まだ夏は続く。
仕事に忙殺される毎日は、やりがいがなければうんざりするのも当然だった。十年以上に渡って世界中で暴れていたゲートとかいう超能力集団は、一年前からぱったりと鳴りを
ゲートであっても警察や国際警察へと力を貸してくれていたゲートたちもその力を失い、何を今までしていたか覚えていないようだった。
一年前のあの日、何があったのかはわからない。突然ゲートたちは姿を消し、悠里が勤めるゲート対策課も、報告も上がらなければ閑古鳥が鳴きそうなほどにやることがなくなった。現状他の課の雑務や交通整備、地域の見回りに回されるばかりだ。
他の課の先輩曰く、体力がある連中ばかりいるゲート課だからこそのお鉢が回ったのだろう。
理不尽だ。いくら体力があっても熱中症や夏バテに耐性があるかと言われれば、冬生まれの自分にはない。多分。
この暑さだ。私服で地域を巡回するのだから、喫茶店にでも入って涼もうか。一応そこの路地裏を覗いておこう。
ちらりと目を向け、ついでに道一本分進んで状況を確かめたが、案の定何もなかった。
これでせめて、地域巡回の原因となったひったくり犯でも捕まえられれば話は別なのだが、さすがにこんな大通りの傍で白昼堂々現行犯をやるアホはいないか。
表通りに戻った悠里は、周囲の人のざわめきに怪訝になった。
「待てそこのひったくりー!!」
ビリビリと肌を打つような、通りがよすぎる女性の大声にはっとする。
男の乗った自転車が一台こちらへと全力でこいで走ってくる。手には明らかに女物の小さなクラッチバッグ。
二人の女性が自転車の後を追うように走ってくるのを見て確信し、悠里はにやりと笑った。
ツイてる。
自転車が突っ込んでくる。わざと開けた道に誘導されて自転車が走ってきて、間合い少し手前に入ったその男の自転車へと勢いよく蹴りつけた。
狙い目通り男の足を捕らえる。自転車ごと派手に横転した男の腕を素早く掴んで後ろに捻じり、拘束した。
「ひったくり容疑で現行犯な?」
男がぎょっと見上げてきた。警察手帳を見せるべきかと考えるも、先に盗難物のクラッチバッグを彼から取り上げておく。走ってきた女性たちへとクラッチバッグを返そうとして――悠里は目を見開いた。
「あ、よかった! ありがとうございます!」
「す、すみません……!」
どちらも初めて見る顔だ。なのにどうしてだろう。肩を少し過ぎたぐらいまである焦げ茶色の髪の女性に目が行く。
相手も焦げ茶色の目を瞬かせ、微かに首を傾げた。メリハリのついた体格は女性にしては長身で、微かに残るあどけない表情に、悠里は一瞬呆けそうになった。クラッチバッグを受け取ってほっとしている、もう一人の女性の礼なんて頭に入ってこない。
本心で本心じゃないことぐらいわかってるわよ!
いや、違う。
あいつのことを、知っている。
記憶にないなんてそんなはずがない。あそこで喧嘩を売って、買われて、嫌って……ほっとけなくなって……
独りだったら、とっくに……離れてたでしょ。ここを、壊したくなかったんでしょ……!
先に行って、まだ揺れてる! みんなも巻き添え食らったら……通路が完全に塞がったら打つ手がなくなる!
下からでも行ける道はあんだろ!
悠里さん!!
絶対思い出して、探しに行きますから
会ったとき思い出せなかったら罰ゲームですよー
絶対先に思い出しますからね
言ったな? 負けて吠え面かくなよ?
