境界融和世界の幻門ゲート

前編 第01話「海底」
*前しおり次#

本編時系列:本編より2年以上前のお話です。
 この番外編は第19話までのネタバレを多数含んでおります。
 ネタバレが苦手な方はご注意ください。


「はい、かしこまりました。それではまた明日の午後、見積もりをそちらにお持ちいたします。――ははっ、いえ、お待たせするのも申し訳ありませんから。――はい。いつもありがとうございます。それでは失礼いたします」
 電話を終える。慣れない世間話を持ってこられる前に業務の会話で終わったたすくは、内心詰めていた息をそっと吐き出した。なるべく音を立てずについた溜息ですら、隣の席の上司にはよくわかったのだろう。おかしそうに笑って身を乗り出される。
「お前まだ世間話まで持って行けないのか? 営業行く度にそれじゃきついし、先方にも失礼になるぞ」
「……仕事をするだけで世間話をする必要があるんですか?」
「ああ、お互いのことを知るって意味では重要だよ。その人の趣味を知る機会になるし、何より、『あなたともっと深く関わらせてください』ってアピールになる。向こうも親しくしてくれる相手の会社なら、信用して企画を持ってきてくれることもある。俺たちは会社の顔なんだから」
「はい……」
 二十歳を超えて、三年目ともなれば会社に慣れてきた。とはいえ、営業にはまだ慣れない。
 他の部署に配属されたほうが気が楽じゃないかと尋ねてくる同僚もいるし、介自身もそう思ってきた。だが上司が頑として首を縦に振ってくれず、絶対に営業にいるべきだと、介を部下に持ち続けてくれている。
 営業不振も何度もやってしまっているというのに、それでもなお。上司曰く、介の場合は人付き合いに慣れていないだけで、素質はあるということらしいけれど。
「けどお前、明日休みだろ。取りつけたら出社することになるぞ……」
「え? はい。どうせやることなかったので、出勤するつもりでし――だっ」
「バカ、休める時は休めって言っただろ! 本当覚え悪いなそこだけ……」
「先輩、社内暴力は総務の人に目をつけられます」
「お前がひ弱すぎるんだ、この間も頭痛起こしてただろ。体力はあるのにな……。明日も来るなら残りは置いとけ。で、午前中にやること終わらせたら午後商談、後は直帰して休め。いいな」
 もう三年目にもなるのに、上司からの扱いはいつまで経っても一年社員と変わらない。介は微かに不服を覚えたも、上司の言うことは尤もだった。それがわからないほど子供ではなかったし、総務からも有給を使ってくれとこの間から嘆かれている。素直に甘えるべきだろう。
 ただ、一つ訂正したいのは、この間の変な病状は頭痛ではない。耳鳴りだ。
「わかりました。それではお先に失礼します」
「お疲れ様。今度の休みの前日、飲みに行くぞ」
「うっ、またですか……」
「お前のいいところは正直さと素直さだけど、素直すぎて皮剥したら戸が立ってないよな」
「だから世間話は苦手です」
 同じ営業の何人かから呆れた目と、冷ややかな顔と、ついでに笑いをこらえる声をいただいた。淡々と仕事をこなす課長の目が、細い眼鏡のフレームの奥で眼光鋭く介を睨みつけてくる。
「仕事を区切ったならさっさと退社。あと山口、無駄話はそこで区切れ」
「はい、申し訳ありません」
「……お疲れ様です」
「お疲れ様」
 会社に居続けなければ居場所なんてないとわかっている介にとっては、あの課長は上司以上に苦手だ。考え方は自分と似ているようなのだが、言葉がきついし、何を考えているのかその腹が読めない。大抵の人の言いたいことや考えていることはわかるのに、課長は綺麗に隠しきっているのだ。
 タイムカードを押して、会社の外へと出る。家でやることと言っても、コンビニで買ったスパゲティサラダとサラダを食べて、家事を少しやって、風呂に入ったら後は寝るだけだ。
 朝起きてもサラダとサンドイッチを食べて、欠伸を一つ交えてシャツとスーツに袖を通して、外に出る。
 北海道の朝も夜も、いつも寒い。九州は桜の蕾がどうとか言っているそうだが、北海道はまだ雪が道を埋めている。それでも十数年前に比べれば降雪量は減ったし、札幌は内陸部や新潟ほど豪雪とは呼び難い地域だ。
 一軒家の二重の玄関には、子供の作品だろう、大人の膝丈ほどもない小さな雪だるまが一つ置かれていたようだ。昨日の雪で化粧を塗り重ねられたのだろうか。ものの見事に雪山が一つ出来ただけのものとなっていた。
 スマホが震える。会社か得意先からの連絡だろうかとポケットに手を入れて、介は目を丸くした。
 入れた覚えのないものの感触がする。固い存在感とスマホを一緒に引き抜いて、介は手からこぼれたものを慌てて拾い上げようとして、手が止まった。
 冴えた青い色の石だ。西洋の海を思わせるような、目を見張る美しい色。
「……コバルト……違う、けどなんだ、これ」
 石を拾い上げる。やはり先ほどポケットに入っていたものはこれで間違いないようだ。指に当たる感触が同じだ。
 いったいなんなのだろう。
 咄嗟に耳を押さえる。キンと貫くような耳鳴りに思わず顔をしかめた。

