あのファルチェに荷物を届けた後日。ファルチェから譲り受けたナックルは、家に遊びにきたエルデに早々に見つかった。
あまり動かない表情でも、今回ばかりは目の端を吊り上げられるに違いない。そう覚悟したも、彼女はきゅっと眉根を寄せたきり黙っていて、目を丸くしたのは鏡だった。
一緒に留守番していた介と二人で顔を見合わせていた。
「この武器は……あのアホの……兄の作品ですね」
「う、やっぱりわかるよね……」
「当然です。ですがこれは……これを、風見さんに渡したのですか」
「どういうことだい?」
苦々しい様子のエルデに、介が尋ねる。エルデは少し沈黙した後、ポットから紅茶を注いでいく。
「兄はこの武器のこと、何か言っていませんでしたか」
「え? えっと……確か、この武器は僕を選ぶだろうと思ってた、とか……風属性の魔導鉱を使っていて……他の人間を拒絶しても、僕にだけは許す、とかどうとか……」
エルデの眉がきゅっと寄っていた。けれどそれは、少し暗い感情も見えた気がして、鏡は驚いた。
エルデが武器に対してこんな顔をするなんて……。
「この武器はSランクです。つまり、Sランクの魔導鉱がなければ完成しないものです。……私から言えるのはそれだけです。この子を、どうか大切に使ってあげてください」
「……えっと、いいの? お兄さんの作品なのに……」
エルデがこくりと頷く姿に、介が目を丸くしてナックルを見下ろしている。
「はい……その子だけは、風見さんが持つべきかと。他の誰でも使えるという武器は存在しないのが当たり前です。一般的な規格はありますが、使い手の体格や手の大きさ、腕の長さ、体感まで熟知して作られていなければ、それはSランク武器ではなくなります。オーダーメイドと変わらない型と最高品質の素材と技術がなければいけません。ですから、風見さんしかその子を持つことはできないんです」
「わかった……けど、そうなったらエルデさんが作ってくれたナックルが……」
「……そうですね。ですが、今回ばかりはそれでも構いません。悔しいですが、その子は風見さんに使われるほうが幸せだとわかりますから」
介が苦々しい顔で俯いている。二人が眉根を寄せている様子に、鏡は居心地の悪さが抜けなかった。
「……あの。さっきから気になってたんだけど……二人とも、この武器のこと、何か気がかりがあるんじゃ……」
「確証はないよ。……ただ、その武器が鏡くんでなければいけない理由があるSランク武器なんて、考えられる理由は少ないだろう」
えっと目を見開く。もう一度言葉を
あの時、ファルチェは「この間作った武器」と言っていた。それに風属性の最高ランクの魔導鉱……。
エルデが遺跡についてくるほどに、それは入手しづらいものだ。彼女だってたまにしか手に入れられていないことは鏡も知っている。
知っているから、ナックルに手を伸ばして、視界がぼやけて滲んでいく。
「そんな……! 嘘でしょ……ッ!?」
「……その子に
「だけどっ、これは……! あの子のお母さんの――!」
「はい。だからこそ、他の誰かの手で扱われるよりいいんです」
エルデが静かに、ナックルに手を当てた。
「この子の命の重さを知っている風見さんでなければ、他の誰が扱っても、軽い武器にしかなりませんから。ですから、この子が使い手として選んだ、風見さんから名前を送ってあげてください」
悔しかった。ファルチェがにべもなく渡してきた武器の背景を知るほどに、涙が視界を奪いそうになる。
それでも、舌を噛んで、滲みを消し去る。
鏡はナックルにしっかりと手を置いた。
「選んでくれたってことは……一緒に戦ってくれるって、ことだよね。きっと」
「――そうかもしれないね」
介の声は、いつになく静かで、優しいものだった。鏡は泣きそうになった顔で無理やり笑顔を作って、目を閉じる。
「――
あの、神聖と呼ぶに相応しい翼を。雄々しく猛々しく、力強い猛禽類の目を。
この美しい緑を纏ったナックルの中に、その命が眠っているのなら、この字を送りたい。
「翡翠の翼で、翡翼。……これ以外は、今は思いつかないよ」
「正解なんてありませんよ。名前も、感情も。ですから、その名前以上のものを思いつかないのなら、それが風見さんとこの子の形です」
エルデに頷く。鏡はじっと、手の中の武器に目を落とした。
「――力を借りるね。改めて……よろしくお願いします」
どうしてそう思ったのかは、今でもちょっと、わからない。
あの鋭く大きなグリフォンの目が、優しく閉じられたような。
御影を迎えに行ったとき、鏡へと許すように閉じられた目が、はっきりと脳裏に映ったのだった。
時は、それぞれの想いに関わらず進んでいく。
気づけばあと一ヵ月で、この世界に飛ばされて一年となっていた。
時折、強い魔物を倒すことになり、輝石を消耗しすぎて現実の世界に戻る時はある。ほとんど朝の光景ばかりで、何度も両親から勉強のしすぎを怒られていたが、鏡自身は全く勉強など手についていない。イドラ・オルムにいる間はほとんど鍛錬ばかりで、医学の勉強で手いっぱい、理数や地歴公民なんて手につくはずもなかった。
危機感は抱いている。父から「受験生だからって無理はするな」と釘を刺されたことで、自分が異世界で体感する時間と、現実世界の時間の経過が一緒だとわかったから。
