……。
少年の霊が、絶句して。一度浮遊を止めて地面に足をつけたかと思った次の瞬間。
『てめー呼び出してんじゃねえよっのタコがああああああああっ!!』
「おうふっ!?」
召喚主を、殴り飛ばした。
綺麗なアッパーカットを顎に受け、顔と天井を対面させられた千理が、無様にも床に叩きつけられた。その後兄と呼んだ霊から蹴られている。存分に蹴られている。
しばし言葉を失う一同の中、響基が「うわぁ」と痛々しいものを見たように、顔を手で
「俺たち、黙ってたよね……?」
「あははははだよなー。
……。話に、ついていけない。
ついていけないが、その愚弟が実の兄に蹴飛ばされ、髪を
『大体なんでてめーが知ってやがる――翅! 響基!! てめーら』
「話してないし黙ってたし!! 俺たちのほうがビックリだよ!!」
とうとう翅が
『てめー口答えする気か? 何様のつもりだこのタコが』
「タコはどっちだよそっちこそ軽々しく呼び出されやがって!」
『てめーらのせいで華淋姉から
面倒くさい、三回言った……。
隻はフリーズ気味だった頭をはっとして小刻みに震わせた。隼が茫然と海理らしい霊を見上げて固まっているのも横目で見て気づき。やっと放置された千理が小さく咳き込んで呻いているのを見て、隻はぼんやりとジャージ少年を見下ろした。
「え……死んでたんじゃ……」
『ああ、死んだぜ。てめー新入りか』
海理から声をかけられ、隻と隼は思わず固まる。海理は意外そうな顔で隼を見やった。
『へえ、片方は霊視能力者か。
一人挨拶が忙しい海理は、最後に万理を見咎めて愕然としている。
瞬間、カッと目を見開いた少年幽霊は万理をまじまじと見上げた。
『まさかてめー、万理か!? 嘘だろあんだけちっさかったじゃねえか……!』
「あ……え?」
心の底から動揺している万理がかわいそうだ。ただ、彼の様子を見た海理は『お前と最後に会ったの、お前が赤ちゃんの時だからな』と一人頷いている。
そしてその万理の隣はというと。
いつきが、見開いたままの目から、ぼろぼろと……
ぼろぼろ!?
「海理……本当に、海理だよな?
『てめー誰が狸だ誰が! っておい!? 罠仕掛ける前から泣いてんじゃねーよ、なんで響基と同じリアクションしやがる!!』
「海理うるさ――っふぅ!?」
顔を真っ赤にして吠える響基を、いつきが問答無用で
泣きながらの顔はほっとしたようで、笑っていて。いつきの顔を見て、海理が弱ったような顔をしたではないか。
「……おかえり。そして帰れ。二度と面見せるな」
『いい度胸じゃねえか、人が下出に出りゃあつけ上がりやがって』
「はっ、下に出た奴が悪いんだよ。大体お前が下に出たって大差ないだろうが」
『上等じゃねーか締め落とすぞこのドチビ』
「チビじゃねええええええええっ!!」
ずどん。
見事吠えたいつきのおかげで、そこらにいた気配がガタンと勢いよく音を立て、隻は思わず飛び上がる。けれど隼はといえば、茫然としたままで。
「すげえ。今の声で全員逃げたぜ」
「……煩かったんだな要するに。おい響基……南無」
「死んでないから!!」
「ってかなんでみんなオレ放置するんすかひでえ! ……つぅ……ヤバい、ガチ痛い……!」
幽霊に殴られ蹴られ、アッパーで壁に叩きつけられて、千理もさすがに痛みとショックが尋常ではないのだろう。
なのに海理がからからと笑っている。弟に『はっ、
口には到底出せないけれど不良だ。
『で? 全員総出で下手な結界の札貼ってやがるがなんの遊びだ?』
「オレが書いたの! 下手言うなっつの
『あー
歯に着せぬ物言いを通り越して、無礼
翅と響基が死後の海理を知っていたのも驚きだ。第一、万理が全く知らないまま、今も困惑している様がただただかわいそうだ。
実の兄のことに一切触れなかった過去のせいだろうが、こんな結果で顔を合わせることになるなんて、誰も想像しなかっただろう。
いつきがむかっ腹が立ったような顔で涙を拭き上げ、海理は千理を見下ろしている。
