朝日が顔を照らす。ついでに美味しそうなパンの香りに鼻をくすぐられて、鏡は寝返りを打って――勢いよく飛び起きる。
悠里と介が、片や無心に、片や相棒が聞いていないにも関わらず談笑しながら食事を採っていた。悠里がお、と鏡へと目を向ける。
――夢はまだ、続いていた。
「おはようさん。飯食っとけ」
「おはよう……本当にここ、夢の世界、なんだよね……」
「多分な」
肩を
出来立てなのか、広がる味わいととろけるチーズに顔がほころぶ。介が昨日と変わらず浮かべていた緩そうな笑みを、優しいものに変えていた。
「よかった。少しは気力が出たみたいだね」
「え? ――あ、昨日はすみません」
「いや、気にしなくていいよ。おれたちもああいうのは経験してるから、よくわかるからねえ」
そういえばと、介はノートを鏡へと渡してくれる。
「一応、おれの字でも書いてるけど、覚えたいことがあったらメモしていくといいよ。昨日魔術の属性の話、少ししたのは覚えてるかい?」
「あ――はい。石にも属性があって、それで得意不得意が分かれているんでしたっけ」
鏡はノートに目を落として、何度もページをめくった。その度に設けられた余白と、丁寧に書く努力をされた字と、見やすい図式に目を疑う。
顔を上げると、介は嬉しそうだった。
「物覚えがいいねえ。どこぞの誰かさんは三日で投げ出したから助かるよ」
昨日、介は書いている素振りがなかった。自分たちより早く寝ていたのだ。
じゃあ、いつ? もしかして今朝……自分や悠里が起きないように、静かに……?
聞きたいけれど、悠里のへの字に曲がらんとしていた顔が目に入った。
「お前の説明長すぎな。あとちゃんと覚えただろ、必要な範囲は」
「まあ、君は魔術を撃つ性格じゃないしねえ」
むしろ鏡は、悠里が考えて魔法を撃つ場面なんて想像がつかなかった。介はノートのページを捲って、予め書き込まれた相関図を見せてくれる。
「この世界の属性は火、水。風、地。光、闇。そして生命の七つで構成されている。ファンタジーゲームをやった経験があればわかるらしいんだけど、火は水、風は地、光は闇との組み合わせで反発しあうんだ。
「傷を癒す属性……」
「そう。それでまず、君の持つ石の名前と起源を調べないと、君の得意属性はわからないんだ。だからまず輝石屋って呼ばれてる場所に行こうか。多分地か風だろうけど……」
輝石屋と呼ばれる場所に行かずとも、既に目星はついているらしい。意外に思ってノートから顔を上げる鏡は、自分が持っていた深緑色の石を手に乗せた。
――地か、風……。
「色によっても属性って決まってるんですか?」
「あくまでおおよそだよ。石での色の予想より、石にまつわる古代伝承を探ったほうが、石に込められた属性がわかるらしいんだ。おれは石には詳しくなくてね」
彼の話では、介が持つラリマーも、悠里が持つブラックスターというものも、現実世界にもあるパワーストーンなのだそうだ。そのことを知ったのは、その輝石屋を営む現実世界出身の人物なのだとか。
輝石屋ほどパワーストーンの知識に通じた者はおらず、属性まで見抜ける力を与えられているのは彼らだけだという。その代わり強力な戦いの力を持てないらしく、自然命を狙われることを避けるため、普段は人前から姿を隠しているのだそうだ。
そんな輝石屋を尋ねる前にと、サラダも渡された鏡は素直に食にありついた。
昨日あまり食べていなかったからだろう。随分と空腹がひどく、新鮮な野菜の味は格別だった。
輝石屋という名前なのだから、てっきり、よく小説などで見かけるような湿っぽい路地裏に店を構えていたり、どこかの店に偽装していそうだという勝手な想像をしていた。
見事に裏切られた。
「あの……身を隠すって言ってましたよね、さっき……」
「おかしいなあ。でもメールで住所もらった時はここだって言ってたんだよ」
「輝石屋とのやりとりまでメール!? どうなってるんですかこの世界!!」
カフェのように表通りに堂々と出された看板は、『輝石の鑑定店 エレス』と、パステルカラーの洋風な一軒家のものだった。
女性受けはよさそうだが、男性三人で入るには十二分な度胸があっても二の足を
