「開け幻門、我が門は地」
鈴を転がすような柔らかい声音が、一生懸命張り上げられる。
鏡はかすり傷と牙による切り傷で、風が
「はあっ!!」
「前に出すぎるなよ!」
「悠里がね!」
獣の眉間に衝撃を叩き込む。痛みに頼りない鳴き声を上げる狼がよろけた。
狼退治も前線だと苦労する。
「グリーンアンバーの輝石を以て、力をここに具現する」
「二人とも十分出てるよー」
「お前は詠唱しろ介!!」
介のけらけらと笑う声が響いた。
悠里の蹴りも見舞いはできたものの、その足へと狼が噛みつこうとしてひどい有り様だ。いったい何匹いるのか――ああ、もう数えるのはやめだ。
壊れた街の外壁を直すための人員とはいえ、狙ったように狼たちが湧きすぎている。御影が狼たちを見据えた。
「顕現せよ地。母なる
細い岩槍が鋭く地面から突出する。悠里に飛びかかっていた狼たちの足元に容赦なく出現し、驚いた獣たちが口を離した途端に悠里の蹴りが一匹一匹丁寧に見舞われていく。
介がわあと間の抜けた感想を漏らして、鏡へと目を止める。
動じなかった獣、動じた獣。どちらも次に向かうはあちらだ。
「御影さん、回復頼んだよ。開け幻門、我が門は水――ラリマーの輝石により、水よ顕現せよ」
「はいっ。開け幻門、我が門は地。グリーンアンバーの輝石を以て、力をここに具現する」
そういう詠唱の省略方法があるなら最初から教えてくださいっ!
獣の爪と牙を
「
「顕現せよ、生命。戦士たちの傷つきし体に、治癒の加護を与えよ」
狼たちの体毛に
数匹が逃げていく。劣勢を感じ取ったか、狼たちは森の奥へと姿を消した。
ほっと吐息が
傷が綺麗さっぱりなくなっているのだ。慌てて彼女へと振り返ると、ほっと笑んでいる。
「鏡くん、怪我
「うん、全然。御影こそ石は大丈夫?」
「うんっ。透き通ったままだよ」
実際に見せてもらうと、グリーンアンバーは透明感が心地よい柔らかな黄緑色のままだ。陽に透かした植物の葉を思い起こさせる色で、鏡だけでなく悠里も感心している。
「へえ。本当に生命の属性とも相性いいんだな」
「一、二……あー、狼鍋そんなにできないな……」
「介さん、鍋好きですよね……狼まで鍋にするんですか……」
「え? 元々犬が登場する前は狼を
「もういいですそれ以上! っていうかどこからそんな知識得てるんですか!!」
「あはははははー」
またからかわれていたのかっ。
御影も衝撃が走ったのか、介から逃げるように鏡の後ろに隠れている。冗談だと笑う彼に、悠里が肩を竦めている。
「どうせ鍋の仕方知らねえだろ。肉嫌いだってのに」
「この間熊鍋美味しいって言ってたのに!?」
「ばらしたら面白くないじゃないか」
……もしかして、からかうために嫌いなものも美味しいと言ったのか……?
絶句する鏡の後ろで御影が震える。
「さて、あと何日
「今回は狼。前回は狂犬……犬ばっかりだからねえ」
「森にはまだあいつもいるしな。
そう言われれば、御影を助けた時に現れたあの獣はまだ、この森にいるまま。目撃情報も宿屋のほうでは聞かないし、介も念を入れて情報を集めているようだが、いい結果は得られないままときた。
もうすでに二週間経っているのかと思うと、なんだか不思議な感じがする。
「あの魔物化した人……まだ倒されてないなんて、妙だね」
悠里も介も頷いている。
「一応鏡くんには流れだけ見せたけど、おれたちが依頼を受けるために通う
「だな。きなくせえ」
「え、討伐したらわかるんですか?」
介がああと、思い出したように目を丸くしていた。
「言い忘れてたね。まあ、今度見せるけど……殺したばかりの魔物って、額から魔石を生み出すんだ。ゲート化した名残みたいなものだね。その石をギルドに持って行けば、魔物討伐を認められて報奨金が出る仕組みなんだよ」
「魔石を!?」
「元々はこの世界で自然に生み出されてたらしいが、ゲートの力に完全に食われた奴からも出るんだよ。この世界じゃ魔石は素材になるから、ギルドが上手いこと斡旋してるんだと」
さらに介の話では、魔石はこの世界に元々住んでいる人々が魔術を使う際に必要なものらしい。輝石よりも引き出せる威力はやや劣るらしく、御影を襲った男たちが輝石を売り捌くと言っていたことにも納得した。
納得しても、彼らを許せるかと言えば、答えは否だ。
