境界融和世界の幻門ゲート

第44話 02
*前しおり次#

「名をここに戻す。其の名は『神崎 火澄』。在るべき名の場所へと還らん、名よ体を現せ!」
 介と神崎≠フ体がぶれたように見えたも、すぐに戻る。目を見開いた鏡は確信した。
 名を取り返せた。なのに
 どうして神崎≠ヘ嗤っていられる?
 まるでそう、このためにわざと教えていたような……
 まさか。いや、そんな。
「名をここに記す。其の名は『神田 介』」
 身をひるがえした神崎≠ヘ真っ直ぐ魔石の台座へと走っていく。顔色を変えた介が水柱を作り上げようとするも、輝石のにごりに目を疑っているようだ。
「名をここに写し、刻む。其の名は『神界』。汝が役割を与える。名を体とし異界の門をここに開け。汝が体は神の界に至る幻門ゲートなり」
 台座の魔石がひび割れた。
 光を放ちながら割れていく魔石はまるで卵のよう。砕けたその内から現れた尾が細長い成鳥が、鳥籠のように絡まる、台座のつたの部分を見上げて高く鳴いて――
 羽ばたこうとした鳥の翼が蔦に絡め取られ、高く持ち上げられた。
 輪のように、アーチのように高く伸びる蔦が、身動きすら叶わない鳥を捧げるように沈黙する。
 アーチの内に見える空間が、黒く変質した。
 決してそれはこの場所ではない。そもそもあれは液体ではない。
 気体なのか。固体なのか。ただ流れていることだけは確かにわかる。
 どろどろと動くそれは黒く、異質なうごめきをアーチの向こうで繰り返す。音は聞こえてこないのに、その音がこちら側へと流れ出ようとしているように見えた。
 目を見開く鏡たちの前で、神崎≠ェ口を歪めて笑っている。ファルチェがアーチの向こうを見て言葉を失っていた。
「……これが……神界……なのか?」
「神田さんに名を取り返させたのも、写し取るためだったというわけですか」
 エルデの指摘に、苦い汁を無理やり飲んだような介の声が呻く。神崎≠ヘ愉しそうに笑っているではないか。
「ああ。最初はオレが人柱になって神の界の入口を開く気でいたが、『反徒の種』のやり口を気に入らなくなってきた。だから写し取るほうに変えたというわけだ」
 さっきの笑みはそういうことだったのか。
 どろどろに目を奪われる。思考を投げ出したくなるほどに、黒いそれはこちらに溢れ出ようとしている。
 あれに触れたらまずいと、直感が告げる――!
「さあ――『反徒の種』が生み出した神の成り損ない、出てこい! お前は世界をどう壊す?」
 黒いどろどろが、蠢いた。
 ごぽ
 いやに耳障りな音が、アーチの向こうから溢れ出てくる。
 表面に黒を映して。歪んだ人の顔や、人骨のような滲みを映し、呻く声や怒りの声を発しながら、ゆっくりと、粘土を流し込むように溢れてくる。
 御影が後ろでひゅっと息を呑んだ。
「……もし、かして……『反徒の種』に、殺された……人柱にされた、人たち……?」
 静観するファルチェの目が、微かに細められる。
「恨み、つらみ、憎しみの顕現……か。これが蔓延はびこっていたなんてな」
「アンタはなんでそんな冷静に分析してんだ……!?」
「オレは過程を大事にするタイプなんでな。なんでも上手くいくと思って手の平で踊らされるのはツマラナイだろう?」
「そういうことだ。綺麗なレールほど歪めたくなる。最初から舗装された道を歩くだけなんぞつまらない。だからオレもファルも奴の退屈なシナリオを崩してやった」
 哄笑が、軽薄な目をした男の口からあふれる。
「結末はそのままに、自分の思い通りに行かないシナリオ。どれだけ歯痒い思いをしただろうな? しかも――その結末も、本人が望んだ結果にはしてやらないがな」
 どういうことだろう。
 そもそもなんなのだろう。『反徒の種』が望んだ結果なんて……
 何を、望んでいたのだろう。
「名をここに記す。その名は『影』、『鏡』。名をここに定義する。『影』は追従、『鏡』は投影。名を体とし真価を記せ」
 また、詠唱。しかも中身を聞いて鏡は歯を食いしばる。
 名前を与えたものを、神崎≠ヘ操れる。
 きっとこのどろどろも操る気だ――!
