なんとか全員で校門を出られた。衣を維持したまま隻の祖父の家まで歩く。
八占兄妹に全く会わず不思議ではあったものの、長い帰路の途中溜息がこぼれる。
「なんだってうちの学校であんなのが……」
「また戻ってきたって、あのモブ幽霊言ってたよな」
「うん。嘘ついてるような音じゃなかったしなあ。あと翅。モブはやめてやろうな?」
……幽霊の音まで判断できるのか。心理カウンセラーどころかスパイ活動もできそうだ。
千理も顔が青いまま手で顔を仰いでいる。
「内容は頭に叩き込んでるんで、後で紙に纏めます。うえぇーマジ気持ちわる……」
『いったいどこまで
「に、兄さんそれは……む、無茶苦茶では……」
声をかけるだけでも精一杯だったはずの万理は、海理の視線が当たるとさらにしどろもどろだ。海理は苦笑して万理の傍まで浮遊し、頭を軽く叩いている。
『いいんだよ、こいつは自分でその道来てんだ。相応に修行積んでねーと外で生きていけねー。てめーはてめーの行きたい場所、自分のものさしで測ってちゃんと進めよ。周りの意見に流されてんじゃねーぞ』
驚いた表情を見せる万理は、そのまま視線をさ迷わせた。やがて小さく口を開く。
「ありがとうございます」
翅と響基が和やかな顔で見守っていて、隻は背負っている結李羽と視線が合い、互いに笑みがこぼれた。
なんだかんだで、甘い長男坊だ。
『夜が明けるまでは送る。いくら召喚されたっつっても、オレが夜の側なことに変わりねーからな。霊園で一旦休んでから、千理が次呼ぶまでに備える』
隻は海理を見上げ、肩を竦めた。
「今日は助かった。ありがとな」
『礼言う話でもねーよ。
小父貴――次期当主の
『月明かりもまともにわからねー街になりかわっちまったんだな……』
言われて、街灯と店舗の明かりに
それそのものは確かに美しいのに、どこか何かを忘れた世界にも見えた気がした。
カチャカチャと、食器が触れ合う小気味のいい音が響き渡る。
頭にかかっていた薄い毛布をどけ、隻はごろりと横に転がった。放り投げた形になってしまった右手に、ひやりとした畳の感覚が当たり、薄っすら目を開ける。
部屋の隅に移動させていた
「ロン」
「あ!? くっそーまた翅の勝ちか。……
「途中まで? でも普通に見て
「翅えぐいんすよ毎回読み強えしー」
……
ぼんやり見上げる。茶托で万理が悟子に宿題を教えているようだ。奥の台所には――
「起きたか」
いつきが先に気づいて声をかけてきた。体が重いまま頷くと、千理が昨夜と打って変わった
「大丈夫ですか?」
「……あー……悪い、今何時?」
『二時すぎだな』
ぶっ。
仰向けになっていざ起きようとしたのに、聞く予定のなかった声が聞こえてきた。真上に吹き出す隻に自分の唾が降り注いできて、全員から嫌な顔をされたも気づかなかった。
海理が麻雀を覗き込みつつ、片手を上げているではないか。
『てめーこの牌切らなかったら上がられずに済んだんだろ。容量わりーぞ響基』
「俺!?」
『さっきも千理にイーピン取られてたろ』
「そうだけど……」
『読みやすいし親切すぎんだよ、他の奴がほしい牌どんどん切って捨ててんじゃねーか』
「もう海理向こう行けよ煩い!!」
わっと畳に泣き崩れる響基。海理が面倒くさそうな顔で見下ろした後、隻へと目を向けてきた。
『で? 昨日ので疲れきってたのかよ、てめー』
「あれ本気で無視!?」
『響基うるせー黙ってろ』
ドスの効いた声で有無を言わさず脅され、千理に慰められている響基の肩を持ちたい。顔をタオルで拭っていた隻は冷めた目で海理を睨み、皆には溜息が漏れた。
「起きてたなら言えよ……ってか、あんた昼間は帰るって言ってなかったか」
『ああ、一旦帰ったぜ。お前が玄関先でぶっ倒れて寝た後にな』
……記憶にない。
そういえばどの道を通ってここまで帰ってきただろう。何を話して帰っただろう。
……記憶にない。
結李羽と未來が取り置いてくれていた昼食の冷やし中華を持ってきてくれ、礼を言ってあやかる。ふと二人を見上げ、首を捻りかけた。
