境界融和世界の幻門ゲート

第01話 02
*前しおり次#

「いいかい? この世界はイドラ・オルムって呼ばれている。おれたちの住んでいた現実世界とこの世界は、端的に言うと混ざりかけているそうなんだ。二つの世界それぞれに本来なかった要素が、互いに流れ込む形でね」
「要素、ですか……?」
「魔術と魔力、化学と工業なんかがそうらしい。と言っても、それらを流すパイプ役が存在しなければ、どちらかに流れることは本来ない。容器を分けた水と同じでね。そのパイプにされた存在がおれたち――もう片方の世界に迷い込んだ人々なんだよ」
 同じ大きさの円二つを繋ぐ、この線が自分たち?
 すぐにピンと来ない話に、鏡は頭半分に首を捻った。
「でもどうして……迷い込んだっていっても、僕何も覚えがないんですけど」
「お前にもなかったか? 変な耳鳴り」
 ぎょっとして悠里へと振り返る。予想通りの反応だったのか、彼は気に留めた様子もなく二個目のサンドイッチに手を伸ばしていた。
「あれが第一段階。第二段階がお前も持ってた石の入手だな。俺たちは輝石きせきって呼んでる。で、第三段階が、気絶もしくは睡魔による、強制的な意識の乖離かいりってわけだ」
「あれ、眠気じゃなくて意識の乖離だったんだ……じゃあ現実世界の体は、今意識がないってこと?」
 その問いには、介が首を振って答えてくれた。
「それが、どういうわけか体は勝手に日常生活を送っているそうだよ。この場のおれたちの意思に関係なくね」
「そうなんですか? じゃあ問題ないんじゃ……」
「そうか? 俺らの意識はこっちに来てるのに、体は勝手に仕事してるわ、人としゃべってるわ、金勘定かんじょうやら家事やらものの取捨選択までやってるんだぞ?」
 悠里が言ったことをそっくりそのまま想像して、鏡は身震いした。介も苦笑いを浮かべている。
「悠里の言う通り、決していいものじゃないんだよ。現実世界じゃ魔術のせいで世界が混乱しているだろう?」
 鏡は胸を掴まれた思いで頷いた。
 御影を一人で家にいさせたくなかったのも、それが大きな理由だったのだから。
「なんでそうなっているのかわかっていない。誰かの意図が絡んでいるのかさえもね。ただ――」
 自らの青い石を軽く揺らして、介は苦笑いしてみせた。
「自分たちが持つこの石が、おれたちをゲートたらしめるもの……つまり、現実世界に化け物を召喚する起爆剤にならないための、命綱だってことだけは間違いないんだよ」
「……どういうことですか?」
「この石が変色したら、ゲート化が進んだことになる。石が壊れればゲート化完了。さっき言ったパイプ役に染まりきる。現実世界に魔物を放出している連中の仲間入りだよ」
 ニュースで見たような。
 あんな、怪物が足下から湧き出すような存在に、自分がなる――。
「そうなると、現実世界でもこっちの世界でも脅威でしかない。どちらかで殺されればもう片方の世界に、強制的に残される。こちらで死ねば本当の意識が死ぬから、現実世界では植物状態だ。現実世界で君が死ねば――どうなるかはわかるよね?」
 背筋が粟立あわだつ。
 ぞっと顔を引きつらせた鏡に、「まあ大丈夫だよ」と、青年はけらけらと笑ってみせた。
「さっき若干色がにごってたおれのラリマーも、元々の色に戻ってるだろう? 魔術を放ちすぎると石が濁ってゲート化が進むけど、時間を置けば元の状態に落ち着いてくるんだ。壊さないように注意はすべきだけど、極度におびえるものではないよ」
「介、説明なげぇ」
「君はすっ飛ばしすぎるだろう? 丁寧な説明のほうがわかりやすくていいじゃないか」
 もうちっと端折はしょれるだろとぼやいた悠里の手には、三つ目のサンドイッチが握られていた。介はけらけらと笑って、悠里の傷に目を留める。
「さて、そろそろ傷を治せるか試そうか。ついてこれてる?」
「はい、一応は。要は、連続して魔術とか能力とかを使わなければいいんですよね……あの、僕も魔術を使えるんですか?」
 鏡がおずおずと尋ねれば、もちろんと、介は笑っていた。
「悠里、袖まくってくれるかい? ――ありが……相変わらず無茶するなあ」
 医学を目指している鏡も思わず呻いた。
 抉るような鋭い平行線の傷跡が幾重にも重なっている。気を失っていた自分を、獣の脅威から庇ったがゆえのものだとわかるから、申し訳なかった。
 傾いでいた頭に悠里の手がぐりぐりと押しつけられる。
「気にすんな、痛みは魔術で抑えてるし、もっとひどいのは何度か経験してる」
「大丈夫じゃないよ、それ……」
「もっと言ってくれよ、治すおれも結構疲れるんだよ。ってわけで――開け、幻門ゲート。我が門は水。ラリマーの輝石を以て、力をここに具現する。親和せよ、生命。戦士の傷つきし体に治癒ちゆの加護を与えよ」
 水色の中に青の深みを持つ石が輝き、光はそのまま悠里を取り巻いて傷を治していく。感嘆の声を上げて介の石を眺め、ぎょっとした。
 色が濁っている。あんなに冴えていた青の色は嘘のように、灰色にくすんでいるのだ。
「た、介さん、石が!」
「うん、自分が苦手とする属性や、石に宿ってる属性以外だと、負荷がかかるのかゲート化しやすいんだよ。おれは治癒をつかさどる生命の属性と相性があまりよくなくてね。あくまで使える、ってだけなんだけど……悠里の無茶加減だと、傷は早くふさぐに越したことはないからねえ」
 声がややくぐもっていた。眉間を抑える様子から見ても、よほど集中力を必要とするのだろう。悠里も苦い顔で手を上げて、呻いている。
「わり、助かった。今になって痛み緩和する魔術の効力切れやがった」
「君の集中力は探索と戦闘以外もたないのは知ってる」
「ああ、悠里らしい……」
「それ以外頭使うの面倒だから」
 これだよと、介は苦笑いして肩を竦めている。
 鏡はやっと噴き出すように笑って、悠里から渡されたサンドイッチを口に運んだ。
 しっかりと、味はあるはずだ。介も食べて美味しいと笑っているのだから。
 なのに、口に運んだ柔らかな三角形の料理は、味もしなければ食感も感じられなかった。
 
