめらんないっしょ。天兄が万が一死んでたら」
 ああと納得した。
 以前千理から教わった話だけれど、死んだ人物が幽霊ゴーストの幻生として復活することがある。自分で確かめるまで諦めがつかなかったが故なのか。
 千理は苦い顔で指を折っている。
「翅たち宵のメンバー。響基は元対幻獣・聖獣イリュジオン。悟子は前だと……妖精・精霊ファーディナルでしたよね。いたずらされたら悲しくなる部隊」
「悲しくなるっていうか……ぼくの場合はむなしいんですけど」
「それが人生なんすよきっと。諦めて。で、いつき兄は最初から宵で、今五神でしたっけ。名家の当主、大抵五神所属でしょ?」
「ああ」
 いつきが面倒くさそうに首肯していた。はたと、響基が隻を指す。
「あれ、じゃあ隻は?」
「まだ実力ないから無所属だよ……」
 生温かい空気が辺りを包んだ。一人悔しくなって拳を震わせるも、隼が渋面を作って手を上げてきた。
「なあ、要するに学校の怪談と戦える奴が極端に少ないってことでいいんだよな? まずくねえ?」
「まずいっていうか、出られるかなーって感じなんすけど」
「はい!?」
「だって鏡」
 職員室近くの壁に貼られた等身大の鏡を指す千理。夜中とはいえ、廊下の向こうでぼんやり外光を跳ね返す姿見に、翅がはっとした顔で青ざめた。
「等身大の鏡って、吸い込まれなかったっけ!?」
「うん、そういう怪談あるんすよ。あとね、それ鏡だけが限定じゃないんすよね。鏡になれる奴ならなんでも、そういう存在になれるんで」
「おーけーおーけー……要はガラス、水、金属。そういうことだな?」
 隼が強張った声で締めくくってくれた。うんと頷く千理は、木目が懐かしい廊下を足で軽く突くように蹴っている。
「唯一の幸いは、床が石造りでワックスピカピカじゃなかったことっすよね。そうなってたら間違いなく」
「鏡ですね」
「うん」
「うんじゃねえええええっ!!」
 叫んだ。隼がいくつか怪談を数え始めて青ざめている。
「か、鏡に関する怪談ってかなりなかったか?」
「東京ですからねー。地方の怪談までえらい具合に集まってそうですし、相当でしょ。ってわけでみんな姿見避けましょっか。あと水回り。水場に関する怪談とトイレの怪談と、特定の教室の怪談は面倒なのがいるんで」
「ちょっと待ったどうやって外に出るんだよ!? 帰りは!?」
 よくよく考えれば生徒用玄関に戻る前に、この廊下だけで相当な窓ガラスがある。出るまでの間に引きずり込まれたら洒落にならない気がするのだ。悟子は顔が真っ青になっており、今までなんとか平常心に近かったはずの響基やいつきまで表情が固い。
 千理は弱ったように頭を掻いて――困り顔で見上げてきた。
「どうしましょっか」
「てめえええええええええっ!!」
「あ、あんまり騒がないほうがいいっすよ、お客さんって勘違いされて」
「先に言って!?」
「だから石膏像とか人体模型とかが動き出しそうなんすけど……あ、でも今は校庭の八占兄妹におびえて動かないか。ピアノの音聞こえてきたら泣けますよね、止めにいくにも音楽室」
「俺死亡フラグ!? 悟子も体質的に危ないだろ!?」
 響基は泣きそうだ。悟子は心臓を悪くしたように青白い顔で目を擦っている。
 とりあえず眠いのか。
 目の前は正面玄関付近。窓ガラスには下手に近づかなければそうそう厄介な連中に引きずり込まれることはないという、千理の当てにならない情報を信じていざ全員、そろそろと動き出す。
 けれど隻も隼も動けない。翅と響基が早く来いと手招きしているも、顔が無表情のまま固定されてしまう。
「ごめん、俺それ以上行きたくない」
「はい!?」
「正面玄関、等身大以上のでかいガラスだらけだろ」
 しばし、翅たちが固まった。千理がおもむろに覗き込んで、「ああ」と納得の声を上げたと単に響基に引き戻されている。
 ジャージの襟首が笑えるほどに伸びた。
「危ないだろ理科の実験でも直接臭いぐなって言われなかった!?」
「理科始まる頃には不登校だったんすけど。痛い、ひび兄マジ痛い」
 あまりにも怯える一同の中、平静を装っているいつきはともかくとして、飄々ひょうひょうとしている千理には皆殴りたい思いだ。最初から言えと言いたくなる話が後から後から顔を出し、ついには悟子がうずくまっている。
「ぼく、鏡の中に引きずり込まれたら即死ですよ……体質的に!」
「うーん……あ、ちょい全員一箇所に固まって」
 千理の言葉にいぶかしむ暇もなく、全員一塊になった。
 想耀を再び呼び出し、職員室からチョークを持ってきてもらった千理は、想耀に耳打ちされて苦い顔をしている。
 すぐさま床に、白いチョークが音を立てて線を引く。
 カッ、カカッ、カツ、カッ、カー……
 カツッ、カ、ひた、カツカツ、カンッ、ひた、カ、ひたひた、カカッ、ひた、カッ
 カカッ……カッ、ぴちゃっ
「……な、あ。なあ……あの、せ……千理……」
 チョークが床に白いいたずらを始めている。それ以外の音が、周辺から静かに耳に届く。誰が言うでもなく、全員千理が描く円陣を睨みつけた。目を動かせない。
 窓も見れない、廊下の先も見たくない。正面玄関どころか職員室に至るまでもってのほかだ。
 隼が青い顔でぼそぼそと呟いている。
「ふ、振り返るなよ……振り返ったら……廊下だけで、知ってるの……十個……!」
 言うなって――!
