境界融和世界の幻門ゲート

最終話「ここに在るために」01
*前しおり次#

 黒い世界。
 気体でも液体でも、ましてや固体とも違う。暗く禍々しく、全てを飲み込むような黒が一様に広がる世界。
 ここが、神の界の最深部? だとしたらあの子供の姿がどうしてないのだろう。
 まさかもう手遅れだなんて――いや。
 頭を振った鏡は、どことも知らない先を見据える。ポケットに手を入れて、何も中に入っていないと知り目を見開いた。
「どうして!?」
 さっきまで確かにあったのだ。この場所に、ダイアモンドの輝石が……!
 焦りを隠せず辺りを見回して、ぐっと詰まった息をなんとか吐き出す。
「頼っちゃダメだ……」
 ダイアモンドの力で浄化できなくても、ダイアモンドがここになくても、なんとか……なんとかする方法を作らなければ。
 みんなが送り出してくれたのに。追いつくと言ってくれたのに、自分独りが諦めるなんてそんなことできない。しちゃいけない。
 する気もない。
「僕がやらなきゃ……っ!!」
 視界を全て埋め尽くす、淀んだ黒を睨む。自らの手首にまったブレスレットのマラカイトを見下ろして、手をそこにかけた。
「お願い……一緒に頑張ろう!」
 黒の空間へと手を伸ばす。触れられているかわからない。けれど確かにそこにある。
 だとしたらもうやることは簡単だ。御影が教えてくれた話を思い返して、手を前へと突き出す。
 どこまで行っても触れられないなら、ここで唱えるだけだ。
「開け幻門ゲート、我が門は風。マラカイトの輝石を以て力をここに具現する。顕現せよせい――」
 黒が勢いよくうごめいた。全身に素早く巻きつかれ、口を塞がれた鏡は目を見開く。
 締めつけてくるそれらに浮かんだ顔が、自分を睨みつけては消えていく。怒りも悲しみも、嘆きも恨みも映し出すそれらから、やがて黒い人影が浮かび上がって鏡は目を見開いた。
 背が高く黒いローブを纏った骸骨のような手――悠里と一緒に介を探した時に見た姿だ。
 フードの奥、中から覗く目を剥いたような頬のこけた人の顔が、鏡を見下ろしている。
「お前の信ずるものたちは死んだ」
 一瞬で力が抜けそうになる。けれど締めつけられる痛みでなんとか平静を保った。
 御影たちが死ぬなんて、いくらなんでも早すぎる。このどろどろの正体が鏡の予想通りならば、簡単に信じちゃいけない。
 睨みつけると、口元を塞いでいたどろどろが離れていく。
「君が声=Aなんだね……!」
「いかにも。我は今神の声≠ナあり、行使の権限をも持つ。汝が望むならば、元の世界へと帰そう」
「その代わり、世界の融合の足しにするつもりでしょう?」
 そんなの望んでない。
 例え自分が帰れたとしても、一緒に旅したみんなが、この世界に飛ばされた人たちが、誰も助からないのなら。
「世界が一つとなれば、助けられる命が増える。お前たちは元の世界へと帰った時、会えなくなるものたちがいるのだろう。そのものたちともまた、会えるようになるのだぞ。死んだものとさえも」
「つまりそれは苦しむ命が増えるってこと。確かにこの世界で親しくなった人と別れるのは悲しいよ? だからと言って、それが免罪符になるわけじゃないっ!!」
「――既に苦しむものすら救われぬ世界など壊れるべきよ」
 締めつける力が強まる。苦しさに呻いても、鏡は声≠睨み上げた。
