「……そういえば、君の名前聞いてなかったね」
『名前?』
首を傾げるグリフォンに、鏡もつられて首を傾げた。
「あれ、もしかして、なかったの?」
『お兄ちゃんたちのは知ってるよー。でもね、わたしのはないんだよ。グリフォン名前つけたり、しないもん』
「幻獣もですけど、知能あって言語交わす種族でもなかったら名前ないこと多いっすよ。エヴェもオレが勝手に名前つけたもん」
よくこの風の中音を聞き取れたものだと、鏡は意外に思いつつ千理にへえと溢した。その千理が乗るワイバーン、エヴェイユは、『もっとかっこいい名前がよかった』と、ブレス混じりの溜息を溢したようだ。
ただ意外だった。ワイバーンの名前をつけたのが千理だったなんて。聞き慣れない単語だから、造語か、鏡が知らない国の言葉なのだろう。
グリフォンの首の付け根を掻いてやりつつ、
「……よかったら、僕がつけてもいいかな? 名前」
『つけてくれるの? わーいっ、これでわたし、お兄ちゃんたちの、ぱーてぃ、かな?』
「僕そこまで他国の言葉に詳しいわけじゃないから、あまり期待しないでね……?」
キュルルルルと、高く嬉しそうな鳴き声が響く。意思疎通の魔術を使っていない悠里も奏も、今のグリフォンの感情にすぐ気づいたようだ。
『たこく? たこくってなあに? お兄ちゃんがつけてくれるならそれがいいんだよー』
気のせいだろうか。グリフォンに今、御影と同じ危うさを感じた。
「……ヴァイス」
『ヴぁいす? どういう意味?』
「『白』って意味。白は無垢や純粋に繋がるから……」
『白……! 白、好きー! ヴァイス、ヴァイス! うん、お兄ちゃん、ありがとー!』
気に入ってくれてよかった。
そうほっとするも、近くで響く千理の絶叫に、なんとも言えない顔になった。
相棒らしいワイバーンに振り落とされる少年――ではなく青年の図。居た堪れない。
『まったく騒がしい。静かに飛ぶことを覚えるのだ、千理よ』
雷駆さん、魔術で僕らの姿が地上の人たちに見えないようにしてくれてるんだっけ。
飛ぶと言うより駆けている黒馬は、やはりワイバーン同様千理には手厳しい。悠里も目を細くして千理を睨んでいたようだ。
「うるせえ三千里。折角姿隠してくれてんのにお前が騒いで気づかれたらどうしてくれんだ」
「オレよりエヴェに言って!?」
やっと気が済んだのか、大人しく飛び始めた幻獣の言葉に鏡はそっと目を逸らした。
乗っている人相手に『落ちないかな』なんてぼやく幻獣にこの間乗っていたんだと思うと、今さらながらぞっとした。
空の旅は、
夜は交代で見張ろうかとしたも、雷駆が一日二時間の睡眠で足りるということだったので、鏡たちが寝る間は雷駆に頼むことにした。と言っても、鏡はろくに寝ることなどできなかったけれど。
その間中、雷駆が話を聞いてくれた。話し疲れて寝たと気づいた時には、雷駆がその背を貸してくれていたことにも気づき、礼を言った。
御影は無事だろうか。
グリフォン、ヴァイスも同じ思いらしい。獲物を調達するとすぐに食を終わらせて、鏡たちに乗るよう促してくれた。
遺跡は朝日に照らされて、壁が崩れてできたその入り口を淋しく開けている。
『姿勢低くしてー、一気に中に入るよーっ』
「わかった! 悠里、奏さん。そのまま突撃するみたい、姿勢低くして!」
「マジかよ、頭ぶつけかねねえぞっ」
「多分それ悠里さんだけですっ!」
通路を抜ける、飛ぶ。扉をヴァイスの風魔術で開いていく。
半年ほど前まで、小さな体でドアノブにぶら下がって開けていた背は、こんなにも大きく頼もしくなっている。
装飾を施された扉が見えた。鏡はあっと目を見開き、グリフォンが高く鳴いて魔術を放ち、開けてくれた。
部屋に満ちる白の光。
グリフォンから降りた鏡たちは、その光の源を見つけて目を見開く。
魔石の台座からだ。あれが本物だということは確認済みだけれど、あんなに白く輝いていたことは今までなかった。七色の光に彩られていたはずの魔石の台座は、その蔦のような台座部分を含めて生命の属性の色で輝いている。
白い光――神崎がいた遺跡で助けてくれた、あの鳥と同じだ。
何気なくポケットに目を留めた鏡は、あっと中をまさぐる。
「前あんな光ってたか?」
「い、いえ……そんなことなかったと思いますけど……」
「だよなぁ……」
「あれ? これ、あの輝石……?」
光がポケットから漏れていたのだ。白い輝きに、鏡は石の感覚を確かめて取り出す。
ダイアモンドが白い光に包まれて輝き、一筋の光を魔石の台座へと伸ばしている。
創世の魔術、最古の調べをここに顕現する!