 カンッ
「いつき兄、結界と退魔札!」
「ああ!」
 いつきが札を渡す。千理がすぐさま「みんな入って!」と鋭く声を上げた。
 勢いよくエレベーターに乗り込むように、押し競饅頭になる一同の中央。千理が札に呪文らしい言葉を呟いている。
 ひたひた、ひたひたひた
 ひた、ひたひたひたひた、ひたひた、ぴちゃんっ
 ひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひたひた
「結べ、現世げんせの糸たちよ あらがう者はここにはない」
 札が、円陣の中央でバツ印にられた。
 近くで響く足音が、絶叫に変わる。
 びくりと怯えた一同の目の前、円陣の縁から青い光が漏電したようにばっと弾けて漏れる。自分たち以外誰もいないはずの廊下に走り去る音が幾重にも木霊こだました。
 縁に残る青白い光が完全に消え、穏やかな青い光に包まれた。
 千理が冷や汗を拭っている。
「うーわーびびった……いつき兄、あざっす」
「あ、ああ……今のあれ、怪談の連中か?」
 千理が頷いて立ち上がった。狭い円陣の中、千理一人に注目が集まる。そうしなければ、周りを見渡したあかつきに泣く羽目になりそうだ。
「怪談も怪談。どんだけこの学校怪談話で盛り上がったんでしょうね。想像以上に面倒くさいのいるみたいっすよ」
「どうしてわかるんだよ!?」
 翅の涙声に、千理は苦い顔をしている。
「鏡に注意してたんすよ。大体、廊下のほうはみんなが注意してくれてるから大丈夫と思ってたんで。そうしたら鏡ごしにわんさか視えるのなんの。極めつけで姿見に草刈鎌くさかりがま引きずった、髪伸び放題の女の子の姿見えたもんで」
 沈黙。
 千理が困り顔で「どうしましょっかねー」などと言って頭を掻いているけれど、笑えない。
 翅が、ただでさえ狭い円陣の中で蹲った。
「帰りたい……!」
「……なあ、千理。万が一だけど、一般人が鏡の中に引きずり込まれたら、どうなるんだ?」
 渋面を作る千理は、ほんの少しだけ呻いた。
「場合によっては……夜が明けたら、日数によってはアウトっすね。霊能力者は怪談を半端に引き寄せちまいますから、まず言って隼さんは夜が一回明けるだけで完全に向こう側に取り込まれちまうと思います。隻さんもまだ怪談そのものに対しては、霊能力者以上に中途半端にき付けちまうと思うんで、隼さん並みにアウト」
 隼の腕が強張った。丁度真隣だった隻も苦い顔になる。
 千理がジャージのポケットに手を突っ込み、何も描いていない無地の短冊をいくつか取り出した。万年筆を出して、床と同じ紋様を計七枚、丹念に描いている。
 それぞれを全員に渡して、千理は自分の分の短冊を指で摘んで見せてくる。
「これ、各自素肌に貼りつけてくださいね。オレたちも弱体化しますけど、使わないよりはマシなんで。連中が寄り付けなくなる効果がある陣を直接貼って、しばらくはしのぎますよ」
「えっ」
 悟子がぎょっとしている。翅が病的なまでに憔悴しょうすいした顔で、「弱体化って?」と聞いてきた。千理は真顔で左腕を指している。
「簡単に言うとね、オレだったら腕消えちゃう」


ルビ対応・加筆修正 2021/03/21


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