 ――けた

 辺りを見回しても人気はない。幻聴だとわかるも、なんなのかさっぱりだ。
 まさか風邪か? けれどこの間先輩に無理やり連れられて医者にかかった時は、健康そのものだと――
 白が、視界を埋め尽くす。白が、体を冷たく冷やしながら覆っていく。
 なんだか懐かしさすら感じた。生まれ育ったマンションの一室で、ベランダで――
 こうやって白く染まっていく世界の中に放り出されて、震えていたような気がした。
 
 
 生暖かい風がかかる。犬の唸り声もこんなにはっきりと聞いたのは、親戚の家にいたあの大きな犬にじゃれつかれた時ぐらいだ。
 まさかあの犬が来たのか? いやそもそも……なんだろう、辺りが温か……
 目を開けて飛び込んできたものに、介は身を竦ませた。
 見覚えのない大型の犬が、よだれを滴らせて介を睨み下ろしているのだ。獲物を前にしたような血走った目に射抜かれて、介は顔を引きつらせる。
「ど……どけよ!!」
 細い腕で慌てて獣を払おうとするも、犬も胴体だけで人のそれと変わらないほどに大きければ重くて振り払えない。暴れた介を見てか、犬が牙を剥き出して喉元目がけて噛みつこうとしてきた。
 真っ赤な口が、黄色く染まった牙が、見える。一瞬のはずなのに、ゆっくり動いてもてあそばれているような。
 あの中に自分が収まるのかと理解した瞬間、歯を食いしばった。
「どけ!!」
 犬の動きがおかしくなった。
 犬が吹っ飛ばされたのだ。何もしていないのに。
 木の幹に叩きつけられて、怒りに目を剥き出している。やっと上半身を起こせた介は目を見開いた。
 誰か近くにいたわけじゃ……けれど、目を背けたら殺されるとわかる。逃げられない。
 犬が少しだけ左に寄りながら、間合いを詰めてくる。介は乾いた口で無理やり唾を飲み、犬を睨みつけて立ち上がる。
 逃げた時点で殺される。大きな声も警戒心と怒りを蓄えた獣には逆効果だ。手元にあるのは――
 スマホと、あの硬い感触。どちらも投げようがない。自分の投擲の下手さは身に染みている。少なくとも新入社員研修の時、力がなさすぎてダーツの矢が一切的に届かなかったぐらいには!
 何か――
「顕現せよ火!」
 男の声。
「巻き起これ、武帝ぶていの一撃。しきをほうむり焦土とせよ!」
 突如、獣を中心に火柱が立ち上った。火の気も全くなかった木々の中で、煌々と燃えるそれは焼却炉の中の炎を思わせた。介は呆然と柱を見上げ、言葉を失う。
 後ろから草を踏みしめる音がして、びくりと振り返って、はっとした。
 木立の向こうから、自分とそう歳が離れていないだろう男が、安堵を見せて介を見てきた。焦げ茶色の目と髪、見ず知らずの赤の他人だとはっきりわかる相手は、介を見上げて心配そうな表情を浮かべている。
「大丈夫か? 怪我とかしてないか?」
「……は、はい……」
「――ああ、もしかしなくてもだな。お前名前は?」
「か、神田です」
「俺は来栖くずみ彰吾しょうご。いきなり森の中で驚いただろ。ついてこいよ、ここ独りでうろつくには危険なんだ」
 人懐っこい笑みを浮かべて、男は裏表が一切ない表情で、木立の向こうを示していた。
 ――木が多い。森だと言われ、やっと現在位置がわかって顔が青ざめた。
「出勤途中、だったのに……なんでこんなとこに……!」
「はは……最初はまあ、混乱するよな。その話するためにも、とりあえず安全な場所に出よう。それと、石とスマホ、忘れずに持ってきてくれ」
 介は耳を疑った。男を見上げる目が疑心に満ちる。
「おれの荷物を知ってるんですか?」
「みんな同じ持ち物しか、最初持ってないからだよ」
 どういうことだ?
 男は苦笑して、おもむろに自らの懐のポケットに手を入れ、やや深みのある赤い色の石を取り出した。
 深紅というよりも、鮮やかさが勝る目をく色だ。呆気にとられる介に、彰吾はラフにもとれるシンプルなシャツの胸ポケットに、石をしまい直した。
「そういうことだよ。お前も見覚えのない石あったんだろう? 俺もこの石がきっかけで、こっち側に来た人間ってことだ。これでも東京でリーマンやってたんだぞ?」
「……こっち側……?」
「だから、疑問が尽きないだろうけどそろそろ移動するぞ。――あー、やっぱりただの野良狼か」
 火の柱が消えていた。焼け焦げた犬を振り返った介は、勢いよく目をらして口を覆う。
 彰吾の苦笑いが聞こえてきた。
「落ち着ける場所に行ったほうがいいな。移動できるか?」
「は、はい」
 よかったと笑う男に、介は戸惑いを隠せなかった。
 他人だと括って放って置けばいいのに、どうしてみんな、近づいてくるのだろう。
 来栖彰吾というこの男は、街道に出てきた時にやっと、話を始めてくれた。
 ここは異世界。自分たちは夢と言う形でこの世界イドラ・オルムに迷い込んできた、異界の民であること。
 そしてこの世界は、自分たちですらも魔術が使える。輝石という、身に覚えのない石こそそれを可能にし、自分たちの命綱であるということ。
 全て夢物語のような話だった。なんとなく、気持ちがいでくる。
「そうですか……」
 彰吾の表情が一瞬にして変わった。介は空気の変化に気づいて、彰吾を見下ろして目を見開いた。
 真剣な目が介を射抜いてくる。
「ここが死に場所だ、なんて絶対に言うなよ」
 足が止まる。止まった足を動かさせるために、彰吾の手が介の腕を容赦なく引っ張った。
 見透かされたような言葉に声が出なかったのだ。戸惑う介に気にも留めず、彼は見た目とは裏腹に力強く、介を街道の先まで連れて行った。
 