「それでも、だからって……」
 自分のどれだけ強い願いでも、捻じ曲げては誰も助けられないのなら。
「救いたい生命いのちのために、苦しめる生命を――犠牲になる生命を増やしていい理由にはならないっ!! 救われないから壊していいなんて理由にもしちゃいけないんだ!!」
「お前の大切なものが死んだ世界など、なんの意味がある?」
「だとしても! 今ある命を奪う理由にはならないでしょう!?」
 鳥の声が耳を満たした。
 目を見開くと同時、声≠フ口が、顔を二つに分けるほどにまで大きく開けられた。
 飲み込まれる。逃げられない。
 逃げる気なんてない。
「奪う理由など一つ。我らと同じ苦しみを与えるまで」
 鏡は動かせない拳を固めた。
 瞳に灯った光を揺るがさない。映り込む憎悪を、嘆きを、怒りを、真っ直ぐ見据えた。
「それが本心だね……じゃあ僕が頷くわけがない!!」
 手の平の中に生まれた硬い感触が輝いた。
 弾けるように消えたどろどろの太い縄は、白い靄となって消えていく。拳の中で輝き続けるダイアモンドを見下ろすと、気のせいか自分まで白い光に包まれているように感じて目を見開いた。
 鳥が鳴く。
 どこにいるかもわからないそれが、歌っている。
「……ならば死するのみ。お前たち皆、ここから生きては帰さぬ」
 はっとして、鏡は声≠睨みつけた。ダイアモンドをポケットに戻して拳を構える。
「お前たちってことは、御影や悠里たちが生きてるってことだね?」
「これから殺せば同じこと」
 周囲を取り巻くどろどろが硬化する、武器の形を模して蠢く。
 こんな数を捌けるなんて自信はない。なら恐らく核だろうあの人影の形を取った声*{体を殴って止めるだけだ。
 矢が射出される。走って避けるも、行く手を斧に塞がれる。
 槍が突き出される。跳んで避けたその場所へと大剣が薙いできて、腕を固めて耐えたも吹っ飛ばされる。
 振り上げられたハンマーが、剣が、構えられた弓が、こちらを向いている。
「開け幻門ゲート――!」
「顕現せよ地! 堅牢なる岩の守護壁よここに」
 はっとした。
「護るべきものを傷つかせぬ、不動の城となれ!」
 水晶の壁。
 振り下ろされた武器全てを弾き返すほど強靭なそれはダイアモンドかと疑いたくなる。矢なんて以ての外だ、傷一つつけられない。
 小さい頃からずっと聞いてきた声に、鏡のくちびるが震える。
 拳銃の発砲音がどろどろを打ち抜いた。鏡の背後へと被さろうとしたどろどろが蹴り飛ばされる、殴りつけられる。
 ボウガンの矢が声≠打ち抜いて、一気に氷を成長させて貫いた。どろどろを焼く火を纏った日本刀が振るわれる。
 兄貴分の背が、自分の前で守るように立っている。隣に立つ女性はいつもせっかちでそそっかしくて、勝気が過ぎる人。
 背の低い少女が、鏡の前に立った。普段は無表情な青い目が鏡へと向き、細められている。
 兄貴分と少女の笑みを見た瞬間、鏡の膝から力が抜けそうになった。
「悪いな、道が立て込んでて遅くなっちまった」
「約束しましたからね、追いつくと」
 喉が、目が熱くなる。
 くしゃりと歪む顔を戻せなくて、微かに俯いてごまかす鏡は、必死に足に力を入れる。
「……よかった……!」
 出る声が掠れる。奏のぷっと吹き出した声に顔が熱くなった。
「ほら、しゃんとする! さっさとぶっ飛ばしますよ、風見さんが頼りなんですからね」
