「ああもう……ガキすぎっ。もうすぐご飯できますから、全員降りてきてくださいよ。御影ちゃんに火任せたままだから降りないと……」
「あ、そっか。もう男部屋で食べるわけじゃないんだっけ」
「ダイニングキッチンあるからねえ。うっかりしてたよ」
「どう転んでもこの状態で食べれるわけないでしょっ!」
介と悠里が部屋を見渡して、ああと納得したようだった。
水の跡。濡れたベッドの木枠。
ついでに枕が投げ飛ばされていて、誰がやったのかは丸わかりだった。介がそっと、掃除の時に置き去りにされていた雑巾で拭き始めた。
「……介暴れ過ぎな」
「君が言うか、ベッドの柱かなり揺れたんだぞ、さっき」
「両成敗」
奏がきっぱりと斬り捨てて、急いだ様子で階下に下りて行った。悠里がけろりとした顔で「誰が裁くんだろうな」と煽ったものだから、鏡はげっそりとする。
「悠里……」
「次は練習名目でやるか」
「怪我しない程度にね。したらどうなるかはわかってるよね、二人とも?」
途端に悠里がやりづらそうに顔をしかめた。鏡は笑顔を崩さず、目だけ睨む。
「練習でもやりすぎはダメだからね」
「大丈夫、今のところそこまでできるほど、おれは実力ないから」
「よく言うぜ、最近四割は当ててるじゃねえか、弓」
「……君の影縫いのサポート分含めてやっと、ね」
笑みが乾いている。悠里の生暖かい顔が、ベッドから降りてきた介を見下ろしている。濡れた箇所を魔術による温風で乾かしながら。
「あれ使うと俺も動けねえから、早くあれなしで四割にしてくれ……六割とは言わねえから」
「善処するよ……おれも早く弓を使いながら、魔術を詠唱できるだけのキャパを育てないとって、危機感持ってるんだ」
「最近並行詠唱短いやつなら三割は噛まなくなったぞ、俺」
「三割……」
それ、全部目くらましの術一つだけだったような。冷めた目を向ける鏡に、介が首を振った。
「来栖さんの十割が凄すぎるんだよ……彼女、どれだけ言い争いながら喧嘩してきたのかよくわかるなあ、あれは。大方お兄さんとだろうけど」
「その理論でできるなら鏡もできるぞ、多分」
今それを掘り返さなくても。苦い顔になる鏡に、介がおかしそうに笑っている。
そういえば、彼も悠里と同じ一人っ子だったか。
「下の子たちって口減らないのかい?」
「兄とかいると追いつきたくて、背伸びしてそうなるんじゃねえの?」
「僕はそんな感じだったかな。早くバカ兄みたいになりたいけど、なれないもどかしさっていうか……」
「へえ、バカって言う割に、お兄さんのことは嫌いじゃないんだねえ」
「バカだアホだとは思ってますけど、兄のことは尊敬してますし、本心から嫌いではないですよ」
本人がいないから言える話だけれど。介が微笑ましそうに笑っていて、少し意外だった。
人付き合いが嫌いと言っていたから、一人っ子でよかったと思っていそうなのに。
「いいなあ。きょうだいなんていなかったから、そういうのを聞くと少し羨ましく思うよ」
「ある意味兄弟姉妹ならいるが、こいつらのある意味仲の良さは羨ましかったな、ガキの頃」
「それに混じってた悠里に言われても」
「ばれたか」
ばれるも何も、兄と揃って、笑顔で追いかけ回してきたのは誰だったか。
「混じって、鏡くんを二人でいびり倒してたんだろう? 稽古とか言って」
ぐさりと心に刺さった。トラウマだということを知らない介に悪気があるとは思っていないが、刺さったものが太い。悠里は肩を竦めて、元凶だというのに悪びれた様子はなかった。
「ガキの頃はいじってるってより、構ってるって気分だったんだよな」
「ああ、加減わかってないからそういう感じになるよねえ。下の子には恐ろしい構われ方だったろうなあ」
「さすがに小学校中学年では自重してたけどな」
「大丈夫。高校になっていじめだって気づく人も中にはいるから」
「実体験かよ……」
「……いや、似た名字の幼馴染にやられた記憶がちょっとね……」
「できましたよー!」
下から聞こえてきた通りのいい女性の声。鏡は盾代わりにして、いつの間にか開いて読んでいた参考書を閉じて起き上がった。
「もうそんなに時間経ってたんだ……って、似た名字?」
幼馴染というだけなら気に留めなかったけれど、不思議な言い回しだ。介はああと、苦笑いしている。
「おれと名字が似た奴がいるんだよ。同じ神って字が入ってるだけなんだけど、音読みでも訓読みでも『か』から始まるだろう? クラスで出席番号前後だったから、よく喧嘩してたんだよ」
「お前、本気の喧嘩ってよりほぼあしらって……いや、まさか人付き合い嫌いになった元凶がそれとか言わねえよな?」
「あー……そうだね。決定打だったのかなあ。学生時代はほぼ覚えてなくてねえ」
介の視線が逸れていく。悠里が生暖かい顔で見やっているではないか。
「お前嘘つく時と形勢悪い時目え逸らすよな……」
「癖なんだろうなあ……ダメだ、あいつのこと思い出したらぶちのめしたくなってきた」
介の口からぶちのめすという言葉を聞く日が来るなんて。医学の参考書を閉じて、鏡は本棚に直し苦笑いした。
悠里は生暖かい表情を浮かべている。
「おいおい……んなとこで変なフラグ立てないでくれよ?」
「ははっ、それはないね。あいつは簡単におれの前には姿を出さないよ。確信できる」
「案外ラスボスとかかもな?」
