「さて、どこから話そうか……この話するの、本当に初めてだからなあ……」
自分に言い聞かせるような、それでいて感想じみていた言葉は、本当のようだった。ずっと介から、彼自身の話を聞いた覚えがなかったのだ。
せいぜい会社で得た知識くらい。先ほどの高校での出来事が初めてのように感じるのも、無理はなかった。
しばらく視線をさまよわせて、介は言いづらそうに扉を見やっている。
「あー……これ、来栖さんには少し内緒にしてほしいんだ」
奏さんには?
先ほどもそれらしいことを言っていたけれど、どうしてそこで奏が関わるのだろう。聞かせたくないのなら、もちろん聞かせる気はないけれど。
「まだおれも整理ついてないんだよ、彼女には」
「わーったよ。整理ついてないのはお互い様だ」
「それ、意味違うよね?」
「その話はそのうちな?」
悪いねと笑った彼は、少しだけその笑みが苦しげなものになった。
「彼女のお兄さんだと思うんだ」
え?
鏡も悠里も、介へと向けた目をにわかに開いた。介は一度伏せた目を、悠里と鏡へと見据え直していた。
「おれを助けてくれた人――おれの最初のパーティのリーダーは、
鏡は叫びそうになって、慌てて口を閉じた。悠里も耳を疑っていて、平静こそ装ってはいるが、きっと仰天したに違いない。
「……まじで」
介は笑みを消して首肯していた。
「ああ。来栖って漢字、そうそうないからね。妹と弟がいるって話も聞いてたから、間違いないと思うよ。残念なことにね……」
「……そりゃ確かに違いねえな……」
来栖という漢字で、『くるす』と読む家は聞いたことがある。けれど『くずみ』は、鏡も奏ぐらいしか知らないし、そう読むこともできるのは彼女で初めて知ったのだ。
残念なことにという言葉に、嫌な予感を覚える。
「――まあ、おれが彼女をからかいづらい理由はそこだったんだよ。彰吾さんにはいろいろ助けられたし、魔術の知恵も相当仕込まれたからね。彼はおれより早くこの世界に飛ばされてたんだ。おれが持ってる知識は、ほぼ彼の入れ知恵だよ」
「だからあいつからかう代わりに俺からかってたのか……」
「あの……からかいづらいのって……それだけじゃない……んじゃ、ないですか?」
尋ねづらかった。声が震えてしょうがない。
もしかしてという疑問が、頭をもたげていて、怖い。悠里が見下ろしてきても、目を合わせられず
「それ、直感?」
「……うん」
「……本当、勘がいいなあ」
やっぱり……
苦笑いする介は、ここまで言う気がなかったのかもしれない。申し訳なかった。
けれど繋がった。いろんなものが。悠里の顔が引きつっている。
「まじかよ」
「――遺跡に入り慣れていたパーティだったんだ。油断なんてしてなかった。けど……その守護者は強かった」
勝てなかった、のか……。
奥歯に込められた力を、介が抜くまで。少しばかり、思い出したようにポトフを食べる音が響いた。
気休めにもできなかった。
「おれは彰吾さんの転送の魔術で遺跡の外に飛ばされた。一緒にもう一人飛ばされたけど……彼女は直前に、敵の術を受けてね。気がついた時には、遅かったんだ」
たった一人だけ。
周りにいたはずの仲間の姿はなく、独りだけで、亡くなった仲間の姿を抱きしめて。
いったい、どんな思いでこの二年を生きてきたのだろう。
「彰吾さんたちの携帯のGPSも途絶えたきり、一度もメールは来てない。悠里に会ったのも、その仲間の一人の反応があったからだったんだ。途中で途絶えて諦めたけどね」
「確かに、奏さんには聞かせられませんね……」
介は弱ったように笑っている。
「彼女が彰吾さんをどう思ってるかはともかく、まだ聞かせたくはないんだ。あの直情型絶対遺伝だよ。彰吾さんはそれに加えて構いたがりでね。うざかった」
「お前が遺跡にこんなにこだわって突入してた理由はこれか……」
「確かに遺跡にはこだわってたけど、少し違うな」
「は? んじゃなんで」
介は少し黙って、苦笑いを浮かべた。
「……最後の約束を守るため――だよ。『生きろ』ってね」
目を見開いた。
「それって……彰吾さんとの?」
「ああ――あー……言っておくけどいい話ってわけじゃないよ。あの人のうざさは筋金入りだったし、おれは大嫌いだったよ。ただ……まあ、結局、彰吾さんたちがやろうとしたことを真似てただけだ」
まるでまくしたてるようだ。師匠に当たる人への悪口の羅列に、悠里が苦笑いを浮かべていた。
「遺跡を踏破して獲得した文献に、元の世界に戻る手がかりがあるかもしれない。ただ、危険なことに代わりないからね。遺跡を目指している人々には忠告して回ってたんだ。気づいたら、新米の子たちがいたらサポートする生活が当たり前になってただけだよ」
「最初は邪険にされたんじゃないですか? 介さん人付き合い嫌いなのに……」
「絶対ストレス溜まったろ?」
茶化すように尋ねる悠里に、介はけらけらと笑っていた。
「いやあ、彰吾さんのに比べれば、仲違いしようが話聞いてもらえなかろうが、耐えられたよ。……あの人、おれを引き込んだのも『放っておけなかった』って理由だったんだよ」
そのぐらいお節介でね。そう笑む介は、どこか懐かしそうにサンドイッチを見つめている。
「おかげで気が滅入ったよ。部屋に進入禁止の魔術を三日張って、共同部屋なのに追い出したこともあるくらいね」
三日間追い出された、その彰吾という人の扱いがどれほどのものか、よくわかった気がした。鏡も悠里も生暖かい顔になる。