街の区長から、急な事態に駆けつけた礼として少々の額を受け取り、介は丁寧に礼を伝えていた。現実世界では営業を担当していたそうで、年数は短くとも柔らかい物腰は、普段のからかう素振りを見せないものだ。素直に尊敬する。
ほっとしていた介を、悠里が怪訝そうに見下ろしていた。
「どうかしたか?」
「ああ、うん。もうちょっと様子を見て、脅威がなさそうだったらおれたちも移動しよう。そろそろ悠里と鏡くんの武具、買えそうだからね」
途端に悠里の目の色が変わった。鏡も安堵の笑みを浮かべる。
「よかった……武具があるのとないのとじゃ、怪我の率も違うし……介さんや御影が術を使う回数減るに越したことないよ……」
「御影さんのおかげで、おれは大分軽減されてるよ。鏡くんもいざとなったら自分の怪我を治せる素質があるしね。安心感が違うよ」
今まで二人だけで戦ってきていたなら、なおさらだろう。
鏡は苦笑して、恐縮する御影が介に日頃の稽古の礼を言っている様子を見やってほっとした。
彼女も人見知りを直そうと努力しているのか、介や悠里とも少しずつ自発的に話せるようになってきた。悠里の機嫌が
正直、頼ってくれていることは嬉しい。
しばらく異常がないことを確認して、四人は街中へと引き返したのだった。
帰りがけに見かけたスイーツ店に、目を光らせる悠里を引っ張る役目は毎度鏡で、先頭を歩いていた介がああと目を向けた。
武器屋『Anima ferro』。英語にしては聞き慣れない単語だ。
「ここだよ。元々有名な鍛冶場の出らしい子が運営してるそうなんだ。その人に見合う武器を作るって
「へえ? レガースあっかな」
「……ごめん、武器の種類に関しては、おれじゃあよくわからないよ」
しまった。介はそもそも武道を習っていないのだから、知らないのが当然か。
悠里もうっかりしていたと顔に書いている。介も生暖かい顔で応じていて、鏡は申し訳なく思った。
「……ついて行っときゃよかったか」
「あ、僕たちのは武器って言うより、
「そうなのかい? あー、余計説明しづらいなあ……」
生暖かい顔の介。元々自分たちの武器なのだ。その説明まで彼にさせる気はなかったし、こちらから必要なものを言おう。
店内に入ってすぐ、カウンターの奥にて椅子に腰かける、表情が少なそうな少女と、カウンターの前で少女に頭を下げている女性に目が留まる。
悠里が目を瞬かせ、介を小突いた。介も頷いている。
「あの子見覚えがあるね……」
「あ? そうか? ……いや俺が聞きたいのは、あいつが作ってんの?」
「え? ああ、そうじゃないかな? 女性だって伺ってたしね」
カウンターの奥、椅子に座っている少女は――髪色がハニーブラウン。
焦げ茶色のはっきりとした目と髪。肩口で切っているからか、髪が毛先で緩やかに波打っている。メリハリのついたスタイルに、うっすら日焼けした肌。スポーツ少女が女性に成長した感じを思わせ、短い袖口のブラウスにタイトなズボンを合わせたシンプルな格好をしている。
その焦げ茶色の髪の女性が目を見開いて、悠里と介に目を留めている。
「あっ……! 二ヶ月前はありがとうございました!」
「は? 誰」
「……だ、誰だっけ、ね」
「介さん……」
つい今しがた見覚えがあるとか言っていなかったか、この人は。本当に礼を言われるようなことから逃げたがる人だ。
茶髪の女性が「そうですよねー、そこそこ前ですし」とさっぱり気にしていない様子でなければ、色々と突っ込みたかった。
「
「……覚えてねえ。その頃っつったら俺も余裕なかったし」
「あーうん、おれもかな……」
白々しい。介に注がれる鏡と悠里の目は生暖かかった。
奏と名乗る女性は、思い出したように、カウンターの上に置かれていたメリケンサックを手に脇へと退く。
「すみません、お買い物で来られてたんですよね。お邪魔しまし――」
「先ほども言いましたが、来栖さんはどなたかとパーティを組んだほうがいいと思います」
カウンターから離れかけた女性がうっと言葉を詰まらせた。
鏡と御影は思わず顔を見合わせる。
もしかしなくとも、彼女は独りで行動する気だったのか?
介が生暖かい顔で「あー」と
「その……それは、相当
「あ、あはは、大丈夫です! その……はい、なんとかします」
「なんとかって……」
さしもの悠里も呆れてものが言えないようだ。声が若干据わっている。
鏡は苦い顔で、御影がいつ怯えてもいいように彼女の手を握った。
「お前、戦場