「くっそ……」
 悠里は――輝石を見下ろして苦い顔になっている。ブラックスターは純然が似合う黒からほど遠く灰色に褪せており、もう後がそんなにないことがはっきりとわかった。
 鏡も――瞬間的に魔術を発動し続けて、マラカイトの色が鮮やかな緑からほど遠くなりつつある。
 介も、御影も――奏ももう無理だ。エルデだって魔石の残数がそれほど残されてないはず。
 広がる。
 ひろがる。
 どろどろがおぞましい唸り声をこの部屋に低く響かせながら、不協和音を奏でながら、広がっていく。呑み込んでいく。
 打つ手がない――!
「名をここに刻む。彼の名は『影鏡えいきょう』。名を体とし真価とせよ。汝が名は我が意に追従せし鏡となる」
 どろどろが暗く輝いた。
 同時に背後から響く足音に振り返るも、そこに人気はない。
「誰かいる!?」
「気配は感じねえが、いた気がするな……」
 どろどろが流れてくる。逃げ場は――いや、そんなことを考えているうちにこれが何をするかもわからない。
 佑理が自身の輝石を見て目を疑った、その時だった。
「ははっ、やっぱりこっち側に来て奴を狙うか!」
 どろどろの一部が鋭く伸びた。
神崎≠貫く黒が、一同の目を見開かせる。膝から力が抜けていく男の姿は、槍のような黒に貫かれるその場所を広げていく。ファルチェすらも信じられない様子で、黒の槍を引き抜かれた神崎≠ェ倒れ伏す姿を凝視している。
「なっ……!?」
「笑止」
 布の擦れる音。
 振り返った一同を前に、黒い薄布で身を覆った、踊り子とも取れる装束の女がやってくる。手緋色の光をいくつも宿した、禍々しさを覚える人の頭ほどもある巨大な魔石を手に、悠然と歩いてくるではないか。
「やっぱり、敵対してたんだ……!」
 まだどろどろは神崎≠フ周囲を流れていない。鏡は彼へと駆け寄って、傷を見て呻いた。
 生きていることが不思議なぐらいだ。背中から腹にかけて貫かれた大穴が、肉をただれさせて覗いている。歯を食いしばった鏡は、すぐに魔術を唱え始める。
「開け幻門、我が門は風。マラカイトの輝石を以て力をここに具現する! 顕現せよ生命。戦士の傷つきし体に治癒の加護を与えよ」
 傷が、少しずつ塞がっていく。このままじゃ足りないけれど、やらないよりましだ。
 大量の脂汗を浮かべる神崎≠ェ、歯を食いしばって睨み上げてきた。
「……お前……なん、の……真似だ……!」
しゃべらないで、体力を消耗しますから!」
 どろどろが神崎≠フ傍まで来る前に、あらかた傷を塞いで退避させなければ。何が起こるかわからない。
 悠里がなおも流れ出続ける黒いどろどろを振り返り、女を睨みつけた。
「あんたが噂のクラクサン?」
「いかにも。我が名の意は破砕。その男の小賢しき結界など無意味よ。あの方がお創りになる未来を邪魔させはせぬ」
 戦う直前、神崎≠ェファルチェに発動させたものは結界だったのか。ファルチェが「なるほど」と呟き、鏡と神崎≠背に立ってクラクを睨みつけた。
 手に握られた二丁拳銃に力がこもっている。
「破砕か……オレとは相性が悪い。……カザミ、火澄のこと頼む。オレは生命苦手だしな。それに……オレも今珍しくイラついてる」
「言われなくても……!」
 まだ半分もその円は塞がってくれない。神崎≠ェ歯を食いしばっても、睨み上げてきても、退けようと弱い力で突き飛ばそうとしても、譲らない。
「……情けなんぞいらん……! ファルお前っ、何敵に、頼んでる……!」
「情けじゃないよ」
 耳を疑う神崎≠ノ、鏡は首を振り静かに口を開いた。
「頼まれたからでもない、僕がやりたいからやってるだけ」
 道化を繰り返してきた男の目が、見開かれた。
 やがて力なく閉じられた目と、微かな呼吸を確かめ、鏡は目つきを変える。ファルチェも銃弾を装填し、踊り子装束の女を睨みつける。
「しばらく休んでてくれ。後は……オレも動く」
 クラクと名乗る女は、腰に巻かれた布を床の上で滑らせながら、悠々と近づいてくる。
「そやつが与えた名なぞ無意味。既にあの方が与えた名がある。奴の意など聞くとでも思うたか。これまでの徒労、苦労であったな。道具ではあるが、褒めてつかわそう。使えぬ道具共が多かったが、貴様らは別格よ。あの方もさぞ喜ばれる」
「嬉しくないね」
 吐き捨てるような悠里のセリフを気にも留めず、クラクは愛おしそうに自らの手の中の魔石を見つめている。
「ようやっと出来上がった核……やや早熟であるが仕方なかろう」
 どう見てもそれは、沢山の魔石を継ぎ合せて作られたもの――
 ドクンと脈打つように明滅した光に、鏡はぞっとした。悠里が歯を軋ませる中、あの光に悪寒が走る。
「ふざけろ……っ!」
「ふざける? 貴様らに言われるとは思わなんだ」
 はっとした途端、黒いどろどろの流れが変わった。
 ただ一様に広がるように、溢れるように床を這っていた黒が、クラクへ向けてその流れる先を変えていく。神崎≠フ傷を修復しきった鏡は、彼の腕を自分の肩に回して急いでその場を離れる。
「所詮意識を投影された貴様らの存在こそ幻よ。帰る方法を探すなど笑止千万。方法があるなど何を思ってすがりついた? あの方の目的は世界の破壊ではない。融合、そして真なる黒の創世。貴様らのような矮小な存在すらも、あのお方は慈悲を以てお救いくださるのよ」
 意識を投影された――?