 
 この世界――イドラ・オルムは、現実世界と存在する場所が近しいために、互いを侵食し合うようになっている。
 その結果この世界には存在しないはずのシャーペンも、いつの間に鏡のポケットに入っていたかわからないスマホも、普通に通じている。電波だって通っている。ただ、電話やメールで現実世界の人に連絡を取ろうとすると、父も母も、バカ兄も、圏外ですと連絡は通じなかった。
 同じことは悠里たちも自分たちの持ち物で既に試したそうだ。今回鏡を発見できたのも、数週間前鏡が悠里に送ったメールが届いたことがきっかけだったという。
 ――バカ兄にも、両親にもメールを送った。全部送信エラーだった。
 御影……は……
 小さい頃から、お互い大して友達の数は多くなかった。ほとんど一緒にいたし、ずれた思考でも人を気遣おうとする彼女は、ただ優しくて。だからこそ、自分がこんな状況で帰れるか不安になるより先に、御影に危険がないか、その心配が先に立っていたのだ。
 お人好しと言われる自覚はある。それでも、たった一人の幼馴染に、このメールは届くだろうか。
 軽い風邪でも泣きそうな顔をして見舞いに来てくれた彼女に、無事だと一言だけでも――
 
sub:鏡だよ
御影、突然変なことになって、驚かせてたらごめん。上手く説明できないけど、とりあえず僕は無事だよ。
そっちはどうなってる? 僕以外に倒れた人いない? なんだか変なことが起こってるみたいだから、御影も気をつけて。
御影がこっちに来なくて済むように、こっちから従兄たちと一緒に、この現象の原因探ってみるよ。
 