「穴の中でヘタレてたのはどこの誰だったかねえ……」
「へ、ヘタレてないです!! 自力で出ようとしてたんだから!」
「はいはい前見ろ」と笑う悠里にも、顔を真っ赤にして言葉に詰まる奏にもほっとする。
「前は任せときな、後ろには絶対行かせねえから」
「うん――っ」
 とんと肩を叩いてくる手が細く、隣に介が来たと気づいた時には、彼からけらけらと笑われた。
「まったく。独りで戦おうとまで、決意固めるようになってるとは思わなかったよ」
「今さらだろう。オレたちの拠点の一つに、武器も持たず無警戒で来るような奴だぞ、カザミは」
「なんでこんな時にも刺してくるんですか……っ!」
 滲んでいた涙を拭って、鏡は前を見据えようとして、目を見開いた。
 背中から抱き締めてくれる温もり。振り返ると、御影がふにゃりと笑っている。
「大丈夫、みんなで帰ろっ」
「うん!」
 ここに神崎の姿がないことの意味は、嫌でもわかった。
 だからこそもう泣く気はない。彼がいたら、とっくにバカにされているだろうから。
 鋭く敵を睨んだ鏡を見下ろしてか、介が後ろで笑った。御影が鏡から離れ、詠唱を始める。
「後ろはおれたちに任せてくれ。さあて――本気出して行こうか!」
 矢を装填していないはずのボウガンが弦を弾けさせた。打ち出される氷の矢が幾重にも分裂し、広範囲に黒いどろどろへと突き刺さる。
「開け幻門、我が門は水。ラリマーの輝石を以て力をここに具現する。顕現せよ水。切り刻め冷魔、汝が牙は獣よりも鋭く貫かん!」
 氷の矢が一気に太くなる。分断されたどろどろへと、ファルチェの銃弾が猛追を仕掛け、消し飛ばした。
 悠里がにやりと笑い、ブラックスターを見下ろして奏を見やる。
「詠唱長いぞ、頼んだ!」
「はい! 噛まないでください――よ!」
「お前こそ隙突かれるなよ! 開け幻門ゲート、我が門にこたえよ」
 悠里へと振るわれた剣へと回り込み、ナックルで受け止める。エルデが地の魔石で石槍を作り上げ、どろどろを貫いた。
「なぜ……我らは姿を持たぬもの。我らに触れるなどできぬはず……輝石か」
「それだけじゃないさ」
「鏡さんのその輝石からの恩恵を受けやすいように、武器に最終メンテナンスをしましたから」
 あっと鏡は目をポケットに向けた。未だに溢れている白い光に笑む。
「ブレスレットとチョーカーにも細工をさせてもらった。イドラ・オルムの鍛治師を甘く見ないで欲しいものだ」
「輝石の真価を顕現する。その真価、信頼。上位の幻門よ顕現せよ。瞬間を止めよ。我、剣を退ける見えざる力とならん!」
 どろどろの動きが止まった。時間を止められたように動かないそれを、介の詠唱が追撃する。
「その真価、解放。上位の幻門よ顕現せよ。我、弊害となりし意志なき亡者もうじゃを太平の海へとかえす者」
 水柱がどろどろを襲う。分断された一つ一つに打ち立てられたそれに、悠里が顔を引きつらせた。どろどろがさらに細かく分離され、消滅していくではないか。
「どんだけ名前のせいで魔力抑え込まれてたんだよお前っ!」
「いやあ、久々の全力ってすっきりするね!」
 つやつやとした声がおっかなくて頼もしい。奏が呆れて振り返った途端、残されたどろどろが動き始めて鏡があっと目を見開く。
「奏さん、もう動いてます!」
「え、うそまだ唱えてないのに!」
 何を!?