からかうように笑う悠里に、介は冷笑を浮かべている。
「もしそうだ、って――言ったら?」
「問答無用でぶちのめしてゲームクリアする」
「はは、それは頼もしいなあ。まあ冗談だよ。もしあいつならまずおれは黙る気からないよ……あいつじゃなくても黙ってるつもりはなかったんだけどな」
なんだか、いつもの介ならこんな言い回しをするだろうか。
にやりと、悠里は鎌をかけるような笑み。
「黙る気がないから、こうして建前はどうあれ、初心者の指南してゲームクリア目指そうとしてたんじゃねえの?」
「……はは、ばればれか」
苦笑は、嫌そうなものではなかった。鏡もつられて苦笑いを零す。
「僕の推測だったんですけどね」
「それに納得したんだけどな」
「君らは本当に、心理に関してはずば抜けすぎだよ」
「初心者に指南をつけて、転々とするっていう行動でもしかしたら、って思ったんです。もしかしたら、介さん自身が納得するパーティを探し出すって意味も、どこかにあったのかな? って思いますけど」
悠里の、自分は心理苦手だけどと言いたそうな表情には、介がないと手を振った。そのまま、鏡へと降参するように手を挙げて笑っている。
「当たりだよ。納得するパーティまでは考えていなかったけどね。……一番最初に、おれをパーティに引き入れてくれた人の、意志を継ぎたかったっていうのもあるんだ」
「へえ、そりゃ初耳だな」
それもそうだよと、介はおかしそうに笑っている。
「君らに話すので初めてだよ。今までの仲間に話す必要もなかったし、見抜かれることもなかったしね」
「ああ、鏡が聡いから」
「責任転嫁!?」
「まったくだよ。どうしてくれるのかなあ」
「介さんからかってますよね!? 絶対からかってますよね!?」
けらけらと軽快に笑う介は、繕っていた笑みとは全く違う。遠慮がないのは嬉しいが、どうしてここまでからかわれるのだろう。
「ははは、それがわかっててツッコミが甘いんだから」
「できたって言ったでしょ! 冷めますよ、あと遅いとデザート没収……あれ、何か大事な話でした?」
奏が戻ってきた。怒っていた顔が一瞬で拍子抜けに変わり、気遣うように声のボリュームを落としている。鏡は曖昧に笑ってごまかした。
「……えっと、色々とあって」
あっと、奏が気づいたように目を丸くした。介が苦笑いし、首を振る。
「ちょっとね。まあ、また今度話すよ」
「わーった。お互い腹割って話してないことやたらとあるしな」
「あれ、それ君も話してくれるってことかい?」
「話してもらうのにフェアじゃねえし。お前のよりは重くないし」
「あー、そういう……わかりました、三人分こっちに持ってきます。ちょっと待っててください」
あっと、鏡は慌てて立ち上がる。介が弱ったように頭を掻いた。
「いや、今急いでってわけじゃなくてね……」
「介さん、流れに乗れてないと話せないタイプっぽいですよねー」
「……うわ」
「わ、悪いですよ! 手伝います!」
「いいからいいから」
有無を言わせずに下りていく彼女に、一同は申し訳なくて少しだけ扉を見やった。それでも、介が「あー」と溢している。
「とりあえず、悠里の件はどっちが軽いとかそういうのは思わないよ。事は大小じゃない。まあ、話してくれるっていうのは、気が楽になるけどね」
「俺は腹決めたしな。全員に話すさ。鏡はほとんど知ってることだろうけど」
あのことだとはわかっていたけれど。鏡は目を丸くして振り返る。
「そこまで溜めてたの?」
「……かもな。これ以上はバケツの底が抜けるどころかダムが決壊する」
苦しそうな笑みだった。介はじっと彼を見て、黙って頷いた。
「――そうか。わかったよ」
「持ってきました」
「って早いな!」
ポトフと、悠里が買ったサンドイッチを皿に盛りつけて持ってきた彼女の手際のよさに突っ込む介もまた珍しかった。悠里が唖然としている。
「まじはええな。心の準備まだちゃんとできてねえぞ」
「それおれの台詞だよ……」
「準備がいる話なら、私もう下に降りますよ?」
あ、と鏡は目を丸くした。
彼女なりの気遣いだと、やっと気づいた。悠里が肩を竦めている。
「いや、そろそろ腹割って話さねえととは思ってる」
それで何を言いたいのか察する奏を、本当に凄いと思った。目を見開いていた彼女は、すぐに頷いている。
「わかりました。話せそうだったら呼んでくださいね。先に神崎さんの、聞くんでしょ?」
「そうなるかな。悪いね」
「いいえー。男性同士のほうが話しやすいことだってあるでしょ?」
「おう。終わったら呼びに行くわ。鏡が」
「えっ」
「あははっ、はーい」
くすくすと笑いながら、手を振って出ていく奏。扉を閉めて、足音が通り過ぎていく。申し訳ないと思いつつも、鏡は介がくれたブレスレットに嵌まるマラカイトを見下ろした。
「いいように使うなあ……」
「自分の整理のためってわかってるんで、不満はないですよ。わかりにくいですけど、一応頼ってくれてるんで」
「お前お見通しすぎて怖いわ」
何年従弟をやってきていると思っているんだか。
鏡は笑って、小さな声で魔術を唱えた。マラカイトの光はそっと手で押さえてごまかす。
介はスプーンを手に、早速考え込んでいるようだ。弱ったような笑みが、鏡と悠里へと向けられた。
「さて、どこから話そうか……」