苛立たしげな悠里の声に、奏が驚いて振り返っている。確認するように悠里へと目で問うと、彼は柱を殴りつけている。
「あいつの旅装全部なくなってやがる……」
「え!? 出るような依頼なんてありましたっけ!?」
「あったとしてもあいつが一人で動くわけがねえ。数カ月前にも鏡に説教したってのに」
「そ、その話はもう……!」
五寸釘が凄く痛い。奏の憐れむ目がつらい。苛立ちを隠さないままにスマホをいじっていた悠里が、ついにスマホをテーブルに投げた。覗き込んだ鏡は顔をしかめずにはいられない。
介を示すはずのポイントがどこにもない。ただ文字が『Not found』と踊るだけだ。
「外出て情報拾ってくる。介が行動に移すなら冒険者の店で何か聞いたってのが可能性高い。あと、リトシトサンのとこだな」
「僕も大和くんと話が終わったらすぐに行くよ。二手に分かれて情報集めたほうがいいと思う。介さんのことだから境途方面調べてたんじゃないかな……境途中心に聞いてみればいいよね」
不意にインターホンが鳴らされ、奏が驚いて走っていく。悠里はホットケーキを皿に乗せ、奏の席に置いてやりながら鏡を見下ろしている。
「大和……か? 早くねえ?」
「うん……相談したいことがあるって言ってたけど、どうしたんだろ……」
手身近に玄関での話を切り上げて戻ってきた奏も、困惑した様子だった。後ろについてきていた大和の顔色に、鏡は目を丸くする。
「朝早くにごめん。なるべく早く話をしたほうがいいと思って。手を貸してほしいんだ」
悠里と奏が顔を見合わせている。
鏡は目を見開いて、慌てて大和に椅子を勧めた。
普段そうやって気を配ってくれている人がいないと、言葉もぎこちなくなっていた。
「境途で海理サンの弟に似た奴がゲートを倒して回ってる……」
御影も起きてきて、全員で聞いた話の概略を
海賊頭と呼ばれた男、海理・N・レーデンを彷彿とさせる少年が境途にいる。新参者でありながら熟練の冒険者に負けず劣らずの実力を発揮し、一人で何体もの魔物を狩っているという噂は、確かに海理が反応しないはずがない。
あれだけ身内と数えた人に対しての想いが熱い人だ。
「もうレーデンさんは先に境途に行ってるんだ。ただ、いくら強いと言っても、あの人も一人だけで動いて刺されないとも限らないしね……
「バカ兄も境途に行ってるの?」
正直意外だった。大和が微かに苦い顔をしていて、驚きを隠せない。
「正直不安はあるけどね。あと、君たち境途方面に行くんだよね? 僕も昨日情報集めてたんだけど、気になるものがあって」
「気になるものって――境途に関することだよね?」
「うん。火と光の魔術を操るゲートが、ゲートを倒し続けているそうなんだ」
ゲートがゲートを倒す?
耳を疑っていると、悠里が顔をしかめている。
「どっかで似たようなの聞いた気が……って、それ現実世界でのゲートの話とそっくりじゃねえか」
「あっ、そうだよ! 現実世界で暴走しているゲートを止められてたのは、ゲートだけ……」
だけど変だ。この世界、イドラ・オルムのゲートは――鏡たちが倒してきた彼らは、同士討ちをするどころか、多くがゲート化していない人々を襲っていたはず。だからゲートを倒さなければ、自分たち異界の民も、この世界の住人であるイドラ・オルムの民も危険に
現実世界はそもそも魔術がない。だから超人的な力を発揮するゲートたちに対抗できるのは、同じゲートになりかけて、現実世界に一度帰還した人々だけだったはずだ。
大和も顔色が微かに悪いまま頷いている。
「そう、本当ならそれがこっちで起こるなんておかしい。それとそのゲートだけど、ある程度特徴を掴めてるよ」
情報が早い。メモを取り出す大和は手身近に渡してくれ、鏡たちは覗き込む。
「さっき話した通り、火と光の魔術に優れていること。二十代半ば頃の男性。体術も得意としているけど、武道みたいな動きじゃないらしい。僕みたいな喧嘩慣れのほうだね」
「――まさか介が動いたのって……」
「多分、動いてるとしたら二つ目の噂だろうね。そっちも今、佑さんとアレンくんに調べてもらってるけど……」
やっぱり、大和の歯切れがいつもより悪い。見抜いた鏡は微かに目を伏せた。
心配、なんだ。海理さんのこと……。
「その属性が得意な人に心当たりがあって、いてもたってもいられなくなったってところじゃない? 事実、レーデンさんもそれで今不在だしね」
平静を装っているけれど、それだけ海理が急いで飛び出したことも、独りで魔窟と呼ばれるようになった境途へ向かったことも、不安なのだろう。
