御影は問題なく起きていた。あんかけうどんを持っていくと、やはり昼食も採らずに付きっきりで見ていたらしい鏡が、ほっと笑っていた。
奏が無事だったことも、記憶が飛んでいて覚えていないことも伝えた時、御影も胸を撫で下ろしていたのだ。
急に仲間から攻撃されたのに、それでも奏を心配する彼女には脱帽ものだ。そんな彼女にほっとする鏡にも苦笑いがこぼれそうになった。
無自覚も考え物かもしれない。
介がノックして入ってきて、夕食を嗅ぎつけたことがすぐにわかった。全員で食事をとりながら、ただ互いの無事に安堵しあった。
同時に、介が苦い顔で口を開いたのが、あの神崎≠フことだった。目を鋭くして介を睨み据えると、彼は押し黙るように口を閉ざした。
「昨日お前が言ってた守護者ってあいつだろ」
「……ああ。もうごまかしたって無駄だな」
今日の、あの男が名前を欲しがっている理由を聞いたことで、彼も話す気になったようだ。
――あいつが、介の仲間を殺したのか。
「おれも詳しくは知らない。ただ、あいつがゲートになったことも、おれの名前を欲しがっているのも、何かをするためなのは間違いないんだ。あんな中二臭い変換しかできない名前、欲しがる奴がいるとも思わなかったけどね」
「あいつに居場所知られたんだろ。うかうかしてられないんじゃねーの?」
正直あいつの件も含めて、神崎≠フことなど関わりたくもないし触れたくもない。
仲間をあれだけ
介はしばし考えて、首を振った。
「いや、あいつ自分の言葉に制限かかるんだ。言葉を操る魔術っていうのを作った反動で、自分の発言にも縛られるらしいんだよ。『遊びに来ただけ』って言っていたろう。しばらくは来ないと思う」
「そんなもんか……?」
「言葉や名前は一番短い呪っていうからね……そういう、ことでしょう?」
鏡の声が、珍しく苛立ちを隠していなかった。当然だろう。何より、自分の味方となってくれる人たちを助けたいという思いが強い鏡は、ああいう手合いは一番嫌いなはずだ。
「そういうことだよ。だからおれの名前を欲しがってるんだろうな。神の世界、ねえ……」
「名前を奪ったからってその人になれるわけじゃないのに……何が目的なんだろう」
「鏡、お前も落ち着け。スイッチ入るぞ?」
舌打ちせんばかりに苛立っていた従弟を
苛立つ気持ちはわかるが、御影が不安そうにしているのだから、気づいてやれとも思う。
「あいつ元々かなり根暗だったんだけどなあ……魔術の事典を毎日睨みつける陰険ってだけの。それとぼっち。ただのぼっち」
苛立たしげに溜息を溢す介に、鏡が苦い顔をする。
「僕個人として考えられるのは、ゲート化したことで、元と違う人格が形成されたんじゃ……ってところなんだけど」
「元と違う人格が出るのは、可能性としてあり得ると思うよ。あいつの場合は内側に突っ込んでたもの全部爆発してる可能性も捨てきれないな……あれで元仲間と思うと
あいつもかつては仲間だったのか。なおさら、介がああまで敵意を剥き出すわけだ。
……自分の仲間を手にかけたのか。あの下衆は。
じっと鏡から見つめられ、悠里は居心地悪く見下ろした。
「……んだよ」
「悠里は、そうならないでね?」
「……あー、あれと同類になるのは勘弁だな」
苦い顔で答えるも、鏡から心配されるということは、自分が同じ危うさを持っているということかもしれない。
嫌でもなりたくないのは、本当なのにな。
「あいつは完全にゲートに呑まれてるからね。人の姿を保ってるだけ凄いよ。二年あの調子だからね……」
「に、二年……」
「そりゃやべえな……」
むしろ、二年もゲートに染まっていて、魔物にもならずに人格も思考も保てる人間なんて聞いたことがなかった。現に介も、「一応あれでも頭はちゃんと回ってるんだよ」と、したくないのだろう説明をしている。
「今までおれが関わってきた仲間に、手を出す真似まではしなかったんだけどな……まさか君らに、あそこまで突っかかるなんて思っても見なかった」
「今まではスパンが短かったってのもあるかもな」
「と言っても、二ヶ月、三カ月はザラだったんだよ。……どこから目をつけてたのかさっぱりだ」
「鏡が加わった時点で既に、俺と組んでた時期はざらに三ヶ月経ってたろ……」
そうだったと、介が懐かしそうに笑っている。それだけ自分と組んだ期間が馴染んでいるのだろうかと思うと、内心にやりと笑った。
けれど鏡は考え込んでいて、隣で転寝しかける御影をベッドに寝かせると、苦い顔で介を見やった。
「後、介さんが言ってた幼馴染み、さっき言ってたぼっち……そこから合わせると一つ仮説が立てれるんですけど……あんまり僕としては、当たってほしくないというかなんというか……」
