心配で神経が磨り減った鏡も休むことになった。
ついでに早朝、奏が買い物に出た際一緒に誰かと行くことを失念していたようで、外で一悶着あったようだ。心配で追いかけたらしい悠里と、道案内を頼まれた千理が到着して事なきを得た――というより、悠里が全力で、奏に絡んでいた暴漢という名のゲート二人を
千理が真顔で食材を切り分けながらぼやいていた。休んでいるよう言われた鏡は、やることもなくてなんとなく千理の皮剥きを手伝う。
「ちっせえ頃見た、海兄と同じよーな笑顔で屠ってくんすよ。ビビりましたよさすがに」
「……考え方とかちょっと似てるなあとは、僕も思ってたけど……」
「ヤバすぎっすよあれ。あと奏さんの声のでかさ、ぜってーどうにかしたほうがいいですって。通りの人が居た堪れねー顔で過ぎていくんすもん。他人の振りしたかったっすよ」
「うん。どういう内容だったか言われなくてもわかった……」
「なんか言ったかー? お前らー?」
後ろから頭を掴まれて鏡はうっと言葉に詰まった。
千理が上手い具合に悠里の手から逃れて、皮を剥いていたジャガイモを水につける。包丁を握った手をうっかり悠里に向けかけて、相手のほうがぎょっとした。
「危ねえだろ包丁持った手振り回すんじゃねえよ!?」
「あんさんも悪いっしょ!?」
千理の頭を叩く悠里の手があったのは言うまでもない。
席を外していた奏が戻ってきて、彰吾と何やら言い合っていたようだ。少しご機嫌な彼女はジャガイモの皮が剥かれて、ついでに短冊切りにされている状態に礼を言っていた。
「ありがとうございます。風見さんも休んでてよかったのに」
「さっき大和くんからも言われたんですけど……なんか動いてないと落ち着かなくて」
「じゃあ、御影ちゃんのところに行ってきたら? 今目が覚めたみたいだから」
「本当ですか!? よかった……あ、じゃ、じゃあちょっと行ってきます」
自分に向けられた視線の多さに気恥ずかしくなって、そろそろと抜けようとした。悠里から頭を優しく叩かれてうっと言葉に詰まる。
「ま、ちょっとは肩の力抜いとけ。もう大丈夫なんだろ」
「うん……あのさ悠里。もう撫でないで?」
「……おう」
笑顔で見上げて拳を構えたからか、悠里の手が引っ込んだ。そのまま歩いていく自分を見て千理が引いていた。
「やっぱ
「お前弟からも雑に扱われてんのなよくわかった」
さっさと逃げよう。
御影は思ったよりも回復していた。大和が欠伸を何度もしていて、朝食を食べたらすぐ寝るそうだ。鏡は礼を言って看病を交代するも、御影が最初に訴えたのは腹の音で、鏡は肩を震わせて笑った。
御影に
食事を終えると、鏡は神崎たちの話を聞くべく御影の傍を離れざるを得なくなる。代わりに彰吾の仲間であるカルフが御影の面倒を見てくれることとなり、素直に甘えた。
神崎やファルチェから聞いた話は、耳を疑いそうになった。
神崎たちが拠点としていた遺跡の入口の扉を開けた瞬間、神崎が行った神の界の入口と同じ光景が広がっていたそうなのだ。
扉の入口まで埋め尽くす黒いどろどろ。こちらに出てたり干渉したりといったことはない代わりに、こちら側も遺跡の中に干渉できないらしい。
街の遺跡をいくつか回って検討がついたのは、この現象が起こった遺跡は全て、魔石の台座を破壊されていること。そしてクラクが言っていた『反徒の種』の印を台座に埋め込まれていたという遺跡だったことだそうだ。
元々遺跡は魔石の台座を守るためのシステム。守るもの、そしてエネルギーを供給し続ける台座そのものが壊れた遺跡は、罠を復活させて挑戦者を再び待つサイクルを行えず、ただの廃墟となるはずだった。それが神の界に繋がる力を得るのはおかしいという。
