境界融和世界の幻門ゲート

第46話 03
*前しおり次#

 背負い投げられたらしい彰吾が、またも伸び上がっていた。奏の肩が怒りで持ち上がっている。御影が怯えている。苦笑いをして、鏡は彼女の頭を撫でに行った。
「御影、大丈夫?」
「う、うん……奏さんのお兄さん……ちょっと、言いすぎとは、思う……けど……」
「離れてくればよかったのに……」
「おーい、やるなら外でやれー? 一人不貞寝してっからー」
「もう終わりました!」
 完全に頭に血が上っている。悠里が苦笑いして奏の頭を撫でていた。
「……ま、人間誰にでも黒歴史の一つや二つあるんだ、バラされたら切れるのはわかるけどな――ってうわっ、酒臭っ!? てめ、呑ませたのか!?」
 確認するまでもなく伸びている彰吾に叫ぶ悠里。奏が衝撃を受けて落ち込んでいる。御影が慌てて悠里へと頷いていた。
「えっ、あ……ご、ごめんなさい……」
「あ、はい、奏さんのお兄さんが、成人のお祝い、って……先週、誕生日だった、って」
「…………」
 悠里が、微動だにしなくなった。
 奏を撫でていた手が止まって、表情筋も動かなくなって、空いた手が微かに動いた後ぎこちなく体の横に固定されている。鏡は思わず失笑した。
 理性総動員してる……。
 沈黙した恋人を見上げて、奏が不安そうにしている。鏡は居た堪れなかった。
「え、悠里さん、どうしたの……?」
「…………なんもねー、うん、なんもねー」
「……や、やっぱりお酒臭い、かな……」
「いや、酒臭いってより……な……」
 申し訳なさそうに離れる奏へと、バツが悪そうに視線を逸らす悠里に、鏡は苦笑いを浮かべた。
「……わり、ちょっと頭冷やしてくる」
「行ってらっしゃい」
 従兄を見送って、鏡は戸惑う奏に生暖かい笑みが浮かぶ。
 御影が天然を極めているなら、奏はもしかしたら鈍感を極めた人かもしれない。
「え……? わ、私何かしちゃった、かな……」
「別に気にしなくていいですよ? 悠里ならただの自己嫌悪中ですから」
「わ、私また自己嫌悪させるようなことしちゃったの……?」
「そうじゃないですよ……」
 説明できない。落ち込む奏をどう扱っていいかもわからず、正直困った。
「……そ、そうなんだ……」
「そうですよ。大丈夫ですから」
 早く従兄が戻ってきてくれることを願って、鏡は奏に烏龍茶を出しておいた。既に眠気が来ていたらしい彼女は、眠そうな目で烏龍茶を飲む。
「奏さんって、お酒入ると、ネガティブ、なのかな……」
「かもね……後感情よく出てると思う」
 小声で話しているからだろう。奏は気づいた様子がない。というか首がこっくりこっくりと落ちかけている。
「いつもちょっと、強がってるもんね……」
「普段は見ないような一面に弱いからなぁ」
「それ、って……悠里さん、が?」
「というか、男全般かなぁ」
 苦笑すると、御影は不思議そうに首を傾げている。
「じゃあ、鏡くんも?」
「うん、そうだね……多分、僕だけじゃなくて介さんも」
「そうなんだ……じゃあ、今度、驚かせちゃお」
 耳を疑った。多分時間が三秒ほど止まった気がする。
 御影を見下ろすと、彼女は楽しそうに、柔らかく笑っているではないか。
「い、いらないこと教えちゃった気がする……!」
「えへへー」
 ……怒れない。自分の心臓はまたもたなくなりそうだ。生き残れる気がしない。
「小さい頃は、あんまり鏡くん驚かせたらだめだったけど……今はいい、よね?」
「まあ、もう病弱じゃないしね。昔は稽古も修行も、鍛えるのも嫌いだったのになぁ」
「でも、私がこっちに来た時、は……鏡くん、悠里さんに稽古、お願いしてなかった?」
「昔は昔、今は今……だよ?」
 微笑むと、御影は不思議そうだった。こういう感情の機微には、まだ彼女は疎いのだろう。鏡は苦笑して「わからないならそれでも構わないよ」とだけ返した。
 悠里は暫くして戻ってきて、寝落ちる一歩手前の奏を、これまた寝ぼけ気味な様子で抱えて布団へと連れていった。
 翌日、寝ぼけた悠里が奏と同じ布団で寝て彼女を抱き枕にしていたせいで、起きた奏が顔を真っ赤に身動きできずにパニックを起こしていたことは、本当に申し訳なかった鏡である。
 朝食も騒いだ。ただひたすら、もう一度会えるかわからないこの面々で。
 朝から神崎が御影の記憶を覗いたことがあるということが、本人に露見もした。そして変態だと御影が叫んで、男数名が真顔で吹き出して、悠里は腹を抱えて笑ったりもした。
 神崎の「覗くなら正々堂々派だ!」と叫んで女性陣の目が鋭くなる中、アレンが真顔で頷いたあの一言は忘れられそうにない。
「オレあいつと仲良くなれるかも」
「おいやめろタコ」
 その時の海理の顔が完全に真顔だったのも、忘れられそうにない。
 各々準備を終える。ナックルの状態を確かめて、鏡はじっと手の上のダイアモンドと、マラカイトを見下ろした。
 ――やれるだろうかという不安は、今はもうない。
「やり遂げるんだ……」
声≠ニいう神の一部を、神に帰すために。


