境界融和世界の幻門ゲート

終話「夜蛍」01
*前しおり次#

 すっかり冷えた体をタオルで拭き上げる。服を着ようと手を伸ばして、鏡は顔が赤くなった。
 だめだ。ずっと赤くならないよう気をつけていたけれど、何度も頭の中に甦る御影の笑顔で呼吸が止まりそうになる。
「平常心ってなんだっけ……」
 今度国語辞典を読み返そうか。……いや、やめよう。あれは幼少期の病弱な頃でも投げた本だ。あれは読み物ではな――

 あ、の……鏡くん、その……いつも頑張ってるんだなあ、って……

 へ? ……ああ、これかぁ。そりゃね。こっちに来てからすごく頑張ったから

 かっこいいなあ、って……でも、その、ね……ご、ごめんね、あの……鏡くん見たら、その、意識しちゃって……み、見れなく、て……だ、だってかっこいい、もん……

 視界が真っ暗になった。額に鈍い衝撃が襲いかかった。
 ……今度は悠里の鞄に頭をぶつけたようだ。
 だめだ。もう一度川に飛び込んで頭を冷やしたい。こんな状態で平静を装えるか自信がない。
 いや装わなければ。みんなにバレバレだということはわかっていても、装わないと……!
「……悠里にむっつりって言われるなあ……あ、でも悠里のほうがむっつりか」
 というか、変態……聞こえていたらこんな場所でも修行を言い渡されるか。やめておこう。
 たまに、悠里ほど開き直れたならと思う。従兄ほど自然と言葉に出して素直に言えればいいのにと思うのだけれど、ストレートすぎて見習いたくない。
 それに見習ったら、自分以上に耐性がない御影が倒れそうだ。
 なんとか着替え終わって、鏡は不完全燃焼気味な表情で溜息をついた。
 愉しかったのに、嬉しかったのに、どうにも川での思い出が妙に思い出せない鏡である。
 髪を拭き上げて、鏡はタオルを頭に乗せたままテントを出た。
 悠里も介も調理をしてくれている。急いで手伝おうと傍によると、介が微笑ましそうに笑っていた。
「すみません、お待たせしました」
「お帰り。おおよそ終わってるし、後は食べるだけだよ。ゆっくりしていてくれ」
「えっ……」
 後で手伝うと、ちゃんと言ったのに。
 結局何もさせてもらえず、鏡はしゅんと項垂れる。悠里がおかしそうに笑って頭を撫でてきた。
 こうされるのも、久しぶりだ。普段嫌がっているのは自分だけれど。
「こういうのは年上に任せといてよかったんだよ。……息抜きできたか?」
「あっ……うん!」
「はは、それだけいい返事もらえれば十分だな」
 みんながどうして、自分になるべく手伝いをさせないようにしていたのか、やっとわかった。
 最近境途に行くことに関して、ずっと悩んでいたからだろう。介たちと共に境途に行くことは、鏡は最初から決めている。けれどその先、最終的に誰かと戦うことになるなら、誰と一戦交えるのかわかっていた。
 まだ、彼らから本当のことを聞いていない。ここ数ヶ月、その気持ちを見透かされたように彼らと出会うことがなくなっている。
 気持ちが揺らいでいたことを、悠里たちに見抜かれていたのだろうか。少しでもリフレッシュできるようにと、彼らが動いてくれていたことがわかって、鏡は笑んだ。
 嬉しかった。
 介の笑みもまたリラックスしているもので、鏡は近くに向かって不思議そうに彼を見上げる。
「介さん、なんだか嬉しそう……?」
「こうやって全員でゆっくりできるのも、久々だからねえ」
「お。昔の介からじゃ想像できねえ一言」
 悠里のからかい混じりの一言に、介は調子が狂ったように「やかましい」と溢しているではないか。御影と奏も戻ってきて、奏の足に、靴の上からでも分かるテーピングを見てほっとした。御影が先に処置をしてくれたのだろう。
「お待たせしましたあ」
「御影ちゃん、ありがとう。お手伝いできること残ってますー?」
「ねえよ、食ってろ。おにぎり焼くかー?」
「少しは手伝わせてくださーい」
「焼おにぎり、美味しそうです……!」
 御影の嬉しそうな笑顔に、鏡はぷっと吹き出した。介の言いたかったことが分かる気がする。こうやってみんなで楽しめることが久々で嬉しいのは、自分だけではなかったのだ。
「せめて焼くのぐらいさせてよ、さっきまで遊んできたんだし」
「……じゃ、交代で焼くか。焼くだけならみんなできるだろうしな」
「はーいっ」
 奏と焼く担当を代わった悠里は、御影がおにぎりを作ろうとしていた手を止めさせて自ら握り始めた。鏡も手伝いつつ苦笑いが浮かぶ。
 なんだかんだ、休んでくれないのも悠里だ。奏のことを言えないなと思いつつ、全員で時々交代しながら食事を楽しんだ。
 鏡だけでなく、御影も介も、いつも以上によく食べて悠里の舌を巻かせていた。普段サラダなどの野菜を中心に食べるばかりで、バーベキューのような肉が多くなる食事を、彼がぺろりと平らげるとは思わなかったのだ。
 野菜はいつも通りマスターのところから買ってきたという悠里も、介のいつにない食欲に呆気にとられていた。
「私、こういうの初めてで、楽しいです……」
 御影が幸せそうに食べながら笑っている。介がはたと、魚の焼き加減を確かめていた目を上に上げた。
「そういえばおれもだなあ……親戚と家の外でバーベキューしたことはあるけど」
「俺はかなり久々だな。高校入る前になるし」
