境界融和世界の幻門ゲート

前編 第03話「夜の海」01
*前しおり次#

 羽委は軽やかな足取りで先を進んでいく。ヴィニアは介の後ろ。じっと耳を傍立てるように、沈黙したままだ。
 女性に挟まれたまま森を歩くなんて経験も少なく、居心地悪さを感じていたのもほんの数十分前だ。今は羽委にただただ驚いていた。
 羽委はパンプスでは歩き辛いはずの大きな木の根だらけの道を進んでいく。まるで兎が跳ぶように乗り越えたり潜り抜けたりと軽やかだ。小柄な体格もあってか、全く苦にしていないが、着いていく介は久しぶりの獣道に顔をしかめた。
 親戚のところで経験した以来だ。長時間歩くとなると、正直応えるものがある。
「あの、どうしておれを連れていくことにしたんですか?」
「うーん……彰がまだ見せたくないって言うと思ってね」
 見せたくない? なんの話だ?
 羽委は苦笑いして、しばらく先に進んで見えてきた大きな広場の中央へと来るよう促した。
 あれだけ木の根が絡んでいた原生林のような風景が一変して、ドーム型の空間が広がっている。下草はやっと地面を覆ったばかりだろうか。土が中央に向けてへこんでいるのも違和感があった。
 そのドームの真ん中に、枯れ果てた木の枝と、添えられたしおれた花。
 羽委が手を合わせて、ヴィニアも黙祷を捧げている。墓だと気づいた介も、見よう見真似で手を合わせて、顔を上げた。
 羽委がそっと土を撫でている。
「さっきさ、あの魔物のことどう思った? おっきかった?」
「はい。現実世界にはまずいない大きさだろうなと……」
「あんな熊がどうして出来ちゃったか、想像できる?」
「発育がよかったんじゃないんですか?」
「違うんだなー……」
 苦笑する羽委が珍しかった。ヴィニアが綺麗な紫の目で羽委の後ろを睨む。
「来ましたよ」
「ほいほい。やっぱりこっちだったんだね」
 羽委の手にダーツの矢が数本。ぎょっとした介だが、驚いたのは別のものに対してだった。
 ぼろぼろの衣服を着て、顔もやつれた男が、血走った目で木立の中から現れて、羽委を凝視したのだ。
 羽委も男を見つめて、うんと頷いている。
「目標確認だね。やっぱりまだなってなかったか」
「え――?」
「彰の読みたまーに外れるんだよ。だいたい魔物になったゲートを狙うけど、どっちも厄介だもんね」
 魔物になったゲート?
 ゲートって、現実世界にいたあいつらで、その原因はこの世界にいるゲートが原因で――
 人間が、ゲートで……
「どういう、ことですか……」
「お前たち……俺を殺しに来たんだな……!」
 頭が真っ白になる。ぎらぎらとした目が介を、羽委を、ヴィニアを睨む。
「殺されてたまるか……帰るまで絶対に死なないぞ」
 ころ、す。
 殺すって……人を?
「こんな世界もう真っ平だ! 自由もない美味い飯だってろくにない、働いたって働いたって苦しいだけじゃねえか!! 魔術がなんの役に立つんだよ、こんな大した力もないもの!!」
「力を得るための対価は己が心を磨き示す過程」
 羽委の静かな言葉が聞こえていないのだろうか。男は唾を飛ばしてわめき散らしているではないか。
「寄るなよ、来たら魔術を撃つからな!!」
「わかってないなあ。ゲートになるぐらい魔術を使ったのはそっちじゃない。いったい何に使ったの? 生活のためならそこまで酷く消耗もしないし輝石壊れたりしないよねー」
 輝石。魔術。ゲート。
 羽委の口から並べられた言葉を逆に辿っていけばいくほど、仕組みが簡単にわかっていく。
「つまりゲートになるほどあなたが魔術を使う理由は二つ。一つは自衛のための魔術。もしそうなら可愛げあったし保護したかったけど――二つ目だよね。あなたがやったの」
 調べついてるんだなー、ごめんね。
 羽委の謝る言葉は薄情なほど、軽々しい。
「強盗、強姦ごうかん、暴行、殺傷。あと小さな子供もさらって働かせてたよね。女の子には淫乱いんらんなことして。でしょ? マルクス・ダーナーさん」
 羽委のアンクレットが輝いていく。輝きがダーツにも灯る。
 男が茶色く染まった歯をむき出しにして怒り、手を前に突き出した。
 瞬間、羽委の周りに風が乱れる。体を切り刻まれる。介が目を見開いた瞬間、彼女の周囲に光が煌めいた。
「悪あがき大っ嫌い。顕現せよ地」
「やれるものならやってみろ!!」
「大地の社ここに開かれん。出入りを禁ずる。守護の領域よ、ここに」
 光が空気の色を変えた。微かに黄色味を帯びた世界はまるでパソコン用の眼鏡をかけているようで、介は当たりを見回してぎょっとする。
 男が困惑している中、ヴィニアがすっと左手で縦に弧を描いた。
 風が、音を歌う。
「開け水の門、魔石の内の力をここに具現する。凍てつけ大気。我に力を貸せ」
 氷の弓。冷気が漂い、水のつるを握ったヴィニアがすっと弓を引いた。
 指が離れる。弦が弾け、男へと氷の矢が一本、喉を貫いた。
 口をぱっくりと開けた男のその穴から赤が溢れて零れ落ちる。白目をいて倒れた男を、介は目を見開いたまま見つめ続けた。
 羽委が苦笑いを浮かべて空中に漂う光を消し去り、ヴィニアに振り返る。
「ごめんね、とどめ刺してもらっちゃってさ」
「仲間になったのですから、これぐらいは当然ですわ」
「じゃあ、ありがとだね。あの術集中保たないと効果切れちゃうし、逃げられたらまずいしね……さて、と」
 男の体が、光っていく。
 温い風が辺りに散って、光と共に男の体は消えてなくなっていた。そこに残された緑色の光を放つ水晶のような石を遺して。
「――うん、ゲートになって随分日が経ってたかな。魔物化してなくてよかったよ」
 よかった? これで? いったい何が?
 人が死んだのに。
 殺したくせに――っ
 羽委が介へと振り返ってきた。後ずさる介に、羽委はたははと笑っている。
「そうなっちゃうよねー。けどこれがあたしたちの現実だよ」
 介を指す手が、羽委を示し。羽委を示した指が、今度はあの男がいた場所を示した。
 彰吾たちと一度分かれた方角も。
「あたしたち異界の民は、イコール、ゲート。――正確に言うと、輝石が壊れた時点でゲート化するんだよ。あたしたちは現実世界にとって害になりかねないし、希望でもあるの。そしてゲートになってしまったら最後、守りたいものも守れない。助けたかったものですら傷つけるだけの存在に――魔物に成り果てるんだよ」
 羽委の声は、どこまでも明るかった。
 現実味が全く湧かない中で、明るくて、残酷で。
「だ、からって、殺す必要は……」
「さっきの熊も、もしかしたら元々は人間だったかもしれないよ」
 足元に地面はあっただろうか。
「あんなに発育がいい熊が当たり前にいると思った? それなら今頃あちこちで熊が主食だよ。あーでもそれはそれで嫌だなー」
 まるで明日の夕飯のメニューを決めるような。
 軽やかな声に、力が抜けそうになる。
「えっとね、少なくともこの世界の動物は、あたしたちの世界とそんなにサイズは変わらないの。大きかったり、妙に頭がいい連中はだいたい魔物や幻獣。あたしたちも、魔力を使い切ってしまったらああなりかねないの。だから彰たちはこの世界の仕組みを知って、それを食い止めようとしてるんだよ」
 微動だにできないでいる介を見上げて、羽委が近づいてきた。
 手を伸ばされる前に勢いよく身を引いた介へと、羽委は苦笑している。
「――うん。よかった。ちゃんとそこだけは、保ってるんだね」
「……え?」
「感情がとぼしい人ってね、持論だけど、人の生き死にもたまに見えなくなってる人がいるから。そんな状態の人を仲間に入れても、機械的にゲートを狩るの目に見えてたから、あたし嫌だったんだ。命が亡くなるっていうことを、命を奪うっていう行為を嫌って思うなら、安心ってこと」
 膝から力が抜けた。
 やっと、やっと自分が震えていたことがわかって、介は呆然と手を見下ろす。
 自分が殺したわけではない。自分がやったわけではないとわかっているのに、震えが止まらない。
「あとこれだけは勘違いなしね、神田くん」
 目線を合わせるようにしゃがみこんだ羽委は、落ち着いた笑みを見せてきた。
「ゲートになる可能性があるからって、みんなあたしたちにも君にも、死んでほしいなんて思ってないよ。生きててほしいからみんな戦ってるんだよ」
 一瞬言われた意味がわからなかった。
 羽委がそっと手を伸ばして、介の頭を恐る恐るといった様子で撫でてきて、介は固まる。
「……は……?」
「怖い思いさせてごめんね。一緒に帰ろうね」