「仮説? ――もし構わないなら続けてくれるかい?」
「嫉妬――じゃないかなって。一番嫌な予想なんですけど」
「はあ? 嫉妬!?」
初めて介の素っ頓狂な声を聞いた。鏡は言いづらそうにしつつ、御影の頭を撫でて寝かせている。
「友達少ない人にありがちなんですけど、幼馴染みとか友達とかが、自分の知らない人と話してるのがなんとなく気になるんですよ……その感情がゲート化によって拗れて
「鏡、それヤンデレって言うんだぞ……」
「えっ、そうなの?」
「そ、それはないと思うな……あいつ破壊衝動を楽しんでたんだ。ゲートになる前にもね」
「もしかしてゲート化の前兆だったんじゃないですか、それ……」
それには、介は苦い顔で首を振っていた。
「どうだろうね……あいつ、ゲートになることに最初からためらいなかったからね……」
「そんな人がいるんだ……普通は恐怖とかあるものじゃ……」
ただ、黙る。
そっと視線を外すも、真正面の介には
「あいつにとって、死なんてどうでもいいんだろう。じゃなきゃあんな真似できない……とにかく、あいつは本当なら遺跡から出れないはずなんだ。出てきたってことは、あれは影を送り込んだんだと思う」
「閉じ込められてる……!? っていうか、そんなことできるんですか……?」
愕然とする鏡に、介は肩を竦めていた。
「彰吾さんだよ。閉じ込めたのはね……。だからあいつが閉じ込められてる遺跡には、まだ近づかないようにしないとな……悠里、自覚してるなら、少しずつでいいから考え変えていけよ」
「え? ……悠里?」
タッグを組んでから変わった介の目の鋭さは、ごまかせそうもないか。ふっと吐息が漏れ、すぐににっと笑む。
「目敏いな……最初の頃はそう思ってたよ、ここが死に場所なんだろうなって。生憎、さすがにもうお前ら残して死ぬ気にはなれないさ」
「――まあ、なれないに昇格しただけ、まだいいかな」
「……大分進歩だよ、いつ死んでも構わねえって思ってたのに、死にたくねえって思えるんだからな」
苦笑いして返すと、途端に介がけらけらと笑い出した。鏡は御影を見て苦笑いしている。
「いやあ、見てて苛々できたよ。まあ、そう言ってくれるようになってほっとしてる。で――答えはもう少し保留にするのかい?」
「……今あんな状態で答え出しても、同情って思われるだろ? だから保留」
介が肩を竦めて笑った。
「そうか。まあ口出しする気はないけど、自分が整理できてないんだったら、相手の状態を言い訳にはするなよ」
「……やっぱ言い訳になるよな」
「言い訳だねえ」
介はうざいと思う時がある。説明はくどくどしいし、言うことが上からで、鼻につくこともしょっちゅうだ。
けれど的を射ている今、そんなことを思うわけもなかった。彼が他人のためにと言った言葉には違いない。し、邪見にする気もない。
「整理つかないんだったら、つかないって言えばいいんだよ。相手がどうこうは必要ない。君自身が自身のことで抱えてる問題だろう?」
「ま、な。考えれば考えるほどスパイラってな……自分の気持ちはわかってるけど認めたくないって奴だな。まったく、自分のことながら面倒な性格になっちまったもんだよ」
「そこ含めてぶつけろ、っていうのは君には
「おう」
しれっと返すと、介はそっかと真顔で返してきた。
「じゃあ酷なこと言おうか。ぶつけておいで」
「はは、断る」
一瞬で、背中に嫌な汗が噴き出した。鏡が気づいたのか、心配そうに見てきている。
「じゃあ遺跡探索の件、おれも保留にするよ」
「だから今言っても同情と思われるのが関の山だっての」
「――それ誰が決めたんだ? おれ君のそういう決めつけ嫌いなんだよなあ」
だからって……
喉の奥から突き上げてくる圧迫感に閉口する。鏡がじっと見上げてきた。
「もう腹括ったら?」
「……わり。しばらく一人にしてくれ」
部屋を出ても。
一階の和室は今奏がいる。リビングでどうこうすると彼女を起こしてしまう。
「今答えを出せって言ってないだろ、直球に考えすぎだな……」
「変なところ直情的なんだもん、仕方ないよ」
……介の声が、鏡の声が、扉の向こう側から聞こえてきた。
――介が予想していた通りになったか。誰かが一時的にでも一人になる方法がないとまずいと。
このメンバーだけの共同生活に、誰かがつらくなる時が必ず来ると。
二階の最奥の、誰かが一人になりたい時に使う部屋に、足を運んでいた。部屋に寝転がって、詰まっていた息を吐き出す。
「わかってんだよ……」
このままではまずいことも。
あいつも、自分も……。