境界融和世界の幻門ゲート

第18話 03
*前しおり次#

 
 
 
 まだ真夜中で、正直疲れは出ていた。
 けれど眠気はこない。悠里はただ何をするでもなく、ぼうっと柱に背を預けて座っていた。
 布団を降ろして、一階の和室に敷いてもらい、奏をそこに寝かせて随分と時間が経った気がする。彼女がそれだけ精神的に追い詰められていたのは目に見えていたし、何より――

 へえ? ――お前が切ったんだろ?重荷≠セってな。本当に逃げてるのは誰だろうな?

 っははははは!! こりゃ傑作けっさくだ!! 

 ……い、や……ごめんな、さ……もう……私……なんか……いて、も……

 その一端となったことに、罪悪感もあった。
 奏に熱はない。それはさっきも確かめた。ただ昏々こんこんと眠り続ける女性に、苦悶くもんの表情がなくなったことだけは、素直にほっとした。
 喉まで出かかった言葉を出そうとして、やめる。
 どうせ彼女には今言っても聞こえない。起きたとしても言える自信はない。
 本当に、いつぞや鏡が言ったように、とんだ天邪鬼あまのじゃくだ。
 こいつの前だと、なんとなく今まで以上に、このよくわからない気持ちを隠したくて堪らなかった。
 素直だと思ってたのにな……。
 うっすらと開いた奏の目を見て、悠里は顔色を変える。
「お。起きたか?」
 目を擦りながら、眠たげな顔を自分へと向けてくる奏にやっと心の中で安堵あんどした。
 もう操られていない。
「あ、おはよう……ございます……あれ……?」
「おはようさん。まだしんどいか? 食欲ねえならかゆ作ってくるけど……」
 首を傾げている様子からするに、まだ現状を飲み込めていないのだろう。本人にとってつらい記憶を見せられていたようだから、介曰わく思考が混乱していてもおかしくない。そのせいか、目を擦っている奏は、そのままにしていればまた眠りそうにも見えた。
「食欲……? うー、お腹空いてる……」
「んじゃ普通に食えそうか……」
「はい……楯山さん、大丈夫……?」
 眠たげな目が見上げてくる。一瞬だけ言葉に詰まって、悠里は平静を装った。
「……俺、今どこかつらそうに見える?」
「つらそう……かはわからないけど……落ち込んでない……かな、って……つらい、の……?」
 自分の心配をしろよと、口に出そうになった言葉をそっとしまう。
 なおさら許せなくなる。彼女の心を踏みにじったあの神崎≠。
 ――そう追い込ませる一因となった自分も。
「……ま、言いすぎたとは思ってる。悪かったな」
 ぎこちなく頭を撫でる手は、孤児院にいた頃、年下の子供たちをあやすためにやっていた時よりも強張っていた。奏は寂しそうに笑っている。
「気にしなくていいのに……ずっと黙られる、より……本音話してくれたの、嬉しかったから……私のほうこそ、ごめんなさい」
「それこそ気にするなよ。俺が変な意地張らなきゃ済んだ話だ。……少しずつ向き合っていくさ」
「え、向き合うって……?」
 微かに見せた笑みが弱々しく映らなかっただろうか。奏が不思議そうに見上げてくる目は、先ほどよりもしっかりと開いている。そっと、彼女の頭から手を離した。
「色々と、な。話したって言ったって、トラウマ全部解消されたわけじゃねえし」
「楯山さん……私も、楯山さんが折れそうになったらどこにいても支えます。まだまだ頼りないですけど……」
「ははっ、そりゃ心強いわ」
 むずがゆい。嬉しいのかどうか、自分でもまだよくわからない。
 けれど心強いのは本当だ。寝ぼけていなければ彼女からこんな言葉を聞いても、きっと流していたかもしれなかったけれど。
 だからかもしれない。奏がきょとんとして見上げていているのだ。
「どーした? ハトが豆鉄砲どころかガトリングガン喰らったみたいな顔してるぞ?」
「あ、いえ……なんでもないです。あの……何かあったんですか? あの記憶覗きスケベの時に……」
 ……今さらながら、あの神崎≠ニかいう男への奏の呼び方が凄まじいなと感じるようになった。同情はしない。
