輝石の濁りが、消え去っている。それどころか肩に留まる鳥と同じ淡い光が包んでいる。
兄の輝石も、悠里の輝石も、奏や介のそれも。鳥へと目を戻し、確信した鏡はすぐにどろどろへと目を向けた。
御影の輝石が、取れたはずの濁りを瞬く間に増やして濁っていく。ファルチェが再装填した弾丸と、残りの弾数に表情を曇らせた。
「蓄積された負の感情が強すぎる……! エルデ、生命の魔石は!?」
「持っていれば最初から使ってます。さっき自分で言ったでしょう、希少なんですよ、アホですか」
「アホじゃないっ! というか、この場面で平然と罵倒するな!!」
発砲。撃ち抜かれた場所から浄化されるどろどろは、弾痕を避けるように流れていく。
クラクの目の前へと進もうとする黒い物体が、御影が放つ浄化の魔術で融けていく。高く持ち上がった壁はまるで、クラクを守るようではないか。
御影の顔色が青くなっていく。光の槍が効かないことで、後退せざるを得なかった奏がはっと御影を見やった。
「――お願い……持ち
「御影ちゃん……!? 無理しないで!」
「御影、もういい、無理すんな!! お前がこれ以上無茶すりゃ鏡がキレる!」
「ごめん、悠里……もうキレてるよ。君を信じるね――創世の魔術、最古の調べをここに顕現する! 巡りの環を和とせん。名を体とせよ……その言霊の名は解放=I」
鳥を覆う白い光が強まり、羽ばたく。
生命の属性を宿した光を纏ったまま、鳥がどろどろの中心部へと突っ込んでいった。一気に浄化される黒は跡形もなく消え去り、黒く焦げたような床がその痕となって遺されるばかりだ。
御影が術の集中を止め、崩れるようにその場に膝と手をつく。奏が慌てて支えに行く中、鏡は鳥が突っ込んだ場所で煌めく石を見つけて目を見開く。近づいてそっと拾うと、あの鳥の額に納まっていた石のようだった。まるでこれは――
「輝石……?」
「生命属性の最高ランクだ。どの世界でも多分共通しているんじゃないか? ダイアモンド」
「つーか何、今の術……」
「わからないよ……鳥が教えてくれたとしか……」
悠里の怪訝そうな顔を見上げたその時、微かに女が体を揺らした。
「名は体を現す――ふふっ、はははははっ! なるほど……神が求めたのは真を映す『
全身の筋肉が硬直する。
呼吸すらも遮られるような、身動きもできずにいる鏡たちの前で、クラクは独り笑っている。
狂ったように。狂おしいように。愛おしいように――
「しかし最適な
怒りが喉を焼いた。
クラクの目が一人一人見定めるように、視線の先を流していく。エルデを、ファルチェを、悠里を、介を、奏を――
御影を見た途端、目が細められた。
「貴様か――」
嫌だ
静かに歩く足が、御影に近づいていく。動けずに、声も上げられずにいる彼女へと、禍々しい色を放つ魔石が、人を人と見ない女の手が近づいていく――
「せない……」
クラクの足が止まった。
鏡は歯を食いしばって、自分へと目を留める女を睨みつけた。
「させないよ……! 絶対に、あなただけは……」
マラカイトの輝石から溢れる光が、風となって鏡の周りを巡る。
目を見開くクラクへと、鏡は床を力強く蹴った。
「許さない!!」
走る。マラカイトの輝石が輝き、武器に足に、白い光が宿る。クラクを狙うように見せた牽制打から一転、本命の拳と蹴りが、彼女の手中にある緋色の魔石を粉々に砕いた。
目を見開くクラクの体が崩れていく。干からびていく手が、足が、肋骨が浮き出始める体が、乾き果てていく顔が、恐怖に引きつる。しなびていく手が払おうとしてくるも、鏡は躊躇なく蹴り上げた。
「やめろ!」
しゃがれた声が背中にかかる。腕に炎が焼き付いてきても、鏡はうめいただけですぐに振り払う。
