「介さん、遅いなあ」
数日振りの雨は、なんとも大粒な激しいものとなっていた。曇天なんてものではなく、黒に近しい色合いと、時折響く雷の音。避雷針なんて、昭和の街並みを思わせるこの地区には存在しないし、危険なのは目に見えている。彼が傘かレインコートを持っていたのは覚えているが、いささか不安だ。
鏡は苦い顔で手の上でマラカイトを転がせていると、悠里が腰を上げたではないか。
「悠里?」
「ちっと外見てくる」
「僕も行く。介さん探しに行くんでしょ?」
「あー……そりゃいいが……」
雷の音。隣の部屋から奏の笑い声が聞こえてきて、鏡も悠里もなんとも言えない表情になる。数週間前、悠里から宣言通りコーディネートされた服を嬉しそうに抱き締めていた女性とは思えない、さっぱりとした明るい笑い声だった。
「御影、雷で怯えてるんじゃねえか。ほっといていいのか?」
「……奏さんがいるから大丈夫と思うけど……」
「ありゃからかって遊んでるな」
「……僕が行ったら余計からかわれるんじゃないかな」
なんだか悠里たちと一緒で、奏も鏡と御影が付き合っていないことに疑問を持っているようだし。
悠里は肩を竦めて、「さあな」と素っ気ない返事。
「そこまで言うなら止めねーよ。って言っても、ギルドに顔出して、この土砂降りで帰れなくなってるだけかもな」
「メールは送ったんでしょ?」
「ああ。返事なし」
「介さん、何に巻き込まれたんだろう……大丈夫かな」
返信は
悠里は上着を羽織り、レインコートもその上に
「まあ、単純に雨で足止め食ってるとは思いづらいわな」
「うん……ちょっと御影たちに出てくるって伝えてくる」
「じゃあ一足先に行ってる」
相変わらずすぐに動きたがる兄貴分だ。
頷いて、鏡は御影たちの部屋へと急いだ。
「えっ、来てない!?」
ギルドで依頼を斡旋している受付の男性に話を聞くと、まさか介がここに到着していないだなんて思いもしなかった。悠里が苦い顔で介にもう一度メールを送っているも、彼から返信が来ることはなかったようだ。
受付の男性が頷いている。
「ああ。今日も顔を出すとは聞いてたが、この雨じゃあなあ。来ないのも仕方ないと思ってたよ。とっくに宿を出てたのか?」
「ああ、こっちに行くって言ってもう三時間以上経ってる。依頼の手続きで長引いてるか、雨に降られて
ほかに介が行きそうな場所を当たってみるべきだろうか。男性に礼を言って外へ出ようとすると、先に出口に向かっていた悠里が立ち止まって思わずぶつかる。
「いたっ……どうしたの?」
「雨上がってる」
耳を
あんなに土砂降りだった雨は一滴も落ちていない。
「――どうなってるんだろ。異常気象かな」
「まさか魔術か……?」
「町全体にあんな雨を降らせて!? 輝石の持ち主だったらゲート化が一気に進むのに」
受付にいた男性が、わざわざ入口にやってきてはあと空を見上げている。確かイドラ・オルム土着の人だったはずだ。
「いやあ、できる奴はいるもんだよ。今回は元々雨が降る天気だったのを利用してるわけだ、負担は少ないほうだろう。街中でなんか起こったかな」
「えっ……わかるんですか?」
「ああ。自然な土砂降りもないわけじゃないが、短時間で上がるんだ。魔術と考えておかしくはない。異界の民が来てからは余計にな――ああ、変な意味じゃあないぞ。あんたらの中にも、お宅らのように善良な人もいるのは重々承知してるさ」
大丈夫ですと笑って、鏡は表情を引き締め、空を見上げた。
水溜りを踏む音。
悠里が目を向け、同じ方向へと振り向いた鏡は目を丸くした。
「介さん! どこに行ってたんですか!?」
あの大雨の中、傘も持っていない介は呆気にとられた顔で、悠里と鏡をまじまじと見やっている。悠里の目が細くなったのを見てか、彼は脱力した。
「野暮用でね。大丈夫、怪我も何もしてないよ」
「誰に狙われた?」
「物騒な確認どうも。大丈夫だよ、とっくに
「じゃあさっきの大雨、介さんの……?」
介は首を振って苦笑いしている。
「おれでもあそこまでの大雨、魔術で作ったら今頃ゲートになってるよ。そこまで技量はないんだ」
悠里の不服そうな表情は拭えない。介は苦笑いして、鏡へと目を留めてきた。
「心配かけてすまなかったね。もう依頼は受けたのかい?」
「んなわけねえだろ、お前を探しに来たんだっての」
「……そこまで怒るような寄り道はしてないつもりなんだけどな」
「厄介事に巻き込まれたから
あっと鏡は目を見開く。
介は確か、出かける時は傘かレインコートを持っていた気がする。なのに今の彼はそのどちらも持たず、雨に打たれた割には服がさほど