「――え?」
頭に過ぎったのは自分自身の声。石を握る手を見下ろし、鏡は目を瞬かせた。
なんとなくだけれど、直感でしかないけれど、きっと――
「創世の魔術、最古の調べをここに顕現する」
ダイアモンドが輝きを強める。
「巡りの環を和とせん。名を体とせよ。その言霊の名は解放=c…」
魔石の台座が呼応するように強く輝いた。
身構える悠里たちの前、魔石の台座の形が変わっていく。卵形の魔石に蔓のように絡まっていた石の台座が解けて広がり、魔石が完全に顕わになった。蔓の部分が芽吹くように花をつけて咲かせ、魔石を凝視していた鏡の頭に覚えのない魔術の詠唱が流れ込んでくる。
憎念を絶ち、彼の者蝕みし茨を斬り祓わん
「昇華……せよ……心象の顕現たち……?」
「き、鏡……お前何した……?」
鏡ははっとして、顔を若干引きつらせる兄貴分を見上げた。魔石の台座の輝きは白ではなく、見覚えのある七色の光へと戻っている。千理も奏も介も、警戒と困惑を隠せずにいるようで、鏡は戸惑いながら首を振った。
「わ、わからな……でも呪詛に対する魔術は覚えた……よ?」
「どういうことだ……?」
正直、これが呪詛に対抗するための魔術かどうかは自信がなかった。介に問われても、鏡もただわからないと首を振るしかない。
「で、でもこれで御影ちゃんを助けられるなら……」
奏が不安そうにしていた目を、はっとさせて台座から顕わになった魔石を見つめている。
「歌……?」
「け、結果オーライってことで……え? 僕何も聞こえませんよ?」
「俺もだな。やっぱ名前の意味なんだろうな……」
訝しげに魔石に近づき、手で振れた悠里の目が見開かれた。
反射的に手を引っ込める彼の顔は青ざめていて、奏が心配そうに近づいている。
「悠里さん? 大丈夫ですか?」
「あ、ああ……なるほど、お前らが半年前に見た子供ってこれか……がっつり捕まってんじゃねえか……」
子供? もしかして……悠里が錯乱させられた、あの遺跡の時に見た子供だろうか。
かがみ、影、旋律……悠久が、崩れる。止めて
裏と表の均衡が崩れる時、対は融和し、滅びる
結びつきは古く、もっとも新しい呪縛の力
止めて
全てが手遅れになる前に
未だにあの言葉は覚えている。けれどあの子供の言いたかったことは見えないままだ。
「――どういうことだ? 何か見えたのか?」
「ああ、色がよく見えねえ部屋だったな。その部屋をあのヘドロみたいな奴が覆ってた。侵食されてねえのは子どものおかげって感じだったぜ?」
「何それ……あの子供、神様、なんでしょ? まずいんじゃないんですか? それに悠里さん顔色悪いですけど、本当に大丈夫です?」
「あー……大丈夫、生で見ちまった分キてるだけだろ多分……」
悠里が無理をしていないのならいいが、今は奏が背中を擦っているし、彼女のケアに任せよう。ヴァイスも心配そうに顔を舐めていて、やんわり断られていた。
介が苦い顔で思案しているようだ。
「……部屋……もしかしてそこが神の界じゃないのか?」
「つまり、それだけ神の界が侵食されてるってことじゃあ……」
手遅れ。古くからありもっとも新しい呪縛の力……
なんとなく……呪縛というのだから、魔術とか、そういったものなのかなと思うけれど。
融和、という言葉や、表と裏……
そういえば、寝ている時に見た夢の中の現実世界は……いつも朝だった。
夜に見る朝の光景。表と裏。対が融和したら滅びる……
イドラ・オルムと現実世界が滅びる? それを結びつける呪縛の力……
はっとした鏡は、魔石の台座を凝視した。
「もしかして、あのどろどろのことだったの……!?」
「何がだ?」
呻いた悠里に、鏡は困惑気味に目を向ける。
「あの子が言ってたものだよ。『裏と表の均衡が崩れる時、対は融和し、滅びる』――どちらか片方にしかないから表か裏かはっきりするって考えたら、僕らの世界とこのイドラ・オルムのことじゃない?」
奏があっと目を見開いた。介が一瞬にしてげんなりしている。
「面倒くさい言い回しすぎないかい……って、待ってくれ。手遅れになる前に止めてくれとあの時言われていたけど」
「あのどろどろがあそこまでいっぱいいっぱいになってりゃ、そりゃ手遅れになる前に止めてくれって言うわけだ」
「あの黒い不定形、どうにかする方法があればいいんだけどね……」
「そいつ、生命の魔術を使えば削れたんでしたっけ?」
千理から尋ねられ、介が頷いた。千理はジャージに包まれた腕を組んで怪訝そうに魔石の台座を見つめている。
「ってことはそいつ、アンデッドじゃねーんすかね。生命の術を苦手にしてるのってアンデッドだし、そいつの正体って話聞いた感じ、人柱にされた人たちの負の念でしょ?」
千理曰く、怨霊もアンデッドとして数えるそうだ。筋は通ると介も不承不承認めているようだった。
千理はそのまま、苦い顔で腕組みをしている。
「いずれにしても厄介なもんには変わりないっすよ。オレらを現実世界に帰すやり方も、後知ってるとしたらその神だけじゃねーのって感じでしょ? 打開策は今んとこ生命の魔術だけって感じなのも変わらねーと」
「……否定できないな。クラクはもう倒れたし、彼女もおれたちには帰る術がないみたいなことを言っていたしね……きっと彼女も知らないんだろう」
「あれ、本当に倒したって言えるのかな……」