「お前ら昨日寝るスペースあったか? 万理も」
「僕は皆さんと一緒に居間に。結李羽さんと未來さんは客間のほうでしたよ」
万理が苦笑している。しばらくじっと考えて、隻は重い溜息を吐いた。
「そっか」
「正直熱かったし寝苦しいぐらいむさかったけど」
「文句言うなら屋根瓦で寝ろ」
「落ちるよ!?」
落ちろ。いや、言わないでいよう。
悟子が結李羽からジュースをもらい、隻に渡してくれた。
悟子たちの心配を描いた顔を見る限り、霊を体に宿すのは相当危険だったのだろう。吐き気があった以外特に何もなかったように感じたのだが。
「そんなに霊に取り
「人によるんすけどね。まあ隻さん、天兄ので平気な体質ってのはわかりましたし、大丈夫だとは思ってるんすけど」
ひょいと立ち上がる千理を皮切りにか、麻雀の卓から牌、得点棒に至るまでを一気に消えた。あれが彼の幻術だったと今さら気づいた隻は遠い顔になった。
かなりの数の幻術を出していたはずなのに、あれだけ清々しい顔をされると苛々する。
未來が手を拭きつつ、「多くは鬼に代表される事例ですが」と、少し言いづらそうな様子を見せてきた。
「人間に憑いた幻生の中には、人間と意識や能力を共有――融合してしまうという話もあります。元々そういう性質の幻生も存在してはいますが、
『霊の場合だと体から抜け出せなくなって、被害者の多重人格みてーに性格だけ残されるんだがよ。手遅れになる前に除霊って手もあるが、それだとオレ強制的に消されるし』
確かにそれは嫌な話だ。海理と一生涯付き合う羽目になるなら余計言語道断。無理、拒否。別に海理が消えても困る人間が沢山いようが、今の隻にはどうでもいい話だけれど。
こいつムカつくから。
冷やし中華を食べ終わって皿を持っていき、隻は眉をひそめた。台所で食器を拭く結李羽の顔色が優れないのだ。
「大丈夫か? あんまり無理するなよ、後はやるから」
「うん、大丈夫。私よりいつき様の調子が優れないみたいで……あ。ごめんなさい、癖だから」
苦笑する結李羽をジト目で睨んでいるいつきに、隻は生温かい顔。結李羽がおろおろと見上げてきて、隻は食器を流し場に置いた後頭を優しく叩いた。
「三年間見てるんだろ。ただのツンデレだって海理が言ってたから気にするなよ」
「海理てめえ!!」
『は? 本当のこと言われて何喜んでんだお前』
「どこに目ぇつけてやがる!!」
『キーキーキャーキャーうるせーよチビ猿』
「チビじゃねえええええええええええっ!!」
ずどん。
昨日の夜と同じ光景に、隻は目を据わらせた。
「いつき」
「なんだよ!!」
「いい加減にしないと今日星、連れて行かないぞ」
……、葛藤。
…………、脳内審議、終了の模様。
……………………結果、沈黙。
怒りで持ち上げていた腰をすとんと座布団に静め、苦い顔でいじけるように庭を見やっている。白尾ノ鴉が縁側から『ほっほ』と笑っているではないか。
『
「二十四!! お前までからかうなっ」
『いえいえ、そんな恐れ多い。大変失礼致しました、齢をそれほど重ねておいでとは。私もまだまだ修行不足ですなぁ』
なんの。っていうか謝る気、あるの。
翅が笑い転げかけて、必死で耐えている。後で怒られても知らない。
その翅の隣で、千理がメモを書き出して苦い顔をしている。
――そういえば、昨日の夜中何か言っていたような。
「ひとまず昨日わかった要点、纏め上げてみましたよ。こんな感じっすかね」
ノートの上の文字を見て、思い出すのは海理に脅されたあの自縛霊の姿だった。
人間が怪談を従わせている。
怪談を使った失踪事件。
数年前から都内と埼玉の中学校で増えている。
段々と、流行る場所の移動スピードが上がっている――。
今年は真面目に、霊能力者は学校に行かないほうがいいんですよ
八占兄妹が言っていた忠告も頭を掠める。あの二人はあれから無事だっただろうか。
……あいつら、いつもあの怪談連中を倒してたのか……。
白尾ノ鴉が嘴に手を当てるように羽を当て、『むむむ』と唸っている。