同じ思いは御影もしているのか、輝石の濁りが強まった時の彼女は、寝たくないのかよくリビングでぽつんと座っていた。寝なくていいのかと声をかけると、彼女は決まって
「寝て、受験勉強の地獄、見たくないの……」
「……勉強、手伝うよ? 高二の範囲までだけでも……」
あんまりにも泣きそうな顔で言うものだから、途中まで徹夜に付き合うこともしばしばだ。ただ、決まって彼女のほうが徹夜できずに寝てしまい、鏡が運ぶことも多かった。
そんな御影も、受験シーズンが終わって、専門学校に進学できていたようだ。あれだけ必死に勉強した甲斐も虚しく、受験当日に現実世界に帰ることは叶わなかったようだけれど。
そしてもう一人、ピリピリしていた人物と言えば。
「あいつら信じてねえ……! 何度言えばわかるんだよ堅物連中が……!」
「……上層部に伝わらなかったんだ……」
「伝わるどころか係長止まりだ、蓮や先輩はともかく上が通してくれねえ。海理サンの話も細かく出したのに、俺が書庫籠って事件について調べてたから出てきたんだろとか……ふざけんな!!」
オーブンの扉、そろそろガタが来そうだ。
奏は苦笑いを溢して、作り置きしていたらしいマドレーヌを渡しているけれど。
「お疲れ様です。こっちに来たことがない人には夢物語でしょうしねえ……どう頑張っても現実問題だから言ってるのに、こっちも」
「一応蓮が――上司がなんとか動いちゃくれてる……けど対策打つので精一杯だろうな」
悠里が焦りを滲ませるのも無理はないかもしれない。悠里はこの世界に来て一年と二ヶ月過ぎている。何度か現実世界に帰っては、その都度上に事態を説明しているようだが、依然変わらない状況がもどかしいのだろう。
介が帰ってきて、鏡はやや青い彼の顔色に気づいて目を丸くした。
「おかえりなさい……介さん大丈夫ですか? もしかしてノイローゼ出たんじゃ」
「え? ――ああ、かもしれない。今日はいつも以上に人ごみが凄かったからね……今日はおれ、籠り部屋で寝るよ」
「珍しいな、最近使ってなかったろ」
「境途までの道も再確認したいしね。ちょっと計画練るついでだよ」
「ノイローゼ起こしたんなら無理するな、休んどけ?」
「ですね。ちょっと寝たほうがいいと思いますよ? 籠り部屋、大分ものに占領されてるから寝心地悪そうですけど」
「大丈夫、慣れてる」
「いや慣れるなよ」
以前のパーティのおかげだよと溢して階段を上がる介に、鏡も御影も首を捻った。
「大丈夫、かな……」
「多分……今日そんなに人ごみ多かったかな……?」
同じく外に出た自分はそこまで感じなかったけれど、介は随分と疲れが顔に出ていた。きっと人通りが頻繁な場所で情報収集をしていたのだろう。
多分、境途に行くための。
――もう返事をしなければ。悠里も奏も、境途に行くとその場で返事をしていた。御影ももう伝える気でいるようだし、あまり介を待たせたくない。
やっぱり、一緒に行きたいのだ。神崎≠窿tァルチェとの決着をつけるためにも。
帰るための手がかりを得るためにも。
「なあ、介知らねえか?」
朝起きてすぐ、怪訝そうに尋ねてくる悠里と顔を見合わせて、鏡は固まった。
「ううん、知らないけど……」
「やっぱりか……あいつ朝からどこ行きやがった……」
「珍しいね、書置きもなかったの? すぐ戻ってくるんじゃないかな……?」
介は基本誰かにどこに出ると伝えてから出る人だし、以前の悠里のようにいきなり飛び出すなんて真似はしない人だ。全員が寝ている時間に出るような用事なんて……
言われてみれば変だ。介にそんな用事があったこと、今までなかった。
奏が目を擦りながら降りてきた。悠里が難しくなっていた顔色を和らげている。
「おはようさん。お前介――知るわけねえか」
「おは……え、介さんがどうかしたんです? 籠り部屋で寝たんじゃないんですか、昨日……ふあ……」
随分と眠そうだ。いつも自分たちより早起きなのに。
欠伸を堪えきれず手で覆う彼女は、もう一度目を擦って鏡と悠里を見やっている。
「すぐ戻ってくるんじゃないんです? 介さん、だいたい書置き残してくれてますし」
「やっぱりそう思いますよね……っていうか、奏さん凄く眠そうですけど、大丈夫ですか?」
「ううん、すっごく眠い……まだ夜明けてない時間帯に誰か、外か中か知らないけど生活音聞こえてきて……それで目覚めちゃって……」
生活音?
いつも気配に敏感な悠里に目を向けると、彼は顔をしかめている。
「んな音聞こえなかったぞ?」
「本当ですよ。なんか荷物動かしてるっていうか、雑多な感じの音でしたもん。
明け方。雑多な音。
悠里が何を思い至ったのか、足早に二階へと上がっていった。鏡も苦い顔で、スマホに来たメール通知に目を落としている。
「た、介さんに限ってないとは思うけど……あれ、大和くんからだ」
――相談があるから今日時間の都合が合わないか? なんだろう、普段相談事はあまりするイメージがない大和がこんな文章を送ってくるなんて珍しい。
いつでも大丈夫だと返信で伝えると、午前中にこちらに来るとすぐ返事が返ってきた。テキパキとした性格の大和ではあるが、なんだか文章がいつになく駆け足気味に見える。
覚えた違和感はすぐに不安へと爆発した。
「くそっ、すぐに確認しとくんだった!」