Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第08話「無月、散る」01
*前しおり次#

 茫然ぼうぜんと欠片たちを目で追い、千理が言葉を失う。
 闇色が廊下に散らばり、きらめかないはずの色が月光をほんのわずかにね返して、沈黙した。
 隻まで絶句していたも、彼の真上に残る腕にぞっとした。
「な……なづ、き……?」
「千理!」
 我を忘れたように欠片を見つめる千理目がけ、影の腕が伸びていく。草鞋わらじいた着物の子供が走り、千理へと飛びついた。
 途端に、千理がびくりと震えて腰辺りを見やり、目を丸くしている。
「あ、あんさ――」
「千理けろ!」
 影の腕目がけてバスケットボールを投げつける隻の合図に、千理は着物の子供を抱えてななめ後ろへとんだ。
 バスケットボールが影に触れた瞬間すり抜け、隻はぞっとする。
「嘘だろ!?」
「あ、悪霊退散――!」
 翅が勢いよく木刀を投げつけた。
 影に突き刺さった次の瞬間、影から闇色の糸が漏れ出てはじけ飛んだ。
 子供を抱えたまま、千理は手の中に残された刀の柄を茫然と見下ろす。子供がそっとその手に手を重ねたことでやっと、狼狽うろたえつつも子供を下ろした。
 顔がやっと見えた隻は目を丸くする。
「あっ、お前――!」
 なさわらしから座敷童に転生した女の子が、千理の腕に抱えられていた。数ヶ月前の事件の後、結李羽ゆりは秋穗あきほと名付けたその子は、名前のようなススキ色の髪を柔らかく揺らして、隻へと笑顔で駆けていく。
 驚きが抜けないまま頭をでる。が、隻の手が触れた瞬間、座敷童の秋穗はびくりと震えて千理の後ろへと逃げてしまった。
 ショックで固まる隻に、悟子が青い顔で符を指してくる。
「隻さん、それ……それがあるから、だと思います」
「あ」
「みなさんご無事ですか!」
 上履きを履いた男の子の声に、悟子が表情を一変させた。生気が一気によみがえった顔に、響基も隻も、千理も翅も目を丸くして男の子を見ている。秋穗が急いで男の子へと駆け、手を握って連れてきた。
万理ばんり!?」
 兄よりも背の高い万理が月光降りる廊下からやってきた。いつきが驚いた顔で万理を見上げ、苦笑して頭を下げる万理にぽっかり口を開いているではないか。
「どうした? お前は東京に来る予定じゃなかったと聞いてたが」
 それを聞いてか、万理の笑みが少し困ったものになった。が、すぐに呆然とした兄が持つ刀の柄を見て苦いものに変わり、いつきへと向き直っている。
「お久しぶりです、いつき兄さん。公式の場ではないので、いつもの挨拶でいいんですよね」
「ああ」
「ありがとうございます。休暇のお許しを頂いた結李羽ゆりはさんや未來みらいさんと一緒に来たんです。兄の忘れ物を持ってこようと思って」
「へ……? 忘れ物ありましたっけ? わっ」
 ずいと無言で差し出された紙のたば。いつきが生温かい顔になる。
「千理。お前まさか……自分が使う分の符、まっさらな分以外忘れてなかったか」
「え? ……あ」
 まさぐる。ポケットというポケットを、全部。
 固まる千理はやはり、心ここにあらずといった様子だ。
 万理が無言で無月の破片を拾い集め、千理へと渡した。
「兄さん、無月の設定で唯一決めていたのって、闇で固めた刀というところだけでしたよね。そのせいで夜の幻生の中でも、ドッペルゲンガーなんかの存在には相性が悪いかもしれないって、昔自分で言っていたでしょう」
「そ、それは……そうなんすけど、でもさっきのは」
「まさか、自分で気づいてないんですか?」
 瞠目どうもくして聞き返す弟に、千理は困惑した様子だ。隻も怪訝な顔になる。
「自分で考えた幻生に細かい設定や弱点をつけるのって、必須じゃなかったのか?」
「はい。ですが無月は、兄が無意識に創り上げた幻生です。隻さんの立標たひょうと同じように、無意識に創られた幻生には自然な感情や、姿や性格に見合った設定が後からついてくるんですよ。早い話、後付け設定ですね」
 いつきが頷いている。無月ができた当初に詳しいのか、渋面を作っている。
「だからか」
「はい。無意識に作り出された幻生――特に武具系は、創造主の本来の性格や願望を現しやすいんです。兄の無月は、僕ら兄弟の長男と父が殺され、二男が行方不明になって間もない頃に作り出されたもの。兄の……天理兄さんを見つけるまで死ねないという思いを体現していたんでしょう」
 思い当たる節があるのか、千理は言葉に詰まっている。隻も納得すると同時、言葉を探してしまった。
 砕けてしまった意味が、嫌というほどにわかった。
 闇でできたという言葉の響きまで、その裏の意味まで。
 無月は、千理が無意識に押し込めていた感情と、それを支える張り詰めた緊張の糸を象徴して、力の源にしていたのだろう。
