境界融和世界の幻門ゲート

第09話 02
*前しおり次#

 え、と目を見開いたのは鏡だけではなかった。
 悠里も驚いたように、少しだけ、ほんのわずかにだけれど、目を丸くしている。
「恐怖だけだったら、きっと自分が生き残ることしか、考えられないです。誰かがいなくなる怖さでも、やっぱり片方だけしか、生き残れないと思います。だから――それだけじゃないと思います」
 微かに開いた口が、閉じられる。
 柔らかく笑む御影に、鏡はそっと苦笑いした。
 かなわないと同時に、まるで悠里の過去を見透かしたような言葉に、驚くばかりだ。本人はそんなつもりなんて全くないだろうけれど。
「だから、恐怖だけじゃないと思います」
「あーうん、俺も純粋相手にゃ勝てませんよっと……」
「え? え、えと……?」
「ま、俺が言いたいのは生存欲が強けりゃそうそう死に急ぐことはないってこと。……さーて、夕飯作ってくるから先に休んどけお前ら。ちょっと共同の台所借りてくる」
「色々とありがとうございます」
 奏が慌てて頭を下げている。手をひらひらと振って去って行く青年の後姿を見送って、彼女は困惑した様子だった。宿屋に入り、部屋へと案内しても、彼女はに落ちない様子だ。一通り勝手を説明し、鏡は自分の荷物を悠里たちの部屋へ一時避難させて、奏たちの様子を見に戻る。
 やはり、奏はまだ腑に落ちないようだった。
「どうかしましたか?」
「……え? あ、いえっ、なんでもないです。なんていうか……久しぶりに気持ちほぐれたんだと思います。それだけ」
 照れ笑いを浮かべる女性。鏡は意地っ張り気味な従兄を思い出して、複雑な気持ちのまま笑みを浮かべる。
 彼女のごまかし方は、悠里ほど上手いものではないようだ。
「僕が言えたことじゃないですけど、そのほうがいいと思いますよ? あまり思い詰めると後がつらいですから」
「――え、か、顔に出てました……? あ、じゃ、じゃなくて思い詰めてなんてないです、さすがに!」
「今の言葉が答えじゃないですか……」
 苦笑した途端、必死に振られていた彼女の手が止まった。せんが抜けたような、覇気がなくなった顔は寂しげだった。
「僕も同じだったし、相談……乗れると思いますよ?」
 女性の手の平に食い込む、爪。
 その手が、少しだけ力を抜いた。荷物を手に、彼女は目を伏せる。
「……一ヵ月ぐらい前、窃盗せっとうをしていた女の人がいたんです。その人を追いかけていった店主が、路地裏で女の人に殺されかけて……それを止めた時、女の人がゲート化しきっていていると気づいたんです」
 彼女、息子さんもこの世界に飛ばされてたそうなんです。
 苦笑いする彼女の笑みは、とっくに強張っていた。
「自我が薄れ始めてても、息子さんのためにご飯を作ろうとして……その子を守ろうとして、彼女なりにゲートの力に抵抗しようとしてたみたいなんです。でも……見境がなくなってて、誰でも彼でも殺そうとしていました。だから私が……」
「……なるほど……」
 介が夕方言っていたことは、ある意味当たっていたようだ。
 簡単に、相談に乗れるかもしれないと言ってはいけなかったのかもしれない。もしかしたら悠里も、彼女のこの話を聞いたのだろうか。
 自分と重ねて、無理をしていなければいいけれど……。
 奏の無理やりつくろわれた笑顔に、ずきりと心が痛む。
「……今日、楯山さんにもそれで怒られましたけどね。……顔に出てるなんて思ってなかったです」
「うん、悠里は人一倍身内を失うことには敏感だから……それでだと思います」
「え?」
 目を丸くして聞き返す奏に、鏡は肩をすぼめて苦笑した。
「あんまり深くは話せませんけど、悠里、孤児院の出なんですよ」
「楯山さんが……?」
「……はい、あんまり詳しく話すことは僕もできませんけど……」
 あ、と口を開く奏。やがて申し訳なさそうに首を振った。
「――ううん、十分です。むしろ話さないでくださったほうが、私もありがたいです。……彼、そこで目の色変えるような相手には、近くにいてほしくないと思いますから」
「ありがとうございます、あんまり悠里も……僕も、話したくない話ですから」
「こちらこそありがとうございます。本当は黙っていたかったことを……すみません」
「別に構わねーさ。こんな局面、遅かれ早かれ話してただろうし」
 突然開けられる扉に、奏の肩が一気に持ち上がる。鏡も苦笑いして振り返り、御影がおろおろと見やるその手をそっと握って大丈夫だと伝えた。
 悠里は湯気を立てる盆の上の食器たちを、テーブルへと乗せて飄々ひょうひょうと食事の準備をしはじめたではないか。奏が戸惑っていても素知らぬ顔ときた。
「え、き、聞いてたんですか!?」
「俺、耳はいいから」
「え、ええ……地獄耳……」
 途端に、悠里はおかしそうに笑った。
「ははっ。まぁ、あんま気にすんなよ。俺はもう吹っ切って……いや、さすがにそれは言い過ぎだけどな」
「――わかりました。勝手に聞いちゃってごめんなさい。……ううん、これだけじゃない、なあ……」
「このことについては別に構いやしないさ」
 奏がゆるゆると首を振る。準備を終えた悠里に、その様子は見えなかっただろうけれど。
「……あれだけ自分を大切にしろって、言ってくれてた意味気づけなくて……遅くなってごめんなさい」