話を聞いていた海理が、腕組みをして眉間に寄せていた皺をそのままに一同を見渡した。
「その空間の浸食がそれ以上進まねーってんならしばらくは放置だ。魔物の掃討にクラクの消息確認、やること山積みだからな。黒ヘドロを浄化するにも、生命の属性得意な奴かき集めなきゃならねーんだろ。まず数が足りねーんだ。
内容を書き留めて纏めていた大和がシャーペンを起き、眼鏡の向こうから海理へと頷く。
「そうだね。僕たちが浄化したところで、恐らくそれを上回るだろうし……生命が得意って言ってもかなり厳しいと思うよ。聞いた感じでも、下手すれば一回で輝石壊すだろうね」
大和くんでもそう感じるんだ……。
けれど、鏡も同じ見解だ。魔物を統率していたクラクを倒した結果、魔物の足並みが乱れたとはいえ、まだ街中に危険はある。生命属性を操れる人々はそのまま傷病人の手当てに奔走している状態だろう。
鏡たちとともにあのどろどろを倒す有志を募ったとして、どれだけの人手を集めればいいかなんてわからないのだ。迂闊に人を集められないが、鏡はポケットに手を当てる。
「あ、あの……これ使えませんか?」
「使えるぞ」
ダイアモンドの輝石を取り出して見せると、神崎が目を留めてきた。物凄く言いたくなさそうな顔だ。介が胡散臭そうに幼馴染を睨んでいる。
「なんでお前が知ってるんだ……」
「生命の属性を最大限に引き出す輝石だ。神の界に通じるはずの門を象徴する鳥の石ならダイアモンド以外考えられん。最古の魔術に触れて適性も持ってる鏡なら使えるだろ」
「じゃあ、この輝石一つで浄化しながら進めるってこと……?」
正直無謀にしか思えない。けれど確かに、この輝石は黒いヘドロを全て浄化した鳥が遺したものだ。それだけの力があるのかもしれないけれど……。
「それも輝石だ、下手に使い続けると消耗する。その輝石の力を解放する詠唱なんかがあるんじゃないか……? それである程度浄化できるだろうが」
「それって、鏡くんが鳥から教えられたっていう詠唱じゃないか?」
「え? あの詠唱ですか?」
きょとんとして聞き返すと、神崎はやはり詳細を教えたくなさそうだ。敵に塩を送るという考えがどうにも根強いらしい彼は、かなり不服そうに見える。
「ファルから話を聞いたが、鳥が浄化する力を発揮したのはお前の言霊の後らしいな。単純に輝石の使用権を満たしたとすれば、扉の前で使えば黒ヘドロを浄化できると思うぞ。確証はないがな」
「試してみる価値はありそうだね。僕たちじゃ輝石に負荷をかけすぎるしね……」
大和が苦笑いを浮かべ、鏡はただ困惑した。
この輝石がどうして、自分を選んだのかもまだわかっていないのに。ダイアモンドの意味を、リトシトなら教えてくれただろうか。
「つーかほんと、なんで鏡なんだろうな……しかもちゃっかり輝石二個持ちだし」
「……火澄、調査するって言ってたけどオレたちも行くのか?」
「当たり前だ、最後の大がかりな実験を見ずに何をやるとでも言うつもりだ?」
にやりと笑んだ男に、奏がきつく睨む。ファルチェが苦笑いを溢して頷いた。
「わかった。ならオレも全力でサポートさせてもらう」
「実験って、命かかってるのにそんな言い方……!」
「今さら何言っても無駄だと思うぞ」
低い悠里の声に、奏も不承不承引き下がったようだ。ファルチェも穏やかに感じられた人柄を、やや冷たく突き放したようなそれに変えている。
「そういうことだ。それに、オレたちが協力するのはクラク、そしてドロドロを討ち取るまでだ。それだけは忘れるなよ?」
――元々敵だっだんだもん、仕方ないよね。
鏡自身も彼らを許せるかと言われると、少し違った。争い続ける必要がない相手だとわかったから、彼らの善意を見たからこそ、一緒に戦ってくれることを望んだだけだ。
