境界融和世界の幻門ゲート

第01話「来夏」01
*前しおり次#

本編時系列:第39話内での時間経過の間に起こったお話です。
 この番外編は第39話までのネタバレを多数含んでおります。
 ネタバレが苦手な方はご注意ください。

 夏の音が聞こえてき始めた。
 この間の嵐に驚いていたのもつかの間、過ぎ去った後の蒸し暑さと共に、この東響にも蝉の声が響き始めた。まだ七月には早いというのにだ。
 ただ、一つ問題なのは。
「るせえ」
 現実の東京に住んでいる悠里はまず、蝉の鳴き声をほぼ聞かない都会出身で。不機嫌に扉を開けたせいで、蝶番ちょうつがいを全力で稼働させきってまたドアノブを壁にぶつけていた。
「うー、毎朝これで起こされるのさえなければいいのに……」
 やはり東京に住んでいる奏も、毎朝早く起きていてもそれより早く鳴き始める蝉に安眠を妨害され。
「おはようございます……暑い、ですね……」
 御影は蒸し暑さに寝不足なようで。
「おはよう。みんな夏場になると目覚め最悪そうだな……」
「むしろ、介さんが平気な顔してるほうが意外なんですけど……」
「そりゃ一年目はうるさくて寝れなかったけど、この世界に来て三年も経てばね……。北海道でも聞かないわけじゃないんだけど、緯度下がるとやっぱりうるさいな、蝉」
 安眠妨害されても応えないのは介ぐらいのようだ。
 ただ、暑さにすぐにばてるのも介で、日中彼は家で一番涼しい場所に資料を置いて作業を進めている。夏バテだけは避けたいと思っているようだが、あのもやしな体では寒さに弱そうなのに。
 そんな介も、アイスコーヒーを飲みながらげんなりと、天窓から覗く太陽を睨んでいた。鏡も牛乳を飲み、一息つく。
 暑い……。
「涼しい場所に行けたらいいんだけどねえ……さすがにこの世界、クーラーなんて都合のいいものないからな……」
「毎日お前と鏡の冷風頼みってわけにもいかないしな……」
「海開きないんですかねー、この世界……」
 海……。
 ……。鏡はちらりと悠里を見やった。
 真顔だった。
「それよりキャンプじゃねえ?」
「キャンプですか!?」
「バーベキューとか、花火とか、楽しそうです……!」
 目を輝かせるのは自分だけではなかった。
 御影も目を丸くしてきらきらとした笑顔を向けている。介が身を引く理由が一瞬わからなかったも、悠里も奏も生暖かい顔でぼそりと呟いていた。
「介……」
「介さん……」
「……おれ海でいいと思うけ」
 最後まで言えていなかった。鏡達も聞こえていなかった。
 鏡も御影も、しゅんと落ち込んで介を見上げるばかりだ。
 沈黙、一分。
「……キャンプとバーベキュー、しようか」
 鏡も御影も笑顔が花開く。反対に介の視線がどんどんと逸れていく。悠里の呆れた目から逃げるようだ。
「費用安く済むのもそっちだしね……テント買えば後はいつもの遠出の装備でいいし」
「やっと夏になってきたのに海じゃないんですかあーっ」
「川あるとこな、川」
「それは譲らないんだね……」
「いいけどなんでだい? 釣りか?」
「まぁそうだな。お前どうせ肉嫌だからプール推そうとしたろ?」
 なるほど、介の肉避け対策に川の幸ということか。当たり前だと言わんばかりの介は相変わらずだ。
 奏がぐったりとテーブルに伸びている。御影がほっと笑っている。
 どうしたのだろう。別に特に気にするようなこともないはずなのに。
「よかったあ……水着買うの、ちょっと恥ずかしい、し……」
 水着……。
 一瞬想像した自分の頭を振ろうとして、内心だけに留めた。奏が残念そうに顔を上げて、御影を見上げている。
「御影ちゃん水着着ればいいじゃない、似合いそうなのたくさんありそうだし」
 御影が今までにないぐらい必死に首を振っている。鏡は少し気落ちした。真っ赤になっている御影を見ていると強くは言えないけれど、思うものはある。
 着てくれないんだ……。
「そ、その、恥ずかしい、です……奏さん恥ずかしくないんですか……」
「私泳ぐよりビーチバレーやりたかったの」
「奏さんらしいというかなんというか……」
「私そんなに泳げないですもん」
 この人の頭にはスポーツしかないのかとつくづく感じたが、今さらかもしれない。出会った当初だって「メリケンサックは野球のバットで戦えないと思って切り替えた」と言っていたほどだったから。
「それに私が水着着ても見栄えも何もないですし、着る気なかったし」
「え、わ、私だけ……!?」
「折角だから楽しんだほうがいいと思いますよ?」
 介と「中々羽を伸ばす機会がなかったしな」と話している悠里に代わり、気持ちを代弁してやった鏡は、溜息をつく奏に目を瞬いた。
「楽しみたかったんですよ、御影ちゃんの着せ替え」
 凄い。御影の高速の首振りは頭が千切れんばかりだ。髪が振り回されすぎて舞い上がり、鏡の肩に弱い攻撃を与えている。
 ただ、鏡はちらりと御影を見やって、照れ笑いを浮かべた。
「あ、それは僕も見たい……かな?」
「でしょ?」
「え、えっ……!?」
 御影の顔が真っ赤だ。介が呆れたように見やっている目が、どうにも面倒くさそうである。
「川の傍でやるなら、どうせ遊べるだろう。纏めてやればいいんじゃないか?」
「あっ、その手がありましたね! じゃあ決定!」
「そうですね、折角ですし!」
「え、ええっ……!?」
「んじゃ、必要な計画練るとしますか」
 にやりと笑む悠里に、介が若干引いた。奏が体を起こして楽しそうに笑っている。
「御影ちゃん、風見さん驚かせようよっ」
「わ、私だけって、さすがに、あの……! 奏さんは!?」
「え、バーベキューするなら私そっちも手伝いたいから別に――」
「あ、奏さんもやらないと悠里が残念がると思いますよ?」
 計画を練るべく話し込んでいる悠里の気持ちを代弁したつもりが、奏はぎくりと身を固まらせたではないか。
「え。……そ、そんなことないでしょっあははっ」
「そんなわけあると思いますけど……」
 ああ、だめだ。聞こえていない。というか聞こえないふりをしているようだ。
 本当に分かりやすい。悠里でなくともそう思う。
「うーん……御影ちゃんの選ぶの、やっぱり風見さんのほうがいいのかな……」
「へ!? ぼ、僕センスないよ!?」
 というか御影が沸騰したんですけど!!
 奏は分かってくれた様子がない。それどころかきょとんとしていて、鏡は目を疑った。
 奏さん爆弾発言!!
「え、風見さん自分で選んだの御影ちゃんに着てほしくないんです?」
「そういう奏さんは悠里に選んでもらったの着たいんですか!!」
「えちょっ、はい!? そっちの話してないでしょ!?」
 悠里と介の冷めた視線が突き刺さる。けれど鏡は真っ赤になった奏を言いくるめられる機会を逃す気はなかった。
「つまりはそういうことでしょう?」
「ちっ、ちがっ、だかっ、私じゃなくて御影ちゃんにどうしてほしいかで……!」
「そういう質問するってことは、自分は選んでもらえたら嬉しいってことですよね?」
「ちっ、ちが……! だから私は着ませんし!」
「着なきゃ残念がると思いますけど?」
「なんで堂々巡りしてるの! わ、私男の人ならこうかなーってつもりで言っただけなのに!」
「って、言ってるけど……」
 悠里ならどうせ聞こえているだろうと振り返った鏡は失笑した。
 玄関が閉まる音。悠里も介もリビングにいるわけがない。
「どっちが楽しみにしてるんだか……とりあえず御影に着せるなら、奏さんも着たほうがいいと思いますよ? というか悠里着てほしいと思いますけど」
「き、着な……」
「着ないなら、御影だけに着せるのはかわいそうというか……というか本当に悠里が選んでくるかもしれませんよ?」
 奏がぐうの音も出るわけがなかった。


