「わ、わざとじゃないけど! 分かったわよ、着る……」
たまに思うことがある。
普段は役に立つ上に職業柄仕方がないとはいえ、悠里は地獄耳である自分を呪いたかった。
奏は御影以上に、大人な知識というものを知っているはずだ。が、無意識に自分を女に数えることを忘れているのか、デリカシーのない物言いや、周りに男がいることを忘れた発言をする。
素直というより、口に戸を立てる気があるのかないのかさっぱりわからないストレートすぎる言葉には、本当に頭が痛い時がある。
介が呆れた目で見やった先も、やはり女性用のテントだった。テント二つ分ほどの距離を挟んでも聞こえるものは聞こえるのだろう。
「……忘れてきた気でいたのか……」
「水着着るの回避したつもりで、御影にこっそり入れられたんだろ」
「ああ……なるほどね……なんでのっけから騒がしくなるかな……」
「このメンバー揃えて静かなほうがおかしいだろ」
仮設コンロの準備はできた。薪代わりの枝も介が見繕ってくれ、困りはしない。金網を台の上に置き、魔術で手早く火をつけた。
本当ならマッチなどを使えばいいのだろうが、このほうが早い。不要な紙のおかげで火はしっかり上がり、串に通した肉や野菜を上に置いていく。
「賑やかと騒がしいは違うだろう」
「御影ちゃんスタイルいいなあー……羨ましい」
「奏さん!!」
……。
沈黙した。火の爆ぜる音だけが順調に響く。
…………。
言葉が出ない。介も頭を痛めているようで、額に手を置いている。
……………………。
悠里もなんとも言えず、声を出せなかった。
「言うの控えてたんだけど……なんで来栖さん男じゃないんだろうなって思う時があるよ」
「だから、あいつはたまにデレるとこと、素直すぎるとこが可愛いから……」
「声震えてるよ」
「仕方ねぇだろ、否定できねえ部分もあるからな……」
奏は確かに言動が女と呼ぶには程遠いことも何度もしているが、正真正銘女なのだ。……確かに勝気が過ぎたり男勝りなことをやることも多々あるけれど。一日一回は何かをやっている気がするけれど。
だがしかし、介にいつか恋人ができたら容赦なくいじり倒してやる。
「だろうなあ……」
昔なら考えられないことだったが、最近の介の変わりようを見ていると、可能性が見えてき始めていた。わざと介の前で奏をからかったり口説いてみていたが、ここ数ヶ月、介がそれに対して無言で部屋を出ることが減ってきているのだ。
砂糖だ砂糖だと釘を刺しはしても、前ほど嫌がる素振りも拒絶反応も減っている。人に随分と慣れてきたのか、一日中鏡達と一緒にいてもなんら問題はなかった。
籠り部屋に籠る回数すらも減りすぎて、物置になりつつあるのは介の成長の証拠だったのだ。
相棒だと宣言して以来――いや、その前からも、介との距離の測り方は考えあぐねるところがあったが、今ではそれももうなくなっている。
介も容赦なく言うようになったし、遠慮が抜けていた。未だに鏡や御影には、介もかける言葉を考える様子があるけれど、先ほどのように鏡が皆で楽しみたいといった様子を見せていることに対して、自分を外そうと無理に動くこともなくなっている。
一緒に楽しみたいという様子が見えてくるようになったことは、この一年での劇的な変化だろう。
同じぐらい奏にも危機管理という成長がほしいが、切実に望んでいるのだが、わかってくれるのはいつになるだろうか。
テントの入口が開けられた。顔だけひょっこりと覗かせる御影に、悠里は目敏く気づく。
「お。着替え終わったか?」
本来ならばこの言葉をかけるのも鏡のはずだったのだろうが、未だに出てこない彼に代わって、悠里は声をかけていた。おずおずと頷く御影は、微かに赤い顔で辺りを見回している。
「は、はい……あれ? 鏡くんは……?」
「ああ、あいつも着替え行ってる。お前らより後に行ったからそろそろ……お、出てきた出てきた」
随分とシンプルな水着だった。わざと水着を持ってこなかった悠里が言えたことではないかもしれないが、やはり彼は柄物を選ぶ気にはならなかったらしい。同じ血を引いているはずなのに、十七歳にしては鍛えられていることがしっかり分かる肉体に、悠里は内心微かに傷ついた。
負けじと鍛えているはずなのに、なぜこうも線の出方が違うのだろう。薄手の半袖パーカーを着ていても、その下の腕が鍛えられているとわかる。
……ダンベルの重量、増やすか……。