だからこそ、本当なら人付き合いが嫌いな彼が、人と関わるのをやめなかったのは。助けたのは。
その彰吾という人物への、感謝なのかもしれない。
どれだけ介が嫌っても、手を差し伸べ助けてくれた、そんな彼への。
「逆によくやるわ……お前の行動力に感服だよ」
「人と関わることやめるなって、彰吾さんから嫌ってほど言い含められたんだ。最後の約束になった以上守らないと、幽霊になって出てこられたらたまったもんじゃないよ」
「……死んだとは限らねえ……ってのは、
そうだねえ。
「生きていてくれと願ってる。今もね。その時に人付き合いやめてたら、現実世界に帰っても世話焼かれそうで、ぞっとするよ」
音を遮断する魔術の効果が切れかけていく。輝石がなんとなく、それを伝えてくれている気がする。
「……正直、来栖さんが『助けた命』の話をした時は、耳が痛かったよ。おれもそれで動いてた節あったからねえ」
「……今さらですけど、奏さんのこと名前で呼ばないのって、それが理由ですか?」
それには、介はなんとも言えない顔をした。
「あー……それは無意識だった、な。言われてみればそうだね。どうも彰吾さんの影ちらつくからなあ……来栖さんって呼んだほうがしっくりきてるよ。あと寝起きの時、彼女に部屋にいられると心臓に悪い。横顔似てるんだ」
「ああ、それでか。初めてあれがあった時めちゃくちゃビビってたよな、お前……」
そう言われてみれば、奏が朝食を作って持ってきてくれた最初の日。介の驚き方はかなりのものだった。
納得すると同時、介の最近の疲れの原因がわかってなんとも言えなくなる。
「あれがなければ、名字が一緒の赤の他人だと思えたんだけどねえ」
「そりゃ運の尽きってやつだな」
「あ、切れた」
「ホントにねえ。あ、音遮断してくれてたのか。ありがとう」
すぐに見抜くなんて、さすが介だ。鏡は苦笑いして首を少し振る。
「聞かれたくないって言ってたので……お節介かなとは思ったんですけど」
「さて、お前も話してくれたんだ。俺のなんかちっぽけだが覚悟決めるわ……」
あ。
微かに強張っている悠里の肩に気づいて、同時に先ほどの約束も思い出す。腰を上げると、彼から目を向けられた。
「じゃあ、片付けるついでに二人呼んでくるよ」
いつの間にか空になった皿を盆に乗せ直して運ぶ。見上げてくる介の笑みが優しいものになっていた。
「ありがとう。頼んだよ」
「どういたしまして」
きっと、頼るとはまた違うものだと思う。
けれど彼なりに、心を開いてくれたことが嬉しかった。
「もう大丈夫ですか?」
「私も、いいんでしょうか……?」
御影と奏を連れてくると、悠里は頷いていた。まだ緊張は少しだけしているようだけれど、本人が話すと決めたのなら、無理に止めないほうがいいだろう。
「構わねえよ。つーか知ってる奴が一人いる状況で、介にだけ話すってのも不公平だろ?」
「出たよ、悠里の謎の平等主義」
「うっせ」
「話せる人に、ってつもりで言ったんですよ? 無理してません?」
奏の心配も、わからなくはなかった。悠里は滅多に人前で本音を見せないし、ほとんど言葉の裏に隠してしまうから、大丈夫か確かめたくなるのも仕方ない。
介が肩を竦めて出してくれた助け舟には、本当に助かる。
「いいって言ってるしいいんじゃないかい? むしろおれの時の話、のけ者みたいにして悪いね」
「大丈夫ですよ、どうせエロ本騒動の苦労話でしょ?」
途端に介の苦い顔といったら。鏡もお茶を濁すように笑うしかできなかった。
自分が言ってもボロが出る気がする。もう、そういうことにしてしまったほうが、無理に嘘を繕い、裏を合わせるようなことがなくて楽だろう。
悠里は真顔に固定したまま、介と同じような悩み口から入ったようだ。
「どこから話すか……俺の両親がいなくて親戚たらい回しにされて、孤児院で育った話はしたっけか?」
「軽い」
思わずつっこむも、悠里は素知らぬ顔で流した。奏がなんだかなあと呆れて、真剣な顔に戻すと悠里へと頷いている。
「はい、若干ですけど聞きました」
「おれもだね。孤児院育ちってことを聞いただけだな」
御影も頷いている。鏡もそれぐらいしか話していなかったから、それ以上彼らが知らないのは当然だった。
「んじゃ詳しくは話してねえのか……小学二年の頃か……交通事故でって奴だよ。そのせいで割と圧迫にはトラウマがある」
あっと、奏が目を見開いた。御影が微かに俯いている。
やっぱり、御影にはつらい話だったろうか。彼女はあまり人の死に耐性がなさそうだったから、特に。
――慣れるものでも、ないだろうけれど。
悠里は表情を押し殺したように、ただひたすら真顔だった。介はじっと悠里を見据えたまま考えているようで、指が小さく腕を叩いていた。
「そう、だったんですね……」
「水を差すようで悪いけど、その割に重圧を与える魔術は使えるよね。――その時、結構無理してなかったのかい?」
「ぶっちゃけ、目
「――無理のしすぎ、だな」
介が苦笑いしたのは、少し意外だった。今までの彼なら冷たい言葉をわざと浴びせそうなのに、そんな気配は一切なかったのだ。
「もしかして……違ってたらすみません。楯山さん、人から距離一定に保ってたの、そういう理由、ですか……?」
「……ま、それも一因だな。介ほどじゃねえけど人付き合い苦手だし、親から与えられる自分だけへの愛情って奴を知らねえ。俺が知ってるのは平等なそれだけだ」
いつものような