「鏡くん、もう大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です」
ランニングから帰ってすぐシャワーを浴びて、着替えまで終わった瞬間にかけられた声に扉を開ける。現代式のホテルと民宿をかけあわせたようなこの部屋の扉の前で、介が苦笑いしているではないか。
鍵までご丁寧にかけられており、介が鍵と扉を開けると、入ってきたのは奏と御影だ。
――納得した。奏がまた、突然入ってくることを防ぐために鍵をかけ直していたらしい。
「あ、開いた。鍵かかっててびっくりしましたよ」
「ノックの前にドア開けようとする奴がいるからな、その対策」
にやりと笑って返す悠里に、奏が耳を疑って自分を指している。
「えっ、私対策ってことですか?」
「親しき中にも礼儀ありってな? 出会って間もないんだから余計に大事だろ、礼義」
「悠里が言う?」
礼儀も何もかもすっ飛ばして、一番に奏に
「あ、すみません。兄貴の部屋に入る感覚で入ってました」
いるんだ、お兄さん。悠里が呆れたように溜息を
「気持ちはわからなくもねえけど……」
「すみません。次は気をつけます」
「次があるかどうかはわからねえけどな」
「――そうですね」
淋しそうな笑みに、鏡は口を開きかけて、閉じた。
悠里の言葉は
正直、とっくにパーティの一員となった気持ちでいたから、複雑だし申し訳ないけれど。
「実力と行動で売り込むしかねーよ、精々頑張りな」
「……は、はい」
部屋を出ていった悠里の背中を見送り、表情を曇らせる奏。介は彼女を見やるも、声をかける様子はない。
御影が奏の顔を見上げている。
「奏さん……?」
「奏さんが考えてる意味と悠里が言いたい意味、少し違うと思いますよ」
苦笑して声をかけると、彼女は目を見開いて振り返ってきた。
「多分他のメンバーは知らないけど、動き次第で俺は認めてやる、って言いたかったんだと思いますよ。わかりにくいですけど」
「そ、そうは見えなかったんですけど……」
彼女の言う通り、ただ言葉をなぞっただけではわかりづらい。
けれど悠里が人の顔を見ずに出ていく時は、だいたい自分の感情を悟られないようにしたい時だ。言葉の裏に本人が気づくまでそっとしておきたい時は、ああやって別の言葉をかけずに出ていく。
だから誤解されやすいけれど。
「わかりにくいんですけどね」
あの兄貴分は、同族嫌悪があっても人を見ている。
自分がフォローすることも気づいているだろう。彼女が落ち込んだら、これで立ち直らなかったらそれまでだという考えも本当だろう。
けれどそうやって、戦いの世界に身を置くには危ない彼女を、
現に奏は、落ち込んでばかりを嫌う性格だからだろうか。無理に笑っている。
「わかりにくすぎですよ……。あ……」
「どうかしましたか?」
「いえ、なんというか……ちょっと悔しいです。昨日から妙に引っかき回されてる気がして」
「……やっぱり、もしかして、
「ないです、絶っっっ対ないです!!」
いや、あの、奏さん。それ肯定してます。
この様子だと、彼女は自覚しているものの、認めたくないということだろうか。生暖かい表情を浮かべる介へと、鏡は振り返った。
「よかったですね、介さん、いじれる人増えましたね?」
「ああうん、不動の一位は君だけどね」
「えっ」
「ほ、本当に違います!!」
奏の必死の声よりも、介のしれっと言い放った一言に固まる鏡。御影が不思議そうに見やっていて、「好きなんですか?」と爆弾を投下していた。奏が必死に首を振っていた。
その間にも介は目を細めて笑んでいる。
「自覚なかったのかい? よかったね、今知れたよ」
「年下いじめよくないです」
「年上をからかうんだから多少の覚悟はあったろう? お互い様だよ」
「いつも先に仕掛けるの介さんじゃないですか……」
「隙を見せてる君も君だと思うよ? あと、悠里相手に恋心云々は苦労しかしないと思うよ、人にああは言うけど自分は除外するバカだからね」
「だ、だからちが――!」
右に左にと否定する奏の忙しさは昨日以上だ。鏡は肩を竦めた。
「自分に向けられる目に極端に
「た、楯山さん臆病じゃないと思いますけど……人にああまで言うの、臆病な人そんなにできな――」
口を閉じた彼女に視線が三人分。扉が開いた。悠里の据わった目に、御影があっと振り返っている。奏がぎくりと肩を持ち上げた。
わかりやすい。
「お前らさっさとしろ、置いてくぞ」
「あ、はいっ!」
「あっ、ごめん、すぐ行くね」
「ごめんごめん、今行くよー……来栖さんはからかいづらいんだよなあ」
どういう意味だろう?
