境界融和世界の幻門ゲート

第18話「神崎介」01
*前しおり次#

 表通りに向かいながら奏を探すうち、見覚えのある人影にはっと足を止めてぞっとした。
 ノースリーブのブラウスにぴったりとしたスキニーパンツの女性が、壁にもたれるように崩れているではないか。
「奏さん!? ……少し失礼します!」
 ぐったりと動かない女性の至る所に、切り裂かれた跡、殴打されたような打撃痕があり、痛々しい。泣いたような筋を顔に見出して、罪悪感が溢れた。
 やっぱり、ちゃんと気に留めているべきだった。
 御影が口を覆い、悠里が周辺を警戒している。
「これだけのコトで野次馬の一人もいねえだと……?」
「開け幻門、我が門は風。マカライトの輝石を以て力をここに具現する。親和せよ生命。大気を舞いし精霊の唄声、かの者の傷を癒し安らぎを……!」
 ほたるを思わせる柔らかな光が、奏の傷へと集って肌を元に戻していく。かすかに呻いた奏へと、御影が慌ててしゃがみ込んでいる。
「奏さん!」
 うっすらと奏の目が開き、御影を、鏡を見つけてはっとしている。体を起こそうとして、まだ痛む傷があるのか、ぎゅっと目を閉じた彼女の顔は青い。
 それでも奏は顔を上げた。
「なんでここに……逃げて……あいつ、神崎さんのこと探してる……!」
「――おれを……? まさか、アレンがやったのか?」
「違います……魔術使って、きて……」
「どんな奴だ?」
 尋ねる悠里の声は平常心を取り繕っていた。奏がかすかに肩を強ばらせ、悠里を見上げている。すぐに思い出そうと目を伏せた彼女は、目を見開いた。
「あ……えっと……あ、あれ? しっかり見たのに……」
 しっかり見たのに、どうしたのだろう。
 困惑している彼女へと声をかけようとした悠里が、勢いよく後ろを振り返った。鏡も同じ方向に目を向けて、近づいてくる男の姿に目を丸くする。
「思い出さなくてもいいぞ。おとりやくご苦労」
 せた茶髪と、やはり褪せた茶色の目。
 睨みつける悠里の気迫を気にせずに、男はにやりと笑んでいる。歪な笑みに鏡は身震いしそうになった。介が目を疑っているではないか。
「……あ? うちのに手ぇ出したのはお前か?」
神崎……!?」
 介の愕然とした言葉に耳を疑う。それは悠里も、御影も同じだ。
 神崎と、介と全く同じ苗字で呼ばれた男は、晴れ晴れとした笑顔で介を見やっている。
「言いがかりは面白くないな。オレは最初に手を出された側だぞ。よう、介。諦めはまだついてないらしいな」
「……出された? つーか……神崎?」
「えっ……それってまさか昨日の……!?」
 神崎と呼ばれた男は忌々いまいましげに目を据わらせた。
「オレは神田だ。もうそうなったんだ。いい加減無駄な抵抗なんぞするなよ」
「……そう、なった?」
 どういうことだ? なる? どう考えてもそんなの、おかしい。

 おれと名字が似た奴がいるんだよ。同じ神って字が入ってるだけなんだけど、音読みでも訓読みでも『か』から始まるだろう? クラスで出席番号前後だったから、よく喧嘩してたんだよ

