境界融和世界の幻門ゲート

後編 第01話「種子」01
*前しおり次#

本編時系列:本編より1年以上前のお話です。
 この番外編は第43話までのネタバレを多数含んでおります。
 ネタバレが苦手な方はご注意ください。


「……え……」
 目の前で起こったあの出来事は、夢だったのだろうか。
 仲間だと思っていた男が、突然嘲笑って、師であるその人を操って、仲間を殺そうとしてきた。自分の名前を奪おうとしてきた。
 わかったのは、それだけだ。自分を守ろうとした人々が次々と倒れていく様を目の前で見て、もう頭が真っ白なまま、立ち尽くしていたから。
 整理など全くつかない頭で、介は呆然と、寒さを直に伝える服を見下ろした。
 紅に染まった灰色。
 体が震えて震えて、呼吸が乱れる。辺りを見回しても仲間の姿なんてどこにもない。弓使いの女性が持っていた弓を見つけて走り、手に取ったも、その木は真ん中が砕けていた。
 嘘だ。だってこの弓は、ヴィニアさんが初陣の頃から使い込んでいる弓だって、言っていたのに。
 一度も折れたことがないと、聞いていたのに――!
 振り返った介は目を見開いた。弓を放り出して走って、血の気が遠のいた弓使いの女性の肩を揺する。
「ヴィニアさん! ヴィニ……! 開け幻門ゲート!! 我が門は水、ラリマーの輝石を以て力をここに具現する! 親和せよせいめ――!?」
 ずんと体が重くなる。今まで数回覚えたかどうかの感覚に、介は信じられずに自らの輝石を見下ろした。
 灰色に染まっている。あと数回魔術を撃てるかどうかだとわかるのは、元の色が西洋の海を思わせる冴えた青色だったからだ。
 けれどもう、なんとかしたくて、気持ちのやり場がなく、どうしようもなくて。
「……! 親和せよ生命、戦士の傷つきし体に治癒の加護を与えよ!」
 灰色が、鉛のように重たい色へと変貌する。
 傷を必死に修復しようとするも、すぐに体に走る寒気に中断せざるを得なかった。
 続けたかった。けれどもう、彼女から呼吸を感じられないのだ。
 喉が震えて、仲間の肩を揺すり続けた手も震えて、どうしようもない――
「……カルフさん……羽委はねい、さん……!」
 仲間の姿があるはずもないとわかっていた。
 自分の目で見ていたから。足元に広がった魔法陣の向こう側で、倒れていた仲間の姿を。
「……誰か……お願いだ……誰か生きてない、のか……? 彰吾しょうごさ」
 出そうとした声が途切れる。
 一番、生きていてほしかったのに、いなくなった人の名前を呼ぶ気力はなくなっていた。
 視界がにじんで、見えなくなって、鮮明になってまたぼやける。
 自分のせいだった。

 介、逃げろ……! 絶対に生きるって、約束しろ!!

 自分の名前が、こんなものじゃなければよかったのだろうか。
 いや、そもそも――

 ここが死に場所だ、なんて絶対に言うなよ

 仲間に――彰吾に最初に言われた言葉を思い出して、介は身をすくませた。
 歯を食いしばり、やっとの思いで立ち上がる。女性の体をそのままにするのも申し訳なく、手元に余分にあった着替えの服を、毛布と布団の代わりにして、彼女をそこになんとか寝かせた。
 獣が寄ってこないように、彼女に教えてもらった香草をしばらく焚いて、番をして、立ち上がる。
 自分がずっと過ごした街は、西側にしっかりと見えた。いつの間にか迎えた朝に目を細めて、介はヴィニアへと唇を噛みしめて頭を下げた。
「ごめんなさい……約束、必ず……果たします……」
 恨まれたっていい。
 自分のせいだと責められても仕方ない。
 けれどみんなが言ってくれた言葉を、ここで投げ捨てるなんて、できなかった。
 生きろという、たった三つの音を守るために。