岩を落とされても避けて、氷で突き刺されそうになっても、砕いて、緋色を叩き壊す。
「よくも……旧き悲願を、貴様ごときが触れるな……やめぬか!」
「やめないよ」
砕け落ちた魔石を粉砕する。
もう使われないように、もう――誰かを苦しめないように。
「人を散々道具に見て、切り捨てて、嘲笑ったあなたには、絶対に従わない」
クラクの憎悪に燃え盛る目が鏡を射抜いた。睨み返した鏡は、砕けた魔石の中から転がり出てきた、炭にも似た濁りきった輝石へと拳を振り下ろす。
ガラスを砕くような音が、フロアに鋭く響いた。
「神崎さんも……介さんも、御影まで利用して……僕は絶対にあなたを許さない」
崩れ果てた体が、灰となった。
怒りを未だ宿し続ける眼球がその上に残され、黒い霧となって消え去っていく。
拳を収めて、動けるようになった仲間たちの声も聞いて。鏡はただ、灰を睨み続けた。
「お、わった……?」
「終わってないと思います。本当の意味では……」
「それもそっか……」
神の界だろう世界と、この場所を結ぶ力はなくなった。どろどろも消え去った。
けれど神の界に未だ溢れているあの怨念の山が消えたわけではない。神が声≠取り戻せたわけでもない。
きっとあの怨念をどうにかしなければ、そして恐らくあのどろどろが奪い取ったのだろう、神の声≠ニいうものを取り戻さなければ、全ての根幹は消えない気がするのだ。
「しっかし、お前ホントキレると容赦ねえよな……しかもあの口の悪さ、絶対大和仕込みだろ」
「ちょっ! やめてよバカ兄!!」
いきなり頭を撫でられ、鏡は嫌だと顔に書いて腕で兄の手を押しのけた。佑理の微かに見せてきた安堵の表情に、鏡は目を瞬かせる。
御影が弱々しく笑って、鏡を見上げてきていた。
「でも……みんな、無事で……よかった……」
「俺としても、なんとか全員無事でよかった……ってとこか? 後は『反徒』と通じてそうな、あの台座ぶち壊せばいいんだっけか?」
「印がどうとか言っていたからね。壊したほうがいいだろうな」
「そうですね、僕もそのほうがいいと思う……から、もう撫でるなバカ兄っ!!」
「いやぁ、撫でやすい位置にあるもんで」
「あ、それはよくわか……待てエルデ、お前のことじゃないっ!!」
「問答無用です。死ね」
ぷっと吹き出したのは誰からだろう。ファルチェが妹から刀を向けられて諸手を上げかける中、介も奏も笑いを隠せずにいる。
「まったく……」
「もー、台座壊すんでしょー?」
やっと兄から解放された鏡も、口を尖らせつつ台座へと向かって――
倒れる音。
後ろを振り返った鏡はぞっとして、床に力なく横たわる御影へと駆け寄った。
「御影!!」
悠里たちも振り返ったようだ。ぐったりと動かない御影を抱え上げた鏡は、触れた瞬間人肌とは思えない熱さに目を見開く。
呼吸も浅い。高熱にしては不自然に汗も出ていない。熱中症ともウィルス性ともとれる不自然な発熱に、鏡は御影を抱える手に力がこもる。
「ひどい熱……! 介さん。まだ氷作る余裕ありますか!? 一先ず応急手当してから戻ります!」
「ああ、問題ないよ。ちょっと待っててくれ」
入口に置き去りにされていた荷物へと走る介は、中から耐水性の革の袋を取り出すと魔術で氷水を作って持ってきてくれた。簡易
「オレが生活スペースに改造した場所がある、そこを使えばいい」
「ありがとうございます……!」
「オレと火澄はここに残ったほうがいいだろうな。一時的に手を組んだとはいえ、敵には違いない。部屋まで案内したら、オレはここに戻る」
「大丈夫なの? あの台座にまだ何か力残ってたら……万が一何かあったらまずいんじゃ……」
