途端に、バツが悪くなる。不思議そうに見上げてきた奏に、悠里は少しだけ言葉を濁した。
「いや、俺があからさまに目背けてたからな」
「え、で、でも……理由があったのに、そんな言われるようなことじゃないと思いますけど……」
「鏡ですら知らねえからな、悟られてるとは思うけど……」
「そうだったんですね……。それでも、楯山さんの中で区切りついたみたいで、よかったです」
気恥ずかしそうな笑みに、悠里はただただ苦笑した。
「だいぶ前からついてたんだが、タイミング計っててな。結局今日まで持ち越しちまった」
「あー、私かなり参ってましたもんね……」
申し訳なさそうな奏に、悠里は「それもあるけど」と返して、やはり浮かんだ笑いは苦いものだった。
ここまで言うのは、正直恥ずかしい。というか、情けなかった。
「俺も言えなかったっつーか、なんつーか……」
「……え」
案の定、奏は目を丸くしている。普段からそんな姿を見せないようにしていただけに、悠里は居心地の悪さをごまかして笑うしかできなかった。
「一人で勝手に言い訳して、言うの遅らせてたんだよな……」
「それ、悪いことじゃないと思いますけど……」
「……あー、そう……」
なんだろう。段々、ずっと悩んできたことそのものがバカらしくなってきた。視線を投げていると、奏がおかしそうに笑っている。
「だってそれだけ、真剣に向き合ってくれてたのかなって。だから気にしてませんよ」
「向き合ってたってより……まぁいいか、上手く言えねえ」
「あははっ。それにそうじゃなかったら、楯山さんヘタレって自分で言ってるようなものですよ?」
「いや、事実だと思うぜ?」
今度こそ、奏が完全に固まった。悠里は肩を竦める。
「男より女のほうが強いってよく言うだろ? 男って誰もヘタレ気質持ってると思うぜ?」
「それはよくわからないんですけど……少なくとも、それでも私は楯山さんのこと好きですからね」
「そりゃどうも、俺も好きだ――」
「だから爆発しろ!」
「それワインボトル!!」
また投げつけられそうになり慌てて構えた。このマスター、冒険者の道に進んでいたら大和といい勝負の投擲率を誇りそうで顔が引きつる。
奏が顔を引きつらせながらも落ち着かせようとあれこれ声をかけるうちに、ついつい三人で談笑に走っていた。
まさか、その中でマスターの奥さんの話に発展して、その女性が御影と同じ天然の部類だったことも聞くとは思わなかった。同時にキャッチセールスを捕まえて一時間玄関で喋ったというその女性の話を聞いて、奏がぼそりと言ったことには頷かざるを得ない。
「御影ちゃんが人見知りでよかった、そこまでしないだろうから……」
人見知りを克服したらやりかねないし、それを鏡が頭を抱える姿まで想像できたのは自分だけではないかもしれない。
マスターが溢した愚痴が、自分に関するものだった悠里はけろりとしていたけれど。規格外野菜の安売りを始めたのはマスターだし、それに乗っかったのは自分と、自分が教えた主婦や冒険者連中だ。
「いいじゃねえか、繁盛してるし」
「そうは言われても複雑なものは複雑なんだがな」
「私マスターが作るお野菜美味しくて好きですよ? 皆さんも同じだから買ってくれてると思いますよ」
「だが、どっちが本職かって言われるとな」
「八百屋じゃね」
「今すぐ帰れ」
「楯山さん……」
バーニャカウダを食べていた奏の苦笑いに、ふと悠里は彼女を見下ろした。
「お前、そういえば俺の呼び方定まらないよな。楯山って呼んだり悠里って呼んだり」
「えっ、あ……意識してなくて……なんかよくわからないんですけど……」
自分でも不思議なようだ。だいたい彼女がどういう時に自分の名前を呼んでいるのかは察しがつくが、悠里は苦笑いが零れる。
「呼び方なんてどっちでもいいけどさ。たまに戸惑うわ」
「す、すみません……うーん……いつも楯山さんって呼んでたつもりだったんだけど……」
「別に気にしてねえよ。つーか、別に悠里で構わねえよ」
「あ、ありがとうございます……いいんですか?」
ぽかんとして見上げられ、悠里は肩ががくりと傾ぎかけた。
「一々許可求めるようなことか? つーか俺今いいって言ったつもりなんだがな」
途端に目を伏せる彼女は、言いづらそうに口を開いている。
「その……最近呼んでくれるようになってましたけど、私の名前、呼ばないようにしてましたよね……だからその……下の名前、呼ばれたくなかったのかなって思ってたから……」
「あー、それはまぁ、最初のほうお前からの感情に戸惑って逃げてたからな。だから呼ばないようにしてた。それに、呼ばれたくなかったら介にも御影にも呼ばせてねえよ」
「……もう私が呼んでも大丈夫、ですか?」
もう? ――ああ、そういうことか。