 何度朝日が昇っただろうか。もう数えるのも面倒で、介はぼんやりと目を開け、痛みをうったえる体を何とか起こした。
 今までの生活必需品は全て境途の宿屋に置いているせいで、着の身着のままで東に向かわざるを得ない状態だった。
 拠点にしていた境途きょうとに戻ることも考えたが、仲間に起こった惨劇の原因を作った男が、あの街に戻っているかもしれない。魔力量が少ない今、鉢合わせれば今度こそ勝ち目がないどころか、殺されてしまうだろう。
 東に歩き続ける。前は馬車で向かった道も、独りで歩き続けるのは非常に辛いものだった。足が棒になり、時折鉢合わせる魔物からにげるために魔力を温存するため、水場を見つけられなければ水の確保もままならない。街道を歩くことで視界は確保できたが、山賊や獣に狙われないわけがなかった。
 視界がぼやけそうになる。彰吾たちに言われた言葉が耳朶を打ち続ける。ここで倒れこみたい想いを乾ききった唾と共に飲み込んで、歩いて――
 どこまで歩けばいいのだろう
 どこまで逃げれば、いいのだろう
 逃げてばかりで、目を背けて、助けてもらったことも変えてもらったことも……みんなと笑った時間も……全部置いて、何ができるのだろう……
 こんな……世界で
 ……ひとり……で……