――思い出した。
約束も、賭けも、仲間のことも。
まだ穴ぼこだらけの、夢としか思えない出来事が一年前にあった。
一年以上あった。
まさか、会えるなんて。ちゃんと思い出せるなんて。
思い出したけれど、まだ自分の下で伸びているひったくり犯もいる。というか今は勤務中なわけで、悠里は跳ね上がっていた心臓を一度落ち着かせる。
「……悪いけど、事情聴取ってことで署まで来てくれる? すぐ終わらせるようにはするから」
「あ、はい。ちょっと大学に連絡します」
一瞬首を捻った彼女を見て、約束が頭をよぎる。悠里は男に手錠をかけて、すぐさま携帯で幼馴染であり上司の男へと連絡を取った。
すぐに話を纏めて、連絡を受けてやってきたパトカーに犯人の男を任せ、女性二人は悠里が近くに停めておいた普通乗用車に乗せて署まで連れていった。
案の定、焦げ茶色の髪の女性は来栖奏というそうだ。一緒にいた女性はたまたまひったくりの被害に遭い、それを目撃した奏が犯人を追いかけようと大声を上げ、走っていたのだという。
相変わらず無茶をすると思うも、彼女の足は事実速い。自転車が人ごみをすり抜ける間に、彼女が追いつく可能性も無きにしも
が、やはり無茶が過ぎる。
聞けば、来年で大学を卒業するらしい彼女は、二年前から変わらない警察官の夢に向けて、試験勉強に取り組んでいるという。結局彼女の中で揺らがなかった警察になるという夢に、内心笑いが漏れる。
あの一年の記憶があってもなくても、こいつはこいつだったらしい。
一通り、形ばかりとはいえ事情聴取を終える。先に帰っていった被害者の女性を見送った奏は、悠里へと頭を下げてくる。
「まだわからないけど、もし合格したらその時はよろしくお願いします、悠里さ――」
言いかけた奏が目を丸くしている。ほっとした悠里へと慌てて手を振ってきて、必死に取り繕っているではないか。
「あ、す、すみませんいきなり下の名前呼んだり……! って、名前伺ってもないのにいきなり――あ、あれっ!? 名前違いますよね? あれ……!?」
――ああ、そういうことか。
悠里は苦笑いを浮かべた。
「……なんだ、思い出してなかったか。じゃ、賭けは俺の勝ちってことだな?」
途端に固まる奏は、本当に思い出していなかったようだ。先に思い出していると思ったのに。
「……え、賭けって――」
ぽろぽろと。
彼女の頬を流れた涙を見て、悠里は目を細めて笑った。くしゃりと歪んだ顔が、悠里を見上げて、口を手が覆っていく。
「あ……アップルパイ……!」
「ちゃんと焼いてやるよ。それと、成人してんだから飲みに連れてってやる。――約束したもんな?」
小さく頷く女性の頭を優しく叩いて撫でた。奏は異世界では全くしていなかった化粧のせいで、目を擦れず顔を隠している。
「うん……! 憶えててくれて、ありがと……!」
「俺もお前助けて思い出したよ。それまではすっかり忘れてた。細かいことはおいおい思い出して行くだろうさ」
「えっ。……じゃ、じゃあ賭け引き分けじゃないですか? 引き分けですよね?」
途端に食いつき気味に顔を上げる彼女に、悠里はにやりと笑う。
「俺のほうがタッチの差で早いから俺の勝ちな」
「うっ……また勝ち星取られた……!」
「今さら。……っと、そろそろ私情挟み込みすぎたから上司の目が怖いわ。連絡先、思い出してる?」
だいたい知り合いのほとんどは上司であり幼馴染みの彼にも知られている。知らない相手と一緒だなんて不審に思うだろう。
しかも他人からすれば事情聴取で知り合ったようにも見える相手と、いきなり親しくしていたら向けられる目も目になるだろう。奏も思い至ったのか、慌ててハンカチで目を拭いている。
「そうでしたね。連絡先ならばっちり思い出せてます、大丈夫ですよ」
「んじゃ、仕事終わったら連絡入れる。……どっかの道産子にも思い出してるかどうか確認取らねえとだしな」
「はーい、楽しみにしてますっ。――それじゃ……またね、悠里さん」
はにかむ奏に、悠里はにっと笑う。
「またな、奏」