 ごめんなさい

 小さい頃、誰かに謝られた気がする。朦朧もうろうとする意識の中で、泣きながら、その人に。
 思い出せない介は、そっと頭から離れた手が、立ち上がった羽委の伸びにいろどりを添えているようだった。
 彰吾たちがやってきたのは、それから程ない時間だった。羽委をしかる彰吾は、区切りをつけるとすぐに介に大丈夫かと確認を取って、謝ってきていた。
 大丈夫だと言いかけた介の頭を強い力で撫でてきた彰吾が言っていた言葉を思い出す。

 ここが死に場所だ、なんて絶対に言うなよ

 お前もうちょっと人に反発していいぞ

「……来栖さん」
「ん?」
「重いです。あと痛いで――いだっ!!」
「やっと反発ちゃんとできるようになったなー偉いえら――いっだああああ!?」
「痛がってるんじゃん反発じゃなくて! もうやめてあげなよー」
「ユズッ、おまっ、首しまっ……! 髪も引っ張ってるからなやめええええええ!!」
 耳を塞いだ。カルフが助け起こしてくれ、介はやっと安堵の溜息を漏らす。
 やっぱり、一日二日では慣れそうにもなかった。


 二週間経った。頼まれ事を自分のやれる時にやることも、手が空いていない時は断ることもできるようになってきた。まだ多少の遠慮が残るが、彰吾たち曰く初日に比べれば随分といいと言う。
 ただし。
「お前また彰吾を部屋から叩き出したらしいな。昨日こっちに来たぞ」
「あの人が構い倒してくるのが悪い」
 三日と持たなかった人嫌いのせいで、彰吾を二日に一度部屋から追い出していた。
 神崎のいけ好かない物言いにも言い返す機会が増えて、介はやっと神崎がどういう人物か思い出してきた。


掲載日 2022/01/10


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