 ……不安に思わないでほしいなんて、薄っぺらいだろうか。
 月明かりの中、鏡は送信ボタンを押せずに、スマホをじっと見つめていた。
「……どうせ、届かないよね……」
「気は済んだか?」
 えっと固まり、慌てて後ろへ振り返る。
 ベッドでぐっすり快眠している介の隣、ソファを陣取っていた悠里は、眠気など欠片もなさそうな顔でこちらを見てきていたのだ。ベッドを借りていた鏡は、もぞもぞと体を起こしてスマホを脇に置く。
「ごめん、明かりで寝れなかった?」
「いや別に? いつも寝たけりゃ気にせず寝てるだろ。お前のほうが寝れないんじゃねえの?」
「あはは……まあ、そんなとこかな。ねえ、悠里。この世界に来た時、悠里はどうやって魔術を知ったの?」
 あまり深く掘り下げられると、余計に眠れなくなりそうで、鏡はさり気なく話題を摩り替えた。きっとそれも、昔祖父の家で修行していた仲の兄弟子には、簡単に見抜かれているだろうとはわかる。
 悠里は介を親指で示していた。
「介だよ。スマホを活用して人を探してたらしいけど、途中で今日みたいな獣に襲われかけててな」
 介さんが、人を……。
 ちょっと意外だったけれど、鏡は感想より先にぎょっとする。
「って、もしかして、介さん一人で?」
「そ。で、その時の獣の吠え声で、丁度こっちに飛ばされたばっかりの俺が起きた。助太刀に入ったつもりが、逆に助けられたってわけだ」
「介さんって、前に出て戦えるような経験なさそうなんだけど……」
「見たまんまのもやしだな。俺らみたいにきたえてた側じゃないし、独りで飛び出したのも、知り合いをGPSが探知してなけりゃやらなかったって言ってたぐらいだ」
「知ってる人がこの世界に来たら、GPSでわかるの!?」
 思わず聞き返すと、悠里は事もなげに頷いた。
「おう。メールが届いた瞬間位置情報が一緒に表示されて、そこからGPS使え――どうした?」
 急いでスマホを確認し、メールが来ていないかチェックする。誰からも返信が来ないことに孤独感と安堵という両極端な感情を覚えて、御影へと送ろうとしたメールをじっと見つめた。
「気になるんなら今のうちに送るだけ送っとけ」
「……そう、だね。なんだか皮肉だよね。メールが来ないほうがいいってわかってるのに、メールを送らないといけないなんて」
 全部送信エラーとなっていた。もう一度送っても無意味だとわかっている。けれど送らなければ、こちらに人が来ていないかどうか、安否確認はできない。
 なんでこんなものだけが、この世界でも通じているのだろう。
 送信ボタンを、押そうか。押さないほうがいいだろうか。
 悩んでいるうち、悠里がへえと声を出して、鏡はちらりと目を戻した。
「何?」
「いや? お前彼女でもできたの?」
「え――はあああああああああ!? そ、そんなわけないよ何言ってるの!?」
 一気に顔に朱が昇る鏡に、にやりと笑んで目を細める悠里。
 なんだろう、いらない誤解をされた気がする。
「御影は幼馴染だよ! きょ、今日泊めただけで、付き合ってないから!!」
「へーえ、女を家に泊めたのか? しかも御影って名前か、前にゆうから聞いた気がするなー」
「そ、そりゃうちによく遊びに来てたし……引っ越してった後は会えなかったけど……」
「で、再会ついでにいきなり泊めたと」
「変な意味じゃないよ!! 女の子一人だけ家にいるなんて危ないでしょ!!」
「へー、ふーん、ほー。ゴチソウサマ」
「ちが……! 悠里!!」
 鏡が勢いよく拳を叩き込もうとしたも、にやにやと笑む青年は軽やかに避けた。元陸上部、かつパルクールが特技な従兄の笑みはもう消せそうにない。震えていた鏡の拳は、頭と一緒に力なく落ちていた。
「もういい……おやすみ」
「おやすみ。まあメールは送るだけ送ってみろ、送信エラーなら気分まだ違うだろ」
「……そう、だね」
 今度こそ、ソファにその高い身長を預けて寝に入った悠里を見やり、鏡はベッドに潜り直した。
 送信ボタンを押して、送信中の画面をぼうっと眺める。
 送信エラーの文字が出たか確認する前に、彼の意識は眠りの底へと落ちていた。


ルビ対応・加筆修正 2020/11/22


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