奏や悠里を苦しめたことも、
「みんな……」
かすかな声にはっとして、鏡は地下の大部屋へと続く階段室を見やって駆け寄る。
「御影!?」
入口にすがるように立っていた御影は、鏡が支えるとほっとしたように笑っていた。土間を抜けて畳の部屋へと連れていくと、奏が壁に座布団を重ねて背もたれを作ってくれる。御影を座らせると、彼女はまだ戻りきっていない体力で階段を上がってきたからか、肩を上下させて見上げてきた。
「伝えたほうが、いいと……思って……あのどろどろ……怒りや悲しみの集まり、なの……だから、浄化するのに、最適な魔術は……精神の乱れを、落ち着かせる魔術、だと思う……力で抑え込んでも、取り除けない、と思うから……」
「それって、証の
「うん……証の謳なら……できると思う。クラクさんは、私の名前を使って……誰かを復活、させようとしてた、みたい……どろどろと、私の体は、そのための材料だって……声、聞こえて……それで、呪い……かけたんだと、思う」
だんだんとか細くなる声を一度飲み込んで、御影は鏡を見上げる。
「輝石の力を、引き出して……証の謳で歪んだ心を、正してあげたら……きっと……大丈夫だって……あの子、言ってた……」
「あの子……?」
「神の界で、独りぼっちの、あの子……」
もう苦しそうだ。二日間食事も採れないまま、体力を消耗し続けていた彼女にこれ以上無理はさせられない。奏がおかゆを持ってきてくれ、鏡は御影の頭を撫でた。
「ありがとう、御影……まだ本調子じゃないんだ、休んでて」
おかゆを受け取った御影が、弱々しく頷いた。
仕切り直すように、海理が一同を見渡した。
「オレらは魔物の残党退治続行だな。御影もまだ安静にしとけよ。しばらくの間は遺跡に空いた変な空間に、何かされねーように見張りながら動くしかねーな」
「だな。あそこから声≠フ主引っ張り出されんのも困る。ただ、他の遺跡もそうなってるって確証はないんだったよな?」
彰吾へと頷くファルチェの隣で、神崎が苛立たしげにそっぽを向いている。食事も断る徹底ぶりには鏡も呆れそうになった。
「ああ、まだ数か所しか確認してない。推測しているだけだぞ」
「で、オレたちにもそれを手伝えってことだろう」
「なんだ、ちゃんとわかってるじゃないか。偉い偉――いって」
彰吾が神崎の頭を撫でようとして鋭く弾かれた。介がいつものことだと言いたげに肩を竦めている。
介の最初のパーティはツンデレのツンの割合が凄く多かったんだろうなあと生暖かい顔になれた。御影がお粥を手におろおろとしても、落ち着いて宥められる。
「……まあ、一つずつ解決の糸口が見えてきたからいいとして……最古の魔術ねえ……」
「ああ、それが言霊だ」
「……あ、そう」
「やっぱり実際に試さないと何も確証はないんですね……」
「だから実験だと言っている。今回はそれがぶっつけ本番になっただけだ。やるやらないはそいつの勇気次第だがな」
バカにするような言葉。けれど鏡は、神崎を見据えてしっかりと頷いた。
「……やるよ。可能性が一パーセントでもあるなら、僕はそれに賭けてみたい」
「へえ。ならその賭け、乗ってやる」
「ほんとですか!? でも、遺跡の場所僕知らない……んですよね」
「遺跡の場所なら心当たりがある。実験に付き合う以上実験場の案内まではしてやる」
じっと話を聞いていた海理が、神崎へと目を向けていた。
「……神崎、てめー実はバカだろ」
「ああ、ファルと結託するぐらいにはな」
「巻き込まれた!?」
「アホですしね、生粋の」
「オレ今日そんなアホなこと言ってないぞ!? というか普段から言っていない!!」