「まあ、ガチファンタジーな世界じゃねえな」
「あはは、中世と近世と現代が入り乱れてる、奇妙奇天烈な世界だよねえ」
余計わかりづらい。
宿屋の周囲は昭和や大正時代を思い出す木造平屋の街並みが広がっていたり、かと思えば駅周辺は現代のようなビル群が連なっていたりと、土地の場所によって時代がバラバラなのか訳がわからない街並みだ。悠里たちはみな『大正エリア』とか、『西洋エリア』とか、街並みで好き勝手に呼んでいるらしい。
地域の景観管理がずさんなら、そこに住み慣れた人々の認識もこうなるのだろう。
「大丈夫だよ。彼女の目利きは確かでね。第三の目を持つとまで言われているスペシャリストだよ。それにここ、紅茶も美味しいんだ。さあ、入って」
わざわざドアを開けてもらった中で「入りたくないです」とは言えない。意を決して、鏡は
外装はパステルカラーだったが、店内は
現代のカフェに多い、紅茶や茶器のセット販売のコーナーが入口に見え、奥のスペースには数人の先客が。悠里をからかいながら招き入れた介は、つやつやとした顔で、カウンターの店員らしい、まだ十五も行かないだろう少女に手を上げていた。
「やあ、久しぶり。リトシトさんはいらっしゃるかな?」
「ああ、神崎さんこんにちは。ああっ、いつぞやのかっこいいブラックスター持ちのお兄様まで!!」
「帰る」
「帰らないでくださああああい! あんなに濃い黒の石凄く貴重なんですよ、レアなんですよーっ!! お近づきになりたいですー!!」
……帰りたい。
悠里ではないが、鏡も同じ感想だった。雰囲気がいいと思えたのは内装だけだった。いちご大福で例えると、外っ皮と中心のイチゴが奇抜すぎて、その間の
……帰りたい。
「それでそれで、今日はどうされたんですか? そこの男の子、見た感じ新しい異界の民≠ンたいですね。石の鑑定ですか?」
異界の民――現実世界から来た人のことを、ここではそう呼んでいるのだろう。介が笑んで頷いている。
「察しがいいねえ。繋いでもらえるかな? あとこれは移転祝。よかったらどうぞ」
「わあ、ありがとうございます! さあ、石の手入れ方法から何から指導徹底させていただきますよ!」
怖い。
アソートの箱を手にした少女の、一気に燃え上がる目を見て、どうしてこんなに恐怖が先に立つのだろう。自分が人見知りの自覚はあるが、いくらなんでもこの気迫は身を引きそうだ。
「え、えっと……よろしくお願いします……」
「こちらこそ是非是非! さああなたの石を見せてくださいっ、どんな子かしらあああああああああああああ楽しみいいいいいいいいいいい!!」
びくりとして足を後ろに引いた瞬間、悠里とぶつかった。謝る頭も回らない鏡へと、茶髪の少女は
「繋いでくれるかい?」
「あ、そうでした。ちょっと待っててくださいね。リトシトさあーん!!」
嵐が去った。
こっそり吐息を吐き出すと、悠里から頭を軽く叩かれる。
「安心しろ、あそこまで半狂乱なのはあいつだけ」
「……ぱ、パワフル……な、人だね」
「お前より年下だけどな。三つぐらい」
「え」
さっき、あの少女は鏡のことを『男の子』と言っていなかったか。
……あれか。一番身長が小さくて、同年代の平均身長にも達していない自分への嫌がらせか。今年十七歳には全く見えなかったとでもいうのか。
「絶対身長伸ばす……!」
「ガンバレ」
やる気のない応援が返ってきた。
程なくして、少女が頭を擦りながら戻ってきた。ゆったりとしたドレープの装束に身を包んだ女性が後ろに控えており、優しい眼差しで頭を下げている。
「呼んできましたー」
「お久しぶりですね、ラリマーの方、ブラックスターの方」
「どーも」
「お久しぶりです、リトシトさん。移転おめでとうございます。こんな素敵なお店にされているなんて存じ上げておりませんでした」
丁寧に返す介へと、リトシトは笑みを浮かべた。
「お言葉、感謝いたします。さあ、新たな石を持つ方も、皆様も。奥へとどうぞ。ガレナ、店をお願いします」
「はあーい!」
少女の名はガレナというのか。できればあまり声をかけたくはない相手になりそうだ。
カウンターの