そう言えば、出会い頭から同族嫌悪を感じて言い争いもして、奏には下の名前を言わずにぶっきらぼうに名乗ったのだった。その後もずっと、彼女が仲間に入っても、悠里が距離を置き続けてきたことを彼女はとっくに気づいていたから、呼ばれたくないのではないかと思っていたのか。
「最初から呼ばれ方なんて気にしてねえよ――気、遣わせちまったな。悪い」
奏がおかしそうに笑って首を振っている。
「私が勝手にやってたことですよ? ――悠里さんが謝る必要なんてどこにもないんですから」
「そっか」
自然と手が、奏の頭へと伸びて撫でる。彼女がそれでまた顔を赤くしても、気にならなかった。
「ちょ……! あ、あのマスターの目そろそろ鬼になってるんですけどっ」
「気のせいだろ。後まだ俺何も食ってねえ」
「ハバネロシュークリームをご所望か? 作ってやるぞ」
「いらねえよ勘弁してくれ」
そんなゲテモノを食べられるとしたら奏ぐらいだ。というかその原因を知っている以上もう彼女にゲテモノを食べさせたくもない。
ぶっきらぼうに出されたデザートをつつきつつ、悠里はバーニャカウダを食べて嬉しそうに笑う奏に吹き出しそうになった。
いつも思うけれど、やっぱりこいつは現金だ。
本人なりに考えていることも色々あるだろう。けれどやっぱり、嬉しい時に嬉しいと、楽しい時に楽しいと笑えるほうが、こいつらしい。
ただ、奏だけサービスでデザートを追加されて、自分のデザートが追加されなかったことだけは、正直マスターに不服を訴えた悠里である。
お返しに料理酒のボトルを投げつけられそうになって、すぐに取り下げたけれど。
マスターからは最後までジト目で見られた。バイトの時は覚悟しろとまで言われて顔が引きつったも、それも今となってはまあいいかと流し気味になる。
日が暮れかけて、夕空は夜の帳を迎えようとしていた。思ったより長居をしていたと気づいたのは、あっという間に暗くなる路地裏の頼りない街灯が灯されているのを確認してからだ。
帰り道はどうしてか、仲間の話になった。
鏡が主に御影のことで苦労しそうだとか。あの御影もやっと人の感情を直感以外で見れるようになってきたとか。鏡は鏡で、危なっかしくなくなった代わりにお人よしに不安が残るとか。
――本人たちがいないから言えるが、これでも色々と心配はあった。介含めて。
「そういえば、介さんってずっと生命含めて魔術担当してたんでしたっけ」
と思っていた矢先、奏も同じことを考えていたようだ。
「あれで魔力量少ないなんて……嘘みたいに魔力の持久力高いし、魔術放っても放っても疲れてませんよね……」
「ああ、あれでも大分余力残して使ってるからな……聞いたことはねえけど」
ああ見えて全力を見舞う場所は決めているようなのだ。人より魔力が少ないからこそ、彼は水属性の魔術以外、必要最低限だけ使うように抑えているようだった。
それを気にせず前線に突っ込んで、怪我ばかりしていた自分に介が頭を痛めていたのは、今思えば当然と言えた。
「疑ってるわけじゃないですけど、そういうところ変にごまかしますよね、介さんって。無理してないならいいんですけど……あ、でも、もう生命の属性担当する必要がないから、無理はしてないのかな」
「最近の依頼なんかの時は余力残してると思うぜ。遺跡でも全部出し切ったところも見てねえな」
ほっと笑う奏を見ていると、彼女が仲間内に対してこれだけ心配する目を配れるようになったことに、成長を感じた。
今までだったら自分のことも他人のことも見ずに、昔の悠里のように突っ走っていただろうから。
「そう言われてみればそうですね……半ゲート化なんてもう、誰にもさせたくないです」
「同感。あの感覚は体験するもんじゃねえよ」
「はい……悠里さんも無茶しないでくださいよ?」
「さすがにもう無理無茶はできねえな……つっても、セーブするとこしないとこは分けるつもりだけど」
でないと、今度はまた別のストレスの種ができ上がりそうだ。トラウマを持っていようが何があろうが、やっぱり自分は前に出て戦いたがるところは変わらないのかもしれない。
「はーい。私も止まらなさすぎって怒られてるし、ちゃんと自力でストップできるように気をつけます……」
「その時は止めてやるさ」
気の抜けた笑みを久しぶりに見た。
「――はい、お願いします」
「とーぜん」
にやりと笑って返すと、奏の気恥ずかしそうな顔が慌てて道の先を見やっている。
今日何度目だろう。こいつがわかりやすいとつくづく感じるのは。
「と、当然って……悠里さん……も、もう家ですしっ、み、みんないるかな」
「いやいねえだろ。確かこの時間ぐらいに御影迎えに行くとかどうとか言ってなかったか、鏡が。介も確か一人でのんびりするって一日出るって話だったろ」
「……そうでした」