「慣れろそろそろ。魔物討伐中に間隙を縫って行うのが理想だ。敵の能力次第では魔物の再統率を乱せる。だがその女の回復を待ってからのほうがいい。生命の属性の使い手が負傷しているのはでかい」
御影が微かに肩を強張らせたも、お粥をしっかり食べながら頷いていた。佑理の大丈夫かと問われても頷く彼女は、奏から「次うどんにするね」と言われて目を輝かせていた。
よかった。想像していた以上に、御影は元気なようだ。
海理は二日、三日かけて、隠れ家に目を向けさせないよう囮を買って出てくれる。弟の千理も参加表明し、アレンや大和も、定期的に輝石を休めつつ参加するようだ。
悠里も参加しようかと考えたようだけれど、自粛していた。代わりにこの隠れ家の見張りとして残るようだ。
介はどうやら、明日の夜近所に出かけるらしい。悠里から「答えは出たのか」と聞かれているところから察するに、元々仲間だったという女性とまた会うのだろう。
答えということは、やっぱりその女性は介のことを好いていたようだ。
ただ、そのことよりも耳に入ったのは……。
「――あ、万理っすけど、なんかすっげー辛口に成長しましたよ。真面目学級委員って感じで、よくオレのことバカにしてくるようになりましたね」
「それって確か、僕や大和くんと同じ年っていう弟さんですか?」
「ああ、レーデンさんが無意識に鏡くんと重ねてたっていう弟さんか」
海理が懐かしそうに、鏡と大和を見下ろして頷いている。
「ああ。昔から救急箱片手に、よくオレと
「あーあったあった! その名残って感じで、今じゃ医大に進みましたよ。って鏡さん何歳? 万理と同い年なら大学入ったばっか?」
「えーと……一年経ったから、現実では高三……?」
現実が、やってきた。大和もついに遠い目になっている。
「受験シーズン真っ盛りだよね……」
「受験か……頑張れとしか言いようがねーな」
「受験かあ、懐かしい……私単位取れてたのかな」
顔を真っ青にした奏を見て、そういえば彼女が、去年大学一回生だったことを今さら思い出した。
元々奏は勉強が得意という感じではなさそうだし、不安になるだろう。現実世界で待ち受ける勉強量を思い出して頭を抱えている。
「とりあえず万理の一つ下なんすね。んじゃあ東京の医大行ったらもしかしたら会えるかもしんねーっすよ。あんさんらと気が合うでしょうし」
「うう、受験もだけど、現実帰った時勉強ついていけなさそうで怖いなぁ……」
「それは確かにね……こっちじゃ全然勉強できてないもん。医学はもちろん五教科触ってる余裕なかったし、周りに聞けそうな人いないし……」
大和の声も固い。現実を思い出して頭を抱える奏が「やめてぇ」と泣いていた。
御影は夢で一度現実世界に帰っているからだろう。苦笑いを溢していた。
「勉強、得意な人に聞いたほうが、いいかも、だね」
「大丈夫、危機感持ってるならなんとかなるものだよ。――仕事どれだけ溜まってるかなあ」
「就職者は大変そうだなあ? 大学で得した」
「何言ってるんだ、お前だって現実世界じゃ、もう就職かニートしてるかの二択じゃないのか」
途端に神崎が固まった。
衝撃を受けたまま微動だにしない男を、悠里が腹を抱えて笑い飛ばす。神崎が目の端を釣り上げた途端、ファルチェが抑えにかかってかわいそうな飛び火を食らっていた。
元々、ここにいた誰もがこんな光景を見ることになるなんて思わなかっただろう。
パーティ一つ一つはそれぞれ纏まっていても、歩調も、実力も、考え方だって違う人たちばかりだ。海理たちは一丸となっていたパーティだけれど、鏡たちはというと、元々は違う。
それでも、みんなここにいる。同じ屋根の下で笑い合えている。
こんな時だからこそ、笑えている。
現実世界に戻ったらもう、会えなくなるだろう繋がりを噛みしめて。
鏡も、その笑いの輪の中に加わった。