「開け幻門。我が門は光。アゼツライトの輝石を以て、力をここに具現する。親和せよ、風。音の波を休める庵となれ」
緑の光が、不透明な白の石から放たれて部屋を覆う。鏡は目を瞬かせ、丸く磨かれている石を見やった。
「リトシトさんの石は、アゼツライトっていうんですね……」
「ええ。元々はアメリカ原産の石英です。パワーストーンというものは、同じ鉱物の組成であっても、色やその内包物によって全く意味合いが変わってきます。この世界では属性まで変化するのですよ」
へえと、感嘆の声が漏れる。リトシトは微笑みを曇らせ、介へと目を向けた。
「あなたはラリマーに、最近無茶をさせましたね」
「さすがにごまかせませんね。お察しの通り、回復の魔術を通常より強く使用しました」
介は苦笑いし、胸ポケットからラリマーを取り出して見せた。
まだ色はくすんでいる。あの冴え渡る青い色は鳴りを潜め、やや濁った海のようだ。
「変わりませんね。無茶をなさってはゲートとなってしまいます。ご自身を大切になさい」
「はい」
「さて、それでは――あら、あなたはもしや……」
え、と思わず聞き返す。鏡を見て笑む女性は、頭を振って石を見せるよう言ってきた。
言われるがまま深緑色の石を取り出すと、彼女は石を手に取ることなく眺めて微笑んでいる。
「なるほど。マラカイト――
「孔雀石? 聞いたことあるような……」
「邪気を
言われて石を転がすと、なんとなく孔雀の羽を連想させるという言葉の意味がしっくりきた。石を眺めていたリトシトが静かに頷いている。
「この石は心身を浄化し、邪気を撥ね返す石。あなたは日本出身ですね? 孔雀石という名に親しみがあるということならば、恐らくあなたの属性は風でしょう。そして石の特性上、あなたは生命の属性にも通じているはず」
「二つの属性を持つことなんてあるのか?」
「他の人よりも通じやすいということを、二つの属性持ちというのなら、そうなるでしょう。あなたも闇の属性を一番強く持ちながら、火の属性を操る素養を持ち合わせていることを、以前お伝えしました。それと同じことですよ」
へえと、興味深そうに溢す悠里。女性から石をしまって構わないと言われ、おずおずと手を引っ込める鏡。
「凄いですね……見ただけでそこまでわかるなんて」
「私の輝石、アゼツライトは直観力を高めてくれる石なのですよ。これからあなたを守ってくれるその石は、同時に助けともなります。ゲートを開き、呪文を唱える度に、マラカイトへの感謝も同時に捧げてください。必ず助けとなってくれるはずです」
「はい」
「ふふ、曇りのない石のはずですね。とても純粋で、まっすぐな心を持っていらっしゃるのですね」
えっと目を見開いたその時、リトシトが藍色の目をやや細めた。
介がちらりと鏡を見やり、リトシトへと首を捻っている。
「どうかなさいましたか?」
「――マラカイトの方。あなたはこの世界に来る直前、どなたかとお会いしましたか?」
「え?」
「例えば、ですが……日常的に会う以外の方や、多少の期間を開けて出会った方などです」
心臓を掴まれた思いだ。悠里が顔をしかめ、リトシトを見据えている。
「そいつがどうしたって?」
「――やはりいらっしゃるのですね。その方のことを、できるだけ気に留めてあげてください。悪い予感がします」
「あ、あの、どうして御影のこと……」
「彼女の直観は、よくも悪くもかなり当たるんだ」
介が苦い顔を真顔に戻して、女性へと頭を下げた。
「ご忠告ありがとうございます」
「いえ……皆様の武運をお祈りいたします」
不安が、
微かに震える拳を固めて、鏡は頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「多少なりとも、お役に立てたようでしたら幸いです。大丈夫、あなたはあなたの持つその意志を、心を信じなさい」
ぎこちなく頷いて、リトシトと別れ、店を出て帰路につく。店を出る前にガレナから興奮気味に石を見せてと言われたが、介が当たり障りなくあしらってかわしてくれた。
帰路の途中、自然石を握る手を見つめた。
――御影は、大丈夫だろうか。