「本当に見送り、ここまででいいのか?」
「十分ですよ。それにみなさん、これから解散して魔物ともう一戦でしょう。みなさんもお気をつけて」
 隠れ家の入口は、賑やかだった。
 見送りに来た海理たちを見上げた鏡は、彰吾が笑っている様子に目を丸くした。
 なんだかこの人は、一番緊張感がないような気がする。今まで介や海理のような、リーダーという言葉が合う人たちばかり見てきたものだから、どうも彼がパーティリーダーを務めていることに首を捻る思いだ。
「一年そこらとはいえ、君らの実力は確かなんだ。介を追いかけてこの街でひと暴れまでしてのけたんだからな。奏と介のこと頼ん」
 彰吾の周囲から人が退いた。上から降り注いだ冷水と、奏の拳が一発腹に入って、彰吾が沈没する。すたすたと戻ってくる奏の頭を生暖かく見下ろして撫でる悠里も、呆れが先に走ったようだ。大和が冷めた目で彰吾を見下ろす。
「幸先不安だね」
「……つう……! 不安なのは俺だけだろっ、あとのみんなはしっかりしてるぞ!」
「はいはい」
「彰吾、てめー口開けば墓穴しか掘らねー天才の自覚、いい加減持てや」
 呆れ果てた海理の釘に、彰吾が打ち抜かれたようだ。その海理が苦笑いを溢し、鏡と悠里の頭を乱暴に撫でてきて、鏡は目を見開く。
「わわっ!?」
「てめーらのことは気に入ってんだ。全員纏めて戻って来なかったらぶっ潰すからな」
「レーデンさんの言う通りだよ。帰ってこなかったら追いかけて刀、抜くからね?」
 悠里は不服そうだけれど、海理にされるがままだ。
 介がけらけらと笑っている。
「海理さんもだけど、大和くんも最後まで物騒な見送りどうも。大丈夫ですよ、今までで一番のパーティで挑むんですから。不安はあっても信頼してます」
「不安あるんですか結局!?」
「一番俺たちじゃないのか!?」
 ああ、彰吾さんと奏さん、やっぱり兄妹なんだなあ。
 ……なんて、実感したと言ったら、きっと奏が憤慨するだろうなと思って苦笑いする。
「……か、海理さん、あの……悠里さん、嫌そう、ですけど……」
「あ? 弟の頭撫でて何が悪いってんだ」
 鏡は気恥ずかしくなって笑う。なんだかんだ言っても、弟同然に扱われることは恥ずかしかったし、少しだけ嬉しかった。
 こんなに親身になって接してくれる人、現実世界では御影や悠里たちだけだったから。
 やっと海理から解放された。悠里はむっとして、佑理がお株を取られたような顔をしていた。
「そりゃ光栄だね」
「おいおい、勝手に俺の兄と弟まで弟扱いすんなよ……ま。お前ら二人のことは一番わかってる、だから絶対帰ってこいよ?」
「撫でんなバカ兄!!」
 もう我慢の限界だ、さすがに子供扱いされすぎて嫌だ。海理からだとまだなんとなく残る遠慮のせいで言えなかったけれど、実の兄には話が別だ。
 勢いよく手を弾いて威嚇すると、千理がぶっと笑っていて、鏡はうっと言葉に詰まる。
 自分以上に弟属性を発揮している人から笑われるなんて。
「やっぱ鏡さんと万理似てら。現実世界で会ったら確実に仲良くなれんじゃね? ってわけで案内するんで、しっかり帰ってきてくださいよ、連絡先折角逐一覚えたんすからねー」
「つか佑もオレにとっちゃ弟だっつっただろ。さすがに御影たちにもそれ言ったら横二人の面目ねえがな……」
「え、じゃあ俺ら弟と妹付き合ってることになるじゃねえか」
「悠里さんそういう問題じゃないでしょっ!」
 奏さんも、そこ顔赤くするところじゃないと思います。
「わ、私、お兄ちゃん、ちゃんといます……っ!」
 え、それってバカ兄のこと……だよね。
 御影それって……兄貴分って意味ならまだいいけど……そうじゃなかったら、あの……。
 口に出せない。
「そりゃ俺のことだろうが……ってことは自然と悠も兄になるぜ?」
 にやりと笑うバカ兄を、鏡が睨みつけた。けれど御影は不思議そうに首を傾げている。
「えっ……えと……お、お兄ちゃんは、お兄ちゃんだし……悠里さんは悠里さん、だよ?」
「そういう話じゃ……もういいわ」
 鏡もそっと目を逸らした。
 もう、このままでも御影はなんとかなりそうだし、いいかなあ。
 海理は、奏とエルデについては妹認定するし、彰吾とファルチェがついて来たら拒否を吸る。その結果千理はアホの括りで巻き込まれ、ファルチェは「アホじゃない」と吠えるが千理の目は殺意が籠っていた。
「……海兄後で泣かす」
 あの、兄弟喧嘩は全部が終わってからでお願いします。
 兄って全員、立つ瀬がないものなのだろうか。一人……いや、二人だけ例外がいるけれど。千理とアレン。
 そのアレンから、鏡は拳を向けられて目を丸くし、笑って突き合わせた。
「そっち頼んだぞ! オレたちもこっち頑張るからな、任せとけ!」
「うん、よろしく。でも怪我には気を付けてね?」
「そうだね。治すの僕なんだから、アホな理由で怪我されたら治さないよ」
 天使という名の鬼の一言に、アレンが目を無表情に見開いて硬直した。
 介が笑いを堪えきれずに肩を震わせていて、「はいはい」と声をかけてくる。
「そろそろ行くよー」
「てめーもだぞ介。これ以上身内減らす真似すんなよ」
「……おれまで身内扱いですか。わかりました、ちゃんと下のきょうだいの面倒見てきますよ」
「うわ、俺お前が兄とか嫌だわ」
「あっはは、おれも君が弟だったら過労死するね」


掲載日 2021/12/24


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