 幻って、じゃあ
 ここにいる僕らは……僕ら自身の本当の意識じゃ、ない?
 そんなはず――!
「お前にとってはオレたちイドラ・オルムの民も、向こうの民も矮小くて惨めな生命だろうな。だが、脚本通りはごめんだ」
「左様。どちらも矮小で愚かな存在よ。他に何がある?」
 忌々しげに舌打ちするファルチェを冷たい目で見やるクラクに、悠里がついに表情を削ぎ落した。
「幻ね。だからなんだよ。絶望してへこたれてここでおとなしく仲間になれって? 冗談じゃねえ」
「――そうだね」
 拳に、もう一度力を籠める。鏡はクラクを睨み据えた。
「だから諦めるなんて――冗談じゃないよ。たとえこの世界から僕たちのこの意識が消えるからって、向こうにとっては夢でしかなくったって、だからこの世界と僕たちの世界が混ざっていい理由にはならないっ!!」
「――もう一撃入れる必要もなかったか」
 ファルチェの口に微かに笑みが浮かんだように見えた。銃層の弾丸を入れ替えた男は、巫女装束の女へと迷いなく銃口を向ける。
一先ひとまず一時停戦を申し込むよ。今の目的は奇しくも一致しているらしいからな」
 銃口がアーチへと向けられる。
 とどろく発砲音。
 石でできた蔦を打ち抜く六発の弾が、蔦にひびを入れて粉々に粉砕した。自由となった鳥が羽ばたき、アーチが壊れてどろどろを映し込んでいた空間が揺らぎ掻き消えた。
 途切れたどろどろが、もたっとした動きで床をう。
 ファルチェのもう一つの拳銃がクラクの持つ魔石に向けられた。撃ち放たれた弾丸が魔石へと食らいつこうとするも、突如伸び上がったどろどろが壁となって銃弾を飲み込む。
 鏡は神崎≠壁際に運んで休ませる。悠里たちの傍へと走り寄ろうとして、鋭い爪に肩を掴まれた。
 目を見開いた彼の肩に留まる鳥は、魔石の台座から生まれ、蔦に絡め取られていたあの鳥ではないか。純白と淡い光に包まれ、見下ろしてくる鳥が頭を垂れたその額に埋まっている石に目を見開いた。
「その鳥――何者。この街の魔石の台座には全て、あのお方の御印が刻まれていたはず……その道具が印を消し去ったか」
 クラクも鳥に目を留めたのだろうか。けれど鏡は、鳥の額の石に目を奪われて頭半分も聞いていなかった。
 白く透き通った、力強い輝きを持つ石――
「魔石? ……ううん、何か違うような……」
 悠里たちが黒いどろどろを倒そうと魔術を繰り出していく。その音を聞きながら、鏡の手はなんとなく、鳥の額の石へと手が伸びる。
 石へと触れた瞬間、目を見開いた。
 頭に直接流れ込んでくるような、声がなくともはっきりと届けられる言葉の流れ。
 魔石の台座に触れた時を思い出させる言葉の流れを全て受け取った途端、鳥がすっと見つめてきた。
 使え。
 そう言われた気がして、鏡は目を見開くも、すぐに頷いた。
「わかった、やってみる」
「効くことはわかったが、オレも生命の弾丸には限りがあるぞ? 生命の魔石は希少だからな」
「だったら――顕現せよ生命。命の摂理、来るべき者に永久の安寧を。輪廻の光よ導け、生命の讃歌!」
 はっと御影の輝石を見やる。光を放つ輝石の輝きは、消耗を全くしていないような春の若葉のような瑞々しい緑色だ。鏡も自分の輝石を見降ろし目を見開く。


掲載日 2021/12/23


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