 同時に、彼女が操られていた時の記憶がないことに、少しだけほっとした。
「……さて、な。俺もかなりキレてたからな、はっきり覚えてねえよ」
「……? 何か隠してません?」
「気のせいだろ? そろそろ飯持ってくるから待ってろ」
「あ、はい。……? あの後、何かあったの、かな……?」
 立ち上がった背中にかかる呟き。悠里は引き戸を閉めながら、微かに顔をしかめた。
「……覚えてないに越したことはねえよ」
 それだけ彼女が掘り返されたものが、つらいものだったことは目に見えていたのだから。
 あんかけうどんを作り、夕飯がまだらしい鏡たちの分も下拵したごしらえしておく。本当ならきつねうどんにする気だったが、そう都合よく揚げが冷蔵庫代わりの保冷庫に入っているわけもない。
 初めて作ったとはいえ、あんの味が濃くなければいいがと奏に持っていくと、彼女は目を輝かせて喜んでいた。食欲は本当にあるらしく、神崎≠ノ見せられた幻覚を覚えていないとはいえ、食欲不振におちいらずに済んでよかったと思う。
「美味しいーっ」
「そりゃよかった」
「ありがとうございますっ。それとあの……すっごい今さらなんですけど、どうして私ここで寝てたんですか?」
 本当にすっげえ今さら。悠里は肩を竦めて返す。
「あの後疲労でぶっ倒れたんだよ。で、俺が運んだ」
「え、あ、ありがとうございま――え、運んだ!?」
 一気に顔が沸騰ふっとうする彼女の忙しさは相変わらずだ。とはいえ間違ったことは言っていない。悠里は真顔で頷くことにする。
「おう、運んだ」
「あ、わ、私重かったんじゃ……!」
「別に?」
「そ、そうです、か……」
 頼むから返しづらい質問は勘弁してほしい。ほっとした彼女はまだ顔が赤く、笑いをこらえようと悪戯っ気のある笑みを貼りつけた。
「……めん伸びるぞ?」
「わっ、あ、た、食べますっ!」
 現金。
 ダメだ、このままでは本当に笑いかねない。そうなったら奏が悔しがって、頬をふくらませる姿まで容易たやすく想像できた。
「俺の分も持ってくるか、食いっぱぐれそうだし……」
 なんとか笑みをごまかして、悠里は立ち上がる。途端に奏が心配そうに見上げてきた。
「え、た、食べてなかったんですか……?」
「食ってねえ。ずっと付き添ってたし」
「え――あ、ありがとう、ございます……」
 本当に、感情を隠す気があるのか疑問なぐらいに、彼女は顔が赤い。手をひらひらと振って、悠里は気にするなと返した。
「途中からわざと突き放すように言ったびと、かばってくれた礼だよ」
「あ、あれはその……あんなの、楯山さんに見せたくなかっただけで……」
 突き飛ばされたあの時。
 術が発動したその兆候は見えていなかった。奏が突き飛ばそうとしたことで、初めて自分に魔術を使われそうになっていたのだとわかったのだ。
 ただただ、苦笑いが零れる。
「まぁ多分、俺が喰らってたら事故のこと見せられたか、今までの心ないこと言ったとこ見せられたかのどっちかだろうな……」
「……だから、嫌だったんです」
「……言うなれば言の刃、か……あいつの技は」
 俯く奏の顔色が悪い。何を見せられたのか、彼女の過去を一部でも知っている以上、苦い思いばかりが過ぎる。
「そうですね。どうしてあんなに、私の過去知ってるのって思うぐらい……皆さんが来てくれるまで、同じ術……受けてたんです。なんだか、心探られてるみたいで……気持ち悪かった……」
「だろうな。あいつの術で探ったことは術者にもバレるらしいな……俺が昨日話したこともバレてたよ、完全に」
「えっ……!? そ、そんな……」
 ――まだ意識が回復したばかりなのに、これ以上思い出させるようなことを言うのはまずいだろう。苦笑いを溢して、悠里は肩を竦めた。
「今は対策が思いつかねえわ。後麺伸びるぞ?」
「あ、そ、それはダメっ、折角のうどんなのにっ!」
 折角、ときたか。
 すぐに食べ始める奏の嬉しそうな表情には、思わず苦笑いが零れる。
