Under Darker

 第2章極夜の間奏曲

第09話 02
*前しおり次#

『隼坊ちゃんは狙われ、隻坊ちゃんには一切怪談が寄り付かなかった、と。それで見識に間違いはございませんな?』
「ああ」
『とすると由々ゆゆしき事態ですぞ。この周辺は相次郎様に忠誠を誓う土地神が数多く存在しております。直系である隻坊ちゃんと隼坊ちゃん、どちらか一方でも狙うなど、我らには言語道断。隼坊ちゃんがやんちゃをして怒らせた場合は除きますが』
 やんちゃのレベルだったのかと双子の兄を見やると、隼はそっと視線を逸らしていた。
「い、いやー、毎度毎度変な連中が寄ってきたからな? 手段選ばずに逃げるだろ……」
「そりゃ追ってくるだろ。けど幻生って人間に従うもんなのか?」
『特段、人間が我ら化生けしょうの者を従わせるというのは珍しくはないのです。今回暗躍しております怪談は、恐らくではございますが若手の怪談のはず』
「怪談にも年齢ってあるんだね……」
『もちろんですとも。とはいえ、本来は数年程度。その地域で噂されねば消失するものたちです。相次郎様が我らの世界での目をえなくされて以降、動いているものでしょう』
 長くても十数年程度の小物のはずだと、鴉は言う。
『そのものたちがこれほど規模を大きくし、幻術使いらに身を滅ぼされぬまま活動を続けているとは、いささか信じがたいものですな。我ら幻生の多くは木と同じ、年月を経ることで力と信憑性が増していくわけですから』
 いつきと海理が思案にふけり、響基と悟子は顔を見合わせている。未來が「そうですね……」と呟き、俯いた。
「数年で移動する怪談、ですよね。三年以上は確実に経っていても存在しているのでしたら、従わせている人間の範囲が限定されますね。白尾ノ鴉様、情報収集された中で、一番古い出没年数は何年前でしたか?」
『それが不思議なことに、六年前から五年前にかけてまで品川区だったというところで途切れているのです。それ以前はさっぱり、情報通な土地神に尋ねましても得られませんでしたな』
『余計規模に見合わねー設定≠カゃねーか』
 海理が眉をひそめている。未來といつき、万理が頷いている。隼が微妙そうな顔をしているではないか。
「設定って……んなメタな」
『オレらが出す幻生だの武器だの、全部術者がそう在るものだって定めてんだ。設定∴ネ外どう言えってんだ』
「もう少しなんか格好いいネーミングとかすればいいだろ。ってまあ、その話は先送りにしようぜ。じいさんそこまで顔知られてたんだな」
 白尾ノ鴉が誇らしげに胸を逸らし、『それはもう』と頷いている。頭を下げた途端、真正面から見ていた隻には白い尾が冠のように頭から顔を覗かせたように見えた。
『相次郎様は地獄の鬼ともお会いになられていましたからな。しかし、我が主に関わるものであるとするならば、季忌命トキイミノミコトと呼ばれた鬼ぐらいでしょう』
「日本書紀を真似て創られた鬼か」
 いつきが表情を鋭くした。白尾ノ鴉が頷き、『そちらの考えであればそうなるでしょうな』と、やや言いづらそうにしている。
伊邪那美命イザナミノミコト。日本のいくつもの土地、島を夫神と共に生み出した母神にございます。火の神を産み落とした後、その火傷をもとにお亡くなりになられました。黄泉よみの国に落とされた妻を取り戻すべく、の地に向かわれました。伊邪那美命は夫神の切願を受け入れ、冥府の主に乞いに向かったそうです。その際中を覗かぬよう忠言を残して』
 けれど、夫は見てしまった。
 腐敗し、ウジが湧いた醜い妻の姿を。
 その姿に怖れて逃げ去った夫神に怒ったのか、あるいは嘆いたのか、怨んだのか。
 伊邪那美命は冥府の神として、地上の人間を千人殺すと言ったのだそうだ。
 その人間は元を辿れば、自分たちが生み出した子供たちの未来でもあったのに。
『季忌命は、その伊邪那美命から派生した神と、我々の間では伝えられております。夫を怨んだゆえに過去を嫌ったのか。あるいは怨んだ過去すら悔やんだのか。いずれにせよ時を経ることを拒んだ結果生まれた、自然ならざる神であると』
 伊邪那美命から生み出されたとしても、災厄を振り撒いてしまい、神の座を落とされた存在。一度封印され、封印を解かれ、また封印され――時は現代へ流れた。
 白尾ノ鴉が空を見上げた。
天照大神アマテラスオオミカミ月読命ツクヨミノミコトが共同で、その封印を見ていたのです。太陽神と月神でしたが、同時に時間も司るのが月読命でしたからな。ただ――こちらの二柱ふたはしらは仲が悪うございまして』
「ようするに、喧嘩大勃発してるうちに封印が緩んで」
