鏡は立ち竦んでいた。
いや、正確に言うならば途方に暮れていた。
ただのおつかいだったはずだ。依頼仲介をしてくれる
まさかここに着く依頼だったなんて。
悠里たちに知られたら絶対に家に入れてもらえない。やっと冬の本格的な寒さが和らいできたとはいえ夜中は冷え込むのに、叱られた子供のように外に出されたくない。
冬は、あっという間に過ぎた。
御影と共にグリフォンの遺跡に足を運ぶ回数が、二週間に一度の頻度になってきたこの頃。グリフォンは、迎える時はとにかく嬉しそうに、鏡たちが帰る時は寂しそうに見送っていたも、最近は慣れてきたようだ。
元々野生であるべきグリフォンに、これ以上感情移入しないように、鏡たちはグリフォンの名前をつけずにいたけれど、段々とその考えも違う気がしてきていた。
グリフォンに時折差し入れる食事代の関係もあって、鏡たちは街中の依頼に関しては、全員で挑む必要がない依頼は分散して受けることにしたのだ。
そして現在。
「……どうしよう……」
まさか届け先が闇市を通った先だとは知らず。さらに指定された家は見せかけ。挙げ句その家から延びる通路が、見覚えのある廃墟ビル遺跡にまで繋がっているなんて思わなかった。
入口にインターホンがあるのはどこの家でもそうだ。この世界でもそれは変わらない。『中に入って道なりに進んでください』なんて指示をする、その声に聞き覚えがあるとどうして思わなかったのか。
途中で変だと思うべきだったのだ。道が道らしくなくなって、魔物と遭遇したり、そもそもこれは迷うんじゃないかと思うようなところを走ることになった時点で。ビルの廃墟じみた遺跡群の傍に来た時点で。
いやそもそも、武器を持ってきていなかった段階から悠里たちに怒られる。
けれど依頼を受けた以上は、腹を括って渡すしかない。ギルドのマスターの顔もある。でも……
「……どうしよう……!」
これが例の彼らの依頼品だとしたら、とにかく渡したくない。
でも相手を見て態度を変えるなんて、それはさすがにやってはいけないし――
扉が、開いた。
固まる鏡の前で、見覚えのある青い目の男が辺りを見回し、ああと目を向けている。
いや、鏡が持っていた荷物に目を留めている。
「入口に迷ったのかと思ったぞ。持ってきてくれたんだな――」
なんでこの人、こんなに残念なんだろう。
敵を前にしてこんなに間抜けなことって、世の中あるのだろううか。
印鑑を手にしてやってくる男は、やっと鏡の顔をはっきり見た。
固まった。
「……お前か!!」
「なんであなたも気づいてないの!? 僕も声聞いてわかんなかったけど!!」
「やっぱりわからなかったか……いや、オレもなんだ。こんなに声って違うのかと思ったよ」
「あ、やっぱり? 全然違う声に聞こえて……」
じゃ、なくて。
目の前にいる人は敵なんだ。これでも一応、ずっと聞いてはきたけど、予想以上だったけれど、敵で……
……敵っぽくない、無邪気な笑顔。
荷物という名の商品を受け取るために向けられた目に、何故だか憎めない上に悔しさすら湧いてくる。
なんでこんな人の依頼だって知らずに受け取ったんだろう――!