「照れ隠しが甘い。そういうとこも可愛いけどさ」
「ち、ちがっ、からかわないでください!」
「からかってねえよ、本心」
あ、沸騰した。
足が止まったらしい奏の顔は、暗がりでもはっきりとわかるほど真っ赤だ。むしろ、暗くてよかったかもしれない。これだけ真っ赤だと家に帰るまでに人に見られてパニックになりかねなかっただろう。
奏が逸らした顔を手で覆っていて、にやりと笑う。
からかうと楽しいのは、やっぱり変わらなかった。
「もう……!」
「そーいうところは正直なもんで」
「な、なんかずるい……!」
「ずるくねえよ」
「……だって……うー……言われ慣れてないのに、反則すぎ……」
「言われ慣れてたら俺が慣れさせた奴殺しに行ってたよ」
「えっ、な、なんでそうなるんですか!? というか言われたことないって私前にも言った!」
「言われ慣れてたら、だよ。……ああ、なるほど、これが嫉妬って奴か」
さっきが
ぎょっとしていた顔が金魚を思わせるぐらいに赤くなって、口が開けられてもろくに声が出ていない。感想とか気づいたことを言う度に赤くなられるのは今後を考えると困るが、からかう分には楽しかったし、かわいいと思った。
――あまり言うとまた、今みたいに俯いて顔を上げてすらくれなくなりそうだからやめておこう。
「ほら、前見て歩かねえとこけるぞー」
「……悠里さんのばか……!」
「んー? 俺本心しか言ってねえってさっきも言ったけど? ――って、おい……」
ぴったり止まった足が、ついてきていなかったと気づいて振り返った。彼女は微動だにせず俯いていて、さすがにやりすぎたかと頭を掻く。
「悪かったよ、半分からかいすぎた」
「……別に怒ってないです」
「怒ってないって反応じゃねえだろ」
「別になんでもないです。言いたいことあるわけじゃないです」
「だから――悪かったよ。つか、怒らないから言えって」
奏の髪が少しだけ揺れた。若干持ち上がった頭はどう考えても怒っているようにしか見えない。声は先ほどより平静に戻っているけれど、やっぱり変なのだ。
「……怒りません? 本当に?」
「そんなに俺が怒りそうな内容なのかよ……言ったからには怒らねぇよ」
「はいっ」
上げられた顔に次の瞬間、悠里は目を丸くした。
唇に柔らかいものが触れる。何がどうなったのか気づいた瞬間、顔が熱くなった。
離れた奏の顔が赤いまま、悪戯っぽく笑っている。暗がりでもわかるぐらい、真っ赤なくせに。
声が出なかった。出せなくなった。頭がパンクしたように思考が止まりかけて、理解したはずのことを何度も頭がもう一度処理しようとして固まる。
「今までの仕返しと今日のお礼ですっ。謝りませんからね」
「……にゃろ、さすがに驚くだろうが……」
「今までだって沢山からかってきたのは悠里さんでしょ? 私前に言いましたよね、いつか絶対仕返しするって」
仕返しというか、いつだったかは覚えていないが、あれは確かいじるって言ってなかったか……!
「怒らないんでしょ? クレームは受けつけませんからねー」
にんまりと笑う奏が先を歩いていく。色々と言いたいことはあったが、何よりも先に口が笑みを浮かべた。
目が据わる。腕を掴んで振り返らせ、奏の頭を押さえる。
奪い返した。
途端に見開かれた奏の目に、口を離した悠里はにやりと笑う。
「一発は一発だよな?」
「……あ……!」
真っ赤になった奏を見下ろし、さっさと家に入るかと促そうとした悠里は固まった。
玄関の扉が半開きになっている。中に人がいる。
というか、がっつりこっちを見ている。
「……あ」
「え?」
奏が振り返る前に、人影が慌てて家に入り直した。扉が閉まる音が聞こえないように、悠里はとっさに奏の耳を塞いだ。
「え、な、なんなの!? な、何!?」
「……やっべ」
「何が!? ど、どうして耳塞ぐんですかっ、悠里さん!?」
答えられなかった。
まさか、いないと思っていた鏡が出るタイミングを見事に失ってしまった上に、今のをしっかり見られたなんて思わなかった。
そっと奏の耳から手を離す。
「……いや、なんでもねえ。……ちょっとお前顔赤すぎ。それで家入れるわけねえだろ、もう少しぶらつくか」
「だっ、誰のせいですかこれ!」
「最初にやったのお前だよな?」
「そ、それは……!」
とりあえず丸め込もう。何がなんでも丸め込もう。それができなかったら最悪自分独りだけでも出る。そうだ、そうしよう。
「んじゃ、そのばれていいですって顔のまま入るんだな?」
「……わ、わかりました! 悠里さんのばか……!」
「だから、こういうの好きになったのお前だろ。よし、んじゃちょっと甘味の店入るか」
「え、ま、まだ食べるんですか……」
「いや、買うだけ……か、見るだけだな」
「え?」
……奏以上に家に入りづらくなった悠里である。