境界融和世界の幻門ゲート

エピローグ 02
*前しおり次#

『まあね。念のため、近々神崎の家にも行ってみるよ。確認しないといけないし、まだ殴る約束も果たせてないしね』
「ああ……思い出したわ。そういりゃ殴る約束してたな、お前」
『そういうことだよ。……まあ、そっちにもなるべく早く行くよ。まずは神崎殴ってからだな』
 きっと神崎が生きていたとしても、それは体だけだろうとわかる。
 それでも有言実行をするこの男には、ファルチェへの最後の感謝を示すという気持ちがあるのだろう。悠里は署を出て歩きつつ、近くに見えた大学のキャンパスに目を留める。
「今なら鏡もこっち来てるし、それ経由で御影とも連絡取れんだろ。――ああ、そういりゃ大和もいるっぽいな」
『あ、そうか。鏡くんも東京……東京……って……他に誰かいなかったかい?』
「……んー、俺も付き合い長かった奴の顔と名前しかはっきり思い出せてねえんだよ。俺が思い出せてんのは今言った奴らとマスターだろ、それから海理サンとこのパーティと、因縁深かった神崎たちくらいでな……」
 確かに、介が言うように誰かがいた気がするのだが、記憶の大部分の中にその姿がどうにも出てこない。比較的最近知り合った程度の人物だろうか。
 ……誰だっけ。まあいつか思い出すだろう。
『――おれも今思い出せる限りだと、君らとエレヴィアと……だめだ、海理さんたちはインパクト勝ちしてる。それと彰吾さんたちとアレンだなあ』
「ぶっちゃけ俺も思い出したのついさっきなんだよ……鏡にも聞いてみっか……エレヴィア……ああ、お前の彼女か。連絡どうやってとる気だ? 国際料金かかるんじゃねえの?」
『国際料金はSNSでなんとかなる。相手がフランス人なのはわかってるんだ、翻訳サイトと語学知ってる人にひたすら頼るよ』
「そりゃSNSでなんとかなるが、肝心のコンタクトとるのはどうすんだよ……」
『コンタクトの段階でメッセージにできるだけわかりやすくするしかない。あと互いに決めた暗号使うしかない。それでわかってもらえなかったら……終わりだな』
「生きろよ……」
 久しぶりに聞いた。介の堅くなった声音。
 それだけ彼の中でも、相手が思い出してくれなかったらという気持ちが湧いているのだろう。二年前に出くわした時は冷淡な奴だと思っていたが、本当に人は変わるものだ。
 ――いや、変わったのは自分もか。
『……やれる手は打つよ。最悪国際だろうがなんだろうが気にするか』
 こいつ海外進出する気か。表情が抜け落ちきって今のセリフを言ったのだとわかるだけに、悠里は目が据わる。
 典型的なぼっち思考な割に、こういう時のこいつの行動力は本当にバカにならないから怖い。やりそうで怖い。
 まあやっていようが別にいいか。彼ならしぶとく生きていそうだ。
『あ、そろそろ戻るよ。営業行ってくるって嘘ついてるから、ばれかねないしね。また連絡する』
「ああ、そろそろ俺も飯食うわ。後で俺の公休連絡しとくよ」
『よろしく。SNSに登録するよ。それじゃまた。あと、お疲れ』
 笑いを堪えたような声音に、悠里もにやりと笑った。
「ああ。そっちこそお疲れさん」
 通話が切れる。すぐそこに見えた喫茶店に入って、悠里は一瞬、雑多なテーブルの位置と、それを取り囲む武器や鎧に身を包んだ人々の姿を見た気がした。
 目を細めると、落ち着いた店内とあちこち開いているテーブル席が目に入る。店員から開いた場所へと勧められるがままに座って、いつも食べていたアラビアータを注文した。
 
 いえ、腕相撲なら悠里に負けたことないので大丈夫ですよ
 
 ああそ――は?
 
 売られた喧嘩は買うんでしょ? ――文句ないよね?
 
 言うようになったなマジ……やってやろうじゃねえか
 
 食事終わってないのに遊んじゃダメです!
 
 ……ア、ハイ
 
 ぶっ。
 思わず吹き出した悠里へと、視線が集中する。
 けれど彼の肩は構わずに震える。思い出し始めたあの時の出来事を、一つずつかみしめる。
 奏の名前が、介の名前が、悠里のSNSに登録申請をしてくる。
 名前が二つ、リストに増える。
 三人のグループを登録するとすぐ、再会と、確認の会話と、グループ名に話の花が咲く。
『改めて名前なんて決められるかな……』
『エルデさんのお店の名前はどうです? anima ferro』
『よく憶えてたね。それにしよう。使用許諾は……今さらか』
『ヴァイスの名前も入れてやろうぜ』
『いいですね! 風見さんと御影ちゃんも思い出してるといいなあ』
『だな。思い出させたら追加するから待ってな』
 どんな声音で言っているか、すぐにわかる。懐かしさに顔が綻ぶ。
 鏡に連絡を取ろう。
 あいつが思い出していれば、みんなでまた会えるから。
 
 
 