 ――もしかして、介の本当の苗字は、神崎じゃない? 何かの理由で、目の前の男の苗字を名乗らなければならなくなっている?
 そんなこと、あり得るだろうか。
 奏が悔しそうに俯いている。
「あの人、神崎さんを殺そうとしたことがあるって言ってて、それで……」
 一人で戦いを挑んで、返りちに遭ったのか。
 けれど彼はもしかしたら、介本人が言っていた幼馴染みではないのか? それなのに殺そうとするものか?
 事実にせよ嘘にせよ、他人に殺人未遂を言うだなんて正気じゃない。
「ああ、昨日話した奴だよ……こんなに早く接触してくるなんて思わなかった」
「お前が諦めないからだろ。名前ぐらいさっさと渡して死ねば早いのにな」
「へえ……んで、こんな街中でドンパチやろうって? 愉快極まりねぇな」
 悠里の表情が微かに緊張している。当然だ。こんな街中で戦うなんて、被害がどれだけになるか考えたくもない。
 奏が慌てて立ち上がろうとしてよろけた。手の平に爪を立てて声を張り上げている。
「あの人ゲートです、詠唱全部唱えてない!」
「まあ慌てるな。オレはゲームは好むが、そこまで戦闘大好きじゃあない。今日は遊びに来ただけだ。長いことこいつが一つの街に留まってるなんて、どんな面白いことがあってるんだとな」
「なんつーはた迷惑めいわくな……つーかお前も随分ずいぶん口が回るんだな」
 どうしてそこまで介に執着する?
 彼がうらまれるならまだわかる。それだけ、介は人付き合いが下手だし、恨まれることに関してどうとも思っていないのだ。
 けれど神崎≠ニいうこの男の言い方は、まるで放し飼いにした虫を観察する子供のようではないか。
 それに気になってしょうがないのは――
「介さん。さっきあの人、神田って苗字になったって……それにもしかして、あの人が昨日言ってた人じゃあ……」
「……それは……」
 困惑して顔を上げた鏡だが、介は苦い顔で神崎≠ニ名乗る男を睨み据えたまま。神崎≠ケせら笑うように介を見やる。
「へえ? 自分から話したのか? 初めてじゃないか? 随分と大きな進化だな。だが――いいのか? 巻き込んで
 一瞬で介の背が強張ったのがわかった。鏡が言い返そうとする前に、介が詰めたような息を吐く。
「……あいつが欲しがってるのはおれの名前だよ」
「名前を!?」
 軽薄そうな男が、へえとたのしげに声を漏らした。介は微かに青ざめながらも、口を開く。
「『名は体を表す』――って言うだろう。この世界では人の名前であっても適用されるそうだよ。おれの下の名前と、あいつが名乗った苗字。縦書きにしてごらん」
 介という字と、神田という苗字を?
 神田介――
 神 田介
 ――『神界』?
 目を見開いた。
 けれどこんなに子供っぽい理由だとしたら、なんてバカげているのだろう。
 そこまでこの男が名前にこだわる理由が見えない。
「話は済んだか? じゃあそいつを大人しく殺させて――は、くれそうにないな」
「ふざけないでよ……! 人の命なんだと思ってんのよ!」
 奏が激昂げっこうする。にやりと悠里が笑む。
「仲間売るほど非情にゃできてねえよ」
「うわ、ベタな友情ごっことはな……そういうのは面白くないんだよ。興味もない。ちょっと黙ってろ、お前」
「はっ、そういうとこは介と違うらしいな。……で? まじでここでやる気か?」
 目を据わらせる悠里へと、神崎≠ヘおかしそうに笑っている。
「へえ、やりたくない理由でもあるのか? どうせこの世界は、オレたち異界の民にとっては偽物だ。現実世界じゃあない。壊れようが何しようが、自分たちの世界には影響ない場所を気にかけるっていうのか?」
 なんてことを――!
 愕然がくぜんとする鏡は、目のはしを一気に吊り上げた。悠里も、奏も。御影も気迫があまりない目で睨んでいる。
「それでもこの世界に生きてるだろ。この世界の奴らだってな。巻き込むのは本意じゃねえ」
「だから――そういう馴れ合いとか助け合いとか、反吐が出るんだよ。どうしてこんな連中とつるめるんだろうなあ、そいつは」
「お前には一生わからないよ。いい加減名前含めて借り、返してもらいたいんだけどな」
「なんでオレのものになったものを返すんだ? だるいだるい、やってられないな」
「おーおー、さっさと帰れ」
 追い払うように手を振る悠里へと、神崎≠ヘ冷笑を浮かべた。
「――お前一々ムカつくなあ」
「あ――?」
 足元に光が集う。暗い色を鏡が、悠里が認識する前に、奏が悠里を足元のサークルから突き飛ばした。彼女の動きは見えていたのか、悠里は素早く体勢を立て直して着地して目を据わらせている。奏がほっとしていた。
「今持ち合わせないからやりあう気はねえって……」
「よかっ――」
「ちっ、そういうのがムカつくって言うんだ」
神崎≠ェ睨む光のサークルの上には、奏の姿。悠里が舌打ちした。
「えらく短気だな、乳酸菌にゅうさんきんとカルシウムってるか?」
「バカ煽るな!!」
「ははっ、面白いな! なら望み通りにしてやろう」
 顔を引きつらせる奏を蝕むように暗い光が纏わりついていく。悠里が振り返り、目を見開いた。
 膝を突く。真っ青な顔が、目が、恐怖を浮かべていく。手の平に突き立った爪が、きつく皮膚を痛めつけていく。
「なっ……!」
「う、そ……」
 奏さん――!?
「や、やめ……! 違う、そうじゃな――お願……い、もうやめて!! あの子が悲しむ真似、しない、で……!」
 あの子? 彼女がそんなことを言うなんて――まさか
「幻覚……!?」
 どうする。解呪の術は覚えがない。神崎≠ヨと攻撃の魔術を唱えるにしても、きっとその間に攻撃される。下手をすれば奏に見せられている幻影が酷いものへと変わっていきかねない。
 詠唱する素振りすらなかった敵相手では、悠里ですら攻められない……!
「神崎やめろ……」
 介の顔も青い。神崎≠ヘへえと、愉快そうに笑んだではないか。
「こいつはそんなに面白いのか? ――ん? ああっ、そういうことか! まさか彰吾の妹か? ははははっ! 傑作けっさくだな、こんな面白いことあるのか! へえーえ!」
「え……!?」
 困惑して介を見やる御影。にいっと、神崎≠フ口の端が持ち上がっていく。
 介が歯を食いしばった。
「彼女は関係ない……!」
「何度も言わせるな。オレはそういう正義の味方づら――どうでもいいんだよ」


掲載日 2021/02/11
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