心から嬉しそうに。
いつか見た気がする笑顔よりも幸せそうに笑う彼女を見送って、悠里はやっと照れくささをごまかせない笑みを浮かべた。
「だから顔に出すぎだっての……あ?」
スマホがやたら振動する。なんだと画面を見て悠里は目が据わった。
SNSグループからの通知が五十件超過。しかも連続で流れるそれに素早く目を通して、悠里は肩を竦める。
「そりゃ確かにあいつ女子大生だけど、まだ食ってね――」
「アホなこと言ってないで業務に戻れ楯山」
「……
ガコンと、後ろで自販機が音を立てる。まだ新人だった頃、ゲート課に先に入っていた男性が、買った緑茶の封を開けている。
「飲み物買いに来て目の前でいちゃつかれたら通れないだろ。署内ではせめて公私分けろ」
「んー、それ、多分日常茶飯事になると思いますよ……彼女、警察志望なんで。体力はこれからですけど、それ以外はそこそこありますよ、あいつ」
至極呆れた目を向けられた。やれやれと首を振る彼はコーヒーを一つ買うと、悠里の手に渡して去って行く。
「……さらっと爆弾と
「あっす」
先輩を見送り、悠里は真顔になる。
コーヒーはもらった。しかし自分は実は、まだ休憩を取っていない。
こっそり屋上に向かい、すらすらと出てきた介の電話番号へと発信してみる。電話は呼び出し音の途中でおもむろにぶつりと切れ、悠里は目を細めた。
着信を拒否られた。ということは……
「誰の番号をいたずら電話と思い込んでるんだろーなーあいつは……」
次会った時蹴りを入れてやろうか。いや、その前に……
介もまだ思い出していないのか? 鏡と数ヶ月前連絡を取った時、思い出したかどうかを聞かれなかったし……
まさか、自分たちだけなのだろうか。
事後処理の書類の関連もあって、悠里は結局仕事に戻った。採り損ねた昼食も兼ねて、後ほどどこかで食べようかとも考える。
……介からの連絡は、来なかった。
ここまで連絡がこないとなると、苛立ちも不安に変わる。
奏は思い出してくれた。けれど一緒にいたはずの介は、この世界に戻ってきていないのだろうか。……いや、そんなことはないと信じたいけれど……この世界の体は生きていたと、あの時ちゃんと教えてくれたのに。
書類が手につかなくなりそうだ。そろそろ休憩に出ようか――
携帯が震える。はっとして悠里は画面を見、周囲に休憩に出ることを伝えると颯爽と外に出た。電話に出ると、介から『もしもし』と声が聞こえて、目が細くなった。
じっと耳をそばだてる。沈黙する。無言を貫く。
『……あいつスマホだったっけ……応答ボタン勝手に押された感じか』
ぶつっ。
つー
つー
つー
……。
「聞こえてるっての」
腹いせしたのに逆に腹立たしくなった。仕方なしにかけ直すと、コール音が途切れる前に応答ボタンが押されたようだ。
『もしもし。さっきは出られなくて悪かった。あと白状する。思い出してなくて着拒リストに間違えて入れて、さっき戻したんだ』
「ほーう? いい度胸だな、東京来た時か俺が北海道行った時覚えとけ? 魔術のないお前なら怖くねぇぞ?」
拒否リストにまで入れた? ふざけるな。いくら記憶がなかったとはいえ一度目でそこまでするほど薄情な奴には相応の仕打ちだ。蹴り一発で済ますだけありがたいと思わせよう。
『悪かったよ、本当に……。お詫びにカニとマグロ奢るよ』
「お、やりぃ。……ま。お前も思い出せたなら何よりだ」
『まだ薄ぼんやりだけどね。正直電話かけるまで疑心しかなかったし……今もなんとなく夢みたいな気持ちだよ』
「正直俺もまだ半信半疑なとこはあるさ。けど、あんな壮大な夢まさかこんな大勢で見るか? ってな」
奏が思い出していないと気づいた時、あの夢≠見たのは自分だけだったのだろうかと不安に駆られた。夢ではなく現実≠セったことを確信できたのも、彼女が自分と交わした約束を思い出してくれたから。
それをたった一件の見知らぬ電話だけで、介が思い出せたことは、本当は――ありえないと言われてもなんらおかしくなかったのだ。