いや、それでも。
「一つ聞いてもいいですか」
「何をだ?」
「どうして神崎≠ノ協力してるんですか……?」
僕はまだ、この人がどういう人なのか、何も知らない。
グリフォンの親を殺しても、奏や自分を罠に嵌めても。その先に何をしたいのか、何も知らないのだ。
グリフォンの親が子供を守ろうとしたように。リトシトがガレナの非行を止めようとしても、止められなかったように。
どうしようもない理由があるのなら――
「何を言ってる。そんなの聞いたって、どうせお前たちは敵だろう?」
考えもしない。
鏡は箱を握る手に微かに力を込め、冷たい目でファルチェへと笑んだ。
昔の自分を見ているようで、苛々する。
「そうですか」
「ああ。というわけだ。早く依頼品をくれ」
差し出された手に、鏡は依頼品を入れた箱を乗せようとして――
微かに触れた途端に顔面に向けて投げつけた。綺麗にその顔面で受け止めたファルチェは固まっている。ずり落ちかけた依頼品を慌てて掴んで、涙目で赤くなった鼻を押さえたではないか。
「痛いぞ!? というか一応これ依頼品だからな!?」
「もう渡しましたし、いいですよね?」
「渡してないし投げてるじゃないか!! 精密部品だぞ!?」
「あ、よかったですね! 渡す時点では壊れてないですし、ちゃんと支払いお願いしますね?」
「渡された途端に壊れたのにか!?」
「中身も確かめないで言わないでくれませんか?」
はっとして、慌てて中身を確かめるファルチェ。途端に顔を絶望一色の彼に、少し気分がすっきりした。
「あんまりだ……これ、依頼に今度使うために取り寄せたのに……」
「え、依頼?」
「ああ、神崎≠カゃないぞ。食べていくためにオレもたまに依頼を受けて武器を打ってるんだ。今回は……記録を残す技術を異界の民から仕入れた職人が、音を残す機械の箱を作ってくれって、送ってくれたんだが……」
「もしかして、レコーダー……?」
「いや、違う。オルゴールとか言ってたな。なんでも音楽が好きな孫に与えたいからだそうだが……」
「……」
罪悪感が一気に噴出した。依頼品を見下ろす目が増える。
ファルチェが開け放したままの扉に人影が見えても気づけなかった。足音がしないせいで目はずっとオルゴールの箱に釘付けになっていた。
「ファル、まだかかってるのか? そろそ――」
衝撃は一日に、何度も襲ってきていいものではないと思う。最悪な方向にばかり転がる衝撃なんてもういらないと思った。
なんで今日に限って――
「か、神崎=c…!?」
介ほどではないにしても、痩せた男は軽薄そうな顔を怪訝な様子で傾けているではないか。警戒するべく足を一歩後ろに引いた鏡は身を固めた。
「誰だったか、お前」
「えっ、名前奪っておいてもう忘れてる!?」
「名前は覚えてないが、お前が介の仲間っていうのは覚えてるぞ」
一番大事な情報として奪われた名前をまさかこんな簡単に「覚えていない」と言われるとは思わなかった。
思わず身構えるも、元々買い物をしていた途中だった鏡には武器なんて手元にあるはずもない。焦りを滲ませないよう身を引こうとして、気づいた。
神崎≠ヘ全くこっちを見ていない。それどころか、ファルチェを見下ろして興味の対象が変わったようだった。
「何落ち込んでるんだ? まあお前が落ち込むなんていつものことだけどな」
「ひどくないか!? 依頼の品が壊れたんだ……」
罪悪感がぶり返した。
うっと言葉に詰まる鏡を見もせず、神崎≠ェ箱を覗き込んでからからと笑っている。
「あーあ、それはまた面白いことになったな! お前どうやって生活費稼ぐんだ? もう売ったほうが早いんじゃないか、Sランク武器」
「それだけは絶対に嫌だぞ!! 気に入った奴に渡すならともかく、金に困って売るなんて絶対にやりたくない!! それに生活費ならまだ一月はなんとかなる!」
「けどお前が飯に困って満足にハンマー振るえなかったら一緒だよな?」
「うぐっ」
「オレは別に困らないが? 満足いく武器ができなくて困るのはお前だけだからな?」
「うっ」
「試作している罠に引っかかっても抜け出す体力なくなるだろうな?」
「それは……! い、依頼を受け直せば!! いやこれを直せば!!」
「お前音楽の才能あったか? 音が歪んでたらクレームものじゃないのか?」
心臓が痛い。
ついに沈黙して、箱を前に両手を地面に突いて挫折するファルチェ。鏡も申し訳なさを覚えて胃が痛い。
いくら敵とはいえ、やっていいことと悪いことがあったと思い始めた。いや、悠里ならきっとこれすらもざまあと笑っていたかもしれないけれど。