「でも、こう言っちゃうとなんですけど、介さん人が危なくなったからって動くような人ともまた違うと思いますよ? アレンさんの件でも、介さんって一線引くと決めたら、干渉しない主義みたいでしたし」
「そうかな? ただそれだけの理由ならそうかもしれないけど……例えば、肉親、あるいは深い負い目がある人だったりしたらどうかな?」
心臓を掴まれた思いだった。
スマホを活用して人を探してたらしいけど、途中で今日みたいな獣に襲われかけててな
独りで飛び出したのも、知り合いをGPSが探知してなけりゃやらなかったって言ってたぐらいだ
介がいてもたってもいられなくなる人物。さらに同じような行動を起こした話を、鏡は悠里からも聞いていた。随分前だけれど、この世界に飛ばされて最初の夜だったから今でも鮮明に覚えている。
悠里も同じことに思い至っていたのだろう。彼の顔色が一気に変わる。鏡は口を開いて、ぎこちなく動く
「……それって、つまり……」
「奏の兄さん……か、もしくはその時のパーティの誰か……か」
奏の目が見開かれていく。御影があっと口を開いた。
「きっとそう、です……! 介さん、奏さんのお兄さんの話してる時、凄く懐かしそう、だったから……最初の仲間の人たち、きっと特別なんだと、思います」
「……兄貴の属性……は、知らないけど……兄貴なら手も足もよく出る……私や
言う奏の声が震えている。信じられないと青ざめた彼女に、悠里が顔をしかめた。
「……考えてもみろ、火と光だろ? まるっきりお前と一緒じゃねえか……ってことは血筋を疑っていいかもしれねえ」
「僕も少し独自にこっちの件調べてたんだ。可能性は疑っていいんじゃないかな。一つ目の噂は、レーデンさんあんまり介入して欲しくなさそうだったから……さすがにあそこまで冷静さを欠いていると、心配なんだけどね」
悠里も海理の件については気にかかっているようだ。彼のことを現実世界で、その
同時に奏のことも、心配そうに見やっていた。奏は瞳を揺らしていて、動揺を隠せないようだ。
――介から兄の最後の姿を聞いた時、無理やり耐えたようなものだったのだ。やっと折り合いがついたばかりのようだったから、無理もなかった。
「……兄貴、生きてるの……? で、でも、ゲートだって……」
言いかけた彼女ははっとしている。御影が俯いた。
「介さん、奏さんのお兄さんがゲートに、なっちゃったかもしれないって、こと……教えたくなかったんじゃ……」
「可能性はあるね……介さん、人嫌いなのに優しいから……」
小さく頷く御影は、悲しそうだった。悠里も苦い顔で頷いている。
「だろうな……正直、介のことは心配だが海理サンのほうも心配だ。強いとは言え、さすがに肉親絡みじゃ無理無茶するだろうしな」
「私境途に行きます、兄貴が本当に生きてるなら――!」
「か、奏さん、待って……介さんと海理さん、大丈夫かどうかも、確かめないと……慌てて動いちゃ、危ないです……」
御影が冷静でいてくれて助かった。鏡はほっと一息漏らして、奏を見やる。
「御影の言うとおりですよ。それに僕たちじゃ境途までの道がわからないですし、闇雲に動くのは危険です。それに、介さんがゲートのことを
「そーいうこと。焦るのはわかるけど、ちゃんと俺らのことも頼れよ。どっちも探そうぜ」
奏のもどかしさを隠せない顔が、少し落ち着いたのかしっかりと頷いてくれた。大和が彼女を見据えている。
「やっぱりここに声をかけてよかったかもしれない。目的地は同じだ、僕が案内するよ。境途で佑さんとアレンくんに合流後、僕らはレーデンさんを、君たちは神田さんを探して二手に別れる。これでどう?」
「お願いします!」
焦りを隠せない奏へと、大和も頷いていた。鏡はすぐに立ち上がり、悠里と頷き合う。
「準備してくる。境途ってここからどれぐらいかかるの?」
「結構な距離だよ。馬で二週間はかかる」
「そんなに!?」
「現実の東京と京都の距離考えりゃ短いほうだな。移動手段は?」
「馬車を手配したほうが早いよ。レーデンさんの知り合いに当たってみるつもり。一応さっき連絡送ったから、すぐに動いてくれると思う」
「わかった……!」
悠里たちとすぐに手配を決めて、大和と待ち合わせ場所を確認し合った。エルデには馬車を受け取りに行く途中で説明をしにいくことになり、詳細を鏡が纏めて書いて渡すことにする。
準備に取りかかるべく、鏡は急いで荷物を詰めに二階へと駆け上がった。
境途は魔窟。
嫌な言葉が、頭の中を何度も過ぎる。
「無事だよね……っていうか、無事じゃなかったら許さないけど……!」
こんな形で行くことになるとは思わなかったけれど。
こうなったら、介への返事は行動で返そう。