振り返るも、介はぼやいただけなのか答える様子はなかった。悠里のそばに行くと、彼の若干面白くなさそうな表情を真正面に捉える羽目になる。
「お前ら人がいない時に好き勝手言うの好きだよな……」
「それだけ皆さん仲いいんですね……って、どこまで聞いてたんですか」
「そんなに自分の話が気になるのかい?」
にやりと言い返すのは介だ。悠里は目をさらに据わらせた。
「聞こえただけだっての」
「そういうことにしておこうかな」
今度は悠里をからかう気だ。ただそれも、すぐにやめにしたようで、彼は下り階段へと目を向けた。
「じゃあ行こうか。早急に見つかるといいんだけどね」
「……そうだな。ちゃっちゃとケリつけて、安全にしてやろうぜ」
介が安全を考えて作り上げていた氷の壁は、彼の予想通り、
配備された他の傭兵の姿もあった。鏡たちが出所を叩く間の守りを
森は、中々動物の姿を見かけなかった。
静まり返った気配と、街道から外れていくにつれ感じる違和感。
落ち葉を踏みしめて、枝とは違う靴裏の感触に目を見開いた。
「え――うわっ」
動物の骨だ。白と黒のまだら模様に呻くも、目はすぐに周囲の警戒へと向ける。
「近いってことかな……」
「好き勝手戦うにしても、簡単な隊列だけは決めとくか」
動物の骨をしゃがんで見つめていた介が顔を上げた。
「戦闘になったら、悠里が前に立って、鏡くんが後ろに下がる感じでいいんじゃないかな」
「考えることは一緒か。……いや、俺が下がる気だったんだけど。真ん中が一番仕事量多いからな」
「そこは前の三人に任せるよ。おれと御影さんはサポート中心で動こう」
「はいっ」
御影の、最近少し張りが出てきた声に頷いて、悠里は鏡と奏を見下ろしている。
「んじゃそーいうことで。前は詠唱する時言え、交代するから」
「はい。よろしくお願いします」
「即席とはいえ、連携はそれなりに取れるはずだ。気楽にいこうぜ?」
頷いた奏は、辺りを見回して暗い視界に目を細めた。手に乗せられた黄色よりの黄緑色をした、透明感のある美しい石を取り出す。
「はい――それじゃ早速、周囲の情報集めますね。視界広げます」
「わかった。頼んだよ」
昨日は無鉄砲に突っ込んでいたのに、今回は先に一声かけてから詠唱に入っている。太陽を連想させる、温かく美しい光が石から発せられ、彼女を包んだ。
周囲をぐるりと見渡した奏は、西の方角に目を留めている。
「あれ? あっちに洞窟……今まであそこになかったのに」
「そっちは崖があった場所のはずだね……」
「はい。そこに洞窟が開いてます。人一人くらい簡単に入れますよ、あれ」
「いかにも本拠地って感じだな。どうする?」
問われた介はじっと考え込んでいる。その間にも奏は一点を見据えていた。
「周辺に獣は? 昨日の狼や、狂犬の類はいるかい?」
「――いませんね」
「妙だな……」
「御影、この周辺に何かいないか、気配探れるか?」
御影が頷き、グリーンアンバーを握って詠唱している。やがて首を振り、悠里を見上げた。
「動いてるものは、なさそう……です……探れるのって、今張ったエリア内で出入りするものを探るものなんですけど……狼って夜行性ですか?」
「いや……違うはずだ。洞窟にそもそも住むかどうか……巣穴にしては大きすぎる」
「案外あの熊もどきだったりするかもな……」
鏡は苦い顔になった。
自分がこの世界に飛ばされて間もなくと、御影を保護した時に現れたあの熊もどき。まだあいつは倒されたという話を聞いていない。
四足歩行の固体と違って、二足歩行でやってくるあの魔物が、獣を連れ立っているのだろうか。
「背後にあいつがいるのは間違いないだろうね。周辺に配下になってる獣がいないことが気がかりだけどな……」
「全部倒した、ってことはないだろうしな……慎重に行くしかなさそうだ」
「ああいうのは周辺の動物を配下にしたり、自ら生み出しかねないからね……あくまで想像の
その想像も否定する要素がないから、緊張は高まる。
悠里は周囲に目を走らせながら肩を竦めた。
「ゲート化したばっかの奴を支配下に置いてるのかもな。ミイラ取りがミイラになるって奴かもよ?」
「おれたちが報告した以上可能性は捨てきれないな。悠里、予定変更しよう。最後尾を任せてもいいかい? 前はばれるのを承知で、来栖さんの光魔術で明かりをとろう」
「了解。後ろは暗視の術でなんとかする。気配には
「おれと御影さんは緊急時に
各々の配置を確認し、頷き合う。鏡は拳を固めた。
「わかりました。何かいても後ろには行かせません」
「突破なんてさせませんよ」
「背中は任せときな」
後ろに誰がいるのか、もうわかっている。
御影を助けに行った時のような無茶は絶対にしない。そんなことをして全員無事に帰るなんてできるわけがないのだ。
全員無事に帰らなければ、また彼女を泣かせてしまう。悠里にも、介にも怒られる。
そうでなくても、自分を大切にしろという悠里の言葉の意味がわからない歳じゃない。
介の笑みが、いつものからかいを含んだものではなくなっていた。
「みんな頼んだよ」
「頑張りますっ」
御影の小さく構えられた拳に、何故だか勇気づけられた。奏がスフェーンを取り出し、手に詠唱する。
「開け
陽光に輝く葉のような光が、スフェーンから解き放たれる。
「顕現せよ光。暗き道を照らす灯火となれ」
柔らかな、目に優しくも明るい輝き。
洞窟の入口へと掲げられた光の先は、暗闇。石が削り取られ、草など一本も生えていない様子に、鏡はこめかみを突いた。
「――この洞窟、介さんや奏さんが言う通り、できて新しいのかも。草が生えてない」
「本当……普通なら日陰の植物なんかが生えそうなのに」
「だな。気をつけろよ」
頷いて中へと入る。
暗い洞窟を照らす光は、外の木漏れ日から静かに切り離されていった。