介が苦い顔で黙っていると悠里のほうが溜息をついている。
「言いたくないか」
「……悪いね。これはおれの問題だから――」
「見つけた……!」
怨嗟の声。介の目が冷たく研ぎ澄まされ、鏡は彼の後ろを凝視した。
短剣を握る、鏡とそう歳が変わらないだろうずぶ濡れの少年だ。金髪や
「言ったろう、決着はついた。もう関わらないでくれ」
「ふざけんな! みんな死んだのに、お前のせいだってのに――!」
「どういうこと……?」
耳を疑うと、介がやや言葉を
「そいつが裏切ったせいでオレの仲間が死んだんだ!! 仲間の振りして、さっさと姿を消して、自分一人だけ街に戻ってな!」
鏡は瞳が揺れる。
知らなかった。介には、前にもパーティがいたことは聞いていたけれど、そんなことがあっただなんて。――けれど、介が理由なしに仲間を見放すとは思えなかった。
介さん、態度は冷たいことも多いけど……。
「え、お前んなことしたの?」
ちゃっかり返す悠里に、介は黙っている。
「ああ、そうだよ。弱かったからね」
やっと開いた口から漏れた言葉は、少年を突き放していた。けれど鏡はすぐに気づく。
本心じゃない。
悠里はふうんと、目を細めている。
「あとで詳しく聞いてやる。……で、そっちの言い分は?」
言う気がなくても吐かせる気だ。溜息をつく介をよそに、少年へと目を向けた彼は、仕事の顔で見下ろしている。睨み返す少年に、鏡は凄いなとただ感心した。
威圧感なんてものではないのだ。悠里の仕事の顔は。
「今言った通りだ……お前ら、介の新しい仲間?」
「……有り
挑発にもとれる言葉に、鏡は顔を強張らせる。介も聞き捨てならないのか、表情をやや苦いものに変えている。
「……悠里、今回はおれの」
「さっさとこいつと縁切ったほうがいい、そいつ平気で
目を見開く。介が何も言わない様子に、嘘だろうと信じたい。
――いや、真実ではないとわかった。
悠里は冷めた目で少年を見下ろしたまま、「そーかい」と冷たい声を放った。
「それでも、俺の相棒は人間が嫌いで不器用で、俺のせいで人からかうのが好きになった神崎介ただ一人なんだよ。ま、裏切ったら地の果てまで追い詰めて殺すけど」
ぎょっと、介が毒気を抜かれたようだった。少年が耳を疑っていて、鏡は苦笑いを溢す。
「悠里って恥ずかしいセリフサラッと言うよね」
「人の感情とか考えんのめんどくせーし」
「ほ、本当にな……よく言えたものだよ……」
「とはいえ、僕も同意見ですけどね?」
「……え」
固まった介を見上げる。そんなわけがないと思い込んでいたらしい顔に、鏡はむっとしかけた。
「だって僕にこの世界の指導つけてくれたの、介さん以外いないじゃないですか。過去なんて気にしてやりませんよ」
耳を疑う介。鏡は微笑んで、少年を見やった。信じられないと怒りを剥き出す彼は、ただ痛々しい。
「ばかじゃねえの……!? こいつが相棒!? 仲間が危険なのに助けにもこなかった奴が!?」
「その辺は接し方の問題だな。これ以上は時間の無駄だ、行くぞ二人とも」
まだ、介はその場に留まったまま。彼の肩を揺するように叩いて、悠里が背を向けた。
銀色の光が鋭く構えられ、介へと向く。怒りで満たされた顔に、鏡はぞっとした。
あの顔、制御の
まさか彼は、ゲートになりかけてる……!?
「ふざけるなよ! そいつ殺さなきゃ死んだあいつらに合わせる顔ねえよ!」
「開け
詠唱を聞いてたじろいだ少年は、しかしすぐに剣を構えている。悠里が振り返った。
「顕現せよ闇。我が影を沈黙の従者とし、
振り上げられた剣が介を狙っていく。けれど切っ先が届く前に、悠里の影から立ち上がった彼そっくりのシルエットが、少年の手から剣を奪い取った。
ぎょっとして声を上げ、
「こ、この……!」
「殺していいのは殺す覚悟がある奴だけだ。覚悟もちっぽけなくせに
少年の足が、後ろににじるように下がる。震えた手でポケットの中の石をまさぐり当てたらしいが、それは明らかに灰色でくすんでいる。
輝石の消耗を自覚しているのだろう。微かに
「強い奴らとばっかり組みやがって……!」
走り去る足は、まだ細い。
唖然とする介は、冷めた目で見送る悠里と、苦笑する鏡へと向けられていた。
「おー、いい負け犬の遠吠え。この応用介仕込みつったらどんな顔したんだろーなー」
「……君ら、
――確かに、介はあの少年を、元いたパーティを裏切ったかもしれない。あれだけ輝石を
けれど。
鏡は真っ直ぐ介を見上げた。
「信じなくて騙されるより、信じて騙されたほうが数倍マシですよ」