……自分には無理だ。
「そういえばお前」
「……鏡だよ」
「そうそう、そういう名前だったか。お前はなんだってこんなところまで来たんだ? ファルチェをからかいに来たのか?」
うっと、言葉に詰まる。違うと言いたいも、やったことはからかいを通りこしたものだっただけに、ぐうの音も出ない。
ファルチェが膝を抱え込みそうな表情で首を振っていた。
「依頼の品を届けに来たんだ……」
「……は」
目を丸くした神崎≠フ口から出たのは、その一音だけだった。
次に出た音は腹を抱えた大笑いだから、鏡は居た堪れなくなる。
「ははははははははははっ、ははははははははは!! なんだそれ、お前こいつに依頼の品を届けてもらったのか!?」
逃げたほうがいいとわかっているのに……。
ファルチェの隣で一緒に心を折られていく気分だ。鏡は耳障りな笑い声に顔をしかめるも、神崎≠ヘ有頂天に笑い続ける。
「バカだなー、冒険者の知り合いもろくにいないのか? 指定して頼めばよかっただろう、壊れて当然だな! オレだったら敵に荷物を渡すとわかったら、投げて渡してわざと壊すぞ!」
「ば、バカじゃない!!」
実際、つい今しがたそれをやった鏡の心に五寸釘が突き刺さった。
「いやバカだな! お前がアホなのは知っていたが……はははははははっ! しかも敵の依頼を受けるなんてお前もバカだな!」
「うっ……」
さすがに返す言葉もなかった。マスターに頼まれたとはいえ、送り先も送り先の名前も全く見ていなかったのは自分だったのだ。
挫折したまま動かないファルチェを散々に言葉でいびり倒す神崎≠見やり、鏡は苦い顔でもう一度足を後ろに一歩下げる。
そのまま、踵を返してダッシュ。
足には自信がある。いざとなったら輝石で魔術を放つしかない。とにかく一人じゃ危険だ、逃げなきゃ――!
「そんなに急ぐな」
かけられた声と共に、視界の隅から影が伸びてきてぞっとする。慣れない光魔術を使おうとブレスレットに手を伸ばした瞬間、影で作られた手が見覚えのない長財布を開いた。
数枚の紙幣を取り出して、差し出してくる。
目を瞬いていると、さっさと取れと言わんばかりに手が動かされて、促されるままに受け取って……目を剥いた。
「ふぁっ……えええええええええええ!?」
「何を驚いているんだ? 結局ここまで持ってきたことに変わりはないだろ」
「おいなんでお前がオレの財布持ってるんだ!?」
「だってお前……ちゃんと受け取ったなら払わないといけないだろ」
耳を疑った。夢かと頬までつねった。
急いで振り返ると、ファルチェが顔を真っ青にしている。財布財布と念仏のように唱えていて、紙幣を受け取った鏡は思わず自分の手とファルチェを何度も見てしまう。
「え、いや……その……」
「あとな、ファル。オレも影操ればものは持てる。これ以上情報暴露されてたまるか」
目を瞬いた。
つまり、神崎≠ヘ自分から人に触ることはできないけれど、悠里がやっていたような影を操る魔術を使えば、ものを動かすことはできるということなのだろうか。
「あの、自ら情報ありがとうございます……?」
神崎≠ェ沈黙した。
また影がぬっと動いて、身構えた鏡の前で財布がまた開かれた。
紙幣を無理やり握らされた。
「……口止め料な」
「え、あ、はい……?」
「オレの財布!!」
「元はと言えばお前も悪いもんな! 主に罠の件とかオレの影の件とか!」
うわあ清々しい責任転嫁。
「待て!! 確かに罠はオレのせいだがオレは影のことは一言も漏らしていないぞ!!」
「オレの影じゃ人間や物体を触れないって話しただろお前。一方的には触れられるが」
「えっ、あれ聞こえてたのか?」
「あいつらは耳がいい連中揃いだぞ。ってわけだ。じゃあな」
嵐のように右と左で言い合う男二人に呆然としていたせいで、鏡はぎょっと目を見開いた。
「えっ!? 切り替え早!?」
「どうせお前もここで戦う気はないだろう? あったとしたらファルチェ以上のアホだぞ」
それを言われると、目を白黒させていた鏡もうっと言葉に詰まる。ファルチェがかっと目を見開いた。
「オレ以上って失礼だな!?」
「いや事実だろ。で、どうする気だ?」
「……元々武器持ち込んでませんよ……魔物は全部走って逃げてきたんで」
なぜ今沈黙が下りるのだろう。先ほどの勢いでバカにされるか
「……お前まさか、依頼の時走って逃げればいいなんて思ってたのか?」
「へっ? え、いや、そんな」