 …………………………………………




 独りだった。
 そのはずだった。

 話し声が聞こえてくる。介は真っ暗な視界を覆う瞼を、なんとか持ち上げた。うっすらと開いた目に飛び込んできた景色は、木の天井が一面。黒髪の、背の高い少年と……灰色の髪の男。
「拾ったって、犬猫じゃあるまいし……かといって、テンプレに元の場所に返してこいって言うのも酷っスねー」
 見覚えのない人たちだった。ぼんやりと目を向けると、背の高い黒髪の少年は細身で、眠そうにも映るれた黒目で男を見やっていた。西洋の騎士を思わせる鎧を隣に置いていて、腰に残された剣の幅の広さが彼の筋力を物語る。
 奥で酒の香りを漂わせ、グラスを仰ぐ中年頃の、白人系のダンディという言葉が似合いそうな男性もいた。その隣で、やや刺々しい雰囲気の――一瞬人形かと見間違えるほどに完成された容姿の、柔らかな色の金髪の女性と目が合う。
 エメラルドかと思うほど澄んだ翠の目できつく睨まれ、そっぽを向かれた。
「起きたみたいだけど」
 灰色の髪の男は、さほど驚いた様子もなく、アイスブルーの目で介を見下ろしてきた。現状を飲み込めないまま、辺りをもう一度見渡そうとして、自分がベッドに寝かせられているとやっと気づく。
 体が、思うように動かせない。全身に鉛を巻かれているかのようだ。
「アンタ、どこ向かってたんスか? しかも一人とか危なすぎっスよ」
「……いや、どことはまだ……ここ、街ですか?」
 声が掠れて、上手く出せない。乾いた音が混じって漏れ、介は困惑しつつ体を起こした。
 腕が震えそうになるのを堪える。きしむ体がどれほど疲労を溜め込んでいたのか、やっと自覚した。
 黒髪の少年が介を見下ろしている。
「うん。えっと……魅衛みえ。ぼくたちは拠点に帰って、東響に向かうところ」
「魅衛……? ……現実の三重、か……」
「喋りすぎっスよ、千聖ちひろー」
 黒髪の少年は特に気にした様子がない。灰色の髪の男は、じっと介を見やった。
「それよりもアンタ、どんだけ強行突破してきたんスか。ボロボロだししばらく食ってねぇでしょ」
「え……? ああ、ちょっと急いでいたものですから……すみません、おれ倒れたんですね……ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません」
 苦い顔でゆっくり頭を下げるも、灰色の髪の男が気にするなと言いたげに手を上げていた。じっと見据えてくる目は、まるで探りを入れるようだ。
「まーまー、拾われたもんは仕方ないっスよ。急いでたってどこまでっスか?」
「……それは……」
 問われて初めて、介は言葉を探して黙り込んでしまった。
 目的地なんてなかった。いやそもそも、事情だって話せそうにない。
 どう言えばいいだろうか。早くこの場を去るほうが得策な気がする。いつあいつに追いつかれるともわからないのだから。
「……所用がありまして……すみません、ご迷惑をおかけしました」
「所用って?」
 立ち上がろうとした介を、千聖の無表情な垂れ目が見下ろしてくる。恐らく高校生だろう彼は、どうにも表情が乏しい。介は苦い表情を隠さず俯く。
「……す、すみません、言えません」
らちあかねーっスね。目的地はない、けど東に行かなきゃなんない。これで間違いねーっスか?」
「はい、そうです……」
「俺の情報網じゃ、この辺の魔物は凶暴化してんスよ。そんなところを一人で強行突破とか死にに行ってるモンっスよ、アンタ」
 その凶暴化に、あいつも関わっているのだろうか。
 自分の名を奪おうとしたあいつも……。
「で、物は相談なんっスけど、東響……そこまでは悪いってんなら夜古浜よこはままでご一緒しねーっスか? こっちも新人二人いるんで危険っスからねー」
「……え?」
 思わず耳を疑って顔を上げた。飄々ひょうひょうと言葉を並べる男に、介は慌てて首を振る。
「あの、おれは別に……いや、倒れておいて大丈夫なんて、言えた義理じゃありませんが……」
「そう思うなら付き合ってくださいっス。なんなら新人二人の面倒見てくれりゃいいっスよ。俺もアルさんも術型じゃねーっスから教えられないっスからねー」
 術型じゃない。
 その言葉に、介は目を瞬かせる。内心では注意をおこたる気は毛頭なかった。
 この男、情報網という言葉まで使っていた。加えてこの観察力――情報屋の可能性が高くなってきた。
「よくおれが術型だってわかりましたね……最近来たばかりの異界の民に見えても、おかしくなかったと思いますが……」
「そりゃ武器なんもねーっスもん。でもって、そのボロっちぃダサい服」
 言われて見下ろして、介は口をつぐんだ。
 よれよれのシャツ、くたくたすぎるジーンズ。ついでに上着は途中魔物に襲われたために穴だらけ。
 言いたいことは全て詰め込まれた見た目だった。
「一人でこんだけくぐり抜けてきたってことは、最近来たばかりってのはないっスわ。とっくに野垂れ死んでるっスよ」
「……なるほど。あなたは客観視が得意なんですね」
「ははっ、それほどでもないっスよ? オレは推測を言っただけっスから」
 やはりこの男は、ただの勘がいい人ではなさそうだ。
 ついでにこうも言われているとわかる。
 独りで動くよりも、身の危険を減らせと。ついでに彼は介の身の回りで起こっていることが何か、恐らく興味を持っている。
 今回の魔物の凶暴化の核が、介の近くにいると踏んでいるのだろう。
 ――利用できるものはする、か。
 嫌いじゃない。
「十分あなたの武器ですよ。……わかりました、おれでよければ、魔術の基礎からでも手伝います」
「交渉成立っスね。オレはカミシナ・フェネスっス。みんなにはカミナって呼ばれてるっスよ。あっちでビール飲んでる、飲んだくれのおっさんが、アルさんことアルバーノ・ディマッテオっス。あれでもパーティリーダーっス」
 灰色の髪の男、カミシナは、酒の香りを辺りに漂わせる張本人は、ひらひらと手を振ってまたグラスを煽っていた。
「で、そこの美人がエレヴィア・ヴルツェルっス。魔術を教えてやってほしいのは、エレヴィアと千聖っすね」
「わかりました。おれは――……」


掲載日 2022/03/06


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