『で? 用件さっさと言え面倒くせえ』
「その口癖本気で治したほうがいいんじゃないんすか」
どっちもどっちだよ三下口調。
「オレらの仲間の子と、未來ちゃんが階段に取り込まれたんすよ。万理が目撃してます。二階の姿見。どういう奴がやったかわかって、上手く助け出せたら万々歳なんすけど……ここ
海理が表情を険しくしている。鋭い目をするとますます千理と似ているように見える彼は、『また面倒くせえ』と本日五度目の口癖。
『ここの怪談、随分と意図的な流され方されてるみたいじゃねーか』
「わかるのか?」
『ったりめーだろなめんな。
そう言って海理が天井を見上げた。そのまま動作もなく浮遊して、するすると上昇して天井をすり抜けて……。
……全員顔が青くなった。
「……さ、さっき、千理殴ったのに……!?」
天井から顔だけ出された。気迫の籠った睨みに千理でなくても身が締まる。
『てめーらさっさと来い!』
「はいい!!」
誰からともなく階段へと走る。
段差を駆け上がるうち、響基が隼へと「どうした?」と声をかけていた。振り返ると、隼はどこか気味が悪そうな顔をして、ちらりと階下を見るように目を向けている。
「さっきのでかい声でビビったにしては、全部いなくなってないか……? さすがにそこまで全部の怪談がビビり屋ってわけじゃないだろ?」
「あ、ああ――確かに。変だよな。音がしない」
そういえばと思い返し、走りながら耳を澄ませた隻は眉をひそめた。
八占兄妹の声も、運動場の音も。
夜中だからとはいえ、近所の車なんかの音もしないなんて、変だ。
「――別の怪談が動き始めたとか、そんなことないよな」
「あっても海理がいたら全部逃げる気がする」
「同感……」
響基に頷き、生温かい顔になる隻。万理が複雑そうな表情で、座敷童の秋穗と一緒についてくる。
「どうして海理さ――海理兄さん……何度も墓参りには、顔を出してたのに」
「あー……海理に会った時、俺も聞いたんだけど」
翅が苦笑している。先頭の千理をちらりと見上げて、すぐに万理に合わせるように速度を落とした翅は、万理へと小さな声で何か伝えたようだ。
その後、悔しそうに俯いた万理はまるで、誕生日のサプライズを受けた子供のような顔をしていた。
「バカすぎる……僕の兄さんたちって、なんでこんなのばっかり……」
「愚兄?」
「愚兄ですよ。……バカ中のバカばっかりです」
小さくなっていく声に、隻は苦笑した。
そういう兄がいたから、千理もああなったのだろう。
廊下に到着すると同時、海理が苛立たしげに鏡を睨みつけている。到着した男衆を見て、海理が目を据わらせているではないか。
『おせーぞ』
「すり抜け使った海理に言われたくないでーす」
『身体強化使えるだろ。やわな結界程度で完全に使えなくなるぐらい精神力たるんでるんじゃねえだろうな』
悟子がぐさりと来た顔で俯いたではないか。少年の背中をさすって
「あんた、容赦なさ過ぎだろ……」
『レーデン分家の長男張ってたんだぞ、これぐらいやれてなかったら周りの大人も黙らせられねーよ。それで話戻すが、もうお前らの仲間はこの中にいないな。別の鏡に移動してるか、脱出できたか……鬼の気配がやたら強く残ってやがるが、鏡の怪談連中の気配がしねえ』
「鬼? なんで学校に鬼?」
「学校にはいないもんなのか?」
翅が怪訝な顔で尋ね、逆に驚いて尋ね返す隻。いつきも渋面を作っている。
「鏡と鬼じゃあんまり関連性がないだろ。それに学校の怪談に鬼が出る話は中々ない。外に出れば別の話だけどな」
鏡と、鬼……。
確かに想像がつかないけれど、それだけで片付けられるのだろうか。
海理がふと廊下を見据えた。
『千理、結界張り直せ』
指示を受けた千理が素直に陣を描き出す。チョークを動かし終えるともう一度いつきから札をもらって結界を作り上げ、海理と秋穗以外全員が中に入る。
海理はというと、周辺を睨んでいる。
『てめーら、今の時間わかるか?』
「え? もうすぐ三時ぐらいじゃ――」