出そうとした音が、途切れる。
目を見開く介は、たった三文字の音が、喉を全く走らなかったことに絶句し、喉を押さえる。
カミシナが、アルバーノが、そしてエレヴィアが、介へと目を向けた。
「どうかした?」
エレヴィアに問われて、やっと介ははっとする。曖昧に首を振り、介は「いえ」と、なんでもないふりを心がけた。
表情や声音が、すっかりぎこちなくなっていた。
「介……です」
名前は……言える。苗字だけ声が出ない? なんでだ?
――まさかあいつに仕掛けられた、あれのせいか?
「…………そっすか、んじゃ、改めてよろしくっス」
あまり、言及されないようにしよう。
これ以上関わりを強めることはできない。
「……よろしくお願いします」
「よろしく」
千聖のマイペースな言葉は、介を探るものではない。
正直ほっとした。今踏み込まれるのは、嫌だ。
嫌なのだ。逃げ出したくなるほどに。
「……よろしく……それじゃ、おれ少し買い出しにいってきます」
「やめといたほうがいいっスよ」
立ち上がろうとした介に、カミシナはやんわりと止めてきた。
「体力戻ってねーし、どこに店あるかも知らないっしょ? それに、そろそろ日暮れるっス」
体から力が抜けそうになる。やっと自分の疲労が、一度寝た程度では落ちないぐらい酷いものだったのだと気づいた。
外は、カーテンの向こうから差し込むはずの光がない。建物の
「……そうですね……明日時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「構わねーっスよー。オレらも買い物あるしねー」
伸びをするカミシナは、恐らくこのパーティで参謀のような役割をしているのだろう。
介はほっと、呼吸の中に吐息を交ぜた。カミシナの目が微かに細められる。
疲労はとっくに見抜かれていたのだろう。
「ありがとうございます……すみません、少し休みます……」
「そうしとくといいっスよ。千聖が生命の術万全になってりゃもうちょいマシだったと思うんスけどねー……」
「……ごめん」
少し気落ちしたらしい千聖に、介は首を振った。エレヴィアの端整なのにきつい眼差しが、カミシナをじとりと睨む。
「アンタが使えばいいじゃない」
「持ち合わせがないっスよ。持ってても上手くねーからイヤっスけど」
「気持ちだけで十分だよ……助けてくれてありがとうございます」
千聖が、少し光を取り戻したように、顔を上げていた。カミシナが手をひらひらと振っている。
「アンタを拾ったのは千聖っスから。しっかりコーチして返して欲しいっス」
「――はい。しっかり教えますよ」
「助かるっス。んじゃ、おやすみなさい」
おやすみなさいと、しっかり言葉が出たかは、憶えていない。
いつ寝たかも、憶えていなかった。
お行きなさい――っ
逃げるんだよ……介……!
あいつの言葉を鵜呑みにするな、あいつは――
介、逃げろ……! 絶対に生きるって、約束しろ!!
「――っ!」
勢いよく体を起こそうとして、動かない自分の手足に全身が震えた。
温かな木の温もりが伝わる天井。差し込んでくる日差しがカーテンに
恐る恐る首を回して、介は顔をくしゃりと歪め、天井を睨んだ。
隣のベッドに寝ている人物は、昨日見知ったばかりの男性。夢が現実だと嫌でもわかってしまう。
布団を跳ね飛ばせないほどに体が弱っていたのだと、やっと気づいた。
「みんな……」
何度部屋から追い出しても廊下の外で寝て待つ男と、父親がいたらあんな人なのだろうかと思いたくなるような、温かな男性。元気いっぱいで、みんなの妹分とも思える少女は酒をよく飲みたがっては怒られて、この世界出身の女性は毒をよく吐くも、さり気なくパーティのみんなが疲れていたら、気を回してくれる優しい人だった。
そんなみんなを裏切ったのか。あいつは。
「……嘘じゃ、ないんだよな……神崎……」
信じられなかった。まだ、信じたくなかった。
大嫌いだし、魔物を退治する時だって冷酷無慈悲という言葉が似合いすぎる男ではあった。幼馴染だと言われてもピンとこなかった。
思い出したあの男との喧嘩も、経歴も――全て、否定材料にはできないものばかりだったけれど。
あいつが――裏切ったのか。
もう一度自分の名前を口にしようとして、出なかった声に、介は歯を食いしばった。
刺し違えてでも仇を討ちたい。いや、討たなければ。
みんな自分だけじゃなく、神崎すらも変えようとしてくれていたのに――!