「開け幻門、我が門は地。グリーンアンバーの輝石を以て力をここに具現する。顕現せよ生命。命の摂理、きたるべき者に永久とわの安寧を。輪廻の光よ導け、生命の讃歌さんか!」
 奏へと襲いかかろうとしたどろどろを光が優しく包み、消し去った。その間にも次の黒い波は押し寄せる。奏が目つきを変えて構えた。
「開け幻門、我が門に応えよ。輝石の真価を顕現する。その真価、光輝。上位の幻門よ顕現せよ。我、暗き惑いを打ち破り、道を照らす標とならん!」
 奏のナックルに陽光が葉のように舞い降りる。覆いかぶさろうとしたどろどろへと、彼女の腰だめに構えられた拳が唸った。
「いっけえ!!」
 光が爆発する。拳にも捉えられたそれがどろどろを消し飛ばし、消滅させた。
 後ろで悠里と介が固まっていた。鏡も思わず身震いした。
 あれはもう魔術じゃない。
 物理だ。
「あーもう! 結構消し飛ばしたと思ったのに!」
「あいつの魔術攻撃力高すぎだろ……」
 それでも消し飛ばしきれないどろどろに手を焼いている時間はない。鏡はブレスレットのマラカイトへと手をかざした。
「開け幻門、我が門に応えよ。輝石の真価を顕現する。その真価、破邪。上位の門よ顕現せよ。我、逆巻く悪しき念を打ち破る浄化の風を纏いし者!」
 風が吹き荒れる。
 悠里たちの輝石を瞬く間に浄化する風は、同時に風に触れたどろどろを瞬く間に白い霧へと還して過ぎ去っていった。御影が笑んで、声≠見上げている。
 ローブがボロボロになり、顕わになった人の顔は、人形のようにぎょろりとした目を剥いて、骸骨のような歯を剥き出した。黒い全身はまるで骨のようだ。なおも動く敵に、悠里が鏡へと振り返る。
「鏡はあの詠唱頼む! 詠唱中のフォローは任せろ!」
「わかった!」
 わかるのだ。あの霧がなんなのか。
 白く染まったそれがどこに還っていくのか、なんとなく。
「私も――開け幻門、我が門は地」
 御影の詠唱を背に受けて、鏡もダイアモンドを握り締めた手を開き、唱え切った。
「名を体とせよ――その名は解放≠チ!!」
 白い光が空間を包む。
 砂が流されるように消えていった黒い怨念たちの中で、油が切れたロボットのようにガクガクと動く声≠ェ遺される。
 空間の色が、灰色へと明るくなっていた。
「グリーンアンバーの輝石を以て力をここに具現する。顕現せよ生命」
「世界ヲ壊ス……我ラヲ利用シタ世界ヲ歪メ、崩シ去ル……」
「確かに苦しんだかもしれない。僕たちにはわからないけど――だけど怨むのも、苦しんだのも、悲しみも、きっとみんな同じなんだ。大小じゃ比べられないものなのに……怨念で滅ぼされるなんてたまったものじゃないよ」
 ダイアモンドを握り締める。マラカイトを見下ろし、鏡は声≠見据えた。
「もう終わらせるんだ」
「器……器……現人神ト成ル為ノ名……器……」
「心の証を呼び戻さん。惑いを祓え、清浄たる意志を――」
「……器」
 ぎょろりと、声≠フ目が御影を見据えた途端に彼女の声が途切れた。倒れる音にはっとして振り返った鏡は歯を食いしばる。
「やっばり御影の身体を狙ってたんだ……!」
「時間稼ぎぐらいはしてやる。ちゃちゃっと済ませな」
 悠里へと頷く。ブレスレットのマラカイトも、手の中のダイアモンドも、光を放っている。
 両方を使えと言うことだろうか――いや。
 鏡は声≠睨み上げた。走り、口を開く。
「開け幻門、我が門は風」
「悠久……永続ノ力……我ガ手中……」
「絶対させないわよ……!」
「マラカイトの輝石を以て力をここに具現する」
 奏が放った大量の光の槍が声≠串刺しにする。悠里が影を操って縛り上げる。
「やっぱ、俺の名前もろくなことに使うつもりなかったってか。てめえにはくれてやらねえよ!」
「頼んだよ、鏡くん!」
「顕現せよ生命」
 人形のような腕を大量に生やし、様々な武器を振り下ろしてくる敵の攻撃を、氷の壁が防いだ。
「心の証を呼び戻さん!」
 背後から流れる優しい光が、鏡を包んだ。
 跳躍する。声≠フ懐へと拳を叩き込んだ。
まどいをはらえ、清浄たる意志をともせ!」


掲載日 2021/12/24


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