奏に
「ちっと耐えてろよ――!」
はっと悠里を見やった。
素早く走り込む悠里へと、神崎≠ヘ
蹴りが入る。
吹っ飛ばされた神崎≠ヘ、壁に激突する前に静止しているではないか。据えられた目が完全に標的を捉えた。
奏に纏わりついていた暗い光が消え去る。その場に崩れ落ちる彼女を御影が起こしに行く。
「水を差すな。折角の楽しみを邪魔する気か」
「随分と趣味が悪いな。仲間で遊ばせるほどこっちは薄情にできてないもんでな」
「へえ? ――」
鏡の耳に届かない声が、
風が渦を巻いて壁を作り、彼の蹴りを封じきった。悠里の目が怒りと動揺を隠せていない。
「てめえ――!」
「っははははは!! こりゃ傑作だ!! なあ介! お前がここに残るわけだ! 今までの連中じゃあここまで面白くなかったろうな!」
光の槍が男の足元に突き刺さった。はっとした鏡と悠里が振り返る。
苦しそうに息を繋ぐ女性が、御影に支えられて、男を睨んでいるのだ。
「ふざけ、ないでよ……!」
「へえ? 自分を拒絶した男を
目を見開く鏡は、歯を食いしばった。奏が震える息を呑んで神崎≠睨みつける。
奏に見せていた幻覚は、やっぱり彼女にとってつらい思い出を歪めさせたものか――!
「よくも……!」
「本心で本心じゃないことぐらいわかってるわよ!」
通りのいい声が、震えながらも
「重荷になってたの悔しいわよ悪かったわね! 余計なお世話よ……それでもいい、黙っていられるよりずっといいの、やっと聞かせてくれた本音だもの!」
目を見開くのは、鏡だけではなかった。
悠里が奏を見る目が、ただ見開かれている。
「楯山さんがどれだけつらかったかなんて、たった一ヵ月しか知らない私がわかるはずないの……十数年抱え込んで、赤の他人には誰にも言えなかったこと言ってくれたの、それだけで十分よ!」
苦しそうな呼吸が、どれだけつらい幻覚だったのか伝えてくるのに。
御影に支えてもらっている腕だって震えている。力だって入っているように見えない。それでも彼女の目はしっかりと男を睨みつけている。
「一秒二秒しか見てないあんたに、楯山さんを語らせる気一切ないから――人の過去覗くスケベ野郎は、その口ボールで塞いでホームに叩き返してやる!!」
ただひたすら笑って、
また、破裂するように嗤う。
「はははははっ! ははっ、はははははははっ、ははははは!! 立てないくせによく言う! 面白い、さすがあいつの妹だ! やってみろよ、どうせ幻影には負けるくせに!」
奏の表情が一気に強張る。耳を塞ぐ彼女を、爪が皮膚に食い込んでいく女性を、御影がぎゅっと抱きしめた。
「大丈夫、奏さん、ここ、あの時じゃないよ――!」
「ははっ、ほら、ほらほら! 結局負けてるじゃないか! 負け犬が吠えるなよ、ブスが――」
男の腹にめり込む拳。
目を見開いた男が、自分よりも幾ばくか小さな背の少年を睨みつけた。
「
「――チビが。楽しみを邪魔するな」
「言いたいことはそれだけ? 待つの嫌いなんだよ」
悠里よりも鋭く
「さっきまで大人しかったガキが――」
「僕が? そんなわけないでしょ。どれだけ必死で抑えてると思ったの? 仲間
拳、拳、蹴りを見舞った足で着地すると同時に回し蹴り。痛みを感じていないのか、怒りを纏った目で男が睨んでくる。
「覚えてろ」
「――そういうまっすぐすぎる目、面白くないな」
視線が鏡から外される。後ろを睨んだ男に、まさかと振り返って鏡は叫んだ。
「御影逃げて!」
「え――あ、奏さん!?」
呻いた彼女の目がゆっくりと開けられる。ほっとすると同時、鏡は男を睨んで愕然とした。