欠伸が聞こえてきて、介ははっとした。
寝言なのかどうかもわからない穏やかな声が響いて、隣の男が寝返りを打つ。ちらりと目を向けると、アルバーノはこちらに背を向けてぐっすりと寝ていた。
軋ませていた歯から、いつの間にか力が抜けていた。
一週間前、隣で寝ていたはずの男は――もういないのだろうか。
「勝手に約束作って……おれにどうしろって言うんですか……」
毎朝起きる時間がバラバラで、朝食を作る当番に限って寝過ごしたと慌てていた男の姿は、どこにも見えない。
届くだろうか。あの人たちに。
視界が
アルバーノが起きる頃には、さっさと顔を洗って、介は気持ちを切り替えるよう努めていた。
「本当に大丈夫か? おれの説明でわかりづらいところがあればちゃんと言ってくれ、間違えて覚えるほうが危ないんだから」
「大丈夫。多分」
「多分は不確定要素だからな!?」
後ろでカミナことカミシナが腹を抱えて笑いこけている。朝食を終えてすぐは、買い物に動く前に介自身の体力を確認すべきだと言われてしまった。手持ち無沙汰になった介は千聖とエレヴィアに早速魔術を教えていたのだ。
が、これだ。
前に立つにはただでさえ線が細い少年が、マイペースに顔を天井に向けて、そのままゆっくり下を向く。
頷いたつもりなのだろうか。
「じゃあ、大丈夫」
「頼むから魔術に関してのうろ覚えは止めてくれ、危ないんだ!」
「大丈夫だよ。多分。きっと」
「完全に不確実じゃないか!」
「
じとりとした目を向けられ、介は調子が狂って溜息を溢した。
どうにも彼女からは余りいい思いはされていないらしい。自分を拾ってくれた千聖はともかく、人とあまり関わらないようにしているらしいエレヴィアは、介のことを嫌っているようだ。
元々このパーティの面々とは、拾ってもらった恩と教育、両方をちゃんと果たしたら抜ける気でいたから、距離を開けてもらえるのは有り難い。
けれどこの後を考えると、連携ミスにならないか心配だ。話を聞けば、どうやらエレヴィアは最近この世界に来たばかりらしいから、恐らく現状に追いつけずに気を張っているのではないだろうか。
「……失礼したよ。それで、そちらは魔術の基礎は覚えられたかい?」
「何か言ったかしら?」
右手からは火、左手からは風。
詠唱もなしにイメージを具現化させるだけで、まさか一度教え込んだだけでできるようになるなんて。
天才肌とは彼女のような人を言うのだろうか。魔術を制御しきっているらしく、あっさりと火も風も消し去る彼女は、涼しい顔で介を見上げてきた。
「満足?」
「ああ……教えることすぐになくなりそうだな……」
心に、少し冷えた風が入り込んだような気持ちになった。エレヴィアが不思議そうに見上げてくる。
「何か言った?」
「……いや。素質ある分、自分の力に過信しすぎないようにしてくれ。まだこっちに来て間もないんだろう?」
「当然よ。そのためにこれも練習してるんだから」
腰に携えたレイピアに、介は内心溜息を溢す。
どうやら彼女は、魔術だけでなく独りで身を守る術も考えているようだ。
「……二足の
また不思議そうに目を向けられる。すぐに考えるように、口元に手を当てる女性の仕草は、何度見ても目を奪われそうになる。
今まで覚えはなかったが、こういう人のことを魅力が詰まっているというのだろうか。
「なら術になるかしら。このメンバー、後ろにめっぽう弱いから」
「そうだね……前衛と中衛はいるけど、魔術が圧倒的に足りないな……」
「千聖も邪魔する魔術が得意だし、カミナは使いたがらないからね」
「
まだ不思議そうな顔で見上げられるものだから、介は気になってやっと口に出した。千聖は――ノートにいそいそと覚書を纏めていた。しばらく時間がかかりそうだ。随分ゆっくり作成している。
エレヴィアは首を振り、目を細めて笑みを浮かべていた。介は目を丸くする。
「……ううん、やっぱりジャポネーゼは面白いって思っただけよ」
綺麗な笑みだった。
昨日からつんけんとした態度を受けてきたから、自分にこんな笑みを向けられるなんて思ってもみなかった。
けれどその笑みも、すぐに引っ込んで怪訝そうなものに変わってしまった。
「さっきからどうしたのよ、ぼーっとして」
「……いや、今まであんなに不機嫌そうな顔ばっかりだったから笑ったの初めて見た」
「は? アタシをなんだと思ってるのよ」
「常にストレス溜めて周りに吐き散らかすタイプかと思ってたよ」