御影が顔を赤くして、テントの中に引っ込んでしまった。奏が困惑して彼女に声をかけているらしい。男子用テントから出てきた鏡はぽかんとしている。
「どうしたんだろ、御影……」
「さてな」
鏡を見てのあの反応だったし、御影もやはり思春期なのだろう。案の定気恥ずかしそうにもう一度顔を覗かせた御影が、ぎこちなくテントの外へと出てきて鏡が固まった。
セパレートの水着は薄紫色で、色白な御影の肌を引き立てている。レースがあしらわれ、スカートはシースルー素材になっている。これ以上見ていたらそれはそれで問題になるので、悠里はそっと目を逸らしてやった。
こういうのは彼氏の特権だろう。
「に、似合ってるか……わからなくて……」
「大丈夫だよ。すごく似合ってる」
微笑む鏡の耳が赤くなっていた。声も震えないように気をつけているのが丸わかりだ。目を逸らさないように必死なのだろうが、それができているだけまだよかったかもしれない。
御影は顔が赤いまま、消え入りそうな声で礼を言っていた。奏も出てきたようで、ちらりと目をやった悠里は一瞬固まる。
恐らくビキニだろう黒の水着。胸元で揺れる留め具の飾りが目をそちらへと引かせる。巻きスカートらしいロング丈の黒の布を腰に巻いていて、メリハリのついた体が少し隠されている。こちらに気づいているのかいないのか、奏は手に持った水着用のパーカーを御影に差し出していた。
「御影ちゃん着なくていいの? 持ってくるの忘れてたでしょ」
「あっ、ごめんなさいっ。でも、奏さんは……?」
「大丈夫大丈夫。日焼けぐらい慣れてるから。木陰も多いしそうそう焼けないわよ」
そういう問題じゃねえだろ。
案の定危機管理が甘い奏に言いたいことが山とあったが、御影が奏からパーカーを受け取り、鏡に連れられて気恥ずかしそうに歩いていった様子を見て、やっと溜息を溢せた。
「やっぱり山の中だから少し冷えるぐらいですね。日が当たるところは暑いけど……」
傍に来た奏の顔はやはり赤い。悠里は腰に巻いていたカーディガンを外すと彼女に放ってやる。
「お前は自分のパーカー渡してどうすんだ、ったく。暑いかもだけど持ってけ」
「あ、だ、大丈夫ですっ、それに濡れたり破けたりしたら……!」
「気にしねえよ。ほら、行ってこい。介もな、釣り頼んだぜ?」
介が頷いている。十匹ほどで十分かなあとぼやく彼が何匹釣る気でいたのか、一瞬目が据わった。カーディガンを大切そうに胸元で抱き締める奏の顔が赤い。
「あ、ありがとう……悠里さんは行かないんですか?」
「俺はここの守りしなきゃいけないからな。介が釣りから戻ったら交代してもらうさ」
「じゃあ待ってますね」
「ああ。行ってらっしゃい」
「行ってきますっ」
気恥ずかしそうな笑み。小走りに走っていく奏を見送り、感想を飲み込んだ悠里は介へと目を向ける。
「……後、食べれる量にしとけよ? 捕まえんの」
「ああ、わかってる。余っても干物にすればいいと思うけどねえ。手早く釣ってくるよ」
「監督頼んだぜ?」
「はいはい……」
おかしそうに笑う介を見送り、御影が
行ってらっしゃいと言うようになって、もうすぐ一年経つのか。
行ってらっしゃいと言ってくれる人たちに囲まれて、もう一年も経っていた。
遺跡の中で神崎に踊らされたあの時を思い出す。奏達へと向けて叫んだ言葉も。
どれだけ突き放しても関わろうとしてくれる人がいる。一緒に笑ってくれる人たちがいる。怪我をして心配してくれる人も、守りたいと思う人もいる。
他人のはずなのに、仲間でなくとも気にかけてくれる人たちも。
悠里の顔からこぼれたものは、笑みだった。
「独りじゃねえんだな」
自分も。
こんな顔を奏や介に見られたら、また
今のうちに一人の時間ができてよかったと思う自分がいるのは、決して介のぼっち思考が写ったわけではないと信じよう。
介の釣りは時間がかかるだろうと予想していたが、思いのほか早く切り上げて戻ってきた。あまり魚がいなかったのだろうかと思ったも、彼の手の中にあるバケツを見て察した。
魚が窮屈そうに泳いでいた。介自身が水を大量に入れても持ち運べないからだろう。魚同士がぶつかりあってストレスになっていそうだ。
「はええな」
「最初に
「あー、魚誘き寄せるあれな」
「そういうこと。先に内臓取り出さないと食べれないからね、ちょっと待っててくれ」
「っておい、お前がやれんの」
けろりとした顔で頷く介に、悠里は目を疑った。包丁を持たせたら危険にしか見えない男が、まさかやると言い出す日が来ることもそうだが、魚を捌けるというのか。