「うわっ、またここだ……! なんで大学内でまた……!」
 まだ悠里や奏、介が思い出す前の話。それこそ鏡が大学に入って間もなく、桜が散って葉桜になったばかりの時期だ。
 自慢するどころか、羞恥ばかり頭に過ぎる恥ずかしい事実だが、彼は方向音痴である。
 それはもう兄からも従兄からも、東京の大学に進学すると伝えた瞬間「お前正気か」と同じ確認を、電話越しに二件相次いで言われるほどに、方向音痴だ。
 一度通った道なら迷わない自信はある。記憶力はそこそこあるのだから。
 だがしかし、一度行った場所に別のルートで行くとなるともうだめだ。現在だって三番館から十番館なんて場所に行くだけで、同じ敷地をぐるぐると回っている始末である。
 いや、まだ諦めるよりも何よりも、どうにかしないと……!
「あれ、鏡くん――うわ、凄い顔。どうしたの」
「あっ、大和くん……! 次の講義、何?」
「人体構造学だよ。ああ、わかった。また迷子になってたんだ?」
「うっ」
 先日入学式の後の入寮式の際、同じ大学で寮生活だという彼と知り合い、仲良くなったものの、図星を当てられてつらい。白波瀬大和という彼は、温和そうな雰囲気の割に言葉がナイフで抉るようなのだ。
 何かと自分に対して気にかけてくれているが、からかうような言葉も目立つ彼とは、やっと人見知りもなくなって話せるようになったばかり。他に知り合いもいない鏡にとっては、迷子になって唯一救いを求められる相手ではあるが、よく心をえぐられる。
 けれど大和は珍しく、何かに目を留めると笑っている。
「たまには自力で行ったほうが覚えるよね。僕後ろから見てるよ」
「ええ!? そ、そんな……講義に間に合わなくなったら大変だよ……!」
「けど人に連れられて行ったんじゃ覚えられないっていうしね。ほら、頑張って」
「う……間に合うかなあ……」
 右を見る。先ほど通った道がずっと伸びている。
 左を見やる。最初に通って結局引き返した道が先のほうで両手を広げている。
 正面を縋る思いで見上げる。
 笑顔の大和が言外に「さっさと動こうね」と言っていた。
 気持ちがどうにも進まないも、鏡はとぼとぼと歩き始める。腕時計の針の進み具合を見やり、周囲の景色を見やり、きっとこっちだと思って進む。そして戻る。また進んでみて――戻った。
「方向音痴っていうより、鏡くんの場合道を戻りすぎてるだけみたいだけど」
「うっ」
 既に全部の道を行った気がするから戻っただけなのだけれど……地図アプリにも細かいキャンパスマップは載るはずがないし、どうしたらいいだろう。
「あの……どうしたの?」
 後ろから声をかけられ、鏡は驚いて振り返る。やや長身にもとれる背に、真っ黒な目と髪。おとなしそうな顔立ちで、きっと鏡や大和とそう歳は変わらないだろう青年が、心配そうに鏡を見下ろしていたのだ。
 はっと気づいた。大和の姿がない。
「もしかして道に迷った? 確か今年入った人だよね……?」
「え!? あ、は、はいっ」
「あ、急にごめん。僕もよく道に迷うから、なんとなくそうかなと思って。僕がわかる場所だったら案内するよ?」
 地獄に仏……!
 ただ、ありがたい申し出なのだが、鏡の視線はさまようばかりだ。なんとかおずおずと口を開くと、青年は優しく笑んでいる。
「え、えっと……人体構造学の講義に行きたいんですけど……」
「あ、人体構造学なら僕もこれから行くんだ。見つけられてよかったよ。よかったら一緒に行かない?」
 人懐っこい笑顔が天使に思えた。鏡は何度も頷いて、ほっと息を漏らして――
 後ろから肩を叩かれ、大和の苦笑いした顔にうっとまた言葉が詰まる。
「自力で行ってみてって言ったのに」
「あ、お友達も一緒にいたんだ。ごめん、お節介だったかな」
「ううん、気にしないでください。本人人見知りもあるから、道自分で尋ねるなりなんなりさせたほうがいいかなあと思って」
 なんだろう、この成長を見守られている感じは。
 青年が苦笑いを溢し、「気持ちわかるよ」とフォローを入れてくれて申し訳ない。
「僕も人見知りあるんだ。人に話しかけるのって緊張するよね。あ、僕、万理っていうんだ。万理・N・レーデン。よろしくね」
 レーデン?
 聞き慣れない横文字の名前に、鏡は目を瞬かせる。大和に出会った時もそうだったのだけれど、なんとなく心に引っかかる。
 大和と一緒に万理へと自己紹介をして、道を案内してもらう。穏やかな人柄の青年は、フォーマルにもとれる春物のジャケットを着込んでいて、いかにも大学生といった感じだ。高校から変わらずパーカーとカーディガンとジーンズという組み合わせの自分とは、なんとなく違う気がして羨ましい。
「白波瀬くんも一回生……だよね? 二人とも何科志望?」
「外科。こっちの鏡くんが精神科だよ」
「そうなんだ。二人とも目指してる科ばらばらなんだね。僕は総合なんだけど……あっ」
 荷物を取り出そうとした万理の表情が一瞬にして固まった。どうしたのだろうと彼を見上げる鏡は、万理のややがっしりした拳の震え方に目を見張る。大和も怪訝そうに万理を見やったようだ。
「どうかした?」
「……兄さんまた……っ! 明日の朝食まで……!」
 怒りの声に、大和が生暖かい顔を向けている。鞄から取り出されたのりつきのメモに踊る字に、鏡も遠い顔になった。


掲載日 2021/12/24


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