形勢は神崎≠ノとって不利になったはずだ。なんで笑っていられ――
「心が
道具? いったいどういう――
神崎≠フ姿が溶けるように消えていく。抑えきれない哄笑を残して。
「面白くしろよ、精々踊ってろ」
「待てってんだテメェ!!」
悠里の蹴りが
「どういうこと? 心が脆い人が道具になるって……」
「なんだそりゃ――」
どさりと倒れる音。驚いて振り返った二人は愕然とした。
奏が立っている。その足元で御影が崩れ落ちている。介がまずいと顔を引きつらせた。
「か、奏さん!? 御影!?」
「神崎……! あいつまさか、彼女に何かしたのか……!?」
「え――!?」
奏の目が介へと向けられる。
ぎこちない腕が、足が、走ろうとしてはよろけてこけている。微かに開いた口が震えている。
……『いや』? まさか
「体を操られてる……!? いや、幻覚……!?」
悠里が歯を食いしばった。介が魔術を唱えようとして、石の濁り具合に苦い顔になっている。
「おい介! あいつの幻覚消す方法ねえのか!」
「術者がいなくなったんだ、一度でも気を失わせることができれば可能性はある――けど、下手な気絶の仕方だと彼女の心が折れたままになって危険だ」
「そんな、どうして――!?」
「あいつが彼女を操れるということは、彼女はゲート化しかけてるんだ!」
背筋を氷が撫でたようだった。
介へと走る奏の拳が構えられている。止めようにも間に合わない――!
瞬間、介が氷壁を作って拳を防ぎ、呻いた。
介のラリマーの色が、
「介さん!」
「集中するんだ!」
ぐっと持ち上がる喉をなんとか制する。目つきを変えて頷いた時には、悠里が奏の後ろに立っていて目を丸くした。
後ろから腕を掴み、その場に伏せさせると同時に腕を後ろに
「俺に偉そうなこと言っといて何お前が先にやらかしてんだよ、ばーか!」
言う悠里の声が、必死そのもので焦りを隠せていない。
反撃されても動けるよう、鏡もそばに駆け寄ってはっとした。
「……い、や……ごめんな、さ……もう……私……なんか……いて、も……」
「好いてくれる奴一人守れねえ俺が恥ずかしいだろ! さっさと戻ってこい!」
ぎょっとしたのは、鏡だけではなかった。
介も目を丸くしていて、言葉を失って棒立ちになっている。
けれど鏡は、仕方ないなあと笑いがこぼれた。
「遅すぎだよ、悠里」
「……うっせ」
大きな声だったからだろうか。彼女の表情が少しだけ、戻ったような気がした。
苦しげに歪んだ表情からはもう、涙はない。女性の体から力が抜けていき、疲れ果てたように眠る彼女にほっと吐息を溢したのは悠里だった。介が氷壁の後ろから回ってきて、呆気にとられている。
「寝たか……」
「じ、自力で解かせたのか……?」
「いやわかんね。起きてもまだ操られてたら目も当てられねえが……なんだよ」
ううんと、鏡は笑って首を振った。
「僕、御影運ばないと。気絶させられただけみたいだから、後で痛みがないか聞かないといけないし――奏さんのほうは悠里よろしくね」
「……わーったよ」
少しだけ居心地が悪そうに視線を逸らした彼は、まだもう少し時間がかかるだろう。
気を失った御影を見下ろして、ずきりと心が痛む。
体を張って奏を助けようとした彼女を、自分は守れなかった。
怖かった。
手をそっと彼女の手首に当てて、脈があるか、息があるかも確かめなければ不安になるほどに。
その手すら震えるほどに。
「……ごめん、御影」
彼女を背負おうとして、鏡は目を見開いた。すぐにくすぐったくなって笑う。
気を失っていても。
御影の手は、しっかりと、自分の手を握ってくれていた。