危険にしか思えない。
「……家庭科で一回やったから、俺やる」
「大丈夫だよ、魚は何度も捌いてるから」
「お前料理嫌い嘘だろ!!」
「嘘じゃないよ。
入るに決まってるだろ。
心配だ。見ていられない。手順を間違えでもしたら大変だ。悠里はまな板を持ってきた介が手馴れた様子で鱗を落としにかかる姿に顔を引きつらせながら見守った。
鱗を落とすのは……どうして上手い。
鰓の辺りから包丁を入れ、すっと腹を切り開いて、魚が暴れないように押さえたままあっさりと内臓を取り出した男に、悠里は閉口した。
お見事……。
「あとは塩まぶして、串に通して焼けばいいだろう?」
「そーだな……ウン」
「なんだい?」
「いやなんも……」
よくよく考えれば、滅多に出ない介の過去の話は、親戚の家で解体したことがあるとか、だいたい獣の血生臭い話ばかりだったか。動物との触れ合いを極力避けるからすっかり忘れていた。
……なんでこいつ、筋肉もなければ料理もできない残念さしか残さないのだろう。調理さえできればこんな山奥ですらも生きていけるではないか。別にスパサラに頼らなくても……ああ。
「だからお前都会に出たんだな……」
「は? 札幌って東京から見たら田舎じゃないのか?」
「テレビに映ってる限りでもビルばっかりで十分都会だろ。地元まで
会話しているうちに、釣れた魚の半分は既に捌かれていた。開きにした魚に関しては骨をある程度ピンセットで抜き上げている。いつぞやのテレビで見た隣国の鮭加工工場の作業員を思い出す。
やっぱりこいつ、残念なイケメンだ。
「ところで肉大丈夫かい?」
「お前と違って焦がしてねえから大丈夫」
「ああそう。なんか一言多いぞ」
むしろ介は自分以上にいらないスキルを持ちすぎている気がする。
魚を捌き終わり、即席コンロの石と石の隙間に串の持ち手を差し込んで焼き上げることになった。米も順調に炊き始めており、介が火を見るだけなら問題ないと言っていたので任せることにする。監督がいない状態の鏡たちが危ないことになっていないかという心配もあったが、全員成人手前なわけだし気にかけすぎているだろうか。
少なくとも鏡は文系の皮を被ったアウトドア派だ。奏もあの格好とはいえ、輝石をブレスレットにつけて出ていっていたし、魔術も体術も遜色はないだろう。
……敵がいた場合であれば。足を滑らせて怪我をしていないといいけれど。
そんな心配も必要なかったのだろう。御影の楽しそうにはしゃぐ笑い声が響いていてほっとする。一番大きな声を上げて笑うことが少ない控えめな彼女が、まだそこそこ離れているこの草むらまで聞こえるような声で笑えているのだ。リラックスできている証拠だろう。
草むらを掻き分けて、やっと介に教えてもらった川辺まで辿り着いた。大きなごつごつとした石が多い場所で寛いでいる奏は、時折周囲に目を光らせている。介が来るまでの間、鏡と御影が楽しめるように危険がないか見張っていたのだろう。
丈が合っていないらしい悠里のカーディガンを着ていて、足元だけ水につけている彼女がこちらに気づいて手を振ってくれた。隣まで行って足をつけると、思いのほか水が冷たい。残念そうな顔をされる。
「行かないんです?」
「おう、俺は監督に来ただけだから」
「えー……」
淋しそうに口を尖らせている奏には悪いが、正直水着は着たくない。自分でも線の細さは自覚している。鍛えて少しはましになったとはいえ、未だに奏と腕相撲したいとは思えないのだ。
ふと、御影が楽しそうに笑う声が聞こえてきた。奥に見えている滝の傍へと少しだけ近づくことにしたのだろうか。足元を見ている鏡も御影も、視線をあちこちにやっている。魚が傍を泳いだのかもしれない。
「いやあ、若いっていいよなあいつら」
カーディガンの袖を捲り上げて、奏が手を水の中につけていた。
ピシュッ。
顔にかかる冷たい水飛沫に、悠里はじとりと奏を見下ろす。
なぜ残念そうな顔をする。
「あんまりかからなかった……」
「おいこら」
「折角来たんですから、悠里さんも楽しんでくれなきゃ嫌ですからね?」
「楽しんでるって、じゅーぶん。こういう本気で休める休暇なんて久々だしな」
みんなで準備して、計画を練って。一緒に山を登って、キャンプの場所を整えて。そして鏡たちがああやって楽しんでくれている。これだけで十分だ。他に何がいるかなんて思いつかない。