「へえ、中学時代には行ってたのか」
 意外そうな表情を介からされたからか、悠里は苦笑いを浮かべている。孤児院での出来事だったのだろうと察した鏡はふと思い至るのは、自分もキャンプをしたことがあまりないという事実だった。
 一度か二度、悠里や佑理、そして両親と一緒に行ったかどうか……それもうろ覚えだ。バーベキューだけだったかもしれない。
「僕もあんまり経験ないです……あ、ネギ塩タン焼けてますよ」
「タンも、買ってきてたんだ……」
「奮発したんだよね、悠里と介さんが」
 御影が嬉しそうに笑っている。奏が火の前に来て、トングを鏡の手からそっと外させた。
「風見さんも食べてて、私も代われますし」
「あ、大丈夫ですよ。僕準備何も手伝えませんでしたし」
「そう言わずにほら、座って食べてて。お腹空いてるでしょ? 荷物も結構持ってもらってましたし、おあいこですよ」
 みんな心配してくれてたんだ。
 気恥ずかしいし、嬉しい。くすぐったい。鏡ははにかんで頷いた。
「じゃあお言葉に甘えます。続きお願いしますね」
「はーい。任せてください」
 皿の上に焼けたものを置いていると伝えれば、奏はつまみ食いしながら焼くからとけろりとして言い、悠里に行儀が悪いから止めろと窘められていた。
 それでも先につまみ食いしていた食べ物を美味しそうに食べている彼女に、御影がくすくすと笑っている。
「奏さん、なんでも楽しそうに、やってるの凄いです」
「ほんと、いつでも楽しそうですよね」
 たまに呆れるぐらい楽しみすぎている気もするけれど。もうつまみ食いはするなよと注意を受けていた奏は、おかしそうに笑っている。
「だってキャンプ久しぶりですし、みんなと来れたのが嬉しくて」
「今回だけじゃ、ないです。いつも楽しそうですよ?」
 御影に指摘され、ふと奏は考え込んでいる。それでも焼き上がった串を適宜確かめて皿に置いていく彼女は手慣れたものだ。
「んー……みんなと一緒だからじゃないかな……独りで何かしても楽しくないことは多いけど、みんなで計画練ったり山登ったり、一緒にやれることが嬉しくて」
 みんなでか――。
「そうですね。僕も家族以外でこういうことしたことないですし」
「そうなんですね。んーっ」
 伸びをする姿も、楽しそうで、嬉しそうだ。くすぐったそうな笑みではにかむ女性は、いつも以上に輝いて見える。
「なおさら、来れてよかったあっ。こういうの一緒にできて、すっごく嬉しいですっ」
「私も、です」
「僕も。こういうの、大勢で出来るっていいですね」
「はいっ。あ、こっち焼けましたよ。どうぞ。悠里さんも食べてますー?」
 とても嬉しそうだ。仲間に入った頃、張りつめた表情をしていた彼女は嘘のように笑っている。次があるという当たり前のことすらも、与えられるまで気づかずに必死になっていた女性とは思えないぐらい、晴れた空のような笑みがこぼれている。
 この笑顔に悠里は惹かれたのだろうか。猪突猛進気味で、いつも前に前に走りすぎている彼女は、自然体が一番だ。
「活き活きしてる……」
 御影がほのぼのと笑うぐらい、彼女は楽しんでいるようだ。もやしが介に見えるとか、そのせいで食べづらい気がしたけれど気のせいだったとか、言いたい放題らしい悠里へと苛立った目を向けていた介も、肩を竦めて苦笑している。
「おー。食ってる食ってる。適当に挟んでるから気にしなくていいぞ?」
「よかったあ。……あ、だいぶ日が落ちてる……顕現せよひか」
「あ、待ってくれ。照明なら持ってきてる」
「あ、ありがとうございまーす」
 一瞬絶句した鏡は、照明を取りに戻る介を見送る。
「介さんやけに準備いいですね……」
「あいついろんな意味で楽しみにしてたしな、仕方ねえだろ」
「介さんも、楽しみにしててくれてたなら、嬉しい……」
「そういえば、準備してくれたの介さんだもんね……」
 ふと思い返せば、このキャンプの計画を練って一番動いてくれていたのは介だ。悠里は食材や荷物運びに関することを中心としてくれていたが、買い出しの多くや場所探し、草刈りまで介がやっていたのだ。
「介さん、楽しんでくれてるといいなあ」
「うん。一番いろんなこと考えてくれてるの、介さんだもんね。息抜きしてくれてるといいなぁ」
 奏が悠里に耳打ちしている。楽しみにしていたのか、嬉しかったのか、きっとそんなことを聞いているのではないだろうか。
 張り切って、料理店のマスターのところでこれだけ野菜を購入しているのだ。行動によく表れているもんねと、鏡はこっそり笑った。
 案の定奏が柔らかな笑みを浮かべていて、答えがよくわかった。
「あったあった」
 戻ってきた彼はけろりとした顔で、LED照明を点灯させた。悠里は奏と話していた顔を、介へと向け直している。
「おかえり……それ、お前のセンスで選んだやつか?」
 シンプルイズベストを思い出させる、簡素なランタン型証明が辺りを照らす。介さんらしいなあと、鏡は笑いが漏れた。
「ああ、おれが選んだけど……? なんなんだ? みんな揃って」
「悠里さんがですねー」
「なんだかんだ、今日のこと一番楽しみにしてたのは介だよなって話」


掲載日 2023/01/09


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