 
 直線に伸び続ける道。交錯する脇道は全て直角に交わる、平屋か二階建てが多い純日本風な街並み。
 見覚えのある漆喰や土壁、屋根瓦や生垣を見て、介は目を疑った。
 どう見ても日本ではないか。これが異世界だなんて、先ほどの火柱がなければ到底思えない。
 街の名前も境途きょうとと、現実世界の京都と同じ読みを当てられていた。剣を携える若者、分厚い本を手に杖を持つ少女。無骨そうな中年男性は鎧を着てもいた。
 和風な街並みに似合わない服装があちらこちらで目立つも、街の奥にぼんやり見えた洋風な建物から察するに、統一感はさほどないのだろう。
 皆活き活きとしているが、ゲートが出たという言葉があちこちから飛び交い、人によっては走っていく。現実世界でもここ数年、突然出てきた単語だったから、介は耳を疑って振り返っては、彰吾に腕を引っ張られて無理やり歩かされた。
 思った以上に強引な人だ。最初の人懐っこそうな笑みが嘘のようで、介は困惑する。
「さあて、着いたぞ」
 見るからに宿屋だった。一階から聞こえてくるがやがやとした会話や声に、介は一瞬身を固めて立ち止まる。けれど彰吾に引っ張り込まれ、嫌々中に入らざるを得なかった。
 穏やかに会話する人、ぼそぼそと喋る人。店の中に入った介たちを気に留める人はほぼおらず、店員がこちらに気づいて彰吾へと手を上げたぐらいだ。
「お帰り、仲間は帰ってきてるよ!」
「ただいま、女将おかみさん! 教えてくれてありがと。こいつ新人なんだ、よろしく頼むよ」
 介がぎょっとするのもつかの間、ふくよかな女性が目を優しく細めて頷いていた。
「へえ、これから頑張って。しばらくその子の宿代は気にしなくていいよ。かせぎが上手くいくようになってから頂戴するからね」
「いつもごめんな」
「持ちつ持たれつだよ。あたしらじゃ到底魔物は倒せないからね。あんたらがここにいてくれるおかげで勘定かんじょうも盗まれないし」
「だからって紐は固く締めとけよー。それじゃ、上に行くよ。あ、ピラフ二つお願い」
「はいはい、そっちはお代もらうからね」
「了解っ」
 快活な返事と共に、彰吾は手で礼を示していた。介の腕を引っ張って上の階へと引き連れていく彼は、困惑する介へと振り返って苦笑する。
「いきなりで悪いけど、ここでも生活する以上は稼がないといけないんだ。それに石の使い方も教えないといけないし、しばらくは甘えさせてもらおうな」
「……稼ぐって、具体的には?」
「そうだなあ。まあ成人してるおれたちみたいなののほとんどは、冒険者やったり、現実世界と変わらない感じで店経営したり、バイトしたりだな。この世界じゃ十五歳で成人なんだ。だから神田くんが問題ないなら、何かしらの形で働かないと生活できなくなる。見た限り、あいつと違ってニートはしてなさそうだけど、何かやれそうか?」
「……営業なら、やってたんですが……人付き合いは苦手です」
 彰吾がぽかんとして振り返り、まじまじと介を見やった。一瞬身を引いた介に、彼はじっと介を見上げる。
「お前まさかぼっち思考か……? 友達多いほうが楽しいのに勿体もったいないなあ」
「余計なお世話ですよ」
 表情が一瞬でぎ落とされた介を見てもまだわかっていないのか、彰吾は「勿体ない」ともう一度呟いて扉を開けた。


掲載日 2022/01/10


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