「また作ってやるよ、そのうち」
「本当ですか!? やったーっ」
「そんな喜ぶことかよ……」
「楯山さんのご飯美味しいんですもん」
「はは、生きてくために覚えた知識だけどな……」
「でも私、楯山さんのご飯の味大好きですよ?」
 思わず固まる。
 奏は麺をすすって、美味しそうに食べて、飲み込んでいる。
「覚えたきっかけ、あまりよくないかもしれないですけど。風見さんや御影ちゃんや、神崎さんだって美味しいって喜んでるんですから、いいんじゃないですか?」
「……ここまで褒められるとさすがに照れるぞ?」
「って、顔に出てないじゃないですか」
「出てる出てる」
「へえー、照れてる時は顔に出ないんですねー」
 くすくすと笑われて、彼女がやっと本調子に戻ってきたのだろうと気づけた。にやりと笑ってごまかすと、彼女はおかしそうに笑ったまま。
「想像に任せるぜ?」
「じゃあ勝手に想像してまーす」
「はいはい、好きにしろ……」
 返しが上手くなったものだ。前なら困惑していたくせに。
 完食して合掌する女性の手元からぼんを引き上げる。
「んじゃ片付けてくるわ。後鏡たちのほうも様子見てくるから」
「あっ……ありがとうございます……あの、みなさん、怪我してるん……ですか?」
 気を失っていた間のことも、覚えていない部分も、何があったのか不安なのだろう。悠里は肩を竦めた。
「介は魔力切れすれすれ、御影は気絶ってとこ。そっちは鏡が見てくれてる」
「え――!? ご、ごめんなさい、私が気を失ってなかったら……!」
「お前のせいじゃねえよ。誰がどうなっても遅かれ早かれこうなってたよ」
 もしかしたら奏でなかったら、自分がああなっていたかもしれない。
「……そう、ですね……もう過ぎちゃったのに、気にするより前見なきゃ……」
 鏡だったかもしれない。御影だったのかもしれない。介だって、昨日聞いた過去を再生されでもしたらもたない可能性だってあった。
 あいつにとってはそれすらもあそび≠ナしかないのだ。だからもう、あいつが嗤うような感情を誰かに持たせる気はない。
 彼女の爪が自分の手の平を傷つけないように握ってやる。ぽかんとした彼女が、不思議そうに自分の手を見ている。彼女の手の力が少しだけ緩んだ。
「後ろ向いてうだうだ悩むより前向いていこうぜ? 後ろ向きはつらいからな」
「え、あ、はい――ありが……」
 途端に顔を赤くしていく奏に、ひたすら真顔でごまかす。
 わかりやすすぎて、正直居心地が悪い。……もしかすれば、居心地が悪いという言葉も違うのだろうか。
 まあ、今はいいか。まだ整理がつき切ったわけではないのに、急いでも。
「あんま思い詰めんなよ? 今回は誰が悪いとかねえんだ。だから開き直っちまえ」
 奏が目を見開く。
 恥ずかしそうに笑んだ彼女は、気が緩んだようだった。微かに頷いている。
「はい……あ、ありがとう……ござい、ます……」
 ……緩んだけど恥ずかしいか。こっちが恥ずかしいっての。
 奏の手から力が抜けていた。内心ほっとしたなんて、絶対に教えてやらない。
 最初は拒絶してしまっていたけれど、今はただの意地だ。
「もう力入ってねえな」
「え? ――あ」
 手をぽかんと見つめる奏のそれから、自分の手を離した。盆を手に立ち上がる。
「お前、耐えようとすると手握るくせあんだよ。気つけろ」
 顔が、嬉しそうに、くすぐったそうに。
 心をありのままに伝える表情は、彼女の名前のように豊かな音色をつづるようだ。
「……はい。ありがとうございます」
 引き戸を閉める。奏の手を握ったその手を見下ろして、固めた。
 バレねえようにしてやる。
 あいつにも、神崎≠ノも。
 諦めなんて、どうせまだついていないのだ。諦めてもやらない。
 あいつと自分の中で、ちゃんと区切りがつくまで。


掲載日 2021/02/11
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