「着いたよ。さすがに移動するにも時間かかるものだなあ」
「わあっ、見晴しいいーっ! これで川遊びもできてバーベキューもって最高! 御影ちゃん早く行こ」
「水着着替えんならテント立ててからにしろ! どこで着替える気だ!」
 ああ、早速一喝が入った。鏡は苦笑いを浮かべて、重たい荷物を背負い直し、目的地の滝の傍へと向かう。
 川原に生える背の高い細身の雑草を掻き分けていく介は、道を完全に把握しているようだ。ここが安全な場所と知っているらしく、進む足取りは慣れたものである。
 悠里へと振り返る奏の持つ荷物は、相変わらず悠里と同じか――いや、若干多いような。
 自分の荷物に、テント道具。かさばりやすく軽いものは介がほとんど持っているが、それ以外のやや重たいものは鏡と悠里、奏で持ち運んでいるのだ。
 相変わらずなんでも持とうとする彼女を止める最大の一言を言い放ったのは悠里だった。
「山歩くんだから荷物少なめにしろ」
 その結果、結局悠里より若干多いだけに留まった。やはり恋人は悔しそうだったが水に流されたのである。
 くだんの奏は悠里へとわかっていると言いたそうにむっとしている。
「大丈夫ですよ、テント立ててからの話……悠里さんどこで着替える想像したんですか」
「あ? その辺で着替えるとかせっかちなことされたら困るから言ってんだ」
「ほ、本当に水着着るんですか……」
「あ、あはは……」
 そう言う御影の荷物の中に、奏と一緒に買ってきたという水着セットがあることを、鏡は知っている。昨日廊下にいた時に持って行く、持って行かないの悶着もんちゃくが女性の部屋で起こっていた時、うっかり立ち聞きしてしまったせいで。
「そこまで考えなしじゃないですよ、御影ちゃんに変な虫寄らせたくないですし」
「も、もう虫は大丈夫ですけど、テントの中がいいです……!」
 御影……多分、虫の意味違うよ……。
「そりゃそうだわな。ちゃちゃっと組み立てっからちょっと待ってろ」
「私もやりますっ」
 丁度いい場所を教えてもらった奏が、刈り取られた草のない広場にテント道具を置くなり早速いきいきと準備を始めていた。悠里も荷物を置くと苦笑している。
 御影も荷物を一度置いて、介と少し話すと鏡の傍へと小走りに駆けてくる。
「ある程度場所の準備が終わったら、おれは釣りに行こうかなあ」
「ん。じゃ、ちゃちゃっとテント組み立てますかねっと……後で火起しとかもやっとくから」
「ありがとうございますっ! キャンプ久しぶりーっ!」
「ほんと、元気だな……」
 まだこのぐらいは予想範囲内だ。グリフォンの遺跡で滑り台と言ってはしゃいでいた時に比べれば。
 御影がくすくすと笑んでいる。鏡へと柔らかく微笑んで見上げてきた。


掲載日 2023/01/09


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