「隙を突いて逃げ出されでもしたってわけか。笑えねえ……」
 溜息をついた納得顔のいつきと、そっぽを向いて淡白な一本調子がやっとの隻。
 海理は白けた顔に堂々と書いている。
『面倒くせえ』と。
『要するに、だ。その元神、ってか現鬼が、何したって? 今回のと関連性はなさそうだけどよ』
「鬼の気配ならあったんでしょう? いくらなんでもその考えは早計では」
『固えな、万理。大なり小なり元々神だった奴ってのは、それだけで強さが桁違いだ。今回の鬼の気配は小物とまで言う気はねーが……境遇だけで神から鬼にされた奴にしては圧迫感がねー』
 万理が固唾を呑んでいる。隻も万理の指摘に頷こうとしていたから、海理がそこまで考えていたとは思わず舌を巻いた。
『そもそもだ。そいつが関わってるとして、学校に不和の種く程度になんの価値がある?』
 翅が唸りつつも頷いている。未來も「はい」と頷いた。
「鏡の中にあった鬼の気配は、そういった類のものとは違ったと思います」
『だろ』
『そうでしょうな。私めも同じ意見にございますが、季忌命は相次郎様に接触したことがあるのでございます。その際、浄香じょうか様が九死に一生の死闘の末退けて下さったのです』
 隻たちの時が止まった。
 季忌命が操作したかのように、綺麗にぴったりと。微動だにせず。
 ただ海理だけはわけがわからなさそうに首を捻っていたけれど。
『浄香? なんだそのトランプのピエロみたいな名前した奴』
「まさかそれで体がなくなったなんて……」
『おお、お知り合いでしたか。左様、隻坊ちゃんがお持ちの印籠こそ、浄香様をお守りするための綱。それは断じて沙谷見さやみの血の者以外が触れてはならぬもの。万が一鍵を開けてしまいますと、浄香様の残された肉片では生きられることなど到底叶いませんゆえ』
 大暴露だ。開け放たれている夏の民家で、個人情報保護法など赤っ恥な大放出だ。いつきと響基が切羽詰まった顔で防音結界を確かめて、か細い息を吐いていた。
 固まる隻に――というより、隻のズボンのポケットに注目が集まる。隻自身、普段無造作に入れているポケットに手を置いて、固まった。
「……と、とりっくおあとりーと」
「ハロウィン!? そこでハロウィン!? エイプリルフールじゃなくて!?」
「あ、う、うんそれ。それじゃないよな?」
「困惑しすぎだよ!? 俺でもビビるけどな!?」
 翅のひっくり返った声にすらろくな反応ができない。いつきが遠い顔で目を眇め、万理は複雑そうな顔。千理は溜息を一つ。
「じゃあ間違いなく七十超えてるんすねあの猫。ぶっ!?」
「女性の年齢を軽々しく口にしてはいけません!!」
 未來と悟子の異口同音に、響基が苦い顔で頷いていた。翅がさらに渋い顔。
「ずっと肌身離さず持ち歩いてたものが女性の命ってどうだよ……」
「……入れる場所変える……? ぶら下げるぐらいしかできないけど……」
「命吊り下げ?」
「そんな縁起でもない……」
 万理が頭を痛めた顔だ。海理が唸りながら考え込んで、皆気づけば黙っていた。
 座敷童の秋穗がうとうとしたままいつきに寄りかかっていたはずなのに、ふと目を開けて周囲を見渡している。ひっしといつきにしがみついているその姿に、隻は驚いた。
「どうした?」
「……変なの、近い」
 翅が顔を引きらせた。隼が庭のほうへと顔を向け、怪訝な顔をしている。
「特にないみたいだぞ? 翅待望のホラー系」
「待望してない!」
「入れない……って、言ってる」
 全員が言葉を失った。
 沈黙が居間を覆い、秋穗が不思議そうにいつきを見上げている。昨日よりさらに顔色がいいいつきも表情が固い。
「う、噂すれば影……とか、そんな……」
座敷童ざしきわらし……何が近いかわかるか?」
「……秋穗、なの」
「ぅ……秋穗、わかるか?」
 葛藤かっとうの末いつきが負けた。微笑む余裕すら誰も持てない。
 秋穗はこくりと頷き、玄関ではなく屋根の上を示した。
「猫さん」
「浄香ああああああああああああっ!!」
 ぽてん。
 雑草が幾分か少なくなった庭先に、白と茶色と焦げ茶色とオレンジ色の毛玉が落ちた。千理が見に行き、首根っこを掴んで拾い上げる。
 元気がない猫。メスの三毛猫。
『腹……減った……鳥……』
『幻生になってる以上、ここの結界に反応して入れねーみたいだしな。主に許可もらわねーと到底無理だしよ』
 誰が、いつ、どこで、どうやって許可したと。
 頬と眉を不機嫌に引くつかせる隻。結李羽が苦笑して夕飯用の刺身を出してやった。
 白尾ノ鴉が身を細めて隻の肩に停まり、震えていたから。
 