 けれど天理は帰ってきた。千理自身が抱えていた様々な感情のいくつかにも、望むも望まざるも折がついた。千理の緊張の糸が緩んだことで、無月の形が壊れたのか。
 いつかどこかの漫画で読んだ覚えがある。
 武器は覚悟がなければ応えてくれないもの。意思が折れれば剣も折れる。
 そんなことを、確か――千理と隻が読んでいた、あの漫画で。
「――なあ、万理。それで未來たちは?」
 途端に万理が苦い顔になった。どうしたのだろうと、いつの間にか千理に向いていた目を彼の弟に向け直す。
「喰われました。怪談に」
 ぞっとして、隻も翅も目を見開いた。
「ついさっきまで一緒にいたんです。ここまで一緒に着たんですけど……僕は秋穗と手を繋いでいたのでここまで無事だったんです。けど、みなさんの絶叫を聞いて、結李羽さんと未來さんが走って――」
 沈黙が、どこからともなく聞こえる足音を、鮮明に響かせた。
 翅の拳が、床でぎりっと音を立てる。
「お二人とも、呪術に対する抵抗力は僕ら以上のはずですから、まだ鏡の中で抵抗できているとは思います。早く探し出せば命に別状なく助けられるかと」
「そっか……なら余計、これ以上はふざけてられないな」
 翅の静かな声に、響基も頷いている。別にふざけていたわけではないだろうし、翅自身まだ顔が青いままだ。それでもその青さをさらに白くさせるほど、根性を入れ替えさせられたようで。
 隻も震えていた手で無理やり拳を作り、力を抜いた。
「助け出す方法は誰かわかるか? ――千理」
「あっ、は、はい?」
 茫然としたままの千理に、さすがにいつきが困ったような顔になっている。
「お前がそれじゃ行動できないだろ」
「――そう、っすね。……すいません」
「謝るなバカが。とにかく、刀が折れたなら隊列組み直すぞ」
 千理は一つ頷き、無月の柄を見て顔を歪める。
「ごめん……無月、あんがと。還れ」
 何も応えないまま、刀が消える。
 少しだけ虚しく手を下ろした千理は、すぐさま自分の頬を勢いよく叩いた。
「うん、もう専門家呼びます」
「え、けどここいないだろ? 八占やうらたちだって」
「なんであんな腐れた兄貴と顔合わせなきゃいけないんすかぜってー嫌」
 ……え、お前もキレてたの。
 呆気にとられる隻に、隼が苦笑いしている。
「ま、まあ……うん。ごめんなお前ら」
「隼さんが謝る話でもないっしょ、それこそ門違かどちがい」
 隼がぽかんとした。千理は万理に自分に貼っていた符を貼りつけた。万理の顔が引きつった。
「うえっ、生温なまあったか!?」
「えっ、ひど!? いやそうじゃなくて、準備準備」
 真新しい符を一つ取り出し、短冊状の紙片に千理が筆を作り出して文字を書き連ねていく。
 真円。一筆書きで星を。円と星の間が黒く塗り潰され、さらに外に円が増やされる。
「――どうせ符の効果もすぐ薄れるでしょうし、未來ちゃんと結李羽さん探すならどっちにしろいてくれたほうが好都合」
「え、効果切れるの!?」
「符の陣はその場しのぎなんすから当然っしょ。ってわけでびますけど、ビビんないでくださいよ」
 幻生にも専門家というのはあるのだろうか。目には目を、歯には歯をといった様子で符を手に、紙をピンと真っ直ぐに張る千理。
「来たれ。黒よりのがれ、ふちを前にそむきし者」
 千理の衣が、完全に真っ暗になって見えなくなった。
「その血ここに流れたり。その肉ここにあらずまま。その先くぐるにあらず、戻るにあらず。汝が名をここにむ」
 衣が広がる。
 足元に深く広く、闇を落とした。その衣の上に乗る何かが、姿を見せて笑う。
 少女から、血にまみれた少年まで。
 ぞっとする隻たちの前、万理も困惑している。
「兄さん、それ……」
『バカだよこいつは! 死霊しりょうなんぞがお前なんかに味方するか!』
「古きみより体とせよ」
『あなたは嫌い――』
 千理の首を絞めようと手を伸ばす少女の腕が、切り飛ばされて消えた。
 首を絞めようとした少女も闇の糸となって消え、隻は言葉を失う。
 千理が振り返ると同時、短髪の少年の霊が、千理と似た目を鋭くさせて、手に刀を持つと鋭く一閃した。
 その型は、まるで。
 切り飛ばされ、怨みを吐きながら消えていく姿を見送り、少年が苛立たしげに『はっ』と鼻で笑った。
『相手にもなりゃしねー。んで? 華淋姉、何つまんねー用事で呼び出しやが――』
 千理へと振り返った少年が、ぎょっと固まった。
 むっと口を尖らせている千理をまじまじと凝視ぎょうしし、少年は茫然と、周囲を見渡して――
 唖然あぜんとしている響基と、口をぽっかり開けているいつきと、なんとか平常心に戻った翅が「おひさでーす」と手を上げたのを見て……。
 千理に視線を戻し、指差した。
『は?』
「十年間ず――――――っと逃げてくださりやがってどーも、海兄かいにい


ルビ対応・加筆修正 2021/03/21


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