「その時は火澄を連れて逃げるだけだ。部屋はこっちだ」
ファルチェが先導してくれ、鏡は自分の荷物を佑理に頼んで御影を抱えた。
部屋を出、急ぎ足でファルチェの後を追う。介が苦い顔で御影を見下ろした。
「状態がいきなりここまで悪くなるなんておかしいな……輝石はまだ持ち堪えてるみたいだけど……」
「……俺が現実に帰れなかったこと含め、御影にはなんかあんのか……?」
悠里の困惑した様子に、介は静かに首を振っている。
「わからない。御影さんは確かに、輝石の消耗を抑える魔術を人より得意としてるみたいだけど……生命に特化した人をあまり知らないから何とも言えないな」
「確かに、俺らの知り合いじゃ御影と大和だけか……台座はまじぶっ壊しちゃダメ?」
ファルチェは首を振り、「考えさせてくれ」と複雑そうに返していた。
「台座を壊せばオレたちの計画は水泡に帰す。だがクラクという奴は許せない。まさかあのヘドロが、解放した火澄まで狙うのは完全に想定外だったんだ。確かにかなり煽ってはいたが……」
ファルチェの背をじっと見ていた介は、微かに首を振って鏡の背をそっと叩いた。
少しだけ、鏡は鼓舞されたような気持ちになる。
「今は御影さんを休ませることを優先しよう。彼があそこに残るなら、少なくとも台座を見張ることにはなるわけだしね」
「――ここだ。好きに使ってくれ。この距離だ、何か起きてもすぐ気づくだろう」
継ぎ目が見当たらない廊下。定期的に埋め込まれた球体のような照明の一つに手をかけたファルチェの目の前で、壁が一部凹んで左右に分かれ、壁の中に吸い込まれた。居住空間だろうその場所は、ベッドとソファ、カーペット、机、本棚。そのぐらいの家具しかなく、どれも簡素だ。
御影をベッドに運び、鏡は想像しうる限りの症状を探してみたも、どれも違った。
奏が自分の分の水を使い、濡れタオルを作って持ってきてくれる。少しでも体温を冷やしてやろうとするも、鏡は気が気でなかった。
自分が知っているどの症状とも違う。思い当たるものはいくつかあったけれど、ここでは確かめられない。
「……しばらくしても様子が変わらなかったり悪化するようなら、遺跡を出たほうがいいですよね……」
奏のぽつりと零れた言葉に、介が「いや」と首を振った。
「あまりすぐに動かしても体に障るだろうからね。今は安静にさせたほうがいい」
「その辺りは鏡の判断に任せる。伊達に医学勉強してねえんだ」
「……介さんの言う通りだよ。無理に戻ったほうが障るし、安静にして様子を見たほうがいい。――ただの熱じゃなさそうだけど……」
せめて輝石の濁りさえ取れてくれれば。
そうすれば少なくとも、彼女の心を苦しめる、あの悪夢のような誘いを持ちかける声≠セけでも、聞こえなくなってくれると信じたいのに。
悠里がふと、介を見やっている。
「……話は戻すが介、お前名前ちゃんとフルネームで言えるか?」
「あ、ああ、そうだった……かん……」
声が途切れる。介の目が丸くなって、鏡は振り返った。
「……神田介……言えた……!」
「はぁ、よかったぜ……こんだけやって取り戻せてねえってなったら困ったことになってたしな。元の魔力にも戻ってりゃいいんだが」
心から安堵する悠里。鏡もよかったと思うのに、言葉が出てこなかった。
「魔力そのものはもう少しかかると思う。けど少しずつ戻ってきている……これで魔術面は心配いらないよ」
「そか、なんにせよよかったよ」
鏡も、なんとか安堵を顔に浮かべた。
顔が強張って仕方なくて、すぐに御影へと目を戻して――彼女の手を握る。
いつも握り返してくれる手に、力が入っていなかった。