 
『まったく、私がその印籠から半径二十キロと離れられないことを知らずにとはいえ、飛行機に乗ると聞いた時は青ざめたではないか!』
 刺身をいそいそと堪能したた浄香の小言は、ねちねちとしていた。
 新幹線に飛び乗って幻術が解けかけるのを必死で耐え、東京駅からは全力で走り、空港からこの周辺へと先回りをしたとかどうとか。
 術が崩壊する原因に距離も関係しているとはいえ、隻たちが乗ったのはジェット機だ。飛行機に乗っている間中、いったいどうやって術を維持し続けたのだろう。
 ……吐き気と術が解けるのを必死で持ち堪えて、一時間ほど耐久レース? 無理。
『浄香様は相変わらず無茶をなさいますな』
『黙れ鴉。人の最高機密トップシークレットを簡単に話しおって』
「それって、俺たちのじじいと知り合いだったっていうところからか?」
 途端に、猫は刺身を口に入れるなりだんまりを決め込んだ。地雷だったのかと溜息をついた傍、海理が隣に浮いてくる。
『浄香……だったか?』
「ああ。俺と千理が最初に会った時、助けてくれた奴なんだけど」
『なんだってノーブルアイ≠ノそんな名前がついてんだ?』
 海理が微妙そうな顔をしているそば、いつきがぎょっとした顔をしているではないか。
「ノーブルアイって……嘘だろ、戦前に活躍した天才幻術使いの名前じゃなかったか?」
『正確には通り名だけどな。名前は誰も知らねーよ』
 海理が不機嫌そうに腕組みをしている。話が読めない隻と千理は顔を見合わせる。
 説明がほしくて皆を確認しようとしたが、まず放心顔の響基に目を疑った。
「知ってるのか?」
「あ、ああ、うん。阿苑の異国での血縁……で、まあ……十五の時既に、ドラゴンとかグリフォンとかを操ってた天才で、戦時前に日本に渡ってきたんだ。戦争中跋扈ばっこしてた妖怪を倒してくれてた英傑えいけつだって……俺たち対幻獣・聖獣イリュジオンで知らない者は千理ぐらいだな」
「ひっで!? なんすかその言い草! そりゃ知らなかったけどね!?」
 響基も部隊所属は『元』がつくはずなのに。説明された浄香はひげを不機嫌に揺らし、海理を見上げている。
 いつきは言葉に出ない以上に穴が開くほど浄香を見ている始末だ。
『その名も知らん、忘れた。私の今の名は浄香ただ一つ。他の呼び名などいらんわ』
『ノーブルアイは当時でもかなりツンデレって聞いてたけど健在なんだな』
『ツッ!? 貴様滅すぞ!!』
『はっ、誰が消されてたまるかってんだターコ。自然成仏がお好みなんだよ。まさかあんたが生きてるなんてな』
 目を据わらせる隻は視線を逸らした。千理も苦い顔をしている。
「その英傑の生死の鍵を預かってた隻さんたちのおじいさんって、何者なんすか、マジで」
「俺たちが聞きたいんだけど……」
 隼と途方にくれた声音まで被ってしまう。浄香が苛立たしげに『あれはただの道楽な霊視能力者だ』と口を開いている。


ルビ対応・加筆修正 2021/03/21


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