 ぴたりと、悠里の手が止まる。
 振り返った彼の目は、彼女を鋭く睨んでいた昼間の怒気がなくなっていた。
「答え、出たか?」
「……正直、まだこれじゃ弱いって思います。でも前に立ちたいです。それだけはどうしても譲れないんです。つぐないとか、罪の意識とかじゃなくて……私なりに、向き合いたいです」
「……そうか。んじゃ、ひとまずは及第点だな」
 悠里がほんの少しだけ笑んだ。困惑する奏に、彼は最後の皿をテーブルに乗せた。
「罪の意識で突っ走ってりゃ、ただの独りよがりだ。んなの自分の身を滅ぼすだけで死に急いでるだけだからな。償うにしろやり方は色々あるだろ?」
「……やっぱり、そうじゃないって思ってても、そうなってたんですね……」
「とーぜん。ここにいる全員、気づいてたと思うぜ?」
「……すみません」
 盆を手に、悠里は肩をすくめた。少しだけ浮かんだ笑みに、鏡は目を瞬かせる。
「辛気臭い顔すんな。ほら、飯にすんだろ。冷めるぞ?」
「あ、はいっ」
 ほっとする。なんだかんだ言って、彼女にも少しだけ、気持ちのゆとりができ始めた気がした。
 転寝うたたねしかけていた御影を起こしているうち、奏が悠里の料理に感嘆の声を上げている。
「わ、美味しそう! え、本当に楯山さんが……?」
「おう。とりあえず酢豚と後あり合わせで作ったチャーハンだから、中華スープもついでに作って中華にしてみた」
「中華なんて久しぶり……!」
「お前は今まで何食って生活してたんだ……」
「……パ、パンってすぐお腹に入れられて便利だから……ちゃ、ちゃんとバイトしてご飯は食べてましたっ」
 悠里の微妙そうな目が、顔を真っ赤にする奏に向けられた。御影も目を擦りながら起きてくれた。美味しそうな匂いに、とろけそうな目で笑っている。
「わ、美味しそう……!」
「悠里……腕、上げた?」
「一人暮らしだからあり合わせのもんで作るのは得意だぞ? 俺、介の分届けて来るから」
「あ、はい。行ってらっしゃい」
 途端に目を丸くする悠里は、無言で手を振ると出ていった。首を捻る奏に、鏡は苦笑する。
「それにしても悠里と凄く打ち解けましたね……奏さん」
「――え、そうなんですか?」
「ええ、悠里あんなですから、かなり警戒心とか高いんで」
「私が出合い頭に突っかかったせいじゃなかったんですか?」
 それもありますしと続けて、鏡は生暖かい顔になる。
「同族嫌悪が強かったというかなんというか……」
「え、ええー……似てないですよ私と楯山さん」
「あはは……結構考え方そっくりですよ?」
「それは楯山さんに悪いというか……似たくないというか」
 ぼそりと呟かれた言葉に、鏡は肩が震えた。何度も頷く自分を見てか、御影が気まずそうだ。
「似ないほうがいいと思います」
「いい人だなって思うんですけどなんていうか……すみません。若干頭ごなしだと思います」
「間違ってない」
「ですよねっ。あれで楯山さんのいい部分半分以上隠れ切ってます。勿体もったいないっていうよりムカッとする! いい人だけど!」
「あ、あの……」
「それ、半分子供のまんま、大人びた達観した性格になっちゃったからだと思いますよ」
 御影がおろおろとしている。けれどこういう時でないと鏡も悠里に関する話はあまりできない。稽古を言い渡されるから。
 奏は溜息をついたかと思うとむっとしていた顔が気落ちしたようだった。
「好きですけどね、あそこまで他人に言ってくれる人いないし……言ってくれた人も今までいないからなおさら」
 思わず耳を疑う。御影が慌てているけれど、現状に驚きを隠せない。
「あ、あの!」
「えっ、まさか奏さ――」
「言いたいことはそれだけかー? お前らー?」
 背中に感じた威圧感。鏡も奏も背筋に貼りついた重みに固まった。
 御影の弱りきったようにおろおろとする理由がやっとわかった。
「あっ」
「あっ」
「……あ……」
「いやー、俺今日ストレス溜まってるって言ったよなー? いい稽古がつけられそうだ」
「……あ、はは……あ、謝りませんからねっ」
「おう、その代わり後で死ぬほど疲れる稽古つけてやる」
「望むところです」
 あの、奏さん、冷や汗かいてますよね。
「うっかり殺したりはしねえから安心しな?」
 そういうの言うのどうかと思うよ悠里。
「……そういうおどしは効きませんからね。あと言ったこと本当ですから」
「まぁ否定はしねえけど本人が居る前で言うのは感心しねえなぁ? 二人共? 折角御影が制止してくれてたのになぁ?」
 うっ。
 苦い顔になる鏡はそろそろと視線を逃がす。御影が怯えた様子で震えていて、頭を優しくなでた。
「み、御影は悪くないよ……悪いのは僕たちだから……」
「いいですよ、私後悔してませんもん」
「ははっ、いい度胸だ」
 ああ、きっとこの後の稽古、自分も付き合わされる。
 ただ、美味しそうな湯気を上げている夕食の味だけはしっかり堪能してから稽古にのぞみたいと思った少年は、武道初心者すれすれの女性と共に稽古という名の刑罰を与えられたのだった。


ルビ対応・加筆修正 2020/11/22


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